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プジョー > プジョー・スポール
世界ラリークロス選手権の208 WRX(2016年チームタイトル)
ダカールの3008 DKR(2016年総合優勝)

プジョー・スポール (Peugeot Sport) は、フランスの自動車メーカー、プジョーモータースポーツ担当部門。1981年に創設され、F1を除く参戦したカテゴリ全てで優勝を果たしてきた。2010年代はダカール・ラリー世界ラリークロス選手権で活動してきたが、どちらも2018年までで撤退しており、現在はグループRTCRマシンをプライベーターに供給するに留まっている。

経営上の合理化を目的に、同じPSAグループのシトロエン・レーシングDSパフォーマンスと本拠地・予算の統合がされている[1]

目次

ラリー編集

プジョー・スポールは、かつて世界ラリー選手権(WRC)でコ・ドライバーを務めていたジャン・トッドがプジョーからPSA・プジョーシトロエングループのためのスポーツ部門を創設して欲しいと頼まれ、1981年にプジョー・タルボ・スポール (Peugeot Talbot Sport) の名称で創設された。

WRCのトップが主にグループ4車両で争われていた1980年代初期、グループ会社のタルボサンバプジョー・104ベースのFR駆動の小型ハッチバック)をグループ4規定のラリー仕様に仕立てた「タルボ・サンバ・ラリー」で参戦していた。

ラリーチームはブローニュの森近くに設立され[2]、1984年にプジョー・205ターボ16グループBにデビュー、フィンランドでアリ・バタネンが初優勝を遂げた。1985年、プジョーはバタネンとティモ・サロネンの手で12戦中7勝を挙げ、マニファクチャラーズタイトルおよびサロネンがドライバーズタイトルを獲得した。バタネンは1985年のアルゼンチンで重傷を負い、1986年は彼に代わってユハ・カンクネンが加入した。カンクネンはチームに2年連続のタイトルをもたらした。FIAヘンリ・トイヴォネンの死亡事故を受けて1987年にグループBを廃止した。

その後、プジョー・タルボ・スポールの手によって1984年WRCツール・ド・コルスにて 205 T16(E1)がデビューし、初戦で2位を獲得。その後も強豪ひしめく群雄割拠のグループBの中でも、ランチア・ラリー037アウディ・クワトロランチア・デルタS4といった強敵に互角以上に打ち勝ち、数戦後には更に戦闘力を高めた改良型 205 T16 E2 を投入する磐石のシーズン運びを見せ、結果1985年1986年の2年連続でドライバー(1985年:ティモ・サロネン、1986年:ユハ・カンクネン)とマニュファクチャラーズのダブルタイトルを獲得するに至った。

登場当時、覇を誇っていたフロントエンジン4WD車・アウディ・クワトロの牙城を崩し、ミッドシップ4WD車のWRCにおける優位性を確立した。のちに、同様のコンセプト及び駆動系などのレイアウトを、各メーカー毎の解釈に基づき製作されたランチア・デルタS4、MG・メトロ6R4フォード・RS200などが続々と発表、実戦投入され、レイアウトはそのままにショートホイールベース化され、更に過激な進化を遂げたアウディ・スポーツ・クワトロ等と共に、グループB最終年となる1986年までラリー・コンペティションの歴史に残るパワー戦争を繰り広げた。

また205は、全日本ラリー選手権に当時のインポーターであったARJ(オースチン・ローバー・ジャパン)のサポートにより参戦した。ライバルの通称・ハチロクと呼ばれるAE86型レビン / トレノと名バトルを繰り広げた。なお、同選手権に左ハンドル車として初めてエントリーしたマシンである。

その後、1990年代前半はプジョー・タルボ・スポールが活動の主軸をグループCカーやF1に移したため、205・306106グループA車両でのラリー活動を比較的小規模で行っていた。

1990年代後半からは、WRCやフランス・ラリー選手権に新設されたF2クラス(2000cc以下の2ボックスFF車による競技クラス)に主に306 キットカーで参戦。ここで好成績をあげたことが、WRC復帰への弾みとなった。またフランス・ラリー選手権では同じPSAグループのシトロエン・クサラ キットカールノー・クリオ MAXI / メガーヌ MAXI等と激戦を繰り広げた。ちなみに、1600ccエンジンの106 キットカーも数戦ではあるがWRCに参戦している。

