プラムウォンサック・ポーサワン

プラムウォンサック・ポーサワン(Pramuansak Posuwan、1968年11月12日 - )は、タイプロボクサー、元ナックモエマハーサーラカーム県ボーラブー郡英語版出身。本名でデビュー後、2002年頃よりPramuansak Kokiet Gym( - ゴーキャットジム)、Pramuansak Ranger Gym( - レンジャージム)とも。タイ式ボクシングのムエタイ出身。

プラムウォンサック・ゴーギャットジム
基本情報
本名 プラムウォンサック・ポーサワン
通称 The Machin Gun
Pramuansak Kokietgym
階級 スーパーフライ級
国籍 タイ王国の旗 タイ
誕生日 (1968-11-12) 1968年11月12日(55歳)
出身地 マハーサーラカーム県ボーラブー郡
スタイル オーソドックス
プロボクシング戦績
総試合数 49
勝ち 45
KO勝ち 24
敗け 3
引き分け 1
テンプレートを表示
獲得メダル
タイ王国の旗 タイ
男子 ボクシング
アジア大会
1994 広島 ライトフライ級
1998 バンコク フライ級
東南アジア大会
1995 チェンマイ ライトフライ級

来歴 編集

アマチュア時代の1992年バルセロナオリンピックライトフライ級で出場し、2回戦で敗退した。1996年アトランタオリンピックフライ級で出場し、1回戦で敗退した。この間、1995年には東南アジア大会金メダルを獲得し、1994年1998年にはアジア大会で2連覇を果たした。その後、プロへ転向した。

2001年10月3日、33歳でプロデビュー。初回KO勝利を収めた。

2002年1月18日、WBOアジア太平洋スーパーフライ級王座を獲得し、17度防衛を重ねてWBOのランキングを上げた。

2005年10月29日、アメリカツーソンで指名挑戦者としてWBO世界スーパーフライ級王者フェルナンド・モンティエルに挑戦するが判定で敗れた。しかしこの試合がタイで行われていたらプラムウォンサックの勝ちだったといわれる接戦であった。この敗戦によりWBOはアジア太平洋スーパーフライ級王座を剥奪した。

同年12月27日、剥奪された同王座を決定戦に勝利して奪還した。8度防衛してWBO1位となり、再びフェルナンド・モンティエルへの指名挑戦権を得た。しかしモンティエルは階級変更に伴う王座返上の準備を進めていたため、当初WBOは2009年2月7日に暫定王座決定戦を行うことを予定していた。しかし延期されるうちにモンティエルが王座を返上し、3月28日にWBO世界スーパーフライ級王座決定戦に出場することになった。

2009年3月28日、WBOラテンアメリカスーパーフライ級王者ホセ・ロペスとの王座決定戦で2度目の世界挑戦。この試合はロペスの地元プエルトリコで行われ、判定で敗れ王座獲得はならなかった。プラムウォンサックは世界戦以外は全てタイ国内で行っている。

