プロゴルファー織部金次郎

プロゴルファー織部金次郎』(プロゴルファーおりべきんじろう)は、武田鉄矢原作高井研一郎作画による日本の漫画。『ビッグコミックスペリオール』(小学館)で連載された。

プロゴルファーになり17年間1勝もしていない男が下町の人情につつまれ、一発発起する物語[1]。武田が自ら主演した映画も制作され、シリーズ化された。

ストーリー編集

プロゴルファーの織部金次郎(通称「オリキン」)は、トーナメントでの勝利経験がなく、レッスンプロとして生活をしていた。離婚した妻との間には2人の娘がおり、娘は妻と暮らしているが、今でも金次郎と頻繁に会っている。ただし、映画版2の終盤以降、妻が再婚したため娘たちは立場上、金次郎には会うことが出来なくなり、正村桜子を介して金次郎への思いを伝えていくこととなる。

オリキンは、練習場でレッスンを担当するため、新しい町にやってくる。その町で出会った桜子をはじめ多くの人の支えで勝負に挑んでいく。

映画編集

プロゴルファー織部金次郎(第1作)編集

製作(第1作)編集

武田鉄矢主演の「刑事物語シリーズ」の人気が落ちて来たため[3]、映画関係者から「別にシリーズ化できる話を」と頼まれ、武田が本作を創作した[3]。しかしなかなか映画化してくれないので、マンガの関係者に愚痴をこぼしたら、小学館から「来週からやりましょう」といわれ『ビッグコミックスペリオール』での連載が先に決まった[3]。元々は映画のための企画だった。主人公の名前、織部金次郎は日本一のアマチュアゴルファー中部銀次郎をもじったもの[3]。武田がゴルフを題材に選んだ理由は、ゴルフはスポーツで唯一まぐれがあるから面白いと思ったと話している[3]。本作は『プロゴルファー猿』のような、400ヤード飛ばせる主人公ではなく、人生を降りようとしている男の物語である。作品のテーマは『勝てない』[3]

劇画作家の高井研一郎が武田の話を聞いて共鳴し作画したところ、当時のゴルフブームに乗りコミックが大ヒット[4]。映画製作会見が1992年3月19日に新宿京王プラザホテルで行われた時点で、単行本が3巻刊行され累計100万部のベストセラーになっていた[4]。当時の武田はフジテレビ系テレビドラマ101回目のプロポーズ』で最高視聴率を打ち出したりで絶好調男。日映(旧・日映エージェンシー、1984年10月設立)の中村季靖社長がこのヒットに目をつけ、東映に話を持ち掛け映画化が決まった[4]。中村は空手家で元梶原プロ[4]。製作会見の際は、日映、三菱商事、東映の提携作品と発表されたが[5]、製作がバンダイ、武田鉄矢商店、レオナに増え、特別協賛として武田が長年CMタレントとして契約を結ぶ朝日生命保険相互、協力として日本プロゴルフ協会、朝日観光、那須小川ゴルフクラブ、亀田製菓などが加わった[2]

興行(第1作)編集

当初の予定は『落陽』に続いて1992年10月下旬以降、渋谷東急系で公開が決まっていた[2]渋谷東急を運営する東急レクリエーション(東レク)の社長は、東映社長を兼ねる岡田茂で、特に問題はなかったが、岡田が映画公開前に映画をWOWOWでの放映を決めたため紛糾した[1]。新たな手法として3分の2に短縮した映画を特別試写会という形で衛星放送の特別版として流し、関心を高めてもらい劇場での観客増加に結び付けたいという狙いだった[6]。劇場公開映画が短縮版とはいえ、先にテレビで放映されるケースは初めてであり[1]、通常、劇場で行う試写会をテレビで行うというのも初めての試みだった[6]

当時松竹奥山和由が『外科室』を1000円興行で成功させたり、フジテレビと組んで、一つのストーリーをテレビドラマ2本と映画一本で完結させるという『パ★テ★オ』など、新しい試みを行っていたことに刺激を受けたものだったが[2]、当時のビデオリリースは映画公開半年後、テレビ放映は1年後が紳士協定として定着していたため[2]全国興行生活衛生同業組合連合会(全興連)が東映に放映中止を求めて抗議し"オリキン事件"として業界を揺るがした[1]

WOWOWは1991年4月に有料放送を開始し、洋画を中心に営業を展開していたが、邦画の放送を求める声が多かったことから話がまとまったもので[1]、岡田茂は映連の会長他、業界の多くの団体のトップを務める"ドン"でもあり、結局、1992年10月4日午後10時15分に予定通りWOWOWで無料放送された[6][7]。試写会や封切り初日の舞台挨拶を真似て、放映に先立つ15分前に武田鉄矢と財前直見がテレビに出演し、舞台挨拶のような映画の内容を紹介した[2][6]

テレビ放映が決まったのが公開が迫った時期で、製作や協賛の各社が前売り券など、パブリシティで動いていて、興行者の反撥を考慮し、公開時期としては秋よりよい1993年の正月第二弾に公開延期した[2]。本作の代わりの東レク枠は、『完全版ブレードランナー/ディレクターズ・カット』が埋めた[2]

出演編集

主要人物
第1作
第2作
第3作
第4作
第5作

スタッフ編集

シリーズ作品編集

  1. プロゴルファー 織部金次郎(1993年公開) - 配給収入1.1億円[8]
  2. プロゴルファー 織部金次郎2 〜パーでいいんだ〜(1994年公開)
  3. プロゴルファー 織部金次郎3 〜飛べバーディー〜(1995年公開)
  4. プロゴルファー 織部金次郎4 〜シャンク、シャンク、シャンク〜(1997年公開)
  5. プロゴルファー 織部金次郎5 〜愛しのロストボール〜(1998年公開)

その他編集

  • 有名なプロゴルファーも実名で本人役として出演している。

脚注編集

  1. ^ a b c d e “日本衛星放送が封切り前の邦画をテレビ試写(どきゅめんと)”. 朝日新聞夕刊 (朝日新聞社): p. 芸能17. (1992年9月7日) 
  2. ^ a b c d e f g h 「WOWOW試写会で公開延期"オリキン"事件」『AVジャーナル』1992年4月号、文化通信社、 6-7頁。
  3. ^ a b c d e f 野島孝一 (1992年7月7日). “〔タレントロジー〕映画『プロゴルファー織部金次郎』に取り組む武田鉄矢”. 毎日新聞東京夕刊 (毎日新聞社): p. 芸能9 
  4. ^ a b c d 「『織金』に取り組む日映・中村季靖社長『映像制作の限界をどう突破する』」『AVジャーナル』1992年4月号、文化通信社、 32-35頁。
  5. ^ 「映画界重要日誌」『映画年鑑 1993年版(映画産業団体連合会協賛)』1992年12月1日発行、時事映画通信社、 13頁。
  6. ^ a b c d “東映、衛星放送で試写会―WOWOWで来月4日、TVで実施、初めて”. 日経産業新聞 (日本経済新聞社): p. 18. (1992年9月2日) 
  7. ^ プロゴルファー織部金次郎|映画|WOWOWオンライン
  8. ^ 「日本映画フリーブッキング作品配給収入」『キネマ旬報1994年平成6年)2月下旬号、キネマ旬報社、1994年、 155頁。

外部リンク編集