プロイセン公国

プロイセン公国
プロシア公国
Herzogtum Preußen
ドイツ騎士団国 1525年 - 1701年 プロイセン王国
プロイセン公国の国旗 プロイセン公国の国章
(国旗) (国章)
プロイセン公国の位置
公用語 ドイツ語ポーランド語プロシア語
首都 ケーニヒスベルク
1525 - 1568 アルブレヒト
変遷
ドイツ騎士団国廃止 1525年4月10日
ブランデンブルクと同君連合化 1618年8月27日
公式独立 1657年9月19日
プロイセン王国となる 1701年1月18日

プロイセン公国(プロイセンこうこく、ドイツ語:Herzogtum Preußen)は、1525年から1701年まで、現在のドイツ北東部、ロシア領カリーニングラード及びポーランド北部に存在した国家。プロシア公国とも。

概要編集

1525年ドイツ騎士団の総長であったアルブレヒト・フォン・ブランデンブルクが、ドイツ騎士団国を廃止してプロイセン公を称することによってできた国家。首都はケーニヒスベルク(ポーランド語ではクルレヴィェツ)。1618年アルブレヒト・フリードリヒが死去して公家が絶えたため、ホーエンツォレルン家宗家のブランデンブルク選帝侯ヨハン・ジギスムントがプロイセン公位を相続し、同君連合下に入る(ブランデンブルク=プロイセン)。

三十年戦争が始まると、当時戦力が乏しかったプロイセン公国は、スウェーデン軍やデンマーク軍の攻勢によって厳しい状況に追い込まれた。

ポーランド・スウェーデン戦争の講和条約である1657年ヴェーラウ条約及び1660年オリヴァ協定によってポーランド・リトアニア共和国の宗主権下から独立した。

1701年フリードリヒ3世神聖ローマ皇帝から、スペイン継承戦争に参戦することを条件に「プロイセンの王」となることを許され、プロイセン公国も王国となった。

歴史編集

関連項目編集