1999年、プジョー・スポールはWRカー規定のプジョー・206 WRCと共に、コラード・プロベラの監督下世界ラリー選手権に復帰した。デビュー戦はツール・ド・コルスフランソワ・デルクールが第一ドライバー、ジル・パニッツィマーカス・グロンホルムがセカンドカーをシェアした。パニッツィはサンレモ・ラリーで2位に入賞、グロンホルムはラリー・フィンランドで4位に入った。206はターマックで特に速さを見せた。

2000年、グロンホルムはラリー・スウェーデンで初勝利を遂げた。その後もニュージーランド、フィンランド、オーストラリアで勝利、ドライバーズタイトルを獲得した。パニッツィはコルシカとサンレモで勝利し、マニファクチャラーズタイトルに寄与した。

2001年、デルクールに代わってディディエ・オリオールがチームに加入、グロンホルムと共にメインドライバーとなった。また、パニッツィとハリ・ロバンペラはセカンドカーを選択されたイベントでドライブした。グロンホルムは前半戦、多くのリタイヤに苦しむ一方、ロバンペラは第2戦のスウェーデンで勝利した。オリオールはスペインで勝利し、グロンホルムはフィンランド、オーストラリア、イギリスで勝利、パニッツィはイタリアで勝利した。チームはマニファクチャラーズタイトルを連覇し、グロンホルムはランキング4位に入り、これがチーム内最上位であった。ロバンペラは5位、オリオールは8位、パニッツィは9位であった。

2002年、チームは前年度チャンピオンのリチャード・バーンズスバルから獲得、オリオールに代えて加入させた。グロンホルムは第2戦のスウェーデンで勝利、パニッツィはフランスとスペインで勝利した。グロンホルムはキプロスで勝利したが、続くアルゼンチンではバーンズと共に技術的な違反のため失格となった。グロンホルムは再びフィンランドで勝利したが、パニッツィはイタリアでシーズン3勝目を挙げた。その後グロンホルムはニュージーランドとオーストラリアで連勝し、2度目のドライバーズタイトルを獲得した。バーンズはシーズンを5位で終え、パニッツィは6位、ロバンペラは7位であった。プジョーはマニファクチャラーズタイトルを三連覇した。

マールボロがタイトルスポンサーとなり、ドライバーラインアップは2003年も維持された。グロンホルムは再びスウェーデンで勝利し、ニュージーランド、アルゼンチンでも勝利した。パニッツィはスペインで勝利した。バーンズは2004年にスバルへの復帰が決まっていたが、最終戦のイギリスに向かう途中に失神、ラリーを欠場した。彼に代わってベルギー人ドライバーのフレディ・ロイクスが参加した。バーンズはシーズンを4位で終え、グロンホルムは6位であった。プジョーはマニファクチャラーズタイトルを失い、代わって獲得したのがシトロエンであった。また、パニッツィはこの年をもって三菱に移籍している。

プジョーは2004年シーズン、販売戦略からマシンを307CCをベースとしたWRカー・307WRCにスイッチした。これは307のカブリオレを元に開発された物であった。しかし307WRCは時折早さを見せるものの、ボディの大型化により時としてカスタマー・スペック車の206WRCの後塵を浴びるほど不振を極めた。グロンホルムは全戦出場したが、ロイクスは1、2戦と15戦、ロバンペラは3戦以降の選択されたイベントに出場したほか、セドリック・ロバーツを1戦のみ起用した。グロンホルムは新型車のトラブルに苦しみ、フィンランドでチーム唯一の勝利を挙げた。グロンホルムはランキング5位でシーズンを終え、プジョーはマニファクチャラーズ4位で終わった。

