プロジェクト‐ノート:日本史/過去ログ1

早速参加しましたが 編集

最初に立ち上げに際して御尽力頂いた海衛士様に感謝申し上げます。早速参加したいと思います。

まず、初めに周知する必要があります。ノート:日本の歴史での議論を見ても、ここの設置要望は多かったものと思われます。(惜しむらくは、プロジェクトを立ち上げる前にウィキプロジェクト歴史かどこかのノートで議論してほしかったですね。その方がタイトルを「日本史」にするのか「日本の歴史」にするのか等、合意を得られやすいうえに参加者も集まりやすかったと思います。)

あとはプロジェクトは兎も角、見る人が多いだろうポータルを歴史から分離することです。これは、現在のポータル歴史が日本史分野に大きく偏っていることからも、合意は必須だと思います。

場合によってはポータル歴史のサブページという形(日本の都道府県ポータルのような形)もいいかもしれません。

いずれ、現在の歴史分野のプロジェクト、ポータル、スタブ等の再編成は必須だと思いますので、出来るだけ協力いたしたいと思います。--ろう(Law soma) 2007年1月4日 (木) 05:55 (UTC)--ろう(Law soma) 2007年1月4日 (木) 23:59 (UTC)加筆修正

有難うございます。上位プロジェクトが歴史なので、歴史の合意事項はそのまま日本史に反映という形でいいんですよね。そもそも、上位プロジェクトの合意がそのまま反映されるのが通例であると認識していたので確認まで。その意味では、皆さん上位プロジェクトにも参加した方がよいのかもしれませんね。--海衛士 2007年1月5日 (金) 13:04 (UTC)

海衛士さん、どうもお疲れ様です。自分としましては、上位プロジェクトの合意が下位プロジェクトに反映されることはあっても、必ずしもその合意に拘束される訳ではないと考えています。とりあえず念のため。
ところで、このプロジェクトの構築について、いくつかブレストと言いますか提案をしてみます。
ウィキプロジェクトとは、百科事典の編集会議であり、執筆者を補助する場だと自分は考えていますが、皆さんはいかがでしょうか。ウィキプロジェクトは、存在することではなく、執筆の役に立つことにこそ意義があると思っています。ですので、本プロジェクトにヘタな拘束性・規律性を持たせることはせず、執筆者の助けとなるような緩やかな指針を提示する、日本史関係で相談したいことがある時に相談できる場所として緩やかに機能する、というようなプロジェクトであって欲しいと思っています。
以上のことから、本プロジェクトは次のような内容を含むと良いのではないかと考えています(英語版「ウィキプロジェクト歴史」を少し参考にしました)。
  • 基本方針(中立的観点・検証性の確保・独自研究の排除)
  • 典拠とすべき文献・資料について
    • 文献・資料の例示(国史大辞典とか岩波通史とか史学雑誌とかを挙げてみる)
    • 典拠にしない方がよい文献・資料(歴史小説とか歴史愛好家の書いた本とか)
  • スタイル(記事名・文体・日付の記述法などを示す)
  • カテゴリ(カテゴリの分類と体系についてある程度のルールと現況を示す)
  • スタブ(スタブの方法などについて示す)
  • レファレンスコーナー(記事執筆に当たって知りたいことを質問すると、誰かが回答してくれるコーナー)
今のところ思いつくのは以上です。どうでしょうか。--shimoxx 2007年1月5日 (金) 17:12 (UTC)

そうですね。私も同じくご両所の提案に賛成です。特に、個人的には新記事作成もさることながら、スタブが課題だろうと思います。出展明記はもちろんのことですが、それ以上にどの水準以下ならスタブなのか、どの時点でスタブを外すのか、私はこのあたりもプロジェクト課題として言及できればと考えています。また、レファレンスは有難いコーナーですね。実現には相当、プロジェクトとしてのアウトプットが必要な気もしますが。--海衛士 2007年1月6日 (土) 04:58 (UTC)


みなさんご苦労様です。よろしくお願いします。 さて、私のほうから、以前から気になっている課題で、まだ上に挙がっていないものを挙げさせていただきます。

  • 人物記事における「評価」の扱い
  • 系図の記述法
  • 肖像画像の問題
  • その他、個別の記事で議論になっている諸課題をプロジェクトとして統一的に議論

それと、プロジェクト参加ユーザのカテゴリーも作ったほうがいいですね。 --Horlicks 2007年1月7日 (日) 17:49 (UTC)


お知らせ。記事「江戸時代」について 編集

ウィキプロジェクト日本史の皆さん今晩は。ととりんと申します。Portal‐ノート:歴史でもお知らせしたのですが、記事、江戸時代のノートにおいて、記事中の概要部について見直しが提案されています。割と大きな改変になると思いますので、興味のある方、この時代に詳しい方は是非ご覧下さい。--ととりん 2007年1月11日 (木) 11:33 (UTC)

基本方針(中立的観点・検証性の確保・独自研究の排除) について(総論) 編集

しばらく当プロジェクトの議論も止まっていましたが、そろそろ少しずつ再開したいと思います。まずはしもーさんの提案の一つ目の標記テーマについては如何でしょうか?ブレストの冒頭として、まずは私の現状認識と自己批判からスタートしてしまいますがご容赦ください。--ろう(Law soma) 2007年3月16日 (金) 00:06 (UTC)

中立的観点 編集

中立的観点は概ね守られていると認識しておりますが、一部のIPユーザを中心とした俗説信奉者や特定家系への思い入れが強い方々、かなり古い説に固執される方などが散見されております。決して俗説を排除はしませんが、学界において扱われていないものは、そのように明記する等の指針を挙げる必要があろうかと思います。--ろう(Law soma) 2007年3月16日 (金) 00:06 (UTC)

最近、九州王朝説での合意破棄の提案がありました。いずれ中立的観点からの「科学者がそれら疑似科学の意見をどのように受け止めているかを説明する」文章を明記する方法(例えば冒頭部分に掲示するとか)も必要と思います。--ろう(Law soma) 2007年3月30日 (金) 04:31 (UTC)

