ブロッケン山(ブロッケンさん、ドイツ語: Brocken)は、ドイツハルツ山地の最高峰であり、ドイツの北部州での最高峰でもある。エルベ川ヴェーザー川に囲まれた場所に位置し、頂上から一番近くにある町は、ザクセン=アンハルト州シールケ英語版である。標高は1,141mであるが、気候は2,000m級の山に相当する。森林限界より標高の高い場所では、9月から5月という長期間にわたり、積雪がある。山頂は年間300日は霧に覆われ、年間の平均気温は2.9℃。ドイツの北部州では最も東に位置する山脈で、そこから東の方向にはロシアウラル山脈に至るまで、名だたる山脈は見られない。

ブロッケン山
ブロッケン山
標高 1,141 m
所在地 ドイツの旗 ドイツ
位置 北緯51度48分05秒
東経10度36分53秒
座標: 北緯51度48分05秒 東経10度36分53秒
山系 ハルツ山地
ブロッケン山の位置(ドイツ内)
ブロッケン山
ブロッケン山
ブロッケン山の位置(ドイツ
ブロッケン山の位置(ヨーロッパ内)
ブロッケン山
ブロッケン山
ブロッケン山の位置(ヨーロッパ
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年に一度魔女が集まって(ヴァルプルギスの夜)魔女の饗宴をする山と言われ、ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテの戯曲『ファウスト』にも登場する。登山者の影が霧に投影されてできる視覚効果であるブロッケン現象が起こりやすいことで有名。

ハルツ国立公園英語版内に位置する。山頂には、1,600種類の高山植物が見られる植物園「ブロッケンガルテン英語版」(Brocken Garden)がある。なだらかな山であるため、山頂までブロッケン鉄道英語版が通じ、蒸気機関車やマウンテンバイクでも登ることができる。山頂にある博物館には、自然や植物に並んで、旧東ドイツ領に属していた時代の展示もある[1]

山頂は、FMラジオテレビの放送に用いられている。旧テレビ塔「ゼンデル・ブロッケン」(Sender Brocken)は、現在はホテル・レストランとなっている。展望台があり、旅行客に開放されている。

地理編集

 
山頂
 
山頂に積まれた花崗岩

周辺との位置関係編集

ブロッケン山はハルツ国立公園英語版内に位置する。山頂から12km東北東には、ザクセン=アンハルト州ハルツ郡英語版の中心都市であるヴェルニゲローデがある。山頂のあるザクセン=アンハルト州と隣のニーダーザクセン州との州境は、山頂から西に約2kmのところを走っている。また、山頂から南東側の麓には、温泉地の町シールケ英語版がある。

北側の山頂付近にはブロッケンタイヒ英語版と呼ばれる貯水池があり、1744年に造成された。ブロッケン山とその周辺地域は、ボーデ川英語版ザーレ川の支流)、エッカー川英語版オーカー川の支流)、イルゼ川英語版オーカー川の支流)、およびオーデル川(英語版Oderアラー川の支流であるルーメ川英語版の支流)の水源となっている。円形をした山頂部には木が生えておらず、矮性低木があるばかりである。

山頂およびその標高編集

ブロッケン山の最高峰は海抜1141.1mであり、副峰にはハインリクスヘーエ英語版(1040m)、ケーニヒスベルク英語版(1034m)、クライナー・ブロッケン(小ブロッケン)(1018m)などがある。

1989年まではほぼ全ての地図や書籍にブロッケン山の標高は1142mと記されていたが、1990年代の初めに行われた現行のシステムによる精査の結果、標高は1141.1mとなった。従来どおりの標高で山頂を基準点とした測量ができるようにするため、1990年代半ばに山頂に花崗岩の岩塊が据え付けられたが、もとの標高からさらに約1mの上積みとなった。花崗岩の中には、「1142m」を指す基準点のプレートが埋め込まれている[2]