2005年、プジョーはグロンホルムのパートナーとしてフォードからマルコ・マルティンを獲得した。グロンホルムは8月のフィンランドで勝利したが、その後のイギリスでマルティンが事故を起こし、コ・ドライバーのマイケル・パークが死亡した。マルティンはWRCを引退することとなった。ダニエル・カールソンとニコラ・ベルナルディが彼に代わって残りのイベントをドライブした。グロンホルムはシーズン2勝目を日本で挙げ、ランキング3位となった。プジョーはマニファクチャラー2位でシーズンを終えた。2005年末、PSAプジョー・シトロエンはWRCからワークスの2チームを撤退することを発表した。シトロエンは新車開発のため1年間活動を休止という形であったため2007年に復帰したが、プジョーが復帰することは無かった。プジョー最終戦となったラリー・オーストラリアではカールソンのマシンが崖下に横転し炎上。グロンホルムもサスペンションを壊してリタイアに終わり、有終の美を飾ることはできなかった。

 
プライベーターの208 R2

ちなみに、2005年度のワークスマシンを元としたカスタマー・スペック車が、2006年プライベートチームからエントリー。OMVプジョーノルウェーのマンフレッド・ストールはフル参戦を果たし、ドライバーズランキング5位に入ったほか、開幕戦でアストラレーシングのトニ・ガルデマイスターがこのマシンで3位入賞を果たすと、同年のラリーアルゼンチンではピレリチームのジジ・ガリが、ラリートルコではストールのチームメイトのヘニング・ソルベルグが自身初となる表彰台フィニッシュを達成している。また、2009年にスバルの撤退によりプライベーターとしてWRCに参戦していたペター・ソルベルグが今シーズン使用中のマシンであるシトロエン・クサラWRCの戦闘力不足を懸念し、このマシンをテストしたものの不採用となっている。

2007年からはIRC(インターコンチネンタル・ラリー・チャレンジ)に参戦。ラリー・トルコの初優勝を皮切りに毎回上位に入賞、2007年から2009年までタイトル3連覇という大成功を収めるも2010年にシュコダにタイトルを奪われた以降は苦戦を強いられタイトルから遠ざかってしまった。2013年はIRCと統合されたERC(ヨーロッパ・ラリー選手権)にワークス参戦。8戦に出場し5戦で表彰台に入るも未勝利に終わった。しかしドライバーズではセミワークスのデルタチームから出場したブライアン・ブフィエが母国コルシカで優勝を果たしランキング2位と健闘を見せた。

プジョー・スポールは新たなスーパー2000のレギュレーションに合わせたプジョー・207 S2000を開発、クロノス・レーシングに託してIRCに参戦した。エンリケ・ガルシア=オヘダが2007年、ニコラス・ヴィヨズが2008年、クリス・ミークが2009年と、3年連続でドライバーズタイトルを獲得した。2011年はニュースペックのプジョー・207 S2000を投入し開幕戦モンテカルロではブライアン・ブフィエがデビューウィンを果たしここから波に乗ると思われたが、またしてもシュコダに敗れタイトル獲得を阻止できなかった。その後IRCは2012年で終了したが2013年からはERCにワークス参戦。しかし未勝利に終わった。

2014年以降はグループR5・R2規定に沿って開発された208がプライベーター向けに販売されている。日本でも、全日本ラリー選手権に参戦するオートスポーツ系雑誌の『ラリープラス』とコンストラクターのキャロッセのジョイントチーム『ラリープラス・クスコレーシング・ラリーチーム』を支援しており、2016年に柳澤宏至/中原祥雅組がJN-5クラスチャンピオンを獲得している[3]

スポーツカー耐久編集

 
905 Evo 1B(1993年ル・マン総合優勝)

耐久レースではヴェリジー=ヴィラクブレーにスポーツカーチームを設立した[4]。そして1988年に905プロジェクトを開始、1991年にスポーツカー世界選手権に参戦した。905は1990年に発表され、1991年シーズンはランキング2位となった。1992年シーズンにはル・マン24時間デレック・ワーウィックヤニック・ダルマスマーク・ブランデル組が優勝を遂げた。また、ワーウィック、ダルマス、フィリップ・アリオーマウロ・バルディの活躍でシリーズチャンピオンも獲得した。SWCは1992年限りで廃止となったが、翌1993年はル・マン24時間レースで1-2-3フィニッシュを達成し、スクーデリア・フェラーリへの移籍が決まっていたジャン・トッドを有終の美で送り出したグループCの終焉を受けて、この年限りでプジョーはスポーツカーから撤退した。