検証性確保 編集

自分でも参考文献を記載していなかったりしますので、偉そうに提案しにくいのですが、出典のない記事が(私の作成も含めて)多すぎます。私も少しずつ参考文献や関連サイト、関連項目を加筆しておりますが、既に自分が何の資料を参考にしたのか忘れているものもあります。(特に各種サイトを参照した記事)レファレンスコーナーがあると大分助かるとも思いますが、少しずつでも自分の執筆記事の参考文献等出典を明らかにすべきだと思います。--ろう(Law soma) 2007年3月16日 (金) 00:06 (UTC)

独自研究排除 編集

これは上記出典を明らかにして検証性を確保すれば、必然的に減ってくるものと考えます。--ろう(Law soma) 2007年3月16日 (金) 00:06 (UTC)

基本方針(中立的観点・検証性の確保・独自研究の排除) について(各論) 編集

このところ、これらの問題に関して大きな議論や争いに発展しているケースがいくつか見受けられました。 よい機会ですので、事例に即して考えてみてもよいのではないか、と思っています。 事例としては石田三成喜連川騒動(こちらには私も多少関わりました)などです。 問題の要点としては、検証性や独自研究の判断基準のゆれ、考え方の相違などだと思っています。 たとえば、以下のような場合にどのような記述が適切かを考えてみる必要があります。

  • 一般的に巷間に流布している、よく知られた通説がAである。しかし近年、一部の研究者から通説Aに反する仮説Bが提唱されている場合(出典あり)。→石田三成など
  • 一般的に巷間に流布している通説Aが明らかに史実ではないことが、すでに史学の現場では一定の常識になっている場合。→真田「幸村」など
  • 通説といえるものがなく、複数の仮説が対立している場合。→邪馬台国など
  • 通説に反する事実を示す史料が存在するが、それを根拠とした研究は発表されていない場合。→初期の喜連川騒動など

そのほかにもいろいろあると思いますが、今思いつく範囲で。みなさんのご意見、ご見解をおうかがいしてみたいです。最終的には日本史特有の事情や背景を考慮した独自のガイドラインを作ることができるといいな、と思っています。--Horlicks 2007年5月28日 (月) 02:06 (UTC)

いずれのパターンにしましても基本的には両論併記でいいと思います。あとは書きぶりの問題化かと。
    • 1つ目の場合はA説について詳述し、B説については出典を明記(<ref></ref>の使用推奨)したうえである程度詳しく書く。
    • 2つ目の場合はA説を略述し、学術的な常識(これが通説)を詳述する(当然A説の反論を許さないほどの出典や根拠の提示を推奨。)。
    • 3つ目は併記のうえ、説毎の問題点も記述。
    • 4つ目は通説を詳述したうえで、「反する事実」の存在だけを明記する(例:「なお、『○○』<ref>『○○』○○編、○○社、○○年所収</ref>には『~~(反する事実を示した原文又は翻訳)』との記載があり、通説と反して○○となっている。」等)。
でいいと思います。--ろう(Law soma) 2007年5月28日 (月) 05:19 (UTC)
なるほど。わかりやすいですね。4つ目については、その記述の仕方や内容の関係で、喜連川騒動の場合には独自研究にあたるかどうか、議論になった経緯がありました。いかに独自研究を排した記述にするか、なかなか難しい面もありますね。--Horlicks 2007年5月28日 (月) 08:14 (UTC)
喜連川騒動の場合には、私自身が原典に当たれる環境にないことからコメントは控えますが、一色刑部の関与についての評価が史料により分かれていることを書けば足りると思います。
私自身の執筆にも関係しますが、いわゆる郷土史家の出版物の取扱は難しいです。査読を経ている訳でもないですし。私が大量加筆した安東氏の項目では参考文献の末尾に郷土史家の本を載せ、その意見について「~とする意見もある」と表記していますが、自分でも問題がありそうだと思っています。--ろう(Law soma) 2007年5月29日 (火) 00:53 (UTC)

独自研究に関してはWikipedia‐ノート:独自研究は載せないのほうでかなり熱心に議論されているようですが、ざっと拝見した感じ、次第に瑣末へ瑣末へと入り込んでしまっていて、非常にわかりにくい議論になっているなぁ、という感想を持ちました。原理原則論というのは、もう少し単純にしていかないといけないのではないかな、と考えたりもします。--Horlicks -note 2007年6月13日 (水) 03:05 (UTC)

「日本」史の範囲 編集

範囲としては、「当プロジェクトの範囲は、古代から近代までの日本の歴史全般を対象とします。」となっておりますが、「日本史」とは日本の歴史によると「日本または日本列島における歴史である。」となっており、私個人としては概ね了解いたします。しかしながら「日本」は古代より現在まで継続していると擬製されているところの「日本国」の領域と解釈できますが、そうすると日本国の国制下になかった時代の本州北部や北海道、沖縄などが範疇から外れます。一方、列島の歴史となると台湾、樺太、千島を含む可能性があり、小笠原諸島を含まない可能性がでてきます。もう少し厳格に定義する必要がありませんか?