地質編集

地質学的観点では、ブロッケン山とその周辺地域があるブロッケン山塊は、火成岩であるブロッケン花崗岩と呼ばれる花崗岩から主として構成されている。ハルツ山地を形成するブロッケン・ラムベルク・オーカー深成岩は、約3億年前のハルツ造山期の終わり(後期石炭紀)にかけて出現した。最初に、アルカリ性マグマが上部にある堆積物の地層に貫入して晶出(液体から結晶が析出すること)が起こり、ハルツブルク斑糲岩(Harzburg gabbro)と呼ばれる斑糲岩閃緑岩の山塊を形成した。その後、珪石の含有率の高い花崗岩のマグマが地下から上昇し、もとの岩石に割れ目や隙間を作ったものも一部あったが、多くは既存の地層を溶かして別の岩石を形成した。既存の地層と花崗岩の地層の境界部には接触変成帯があり、さまざまな変成作用が見られる。例えば、副峰のアクターマンズヘーエ英語版の頂上部は、花崗岩の地層の上部における接触変成によって形成されたホルンフェルスと呼ばれる岩石からできている。後年代の白亜紀後期にハルツ山地が隆起したことに伴って河川による侵食が起こり、山頂部を覆っていたホルンフェルスが消失したことにより、石炭紀後期に地下で結晶化された花崗岩が露出した。ブロッケン花崗岩の硬度が高いのは、侵食が始まるまで長期間にわたり、山頂部が気候の影響を受けにくいホルンフェルスによって保護されていたためである。

地質学的には新しい時代区分となる第三紀以降になってから、ブロッケン山の花崗岩の露出部分や、単独の岩(巨礫)となった花崗岩に球状風化英語版が発生した。球状風化のある岩石原は、中央ヨーロッパにおいてはアルプス山脈以外では珍しいため、保全措置が取られている。岩石原は主として周氷河氷河時代と、氷河の後退期の繰り返し)の状況下で形成された。したがって、今日のブロッケン花崗岩の岩石原や、オーデル渓谷などのハルツ国立公園英語版にある岩石は、少なくとも1万年以上前のものである。これらの地形は、凍結風化英語版などの物理的風化作用によって形成された。結果として、結合力の弱い岩石がうずたかく積み上がった状態となっている。2006年に、ブロッケン山の岩石原は、他の76のジオトープとともに、国定ジオトープ(National Geotope)に指定されている。 [3]

気候編集

 
雨温図
 
冬の風景(2003)
 
冬の旧テレビ塔(2001)

ブロッケン山の気象条件は過酷である。ドイツ北部の偏西風を受けやすい場所に位置するため、山頂部は森林限界の上にある。ブロッケン山の気候は、高山の気候、もっといえばアイスランドの標高1,600mから2,200mの気候に匹敵する。夏が短く、冬が長く、連続冠雪期間が長く、風が強く、夏でも気温が低いためである。しかしながら、山頂部は夏季の平均気温が10度を超えるため、高山気候ではない。

周囲の地形との高低差のため、ブロッケン山の年間降水量(1961年~1990年)平均値は1,814mmと、中欧北部では最も多い。年平均気温は2.9度である。 [4]

ブロッケン山の測候所では次のような極値が記録されている。[5]

  • 最高気温     :29.0度(2012年8月20日)
  • 最低気温     :-28.4度(1956年2月1日)
  • 雪日数      :205日(1973年)
  • 最大積雪量    :380cm(1970年4月14日、15日)
  • 最大風速     :263km/時(1984年11月24日)
  • 年間降水量最大値 :2,355mm(1981年)
  • 年間降水量最小値 : 984mm(1953年)
  • 年間日照時間最大値:2004.5時間(1921年)
  • 年間日照時間最小値: 972.2時間(1912年)