 
プジョー・908 HDi FAP(2009年ル・マン総合優勝)

その後WRC復帰を経て2007年、耐久レース界で圧倒的な強さを誇るアウディ・R10 TDIに対抗すべく、ディーゼルエンジン搭載のプロトタイプレーシングカーである908 HDi FAPにてル・マン24時間レースへ再参戦を開始。ドライバーにはジャック・ヴィルヌーヴを始めとする元F1ドライバーを多数起用しており、優勝を目指す姿勢を鮮明に打ち出した。シリーズを支配するアウディに対してプジョー・908 HDi FAPで挑戦した。908はル・マン・シリーズ第1戦、モンツァ1000kmでデビューし、マルク・ジェネ、ニコラ・ミナシアン組がこのレースで優勝した。ル・マンではステファン・サラザンポールポジションを獲得、レースではサラザン、ペドロ・ラミーセバスチャン・ボーデ組の8番車がアウディ1番車に次いで2位でフィニッシュした。ル・マンの後サラザンとラミーはプジョーのためのル・マン・シリーズタイトルを獲得した。

2008年ル・マンではサラザンが再びポールポジションを獲得し、グリッド1列目をプジョーが独占した。しかしレースではそれぞれ2位、3位、5位で優勝は為らなかった。ル・マン・シリーズではアウディに次ぐランキング2位となり、ミナシアン、ジェネが共にドライバーズランキング2位となった。

2009年の始めにPSAプジョーシトロエンは、シトロエンのスポーツディレクター、オリビエ・クエスネルをプジョー・スポールのディレクター兼任とした。ル・マン24時間ではサラザンが再びポールポジションを獲得、レースではデヴィッド・ブラバム、ジェネ、アレクサンダー・ヴルツ組が勝利し、ようやくアウディに勝って1993年以来の総合優勝を果たした。2位にはフランク・モンタニー、ボーデ、サラザン組が入り、チームの3台目は6位に入賞した。その他のシリーズ戦では、ル・マンに備えたスパ戦にしか参戦しなかった。

2010年のセブリング12時間でチームは2度目の1-2フィニッシュを達成した。しかしながらル・マン24時間では信頼性の問題が生じ、アウディが1-2-3を達成した。

2011年のセブリング12時間では、オレカ・レーシングの所有する古いプジョー・908 HDi FAPがファクトリー仕様の908およびアウディ・R15を抑えて驚きの勝利を挙げる。ル・マン24時間では2台のアウディ・R18がクラッシュしたが、残る1台に抑えられ2位に終わった。優勝したアウディは2位の908に対して僅か13秒のリードしか無かった。

2012年は新たに誕生する世界耐久選手権に参戦する予定であったが、1月18日景気の失速と販売不振を理由とし、突如スポーツカーレースからの撤退を発表した[5]

F1編集

 
マクラーレン・プジョー(MP4/9

プジョーは1994年にスポーツカー耐久からエンジン供給の形でフォーミュラ・ワンに転向。905に使われた3.5リッターV10エンジンを投入した。これをマクラーレンに供給した結果ミカ・ハッキネンが初年度で6度表彰台に登る活躍を見せたものの、タイトル争いに絡むには至らず、マクラーレンとの協力体制は1994年限りで解消となった。翌1995年、同社のエンジンはジョーダン・グランプリに供給され、ジョーダンとの協力体制は1997年まで続き、ここでも数回の表彰台は獲得するものの、優勝までには至らなかった。1998年からはオール・フレンチを目指すプロスト・グランプリに供給、しかしプロスト自体の低迷もあり、表彰台はおろか入賞もままならない結果が続きチームとの関係は悪化。結局2000年末にプジョーエンジンはアジアテックに売却、その後2年間使用されたが、そのアジアテックも2002年シーズン終了とともに消滅した。参戦してきたカテゴリ全てで成功してきたプジョーにとってのF1への参戦は未勝利という苦い結果に終わった。