戦績 編集

プロボクシング:49戦45勝(24KO)3敗1分

日付 勝敗 時間 内容 対戦相手 国籍 備考
1 2001年10月3日 勝利 1R KO マーナーハーン・パーサーリプー   インドネシア 国際式デビュー
2 2001年12月21日 勝利 6R 判定 エディ・パーマスギー   インドネシア
3 2002年1月18日 勝利 8R KO ヂューリアス・オークコープラー   フィリピン WBOアジア太平洋スーパーフライ級王座決定戦
4 2002年5月10日 勝利 1R 判定 ジュン・マークシーポック   フィリピン
5 2002年8月7日 勝利 1R TKO エーントー・カーレース   インドネシア WBOアジア太平洋防衛1
6 2002年8月30日 勝利 8R TKO ファラソーナー・フィデール   インドネシア WBOアジア太平洋防衛2
7 2002年10月3日 勝利 12R 判定 ジュリオ・デラハセズ   インドネシア WBOアジア太平洋防衛3
8 2002年12月25日 勝利 12R 判定 ピエット・エーヌカーテー   南アフリカ共和国 WBOアジア太平洋防衛4
9 2003年2月21日 勝利 2R 0:00 KO エームリンディー・エームカーリービー   南アフリカ共和国 WBOアジア太平洋防衛5
10 2003年3月28日 勝利 6R 0:00 TKO アルベルト・セーサー   フィリピン WBOアジア太平洋防衛6
11 2003年5月2日 勝利 4R KO カーマーニー・ポーホーホ   南アフリカ共和国
12 2003年6月5日 勝利 6R 判定 マールシー・ボーンコー   南アフリカ共和国
13 2003年8月1日 勝利 6R 判定 ヨーングギー・アーフリーサク   インドネシア
14 2003年9月4日 勝利 1R TKO カンディエック・サイラオ   カザフスタン
15 2003年10月3日 勝利 8R KO ローセーリトー・カムパーナー   フィリピン WBOアジア太平洋防衛7
16 2003年11月28日 勝利 6R 判定 ダニロ・ペナ   フィリピン
17 2004年1月14日 勝利 1R 2:14 TKO バキトズハーン・サールフカラブ   タイ WBOアジア太平洋防衛8
18 2004年2月27日 勝利 2R TKO エドウィン・カスタドール   フィリピン
19 2004年3月25日 勝利 4R TKO ジュン・メクシボック   フィリピン
20 2004年5月7日 勝利 6R 判定3-0 マーク・サレス   フィリピン
21 2004年7月23日 勝利 1R 1:50 KO スーグール・ヂャーマースーディー   タンザニア WBOアジア太平洋防衛9
22 2004年8月26日 勝利 4R KO ジャメス・ワーネネ   ケニア WBOアジア太平洋防衛10
23 2004年9月20日 勝利 12R 判定3-0 アラン・ラマダー   フィリピン WBOアジア太平洋防衛11
24 2004年10月28日 勝利 12R 判定3-0 チャーウィン・パーロー   フィリピン WBOアジア太平洋防衛12
25 2004年12月27日 勝利 12R 判定3-0 イシドロ・ロロナ   フィリピン WBOアジア太平洋防衛13
26 2005年2月28日 勝利 12R TKO ローリー・メンダーヒノック   フィリピン WBOアジア太平洋防衛14
27 2005年4月11日 引分 3R 負傷判定 ロジャリオ・カムバナー   フィリピン
28 2005年6月3日 勝利 12R 判定3-0 マーク・サレス   フィリピン WBOアジア太平洋防衛15
29 2005年7月8日 勝利 7R TKO フェダリゴ・カトゥーバイ   タイ WBOアジア太平洋防衛16
30 2005年9月2日 勝利 2R 1:46 KO ジュン・パーダー   フィリピン WBOアジア太平洋防衛17
31 2005年10月29日 敗北 12R 判定0-3 フェルナンド・モンティエル   メキシコ WBO世界スーパーフライ級タイトルマッチ
32 2005年12月27日 勝利 12R 判定3-0 アンソニー・マティアス   タンザニア WBOアジア太平洋スーパーフライ級王座決定戦
33 2006年2月28日 勝利 2R TKO ルイー・バーンティーエ   フィリピン WBOアジア太平洋防衛1
34 2006年4月25日 勝利 12R 判定3-0 エームブワナ・マチュームーラー   タンザニア WBOアジア太平洋防衛2
35 2006年8月16日 勝利 6R 判定 シャーウィン・パロ   フィリピン
36 2006年12月15日 勝利 3R TKO エドモント・デビールレース   フィリピン
37 2007年1月31日 勝利 9R 負傷判定 ライアン・エームアリテック   フィリピン WBOアジア太平洋防衛3
38 2007年3月29日 勝利 2R KO ダウディ・エームーウーハンギー   タンザニア
39 2007年5月11日 勝利 7R TKO ジェミー・ゴーベル   インドネシア WBOアジア太平洋防衛4
40 2007年7月24日 勝利 2R 2:11 KO 偉郅峰   中国
41 2007年9月3日 勝利 12R 判定3-0 エーヌーオウリディー・マーナカーネ   タイ WBOアジア太平洋防衛5
42 2007年10月23日 勝利 6R 判定3-0 ドーンドーン・ジーメーニーア   タイ
43 2007年12月25日 勝利 12R 判定2-1 エリック・バルセロナ   タイ WBOアジア太平洋防衛6
44 2008年3月20日 勝利 6R 判定3-0 ヘンドリー・バーオングサイ   インドネシア
45 2008年6月27日 勝利 8R TKO ハビエル・マルラン   フィリピン WBOアジア太平洋防衛7
46 2008年9月5日 勝利 3R KO リチャード・オークアガット   フィリピン
47 2008年11月26日 勝利 12R 判定 ロイ・ドリグエス   フィリピン WBOアジア太平洋防衛8
48 2009年3月28日 敗北 12R 判定0-3 ホセ・ロペス   プエルトリコ WBO世界スーパーフライ級王座決定戦
49 2009年7月31日 敗北 8R 判定1-2 フェデリコ・カツバイ   フィリピン
テンプレート

獲得タイトル 編集

アマチュア
  • WBOアジア太平洋スーパーフライ級王座(防衛17)
  • WBOアジア太平洋スーパーフライ級王座(2期目:防衛8)

関連項目 編集

外部リンク 編集