私案としては、

  1. 現在の日本国の領域内に関しては過去に遡って「日本史」の範疇に含める。
  2. 過去に法制上日本国の領域に入ったことのある地域は、日本統治下にあった時代のみを「日本史」の範疇とする。

といったところです。

例えばこの案では朝鮮総督府は日本史に含めます。琉球の貝塚時代も含めます。しかし満州国はどうするか?(私案では含めません)樺太の新石器時代はどうするか?(私案では含めないことになってしまいます)などの問題が出てきます。縄文時代のように現在の日本国の領域外にも及んでいる文化をどうするかなど、ご意見をお聞かせください。--ろう(Law soma) 2007年3月22日 (木) 07:27 (UTC)

一般的に日本の領域外であっても、日本が関わった戦争などは、日本史に含むと思います。例としては、白村江の戦い倭寇文禄・慶長の役、日清、日露戦争、日中戦争などです。満州国も関東軍が進駐していた領域ですし、多くの日本人入植者が満州に渡りましたから、日本史に含めて構わないと思います。--尚玉 2007年3月31日 (土) 17:00 (UTC)
こんにちは。私も尚玉さんに賛成したいと思います。尚玉さんの挙げている戦争などは、日本史の教科書にも載っていますから。--独眼夜叉-(会話) 2007年4月1日 (日) 07:51 (UTC) 修正--独眼夜叉-(会話) 2007年4月14日 (土) 07:32 (UTC)
了解です。その方が私もしっくりきます。では、
  1. 現在の日本国の領域内に関しては過去に遡って「日本史」の範疇に含める。
  2. 過去に法制上日本国の領域に入ったことのある地域は、日本統治下にあった時代のみを「日本史」の範疇とする。
  3. 日本国又は現在日本国の領域内となっている地域における対外関係史も「日本史」の範疇に含める。

といったところですね。--ろう(Law soma) 2007年4月2日 (月) 00:13 (UTC)

むしろ尚玉さんのご指摘を反映するなら 「各時代における日本国および日本人(大和民族、琉球民族、アイヌ)が関係した事象を範囲とする」 というほうが単純明快ですっきりすると思います。 基準を国家領域(領土)に固定してしまっているからわかりにくいのではないかと。--Horlicks 2007年4月2日 (月) 02:48 (UTC)

そうしたいのはやまやまなんですが、民族が固定化する時期の問題がありますので。そのような定義だと、網野史観の方々などから大和民族の範囲の問題やアイヌと蝦夷の関係などが提起されかねませんので。任那とは?蝦夷とは?古代中国大陸における倭人とは?などの問題を回避しつつ日本史を定義するのは結構至難の業かと。--ろう(Law soma) 2007年4月2日 (月) 03:18 (UTC)
  • 大筋ろう(Law soma)さんの1.2.3案でよろしいのではと思います。papamaruchan22※大筋と表現したのは、例外としてシャムの山田長政等が日本史で取り上げられている場合があるからで他意はありません。1.2.3案賛成です。2007年4月2日 (月) 09:23 (UTC)
そうですね。確かに山田長政の存在がありましたね。上記3の拡大解釈で読むのもちょっときつい。あとはケースバイケースなんでしょうかね。--ろう(Law soma) 2007年4月2日 (月) 23:37 (UTC)

我が国の日本史の教科書に登場する外国人を、日本史の範囲に含めないというのは、違和感があります。やはり重畳分野というものを認めるべきです。--今泉総一郎 2009年9月13日 (日) 18:38 (UTC)

大名記事のTemplate:先代次代の書式 編集

江戸時代の大名(藩主)の記事で使用されているTemplate:先代次代の書式について、ちょっと悩んでしまったので、相談にのって下さい。

例えば、安藤信友の場合、現時点では以下のようになっています。

先代:
安藤重博
安藤氏(備中松山藩2代)藩主
1698年 - 1711年
次代:
石川総慶
先代:
松平光煕
安藤氏(加納藩初代)藩主
1711年 - 1732年
次代:
安藤信尹

気になったのは、中央の「安藤氏(備中松山藩2代)藩主」「安藤氏(加納藩初代)藩主」の部分で、

  1. 「安藤氏藩主」という用語は適切なのか?
  2. 括弧にするなら、むしろ「備中松山藩(安藤氏2代)藩主」ではないのか?
  3. 「安藤氏」ではなく、「安藤家」の方が適切ではないのか?
  4. 石川総慶や、松平光煕は、安藤氏ではないのに、この書き方でよいのか?
  5. そもそも「安藤」という家名を入れる必要はあるのか? 単に「備中松山藩主」ではダメなのだろうか?

などと感じました。

また、徳川宗春の場合、上下でちょっと違う形になってますね。

先代:
松平義真
尾張松平氏(梁川藩4代)藩主
1729 - 1730
次代:
-
先代:
徳川継友
尾張徳川家尾張藩)7代
1730 - 1739
次代:
徳川宗勝

使い分けをする必要があるのか、あるは、下のは藩主の先代・次代ではなく、家の「当主」の先代・次代の方に焦点が当てられていて性格の異なるものなのでしょうか。

宜しくお願いします。--oxhop 2007年7月9日 (月) 13:58 (UTC)

これは単純に、特にガイドラインのようなものがなかったために、個別の編集者がそれぞれ見様見真似で使っているからバラバラなのではないかと思ったりします。 個人的な見解としては「○○藩(△△家X代)」が適切ではないかと思います。 構造としては、一つの藩について藩主は複数の大名家が入れ替わっている場合があり、また藩主の代数はそれぞれの大名家ごとの中で何代目、という数え方をすると思うからです。 つまり、たとえばA藩という藩は、はじめB家が藩主で3代続き、その後C家に替わって7代続き、さらにD家に替わって4代続いた、というような形になると思いますので、A藩B家2代藩主、A藩C家5代藩主、というような表現になろうかと。 いろんな記事を調べて、統一性がないようであれば、ガイドラインの策定を検討したほうがよいかも知れませんね。--Horlicks -note 2007年7月9日 (月) 14:58 (UTC)

ご意見、ありがとうございます。やはり、そうですよね。私も「○○藩(△△家X代)藩主」という形の方が良いと思います。もう少し他の方のご意見を待ってガイドライン策定にもっていけたら、と思います。--oxhop 2007年7月10日 (火) 12:38 (UTC)
例えば、彦根藩のように江戸時代の初めから終わりまで1つの家で引き継がれた場合については、どうしたらよいと思われますか?
  1. 他と同様に、「彦根藩(井伊家X代)藩主」とする
  2. 「彦根藩X代藩主」とする
--oxhop 2007年7月10日 (火) 12:50 (UTC)
私は1.のほうがいいように思います。そのほうが統一性がありますしね。--Horlicks -note 2007年7月13日 (金) 08:34 (UTC)