また、ブロッケン山の年間霧日数330日(1958年) [6]および平均年間雪日数120日[7] は、ドイツ国内最高記録となっている。

ブロッケン (1981–2010)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C (°F) 14.0
(57.2)
12.3
(54.1)
17.5
(63.5)
21.4
(70.5)
24.1
(75.4)
26.1
(79)
28.5
(83.3)
29.0
(84.2)
24.4
(75.9)
21.9
(71.4)
19.8
(67.6)
12.5
(54.5)
29.0
(84.2)
平均最高気温 °C (°F) −1.2
(29.8)
−1.4
(29.5)
0.8
(33.4)
5.0
(41)
9.9
(49.8)
12.3
(54.1)
14.8
(58.6)
14.6
(58.3)
10.7
(51.3)
6.8
(44.2)
2.2
(36)
−0.2
(31.6)
6.19
(43.13)
日平均気温 °C (°F) −3.4
(25.9)
−3.6
(25.5)
−1.5
(29.3)
2.3
(36.1)
6.9
(44.4)
9.3
(48.7)
11.8
(53.2)
11.8
(53.2)
8.3
(46.9)
4.5
(40.1)
0.1
(32.2)
−2.4
(27.7)
3.68
(38.6)
平均最低気温 °C (°F) −5.7
(21.7)
−5.9
(21.4)
−3.8
(25.2)
−0.4
(31.3)
3.9
(39)
6.3
(43.3)
8.8
(47.8)
8.9
(48)
5.8
(42.4)
2.1
(35.8)
−2.0
(28.4)
−4.6
(23.7)
1.12
(34)
最低気温記録 °C (°F) −27.5
(−17.5)
−28.4
(−19.1)
−19.6
(−3.3)
−12.6
(9.3)
−8.7
(16.3)
−3.0
(26.6)
−0.1
(31.8)
0.0
(32)
−2.6
(27.3)
−10.3
(13.5)
−16.1
(3)
−25.0
(−13)
−28.4
(−19.1)
降水量 mm (inch) 206.5
(8.13)
147.8
(5.819)
171.8
(6.764)
101.4
(3.992)
116.6
(4.591)
129.2
(5.087)
150.6
(5.929)
146.9
(5.783)
166.7
(6.563)
160.9
(6.335)
199.3
(7.846)
225.0
(8.858)
1,922.7
(75.697)
平均降水日数 21.2 18.1 18.7 13.8 13.7 14.5 15.1 14.2 14.9 16.8 20.4 22.0 203.4
平均月間日照時間 64.0 77.7 94.3 147.6 186.0 168.6 181.0 175.9 122.0 95.9 49.5 54.7 1,417.2
出典: Météo Climat

植生編集

 
森林限界

ブロッケン山では、厳しい気候のため、希少種の植物が生息している。山頂の植物および動物の分布は、スカンジナビア半島アルプス山脈と同じ亜高山帯のものである。

ブロッケン山は中央ドイツでは山頂が森林限界よりも上にある唯一の山であるため、樹木は小型のトウヒ属のみであり、植生のほとんどは矮性低木やヒースである。1890年開園のブロッケンガルテン英語版(Brocken Garden)内に生育している植物は国定公園の職員によって管理されており、一般の来園者は通常のガイドツアーでの鑑賞のみとなっている。同園では、ブロッケン山の植物のみならず他の地域・国の高山植物も生育されている。

北部ドイツの他地域や標高1,050m以上の地域ではほとんど見られないが、ブロッケン山では見られる典型的な植物としては、「ブロッケン・フラワー」もしくは「ブロッケン・アネモネ」として知られているプルサチラ・アルピナ英語版(Pulsatilla alpina subsp. alba)、ヤナギタンポポ属のブロッケン・ホークウィード(Hieracium negrescens)やチシマタンポポ(Hieracium alpinum)、ハルガヤ(Anthoxanthum)、ハゴロモグサ(Alchemilla)、タチキジムシロ英語版(Potentilla tormentilla)、ヒカゲノカズラ (Diphasiastrum alpinum)、エイランタイ(Cetraria islandica)、およびハナゴケ(Cladonia rangiferina)などがある。ガンコウランは、ブロッケン山の周辺地域では「ブロッケン・ギンバイカ」 (Brockenmyrte)と呼ばれている。