ダカール・ラリー編集

 
405 T16(1990年ダカール総合優勝)

1987年以降のグループB消滅後、205 T16(E2ベース)はパリ・ダカール・ラリーに活躍の場を移し、後継の405 T16と合わせると四連覇するという快挙を達成(1987年 - 1990年)。その強さは「砂漠のライオン」として競合メーカーに怖れられ、のちにパリ・ダカを制する三菱自動車工業の挑戦をことごとく跳ね返した。

2015年にはグループT1規定の2008 DKR Maxiを開発してダカール・ラリーに復帰。2016年には規約の利を生かして後輪駆動3008 DKR Maxi で参戦、2016年・2017年とステファン・ペテランセル、2018年にはカルロス・サインツのドライブで3連覇し、「砂漠のライオン」の異名を再び轟かせた。なおこの年を持ってダカールからは撤退している。

パイクスピーク編集

 
405 T16(1988年パイクスピーク総合優勝)
 
208 T16(2013年パイクスピーク総合優勝)

ダカールを制した205 T16と405 T16の2台は、1987年 - 1989年パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライムオープンラリークラスにも投入された。1987年に205 T16による初参加で2位につけると、翌年には新型の405 T16GRを投入。アリ・バタネンが前年のライバルの記録を更新して見事総合優勝を果たした。なおこの時の映像を使ったドキュメンタリーショートフィルム作品「Climb Dance[6]が公開されている。

2013年には再びパイクスピーク・ヒルクライムセバスチャン・ローブを擁して参戦。全舗装路の初年度であったが、見事総合優勝を遂げた。なおここで叩きだした8:13.878というタイムは全舗装路のレコードとして2018年まで破られることはなかった。

ラリークロス編集

2014年からは世界ラリークロス選手権にハンセン・モータースポーツをワークス支援し、「チーム・プジョー・ハンセン」の名で参戦。2015年にチームタイトルを獲得している。[7]。しかし2018年シーズン終了を持って、ハイブリッド技術開発に注力するとしてダカールに続いて撤退した。

主な成績編集

WRC編集

グループB時代 (1984-1986)編集

車両 ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 WDC ポイント WMC ポイント
1984 プジョー・205 Turbo 16   アリ・バタネン MON SWE POR KEN FRA
Ret
GRC
Ret
ARG BRA FIN
1
ITA
1
CIV GBR
1
4位 60 3位 74
  ジャン=ピエール・ニコラ MON SWE POR KEN FRA
4
GRC
Ret
ARG BRA FIN ITA
5
CIV GBR 14位 18
1985 プジョー・205 Turbo 16
プジョー・205 Turbo 16 E2
  アリ・バタネン MON
1
SWE
1
POR
Ret
KEN
Ret
FRA
Ret
GRC
Ret
NZL
2
ARG
Ret
FIN ITA CIV GBR 4位 55 1位 142
  ティモ・サロネン MON
3
SWE
3
POR
1
KEN
7
FRA
Ret
GRC
1
NZL
1
ARG
1
FIN
1
ITA
2
CIV GBR
Ret
1位 127
  ブルーノ・サビー MON
5
SWE POR KEN
Ret
FRA
2
GRC NZL ARG FIN ITA
Ret
CIV GBR 23位 11
  カルロス・ロイテマン MON SWE POR KEN FRA GRC NZL ARG
3
FIN ITA CIV GBR 19位 12
  カーレ・グルンデル MON SWE POR KEN FRA GRC NZL ARG FIN
5
ITA CIV GBR
Ret
25位 8
  ミカエル・サンドストローム MON SWE POR KEN FRA GRC NZL ARG FIN ITA CIV GBR
Ret
- 0
1986 プジョー・205 Turbo 16 E2   ティモ・サロネン MON
2
SWE
Ret
POR
Ret
KEN FRA
Ret
GRC
Ret
NZL
5
ARG FIN
1
CIV ITA
Ret
GBR
1
USA 3位 63 1位 137
  ユハ・カンクネン MON
5
SWE
1
POR
Ret
KEN
5
FRA GRC
1
NZL
1
ARG
Ret
FIN
2
CIV ITA
Ret
GBR
3
USA
2
1位 118
  ブルーノ・サビー MON
6
SWE POR KEN FRA
1
GRC
3
NZL ARG
Ret
FIN CIV ITA
Ret
GBR USA 7位 38
  ミシェル・ムートン MON
Ret
SWE POR KEN FRA
Ret
GRC NZL ARG FIN CIV ITA GBR USA - 0
  シェカー・メッタ MON SWE POR KEN
8
FRA GRC NZL ARG FIN CIV ITA GBR USA 49位 3
  スティグ・ブロンクビスト MON SWE POR KEN FRA GRC NZL ARG
3
FIN
4
CIV ITA GBR USA 11位 22
  アンドレア・ザヌッシ MON SWE POR KEN FRA GRC NZL ARG FIN CIV ITA
Ret
GBR USA - 0
  ミカエル・サンドストローム MON SWE POR KEN FRA GRC NZL ARG FIN CIV ITA GBR
4
USA 22位 10