Template:伊達氏宗家歴代当主 編集

直上の節とも少し関連するかと思いますが、こういうものを見つけました。

Template:伊達氏宗家歴代当主

よくできていると思うのですが、残念なことに「伊達氏」に完全に特化したものになっていて、他に使い道がありません。 それがちょっともったいない気がしまして。 うまく汎用的に活用できるものが作れないでしょうか? みなさんのお知恵を拝借したいです。--Horlicks -note 2007年7月13日 (金) 08:37 (UTC)

これに他の用途ってないんじゃないでしょうか?Horlicksさん、どういうことでしょう。もったいないというのはわかるんですけど、たぶんほかの用途は…--蚯蚓 2009年3月12日 (木) 12:02 (UTC)

城の見出しの標準化について 編集

みなさまはじめまして。 日本の古城に興味を持つ一個人です。最近日本100名城を巡るようになり、wikipediaのお城の項目にも興味を持つようになったのですが、お城のそれぞれの記述を見ると、興味を持っている人が適宜書き加えていっているため、見出しに統一感がないというのが現状のようです。そこで提案ですが、見出しについて標準化してはいかがでしょうか。ある程度の標準化はされているようですのでそれを土台にすればよいと思います。みなさまのご意見をお聞かせください。なお、私なりにもノートにまとめていますのでよろしければごらんください。 参考:日本の城一覧日本100名城 Salmoides 2007年11月16日 (金) 16:32 (UTC)

見出しの標準化そのものは結構ですが、その内容について深く触れられていないものまで作成するのは賛成できません。現状では記述の量に比して見出しが過剰となっている記事が多いように見受けられます。さしあたり不要と思われる見出しはコメントアウトするといった配慮が必要ではないでしょうか。--こまくさ 2007年12月17日 (月) 13:08 (UTC)

架空記事荒らしについて 編集

このところ、日本史関連(特に戦国時代)で、実在しない架空の人物の記事を作成したり、氏族の記事にその架空の人物をもぐりこませたりという、手の込んだ悪戯をするIPユーザーがいるようです。 現状では、有志が見つけ次第対処しているようですが、いきなり削除したりはできないので、まずは出典の提示を求め、存在の確認を行い、削除依頼に提出する、という、非常に手間と時間のかかる方法で逐一対応しています。 しかし、数が増えてくると、なかなか少数の有志だけでは対応しきれません。 何かいい対策はないだろうか、といろいろ考えてみたのですが、私にはいいアイデアがありません。 そこで、できればみなさんのご意見を伺いたく、ここに書かせていただきました。

悪戯の実例は、たとえば北畠具継北畠家の履歴などをご参照ください。すでに削除された例としては真田幸綱 (真田昌幸の子)大内忍者三人衆などがあります。--Horlicks 2007年12月11日 (火) 08:48 (UTC)

基本的にはGoogleで出てこない程度の人物は、仮に実在だとしても百科事典の項目にする値がないと思われます。まれに地方史関係で重要な人物なのにGoogleで引っかからない人物がいてもおかしくはありませんが、その場合には出典となった郷土史誌等がある筈です。そこで、
  1. 聞き覚えのない人名を見かけたら取り敢えずGoogleしてみる。信頼性のありそうなページに記載されていればOK。
  2. ヒットしない、もしくは信頼性の乏しそうな少数の記事しか見つからなかった場合は出典の提示を求める。
  3. およそ1週間待ってみて何の返事もない場合に削除依頼に提出する。
これしか思いつきません。PJ参加者にチェックを呼びかけることも考えるべきでしょうね。新規項目や最近の更新を逐一チェックすることは不可能ですので、見つけ次第としかいかないのが悩ましいところです。--ろう(Law soma) D C 2007年12月12日 (水) 06:20 (UTC)
そうですね。私もたまたまウォッチリストに入っている記事が更新されたタイミングとか、たまたま新着を見ていて気付いたときくらいしか対処できていません。たぶん私が気付いていないだけの同種の記事はまだあるのではないかと思っています。まあ、地道にやるしかないのでしょうかね。--Horlicks 2007年12月13日 (木) 02:37 (UTC)

地方通史記事の作成について 編集

ちょっと相談させてください。現在岡山県の歴史(あるいは岡山の歴史)という地方通史記事を検討・執筆しようと思っています(苦戦中)が、現状各県の歴史といった単独の通史記事は存在していません。47都道府県全てを立項する予定は無いのですが、岡山だけ作ってしまっても問題ないものかどうか、ご意見頂ければと。--赤井彗星 2007年12月12日 (水) 07:01 (UTC)