山頂周辺の隆起湿原には、ワタスゲモウセンゴケ、およびヒメカンバ(Betula nana)が生育している。

動物編集

ブロッケン山の生息環境に適合してきた動物種もある。例えば、タヒバリ(Anthus aquaticus)やクビワツグミは山頂に生息している。

コモチカナヘビはブロッケン山では独特の暗色の変異種Lacerta vivipara aberr. negraが発現している。ヨーロッパアカガエル(Rana temporaria)も見られる。また昆虫は、「アマラ・エラティカ」(Amara Erratica)などのオサムシを含む甲虫類や、何百種類ものなど、多くの種類が存在する。オオモンシロチョウは、平地では1年あたり2世代交代するのに対し、ブロッケン山では1世代しか交代しない。

哺乳類や鳥類のなかにはキタクビワコウモリ(Eptesicus nils soni)、アルプストガリネズミ英語版(Sorex alpinus)、およびクビワツグミのように、氷河時代から存在する種もある。

歴史編集

 
ブロッケン山頂部の地図
 
L.S. ベシュテホルン(L.S. Bestehorn)による1732年のブロッケン山の俯瞰図(空中に魔女が見られる)

登頂、建造物建設およびその利用編集

ブロッケン山への最初の登頂は、1572年シュトルベルク英語版の医者であり植物学者でもあるヨハン・タールドイツ語版(Johann Thal)により記録されている。彼は自著「シルバ・ヘルシニア」(Sylva Hercynia)[8]にてブロッケン山岳地帯の植生について記している。1736年シュトルベルク・ヴェルニゲローデ英語版クリスティアン・エルンスト英語版が山頂に「ヴォルケンホイシェン」(Wolkenhäuschen:「雲の家」)という保養施設を建設した。この建物は現在も保存されている。彼はまた、ブロッケン山の南側斜面に息子の ハインリッヒ・エルンスト英語版にちなんで、「ハインリクスヘーエ」(Heinrichshöhe)という名の山小屋を建設した。ブロッケン山の最初の宿泊施設は1800年頃に建設された。

1821年から1825年にかけて、ハノーファー王国測地測量の一環として、テューリンゲン森にあるグローサー・インゼルスベルク英語版山、およびゲッティンゲン近郊のホーアー・ハーゲン英語版山との間で三角測量を行うために、数学者カール・フリードリヒ・ガウスがブロッケン山を照準線を得るために利用した[9]1850年プロイセン王国参謀が実施した測量により、ブロッケン山の標高が現在知られる1,141.1mであることがわかった。ブロッケン山にあった最初の山小屋が火災により焼失したため、1862年に新しいホテルが開業した。1890年ゲッティンゲン大学アルベルト・ペーテル英語版教授により、シュトルベルク・ヴェルニゲローデ英語版オットー英語版の許可を得て、4,600 m² (50,000 ft²)の敷地に植物園ブロッケンガルテン英語版が設計された。これはドイツ最初の高山植物園である。

 
ブロッケン鉄道英語版を前景にハインリヒ・ハイネの道からブロッケン山を望む(2008)
 
ブロッケン山頂の気象台にある気象観測展望台からの眺望(2006)

1899年3月27日、狭軌鉄道ブロッケン鉄道英語版[10]が開業した。同路線の終点ブロッケン英語版駅は標高1,125mとドイツ最高地点の駅である。ブロッケン鉄道の軌間1,000 mm (3 ft 3 38 in)である。1935年に、帝国郵便[11]によって可動式送信機を用いて最初のテレビ放送が実施され、翌年には世界初のテレビ塔(電波塔も参照)がブロッケン山に建設され、1936年に開催されたベルリンオリンピック生放送を送信した。テレビ塔は、第二次世界大戦が勃発し当局が放送を中止した1939年まで稼動していた。

1937年にブロッケン山は、ヴュルムベルク英語版アクターマンズヘーエ英語版、およびブルヒベルク英語版の山地とともに、「オーバーハルツドイツ語版(高地ハルツ)自然保護区」に指定された。

1945年4月17日のアメリカ空軍の爆撃のため、ブロッケン・ホテルと気象台が破壊されたが、テレビ塔は破壊を免れた。1945年から1947年までの間、ブロッケン山はアメリカ軍に占領された。領土交換(ヤルタ会談に記載)の一部として、ブロッケン山はソ連占領地域に移行された。しかしながら、1947年にアメリカ軍が撤退するまでに、再建された気象台およびテレビ塔はアメリカ軍によって無力化された。