WRC時代 (1999-2005)編集

車両 No ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 WDC ポイント WMC ポイント
1999 プジョー・206 WRC 14   フランソワ・デルクール MON SWE KEN POR ESP FRA
Ret
ARG GRE
Ret
NZL FIN
9
CHN ITA
Ret
AUS
Ret
GBR
Ret
16位* 3* 6位 11
15   ジル・パニッツィ FRA
Ret
ITA
2
10位 6
  マーカス・グロンホルム MON SWE KEN POR ESP ARG GRE
Ret
NZL FIN
4
CHN AUS
5
GBR
Ret
15位* 5*
21 FRA ITA
8
22   ジル・パニッツィ MON SWE KEN POR ESP FRA ARG GRE NZL FIN
33
CHN ITA AUS GBR
7
10位* 6*
2000 プジョー・206 WRC 9   フランソワ・デルクール MON
Ret
SWE
7
KEN POR
5
ESP
7
ARG
13
GRE
9
NZL
Ret
FIN CYP
3
FRA
2
ITA
2
AUS
3
GBR
6
6位 24 1位 111
  ジル・パニッツィ KEN
Ret
7位 21
  セバスチャン・リンドホルム FIN
5
19位 2
10   ジル・パニッツィ MON
Ret
SWE KEN POR ESP
6
ARG GRE NZL FIN CYP FRA
1
ITA
1
AUS GBR 7位 21
  マーカス・グロンホルム SWE
1
KEN
Ret
POR
2
ARG
2
GRE
Ret
NZL
1
FIN
1
CYP
Ret
AUS
1
GBR
2
1位 65
16 MON
Ret
ESP
5
FRA
5
ITA
4
18   フランソワ・デルクール MON SWE KEN POR ESP ARG GRE NZL FIN
6
CYP FRA ITA AUS GBR 6位 24
19   ジル・パニッツィ MON SWE KEN POR ESP ARG GRE NZL FIN CYP FRA ITA AUS
Ret
GBR
8
7位 21
2001 プジョー・206 WRC 1   マーカス・グロンホルム MON
Ret
SWE
Ret
POR
3
ESP
Ret
ARG
Ret
CYP
Ret
GRC
Ret
KEN
Ret
FIN
1
NZL
5
ITA
7
FRA
Ret
AUS
1
GBR
1
4位 36 1位 106
2   ディディエ・オリオール MON
Ret
SWE
Ret
POR
8
ESP
1
ARG
Ret
CYP
Ret
GRC
Ret
KEN
Ret
FIN
Ret
NZL
6
ITA
3
FRA
3
AUS
3
GBR
7
7位 23
16   ジル・パニッツィ MON
Ret
SWE POR ESP
2
ARG CYP GRC KEN FIN NZL ITA
1
FRA
2
AUS GBR 8位 22
  ハリ・ロバンペッラ SWE
1
POR
Ret
ARG
Ret
CYP
Ret
GRC
3
KEN
2
FIN
4
NZL
3
AUS
4
GBR
2
5位 36
19   ジル・パニッツィ MON SWE POR ESP ARG CYP GRC KEN FIN NZL ITA FRA AUS
9
GBR 8位 22
2002 プジョー・206 WRC 1   リチャード・バーンズ MON
8
SWE
4
FRA
3
ESP
2
CYP
2
ARG
DSQ
GRE
Ret
KEN
Ret
FIN
2
GER
2
ITA
4
NZL
Ret
AUS
Ret
GBR
Ret
5位 34 1位 165
2   マーカス・グロンホルム MON
5
SWE
1
FRA
2
ESP
4
CYP
1
ARG
DSQ
GRC
2
KEN
Ret
FIN
1
GER
3
ITA
