プレスヴィス (Presvis) はイギリスで生産された競走馬。イギリス国外への遠征を重ね、4318943ポンドの賞金を収得[1]し、イギリス調教馬としての記録を保持[1]していた。全8勝中7勝までがライアン・ムーアの騎乗によるものだった[1]

プレスヴィス
現役期間 2008年 - 2012年
欧字表記 Presvis
香港表記 百威勝
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 2004年3月10日
死没 2012年10月17日(8歳没)[1]
Sakhee
Forest Fire
母の父 Never So Bold
生国 イギリスの旗 イギリス
生産者 M.アンデネス=キャンベル夫人
馬主 L.マリノプロス[1]、K.ベーレー、
P.ブース、W.チャーンレイ、
L.クマーニ夫人
調教師 L.クマーニ[1](イギリス)
競走成績
生涯成績 28戦8勝(総合)
10戦2勝(イギリス)
11戦5勝 (UAE)
4戦1勝(香港)
3戦0勝(シンガポール)
獲得賞金 4318943ポンド
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経歴 編集

2008年(4歳) 編集

4歳にしてようやく競走馬デビュー戦を迎え、5月にメイドン競走(未勝利戦)に出走して3着となり、その後もメイドン競走を2走して2走とも5着となった。そしてデビュー4戦目のオーガストハンデキャップ(一般競走)を制して初勝利を挙げた。初勝利後は一般競走で2走連続2着となり、9月のジョンスミスステークス(一般競走)では以降主戦騎手となるライアン・ムーアが初めて騎乗し、2勝目を挙げた。しかしその後は休養に入り、目立った成績を残すことなく4歳を終えた。

2009年(5歳) 編集

休養を終えてドバイ遠征を行い、ナドアルシバ競馬場の一般競走を2連勝した。そして3月に重賞およびG1競走初挑戦となるドバイデューティーフリーに出走することになった。当時連勝中ながらほかに目立った勝ち鞍のなかった本馬だったが、イギリスブックメーカーが設定したオッズでは4番人気に支持されていた。そしてレースでは、道中後方に控え最後の直線で追い込んだが、逃げるグラディアトラスを捕らえられず、3馬身4分の1差で敗れて2着だった。レース後は香港に渡り4月のクイーンエリザベス2世カップに2番人気で出走し、レースでは道中後方に控え最後の直線で後方から追い込み、2着となった1番人気のヴィヴァパタカに1馬身差をつけて勝利し、重賞およびG1競走初勝利を挙げた[2][3]。騎手のムーアとルカ・クマーニ英語版厩舎、さらにはイギリス調教馬としても同競走初勝利となった。

その後シンガポールに遠征し、5月のシンガポール航空国際カップに1番人気で出走したが2着だった。休養をはさみ、11月のレースで2着に入ったあと、香港に遠征し香港カップに出走、ヴィジョンデタの3着だった。

2010年(6歳) 編集

ドバイ遠征を行い、2月5日のアルタイエルモーターズトロフィーに出走し2着となった。その後3月4日ジェベルハッタ (G2) に出走し、勝利を収めた。しかし本番のドバイデューティーフリーでは11着と惨敗した。その後香港に渡り4月のクイーンエリザベス2世カップに出走したが5着に敗れ、連覇はならなかった。その後、シンガポールに渡り5月16日のシンガポール航空国際カップではリザーズディザイアの5着に終わった。6月16日プリンスオブウェールズステークスではいいところなく9着に敗れた。

2011年(7歳) 編集

休養を終えてドバイ遠征を行い、1月27日のアルラシディーヤ (G2) に出走し勝利を収めた。その後3月3日ジェベルハッタ (G2) では3着となった。3月26日のドバイデューティフリーで1着となり2度目のG1勝利となった。その後香港に渡り4月のチャンピオンズマイルに出走したがエクステンションの6着、シンガポールに渡り5月22日のシンガポール航空国際カップでは10着に終わった。

2012年(8歳) 編集

休養を終えてドバイ遠征を行い、1月26日のアルラシディーヤ (G2) に出走したが5着。その後3月10日のジェベルハッタでは9着に終わった。本番のドバイデューティーフリーでは14着と惨敗し、連覇はならなかった。このあと引退[1]、フランスで余生を過ごしていた[1]が、疝痛により死亡した[1]

年度別競走成績 編集

  • 2008年(4歳) 7戦2勝
  • 2009年(5歳) 7戦3勝
    • 1着 クイーンエリザベス2世カップ (G1)
    • 2着 ドバイデューティーフリー (G1) 、シンガポール航空国際カップ (G1)
  • 2010年(6歳) 6戦1勝
  • 2011年(7歳) 5戦2勝
    • 1着 ドバイデューティーフリー (G1)
  • 2012年(8歳) 3戦0勝

※2012年3月31日現在。

血統表 編集

プレスヴィス血統リヴァーマン系 / Northern Dancer 5×4=9.38%(父内)、Nasrullah 5×5×5=9.38% (血統表の出典)

Sakhee
1997 鹿毛
父の父
Bahri
1992 栗毛
Riverman Never Bend
River Lady
Wasnah Nijinsky II
Highest Trump
父の母
Thawakib
1990 鹿毛
Sadler's Wells Northern Dancer
Fairy Bridge
Tobira Celeste Ribot
Heavenly Body

Forest Fire
1995
Never So Bold
1980 鹿毛
Bold Lad II Bold Ruler
Barn Pride
Never Never Land Habitat
Whimsical
母の母
Mango Sampaquita
1985
Colombian Friend Fair Ruler
Faint Blossom
Twins Fire Firestreak
Forest Row F-No.7-d


脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i Scargill, Peter (2012年10月19日). “Globetrotting star Presvis dies after colic” (英語). Racing Post. 2013年1月15日閲覧。
  2. ^ QE2世C、ドバイDF2着のプレスヴィスが重賞初制覇netkeiba.com2009年4月26日閲覧。
  3. ^ トピックス&コラム|競馬コラム|海外競馬リポートJRAホームページ2009年4月26日閲覧。

外部リンク 編集