1949年に、ブロッケン・ホテルの遺構は爆破された。1948年から1959年までの間、ブロッケン山の一部地域は観光客に戦後再び開放された。通行証が必要であったが、無償で交付された。1961年8月以降、東ドイツ政府は、ブロッケン山が西ドイツと隣接する国境地域となることから、立入禁止区域であると宣言したため、一般人には開放されなくなった。大規模な軍事施設が山頂および周辺地域に建設された。山頂および周辺地域の警備は「第7シールケ英語版国境警備隊」(7th Schierke Border Company)が管轄しており、山頂部に小隊規模の部隊を駐屯させていた。部隊の収容のために、ブロッケン英語版駅が使用された。ソビエト連邦赤軍もまた駐屯地の大部分を使用していた。1987年、ブロッケン鉄道は軌道の整備状況悪化のため貨物輸送を中止した。

ブロッケン山は大規模な監視諜報に用いられた。山頂には2つのリスニングポスト(受信施設、通信傍受施設)が存在した。そのうちの1つはソビエト連邦軍の諜報機関である参謀本部情報総局(GRU)に属しており、ソビエト連邦ドイツに保有する最西端の前哨基地であった。もう1つは東ドイツ国家保安省(シュタージ)[12]の第3局[13]に属していた。リスニングポストの暗号名は「エニセイ」(Yenisei)および「ユリアン」(Urian)であった[14]1973年から1976年までの間に、東ドイツ国営テレビ放送局である「ドイツテレビジョン放送」(GDR-TV)の第2チャンネル向けに新しいテレビ塔が建設された。今日ではドイツ公共放送局である「第2ドイツテレビ」(ZDF)の放送に用いられている。東ドイツ国家保安省1985年まで古いタワーを使用し、現在は博物館となっている新しい建物に移った。その後、一帯を封鎖するため、ブロッケン山の山頂部全体を、重量2.4トン高さ3.60メートルの大きさをもつ2,318ものコンクリートの壁で覆った。一帯は1989年12月3日まで立入が禁止された後、ソビエト連邦軍兵営およびリスニングポストのドームとともに、壁は取り壊されている。古いタワーはロッジに隣接しているが、今日はドイツ気象局の観測拠点として再び利用されている。

ベルリンの壁崩壊の後、1989年12月3日に始まる市民によるデモハイキングが行われ、その期間中にブロッケン山に再び民間人が足を踏み入れた[15]東西ドイツ統一に伴い、国境警備施設や軍事施設は1990年以降段階的に縮小されていった。1994年3月30日に、ブロッケン山からロシア軍が最終的に撤収した。ブロッケン山の山頂地域は数百万ユーロの費用を投じて再自然化され、現在はハルツ地方を訪れる観光客にとっての人気の観光地となっている。

1939年から保護地区に指定され、何十年もの間交通が制限されていたこともあり、ブロッケン山の独特の気候によって優れた自然条件が形作られている。山塊の一部は、ドイツではきわめて珍しい原生林に覆われており、オオヤマネコヤマネコヨーロッパオオライチョウといった絶滅危惧種近絶滅種にとって最適な条件となっている。このため、ブロッケン山は1990年国立公園に指定された。