存在自体に特に問題はないとは思いますが、岡山県#歴史が大きくなりすぎて独立するといった経緯が必要ではないでしょうか?吉備国備前国備中国美作国との関連もありますし、もし作成されるのでしたら岡山県の方はより簡略化して参照指定({{main|岡山県の歴史}})する、令制国の項目との線引きを明確にする等の対処が必要でしょう。
余談ですが県史って結構難しいですよ。山川の新県史シリーズや都道府県教育委員会編の県史なんかを使えば書けそうに見えますが、どこまで詳しく書くか、隣接県と一体であった豪族史や藩史(岡山なら吉備氏や宇喜多家、池田家など)との兼ね合いもあります。各国の歴史のように(特に英語版だと)共通部分は参照指定で逃げて領域成立後を詳しく書くとかの工夫が必要でしょう。各県の記事を見て思うこととしては、近現代の記事が少なすぎることでしょうか。私は地元以外の近現代地域史には詳しくないので何ともできないでおりますが。
綺麗な作り方として愚考しますと、
  1. 「岡山県#歴史」に概略を記述し参照指定で「岡山県の歴史」を指定する。
  2. 「岡山県の歴史」のうち「吉備国」「岡山藩」等に持って行くべき記述は簡略に記述し、それぞれ参照指定する。よって原始から飛鳥程度は結構詳しく書く。
  3. 岡山県が現在の領域となって以降の近現代史を重点的に記述する。
って感じだと素晴らしいものになりそうな気がします。--ろう(Law soma) D C 2007年12月12日 (水) 08:17 (UTC)
いずれにしても何らかの記事に従属(枝分かれ)する形になるかな、という点でろうさんと同意見です。個人的にはそういう記事があるのはとてもいいなと思いますし、自分でも広島県の歴史など機会があればぜひ書いてみたいものだと思います。
従属する対象は、いろいろ考えられると思うのですが、岡山県からの分離になるのか、日本の歴史地域の歴史→○○県の歴史のようになるのか、いずれにしても統一されていたほうが後々問題にならずに済むかと思います。--Horlicks 2007年12月13日 (木) 02:37 (UTC)
  • (コメント)ゆくゆくは、各都道府県については、歴史のページは独立させたほうがいいと思います。-KHAT
都道府県ではありませんが、記事分割により八王子市の歴史横浜市の歴史三木市の歴史などが既に作成されています。同様の記事は今後も増えるでしょうし、これらとの兼ね合いも必要でしょう。--こまくさ 2007年12月17日 (月) 13:08 (UTC)

日本の氏族テンプレート試作 編集

Category:日本の氏族に含まれるような氏族記事(「○○氏」という記事)に共通して使えるテンプレートを試作してみました。 テンプレート本体は利用者:Horlicks/日本の氏族、使用例は利用者:Horlicks/試作品テストになります。

よろしければみなさんのご意見をお願いいたします。--Horlicks 2008年3月11日 (火) 13:16 (UTC)

特に反対意見が出なかったようですので、Template名前空間にリリースしました。Template:日本の氏族

ご意見ご要望等がありましたら、テンプレートのノートページにお願いいたします。--Horlicks 2008年3月19日 (水) 07:02 (UTC)

制作ありがとうございます。正式リリース前に片倉氏で使わせてもらいました。(が、よく考えたら、これってソースをコピーして使うものではなかったのだなあ。間違えていた。) テンプレートは良いものだと思います。ただ、家祖や出身地に書くのを、家系図に出てくるようなものにするか、実質的なほうにするかで迷いました。どちらがいいでしょうか。--Kinori 2008年3月19日 (水) 07:40 (UTC)
私個人としては、漠然と、柔軟な運用がよいかな、と思っていました。あまりガチガチに使用法を固定していない感じなのですね。基本的には本文の記述と同じような基準、同じような考え方でいいのではないでしょうか。もし、迷うものがあったら、適宜ノートなどで議論をするのもいいかと思います。あまり直接的な回答になっていなくて申し訳ないですが、今の私の考えとしてはそんなところです。--Horlicks 2008年3月19日 (水) 08:04 (UTC)
そうですか。自分では使いなれない用語なので、何か厳密に使い方が決まっているものかもしれない、と思ってしまいました。そういうことでしたら、気楽に書いてみます。--Kinori 2008年3月19日 (水) 15:04 (UTC)

旧藩、城郭・陣屋記事の冒頭文について 編集

初めまして。首記の件、ある方の編集をきっかけとして気づいたのですが、冒頭文(定義)の記述フォーマットが各ページばらばらになっています。そこで記述フォーマットを統一することによって可読性の向上や読み手の理解の一助になると思い、記述フォーマットの統一を提案します。(以下、私見を記しますので、議論のたたき台にしていただければ幸いです。)

旧藩

旧藩についてはかつて存在した地理的概念のため、旧国名・郡名で記す。

記述の序列(案) - 藩の名称と旧国名(令制国?)における位置→郡名における大まかな所在位置と、括弧書きで現住所→藩庁の置かれた場所(住所は記さない)→別名や補足事項。

  • 藩の名称と旧国名(令制国?)における位置
記述例:『六浦藩(むつうらはん)は、武蔵国にかつてあった。』
  • 郡名における大まかな所在位置と、括弧書きで現住所
記述例:『久良岐郡の一部(現・神奈川県横浜市金沢区)、相模国大住郡の一部(現・神奈川県平塚市秦野市)などが含まれる。』
  • 藩庁の置かれた場所
記述例:『藩庁は六浦陣屋に置かれた。』
  • 別名や補足事項
記述例:『現在の横浜市内にあった唯一の藩である。』

※意思統一を図るポイント

  • 上記、記述フォーマット案の序列で良いか?
  • 「旧国名」「郡名」はどの時点を記すべきか?
城郭・陣屋

城郭・陣屋については現住所との対比が容易であるほか、建造物や跡地が現存する場合もあるため、現住所で記す(旧国名・郡名による住所は冒頭文には記さない)。

記述の序列(案) - 城郭・陣屋の名称と現住所(国の史跡などに指定されている場合は明記)→施設の役割(藩庁や、本拠地とした支配者など)→現状→別名・補足事項。

  • 城郭・陣屋の名称と現住所(国の史跡などに指定されている場合は明記)
記述例:『弘前城(ひろさきじょう)は、現在の青森県弘前市にある(国の史跡)。』
  • 施設の役割(藩庁や、本拠地とした支配者など)
記述例:『弘前藩の藩庁がおかれた。』
  • 現状
記述例:『現在は弘前公園として整備されている。』
  • 別名・補足事項
記述例:『別名は鷹岡城高岡城。』

※意思統一を図るポイント

  • 上記、記述フォーマットの案の序列で良いか?
  • 旧国名・郡名の扱いについて。

以上、よろしくお願いします。--しいたけ 2008年3月15日 (土) 04:30 (UTC)

  • 皆様にご迷惑をおかけしたRoga246と申します。なお、指摘により「かつて(江戸時代は)・・・・・であった。」とほんの一部ですが修正しているものもあります。一例をいいますと伊勢崎陣屋のようにです。議論をお願い致します。江戸時代の住所は大政奉還時点のものにしています。まだとりかかっていませんが、明治時代にその多くが領地入れ替えにより千葉県に移封した藩の陣屋については廃藩置県時点で行うつもりです。城郭・代官所なども同様です。