2
NZL
1
AUS
1
GBR
Ret
1位 77
3   ハリ・ロバンペッラ SWE
2
CYP
4
ARG
Ret
GRC
4
KEN
2
FIN
Ret
GER
Ret
NZL
2
AUS
2
GBR
7
7位 30
  ジル・パニッツィ MON
7
FRA
1
ESP
1
ITA
1
6位 31
23 SWE CYP
10
ARG
Ret
KEN
6
FIN GER NZL
7
AUS GBR
2003 プジョー・206 WRC 1   マーカス・グロンホルム MON
13
SWE
1
TUR
9
NZL
1
ARG
1
GRC
Ret
CYP
Ret
GER
2
FIN
Ret
AUS
Ret
ITA
Ret
FRA
4
ESP
6
GBR
Ret
6位 46 2位 145
2   リチャード・バーンズ MON
5
SWE
3
TUR
2
NZL
2
ARG
3
GRE
4
CYP
Ret
GER
3
FIN
3
AUS
3
ITA
7
FRA
8
ESP
Ret
GBR 4位 58
  フレディ・ロイクス GBR
6
14位* 4*
3   ジル・パニッツィ MON
Ret
SWE TUR NZL ARG GRC CYP GER
10
FIN AUS ITA
2
FRA
6
ESP
1
GBR 10位 27
  ハリ・ロバンペッラ SWE
Ret
TUR
Ret
NZL
Ret
ARG
4
GRC
6
CYP
2
FIN
Ret
AUS
7
GBR
Ret
11位 18
2004 プジョー・307 WRC 5   マーカス・グロンホルム MON
4
SWE
2
MEX
6
NZL
2
CYP
DSQ
GRC
Ret
TUR
2
ARG
Ret
FIN
1
GER
Ret
JPN
4
GBR
Ret
ITA
7
FRA
4
ESP
2
AUS
Ret
5位 62 4位 101
6   フレディ・ロイクス MON
5
SWE
Ret
ESP
Ret
10位 9
  ハリ・ロバンペッラ MEX
10
NZL
5
CYP
DSQ
GRC
3
TUR
Ret
ARG
5
FIN
Ret
JPN
6
GBR
6
ITA
Ret
AUS
2
8位 28
  セドリック・ロベール GER
5
FRA
Ret
17位 4
9   フレディ・ロイクス MEX NZL CYP GRC TUR ARG FIN GER
6
JPN GBR ITA FRA
7
AUS 10位 9
14   セバスチャン・リンドホルム MON SWE MEX NZL CYP GRC TUR ARG FIN
Ret
GER JPN GBR ITA FRA ESP AUS - 0
15   ダニエル・カールソン MON SWE MEX NZL CYP GRC TUR ARG FIN GER JPN GBR
Ret
ITA FRA ESP AUS 12位* 6*
2005 プジョー・307 WRC 7   マーカス・グロンホルム MON
5
SWE
Ret
MEX
2
NZL
2
ITA
3
CYP
Ret
TUR
3
GRC
4
ARG
2
FIN
1
GER
3
GBR
Ret
JPN
1
FRA
Ret
ESP
Ret
AUS
Ret
3位 71 2位 135
8   マルコ・マルティン MON
4
SWE
2
MEX
3
NZL
5
ITA
4
CYP
3
TUR
5
GRC
8
ARG
6
FIN
3
GER
4
GBR
Ret
5位 53
  ダニエル・カールソン JPN
8
AUS
Ret
19位* 5*
  ニコラ・ベルナルディ FRA
8
ESP
6
20位* 4*
19   ダニエル・カールソン MON SWE
6
MEX NZL ITA CYP TUR GRC ARG FIN GER GBR FRA ESP 19位* 5*
19   セバスチャン・リンドホルム MON SWE MEX NZL ITA CYP TUR GRC ARG FIN
Ret
GER GBR JPN FRA ESP AUS - 0