名前の由来と意味編集

 
左から、ヴュルムベルク英語版ホーネカム英語版、ブロッケン山。エルビンゲローデ英語版近郊のブーヒェンベルクドイツ語版より撮影。

中世の終わり頃になってから、「ブロッケン」の名が広く用いられるようになった。それまでは、主としてこの地域への関心は鉱山にあったため、この地域は単純に森を意味する語「ハルツ」で呼ばれていた [16]。しかしながら、現在のブロッケン山の呼称に似た地名が最初に記録に登場するのは、『ザクセン世界年代記英語版』に「broke」という地名への言及が見られる、1176年にさかのぼる[17]。初期の文献でブロッケン山に言及している例としては、他に1490年シュトルベルク伯ヘンリー英語版が書いた手紙に「Brackenberg」の表記が見られる[18]。その他、1401年に「Brockenberg」、1424年に「Brocberg」、1495年に「mons ruptus」(ラテン語) 、1511年に「Brogken」と「Brockin」、1531年に「Brogken」、1540年に「Brockenberg」、1589年に「Brackenberg」の表記例が見られる[19]サクソン人ドイツに住んでいた旧い時代に、北欧神話の神オーディンを描いた大きな似姿が、ブロッケン山で発見されたとされている。さらに、ブロッケン山の山頂部の岩石原においては、サクソン人によって動物人間が最高神オーディンへの犠牲に捧げられていた。やがて、カール大帝の治世にキリスト教がこの地に広まった際に、洗礼の誓い[20]の一部として、サクソン人はこの犠牲の習慣を放棄していった[21]


出典編集

  1. ^ 『世界で一番美しい山岳鉄道』エクスナレッジ、2015年、58頁。ISBN 978-4-7678-2045-3
  2. ^ www.harzlife.de。2010年7月13日閲覧。
  3. ^ Friedhart Knolle, Béatrice Oesterreich, Rainer Schulz und Volker Wrede: Der Harz. Geologische Exkursionen. Perthes-Exkursionsführer, Justus Perthes Verlag Gotha, Gotha 1997
  4. ^ DWD – Klimadaten Mittelwerte。2010年10月8日閲覧。
  5. ^ 110 Jahre Wetterbeobachtungen auf dem Brocken[リンク切れ]。2010年10月8日閲覧。
  6. ^ DWD Weltrekorde - Nebel 。2010年10月8日閲覧。
  7. ^ http://www.harz-seite.de/klima.htm
  8. ^ ドナウ川北部でライン川東部にあたる低山地の古名。sylvaはラテン語で「」。ヘルシニアは「ハルツ山地の」(独:Herzynischに由来)。「シルバ・ヘルシニア」はザクセン地方植物誌に関する書物(ヨハン・タールドイツ語版参照)。
  9. ^ ガウスが行った調査の概要については右記を参照。Charles Kittel et al., Berkeley Physik Kurs 1, Mechanik, 5., verbesserte Auflage, Brunswick/Wiesbaden, 1991, p. 5, (Scan at GoogleBooks)
  10. ^ 鉄道会社ハルツ狭軌鉄道が保有する路線名。
  11. ^ 神聖ローマ帝国から北ドイツ連邦を経てドイツ帝国に至るまで存続した国営郵便事業で、放送事業も手掛けた(15世紀1945年)。
  12. ^ 東ドイツ(ドイツ民主共和国)の秘密警察および諜報機関を統括する省庁。
  13. ^ 東ベルリンにおける防諜シギントによる通信傍受を担当。
  14. ^ Objekt URIAN – Abhörstation Brocken auf lostplaces.de
  15. ^ Archived copy”. 2012年10月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年1月6日閲覧。
  16. ^ Gerhard Eckert: Der Brocken, Berg in Deutschlands Mitte. gestern und heute. Husum Druck- und Verlagsgesellschaft, Husum 1994, 3-88042-485-3
  17. ^ Georg von Gynz-Rekowski, Hermann D. Oemler: Brocken. Historie, Heimat, Humor. Gerig Verlag, Königstein/Taunus 1991, 3-928275-05-4
  18. ^ Thorsten Schmidt, Jürgen Korsch: Der Brocken, Berg zwischen Natur und Technik. Schmidt-Buch-Verlag, Wernigerode 1998, 3-928977-59-8
  19. ^ Walther Grosse: Geschichte der Stadt und Grafschaft Wernigerode in ihren Forst-, Flur- und Straßennamen, Wernigerode [1929], p. 49
  20. ^ キリスト教において、聖餐が授与される直前に成人の洗礼の候補者に要求される放棄の誓いのこと。サタンを放棄すること、サタンが作った物を放棄すること、虚飾を放棄することなどを誓う。
  21. ^ G.G.Bredow: Umständlichere Erzählung der merkwürdigen Begebenheiten aus der allgemeinen Weltgeschichte. Sechste Auflage, Hammerich-Verlag, Altona 1817, p. 526–528