--Roga246 2008年3月16日 (日) 01:38 (UTC)

とつぜんおじゃまします。

旧藩については、広い範囲を治めていた大藩と小さい範囲を治めていた小藩では、旧国、旧郡の記載の仕方が異なってくると思います。会津藩を例にすると、領地は陸奥国(会津郡、耶麻郡、大沼郡、河沼郡、安積郡)、越後国(蒲原郡、魚沼郡)、下野国(塩谷郡)の全部または一部となっていました。藩庁である若松城は陸奥国会津郡の若松にありました。したがいまして、提案のあったフォーマットについては、陣屋がおかれたような小藩には適しますが、大藩については、冒頭文に旧郡名までいれる必要はないと思います。ただ、領内を記載しているのか、藩庁の位置を記載しているのか、よく読みきれない旧藩記事の冒頭文を引き締めるには最適の提案と思われます。
旧国名の時点ですが、「藩」が「藩」として機能していた時代、幕藩体制が維持されていた最後の時代、版籍奉還を原則とすることでいいと思います。したがって、明治になって「廃藩置県」までの間に、陸奥国が5国に、出羽国が2国に分割されましたが、『・・○○国にかつてあった藩』形式であれば、陸奥国でよいし、特別の理由がない限り、しいて岩代国、磐城国、陸前国、陸中国と記載しなくてもよい、と思います。
城郭、陣屋については、提案のとおり、記事の冒頭部分に旧国名、旧郡名を入れることは、その必要が無い、冒頭部分から読みの入りがスムーズでなくなってしまうと考えます。ただし、例外として、陣屋であって、建物が取壊され、跡地についても現況が市街地に埋没して旧態をまったく留めていないような場合に限って、次のような記載方法を否定するものではありません。
  • 伊勢崎陣屋(いせさきじんや)は、かつて上野国佐位郡(現在の群馬県伊勢崎市)にあった陣屋。伊勢崎藩の藩庁が置かれた。
したがって、①城郭・陣屋の建造物が現存している、②復元されている、③建造物はないが遺構が残り史跡に指定されている、④史跡に指定はされていないが公園等の公共空地となっている、⑤城郭としての遺構はないが石碑などが建ち、その跡地であることが充分に認知されているような場合は、上記の例外方法はとらず、提案のとおりでよいと思います。ただ、城郭遺構の状態によっては、「○○城は、現在の□□市にあった城」の表記の仕方も考慮すべきでしょうか(この場合にあっても、旧国、旧郡は冒頭文に挿入しない)。また、提案のフォーマット案については、冒頭文に旧国名、旧郡名が挿入され撹乱気味になっている特定の記事の、当分の間の修正用として試用されたらと思います。

--Qwert1234 2008年3月16日 (日) 10:07 (UTC)

藩については、例えば、

  • 六浦藩(むつうらはん)は、享保7年(1722年)から明治4年(1871年)まで武蔵国六浦(現・神奈川県横浜市)に本拠を置いていた藩。武蔵国南部、相模国中部など1万2千石を領有した。
  • 六浦藩(むつうらはん)は、享保7年(1722年)から明治4年(1871年)まで武蔵国六浦陣屋(現・神奈川県横浜市)を藩庁としていた藩。(以下同文)

のような感じで、(1) 存続年、(2) 藩庁所在地、(3) 藩領の主要部分の大まかな位置、(4) 石高、の4点で定義したらよいのでは、と考えていたのですが、どうでしょうか。石高で変動が何度もある場合は「(最小値)から(最大値)を領有した。」とか、変動値が少ないのであれば「約X万石」で、どうしても簡潔に書けないのであれば省略。 郡名まで含む詳細な藩領の変遷は、本文に節を作って時系列でまとまってるとわかりやすいと思います(できれば地図つきで)。--oxhop 2008年3月16日 (日) 16:09 (UTC)

理由を追記します。(1) については、歴史の記事なのに、何時という情報が定義部にないのはおかしいし、不便ですよね。不確実なら、世紀単位、あるいは「江戸時代前期」のような書き方もできるのに、なぜ「かつて」とごまかすのか不思議に感じてます。(2)と(3)は、「○○国にあった藩。」という表現は曖昧で、特に2つ以上の国にまたがる藩の場合に、あれれ? と感じたことがありました。藩庁がどこに、藩領はどこに、と、はっきり書いた方が良いと思います。(4)は、藩の規模を知るにはこれが一番手っ取り早い数値だからです。
少し考えた後、思っことですが、(1) の存続年について、廃止や復活が繰り返されていて文字数が多くなって煩雑な場合は、必ずしも第1文になくても良いですが、冒頭部には入れておいてほしいです。あと、(5) 大名家、(6) 親藩・譜代・外様の別も冒頭部にあってほしい(これらはテンプレートの表でもいいと思います)。最後に、藩領の書き方(私の例だと、2文目にあたります)は、「武蔵国南部」という書き方だと、地図の見方によって南部なのか中部なのか南西部なのか迷うケースもあるかもしれないので、郡を明記した方がいいということもあるかもしれません。付記された現在の市町村名から大体の位置がイメージできて便利ですし。他に、よく見かける書き方で、「○○国に3郡、△△国に2郡」という手もありますがどうでしょうか。1つの文章として郡名が3つも4つも続くと読む気が失せそうなので、Qwert1234さんの意見も踏まえて、2郡以下なら郡名+現自治体名、3郡以上なら郡名は書かないということで良いのでは。--oxhop 2008年3月17日 (月) 12:50 (UTC)

上記の案についての意見ではないのですが、テンプレートを作成するとわかりやすくてよいかも知れないと思います。--Horlicks 2008年3月17日 (月) 02:50 (UTC)