F1編集

(key)

チーム シャシー ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 ポイント 順位
1994年 マールボロ マクラーレン・プジョー マクラーレン・MP4/9 BRA PAC SMR MON ESP CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR EUR JPN AUS 42 4位
  ミカ・ハッキネン Ret Ret 3 Ret Ret Ret Ret 3 Ret 2 3 3 3 7 12
  フィリップ・アリオー Ret
  マーティン・ブランドル Ret Ret 8 2 11 Ret Ret Ret Ret 4 Ret 5 6 Ret Ret 3
1995年 トタルジョーダン・プジョー ジョーダン・195 BRA ARG SMR ESP MON CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR EUR PAC JPN AUS 21 6位
  ルーベンス・バリチェロ Ret Ret Ret 7 Ret 2 6 11 Ret 7 6 Ret 11 4 Ret Ret Ret
  エディ・アーバイン Ret Ret 8 5 Ret 3 9 Ret 9 13 Ret Ret 10 6 11 4 Ret
1996年 ベンソン&ヘッジス
トタルジョーダン・プジョー
ジョーダン・196 AUS BRA ARG EUR SMR MON ESP CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR JPN 22 5位
  ルーベンス・バリチェロ Ret Ret 4 5 5 Ret Ret Ret 9 4 6 6 Ret 5 Ret 9
  マーティン・ブランドル Ret 12 Ret 6 Ret Ret Ret 6 8 6 10 Ret Ret 4 9 5
1997年 ベンソン&ヘッジス
ジョーダン・プジョー
ジョーダン・197 AUS BRA ARG SMR MON ESP CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA AUT LUX JPN EUR 33 5位
  ラルフ・シューマッハ Ret Ret 3 Ret Ret Ret Ret 6 5 5 5 Ret Ret 5 Ret 9 Ret
  ジャンカルロ・フィジケラ Ret 8 Ret 4 6 9 3 9 7 11 Ret 2 4 4 Ret 7 11
1998年 ゴロワーズプロスト・プジョー プロスト・AP01 AUS BRA ARG SMR ESP MON CAN FRA GBR AUT GER HUN BEL ITA LUX JPN 1 9位
  オリビエ・パニス 9 Ret 15 11 16 Ret Ret 11 Ret Ret 15 12 DNS Ret 12 11
  ヤルノ・トゥルーリ Ret Ret 11 Ret 9 Ret Ret Ret Ret 10 12 Ret 6 13 Ret 12
1999年 ゴロワーズプロスト・プジョー プロスト・AP02 AUS BRA SMR MON ESP CAN FRA GBR AUT GER HUN BEL ITA EUR MAL JPN 9 7位
  オリビエ・パニス Ret 6 Ret Ret Ret 9 8 13 10 6 10 13 11 9 Ret Ret
  ヤルノ・トゥルーリ Ret Ret Ret 7 6 Ret 7 9 7 Ret 8 12 Ret 2 Ret Ret
2000年 ゴロワーズプロスト・プジョー プロスト・AP03 AUS BRA SMR GBR ESP EUR MON CAN FRA AUT GER HUN BEL ITA USA JPN MAL 0 NC
  ジャン・アレジ Ret Ret Ret 10 Ret 9 Ret Ret 14 Ret Ret Ret Ret 12 Ret Ret 11
  ニック・ハイドフェルド 9 Ret Ret Ret 16 DSQ 8 Ret 12 Ret 12 Ret Ret Ret 9 Ret Ret

参照編集

外部リンク編集