城郭、陣屋については、現存する場合と現存しない場合を分けて述べます。

現存する場合は、しいたけさんの案に賛成です。ちょっと細かい点ですが、その場合、「現在の」という修飾語は無意味なのでカットすべきではないでしょうか。日本語として違和感があります。

  • 弘前城は、現在の青森県弘前市にある城。
  • 弘前城は、青森県弘前市にある城。

それと、「国の史跡」というような基本的な情報は、括弧に入れないほうがいいです。括弧は補足的情報(文章にすると、「なお」とか「ちなみに」に続けて書かれるような内容や、言い換え)に使用しますよね。もっとも、必ずしも冒頭部になくても良いようにも思いますが。

現存しない場合は、Qwert1234さんの案に賛成です。ただし、例文中の「かつて」は藩と同様、除きます。

  • 伊勢崎陣屋(いせざきじんや)は、江戸時代に上野国佐位郡(現在の群馬県伊勢崎市)にあった陣屋。

具体的な年代を書くのが面倒なら、こんな感じでOKですし。墨俣城みたいな書き方(「戦国時代の城」)でも良いと思います。--oxhop 2008年3月19日 (水) 14:23 (UTC)

さまざまなコメントを戴きありがとうございます。以下、簡潔に私見をコメントします。

旧藩
  • 旧国名の時点については版籍奉還時点とすることに賛成します。理由は、Qwert1234さんと同じです。
  • 過去に存在したものですから、藩の定義として存在した時期は記すべきと考えます。また、Wikipediaは世界的観点からの記述が求められます(この件、最初の提案では失念していたので申し訳ありません!)ので、冒頭文の冒頭は(例)『六浦藩(むつうらはん)は、かつて日本に存在した享保7年(1722年)から明治4年(1871年)まで武蔵国六浦(現・神奈川県横浜市)に本拠を置き、武蔵国南部、相模国中部など1万2千石を領有した。』のように記述するのが良いと考えます。
  • 石高については、藩の規模を客観的に知りうる情報のひとつですが、冒頭に記述すると煩雑になるのではないかと思います。陣屋名も同様です。基礎情報テンプレート(後述)を作成し運用するなら、詳細はそちらに譲るのが良いかと思います。
    • (コメント修正)石高は上記の例文のとおり、それなりに収まりが良いため、冒頭文への記述は問題ない思います。但し、その他の事項(陣屋など)を冒頭文に書き出すときりがないので、基礎情報テンプレートを活用すべきと考えます。--しいたけ 2008年3月24日 (月) 14:33 (UTC)
城郭・陣屋
  • 旧住所を記さずに現住所を記すなら、確かに「現在の」という修飾語は無意味ですね。失礼しました。
  • 『国の史跡』『現存天守のひとつ』などといった情報は、現時点の建造物や敷地に対する一般的な評価として重要と考えますので、冒頭文に記述があるほうがいいと思います。括弧書きでなければ、冒頭文末尾の補足事項として記述すればいいかと思います。

以上、--しいたけ 2008年3月22日 (土) 06:51 (UTC)

藩についてですが、冒頭部には、煩雑になるので、本拠地名か城・陣屋のいずれか一方で良いと思いますが、どちらが良いのかの判断がつきません。しいたけさんは、地名の方を選択されてますが、なぜでしょうか。ちなみに『マイペディア』を見ると、多くは「○○国△△(現、××)に藩庁を置いた{親藩・譜代藩・外様藩}。」という形式です。例外としては、岡崎藩が「……に政庁(岡崎城)を置いた譜代中藩。」になってました。
「日本」を入れるとして、「……は、江戸時代から明治時代初期の日本にあった藩。」みたいな書き方はどうでしょうか。この方法だと、その直後に具体的な年数を書くのは煩雑なので、それは基礎情報テンプレの方へ記載する、ということになろうかと思いますが。--oxhop 2008年3月25日 (火) 14:30 (UTC)

基礎情報テンプレート 編集

藩の基礎的な情報についてどれだけの内容を記述するかということについて、上記の議論を読むうちに基礎情報についてのテンプレートを作成(例:Template:基礎情報 都道府県)し、そちらに譲るべき内容と、あくまで定義として冒頭文に記述する内容を切り分けるのが合理的ではないかと考えました。但し、テンプレ作成となると議論により時間を費やす必要があり煩雑となりますので、基礎情報テンプレート作成についての賛否をいただきますようお願いします。(項目の詳細案も歓迎します。)--しいたけ 2008年3月22日 (土) 06:51 (UTC)

(賛成)メリットがあると思います。--Horlicks 2008年3月26日 (水) 01:35 (UTC)

城・陣屋について 編集

城・陣屋関連記事に大量の転載が見つかりつつある状況ですが、1つ1つの記事を確認していて改めて感じたことが2つあります。

転載元の1つとなった、西ヶ谷恭弘編『国別城郭・陣屋・要害・台場事典』(東京堂出版、2002年)は、タイトル通り国別にまとめられていて、目次は旧国名だけ、しかも、索引がありません。それゆえ、記事のほうに国名が記載されていないものを、分厚い書籍の中から見つけ出すのは(都道府県名からある程度のあたりをつけられたとしても)非常に面倒でした。そこで、

  1. 記事の定義部に旧国名を入れる。
  2. テンプレートに旧国名を入れる。
  3. 都道府県別のカテゴリと旧国別のカテゴリを並存させる。

のいずれかがあったらよかったのに、と思いました。今回のはある意味、特殊な用途だったので、全ての利用者にとって便利になるわけではないですが、手元の書籍で補完しながらウィキペディアの記事を読む際には、有用なのではないでしょうか(まあ、都道府県別の書籍の方が多いかもしれませんが)。

2つ目は、特に陣屋についてです。陣屋の記事の内容は、主に、

  1. 藩史(=陣屋の歴史)
  2. 立地・縄張り
  3. 遺構

の3点で、1. 藩史は、藩の記事と重複するものです。したがって、藩史以外の部分で単独記事とするほどたくさん書く内容があるとか、重要な観光地になっていて他の記事から直接リンクされていた方が便利な場合は別ですが、原則として、陣屋は各藩の記事の中で「陣屋」節を設けてそこに書いてはどうでしょうか。

以上、2点、検討してみてください。--oxhop 2008年4月11日 (金) 14:16 (UTC)

城郭の記事名における曖昧さ回避の括弧内に用いられる名称について 編集

いつも、お世話になっております。実は本日は確認したいことがあって、ご相談に上がった次第です。

現在、城郭の名称に関する曖昧さ回避について、お伺いしたいことがあります。

現在、日本の城一覧及び同ノートにおいては、曖昧さ回避の括弧内は旧令制国名で行われることが慣例となっております。

ところが、川崎城_(下野国)の記事名を巡って、「現代使われていない呼称で括るのはおかしい」と主張される方が、現在の所在地の自治体名を括弧内に用いた記事名の移動を行って、移動合戦寸前の状況になっております。現在、城郭の名称に関する曖昧さ回避の括弧名は旧令制国、必要に応じて郡名を付記するのが広く行われておりますが、これは廃藩置県で旧江戸城など一部の城郭を除いては歴史的役割を終えたという考え方、城郭が実際に機能していた時期の行政区画呼称の採用という点からも適切であると私は考えております。ですが、現在の所在地が属する自治体の呼称による区別法がウィキペディア日本語版の曖昧さ回避において広く使われているという反論もあろうかと思います。

そこで、日本史関連記事の執筆をされる皆様に、その辺りをどうお考えか判断を仰ぎたいと考えた次第です。こうした紛糾が今後も発生することが考えられ、強制力はないとしても一定のコンセンサスを打ち出して頂ければ幸いであると考えております。--水野白楓 2008年6月6日 (金) 03:07 (UTC)補記--水野白楓 2008年6月6日 (金) 03:09 (UTC)

日本史関連の記事で言えば、確かに寺院の名称などは曖昧さ回避の括弧内を市町村名にしています。ただ、寺院に関しては現在にも存在するものがほとんどですが、城に関してはほとんどが現在は城としての機能は果たしておらず、あくまで「城跡」であることから、「城」として存在していた時代の令制国名で標記するのがふさわしいと思います。また、城郭の名称などは備中松山城、備中高松城、大和郡山城など旧令制国名で標記されるのが一般的です。城郭関連に関していえば、現在の市町村名で標記されるのには違和感があります。市町村名を使用するなら記事名は「○○城跡 (都道府県名+必要に応じて市町村名)」、例えば「川崎城跡 (栃木県矢板市)」にするのがふさわしいかと思います。
また、蛇足ですが1ヶ月以上水野白楓さん以外のコメントがないので「コメント依頼」などでもコメントを依頼してはいかがでしょうか?--58.94.134.163 2008年7月14日 (月) 08:48 (UTC)

肥大化した「Category:藤原氏」と放置されている「Category:藤原北家」の分類作業 編集

以下のカテゴリの分類作業について、問題点やご提案などご意見をいただきたいです。

  • 「Category:藤原氏」の子カテゴリ(「Category:一条家」や「Category:近衛家」など)に分類されている記事から、親カテゴリである「Category:藤原氏」を取り除く。
現在、このカテゴリに分類されている記事が膨大な数となっています。公式には「親カテゴリに分類する必要はない」、「一つのカテゴリに分類する記事は200または400まで」となっています。一方、「親カテゴリにも分類するべき」、「記事数が200、400を超えてもかまわない」という合意は、ノートでなされていないようです。
  • 藤原北家の「系譜」の章にある人物の記事から、「Category:藤原氏」を「Category:藤原北家」に置き換える。
このカテゴリが作成されたまま放置されています。私の会話ページにて、このカテゴリへ分類する作業をしてほしいという依頼をいただきました。妻子や養子を含めると本家の人物だけでも100を超える記事が作成されています。分家も多くあり、さらに藤原北家の末裔を自称している戦国大名も多くいます。

この作業により、藤原氏関連の記事は子カテゴリのみに分類され、放置された「Category:藤原北家」の分類作業も完了できると思いますが、いかがでしょうか。さらに、この作業をWP:BOTREQに依頼しようと思いますが、いかがでしょうか。1ヶ月をめどに結論を出せればと思います。よろしくお願いいたします。--伏儀 2008年5月5日 (月) 13:07 (UTC)

「Category:藤原氏」について。記事名「xx」と同じ名称のカテゴリ「Category:xx」が存在する場合、例外なく「Category:xx」に含めるべきです。読者への誘導の意味もあります。またこの場合は、記事に「Category:xx」ひとつを貼るだけではなく、分類を示す意味でその上位カテゴリも併記した方がよいでしょう。と公式にあることを言い忘れておりました。「Category:一条家」の場合は、一条実経一条経嗣などは「Category:藤原氏」を取り除くが、一条家の「Category:藤原氏」はそのままにする必要があることになります。--伏儀 2008年5月5日 (月) 13:27 (UTC)追記--伏儀 2008年5月5日 (月) 13:59 (UTC)
ご提案の趣旨に沿いますと、「家号/苗字+名前」で項目名が作られている者は「Category:藤原氏」や「Category:藤原北家」には含めず、それぞれの子カテゴリーのみに分類するということでしょうか?そうしますと、藤原北家の「系譜」中にはそうした記事が多々あり、そこに「Category:藤原氏」が含まれている場合、上記の作業を行ってしまうとそれらの記事が誤って「Category:藤原北家」に分類されてしまう問題があるかと思います(例:一条能保飛鳥井雅経など)。また同じく「系譜」中には「Category:藤原氏」に分類されている人物記事へのリダイレクト記事も多々ありますが(例:藤原忠雅へのリダイレクト花山院忠雅など)、これらについて上記作業を実施するとどうなりますでしょうか。リダイレクト先の記事の「Category:藤原氏」がうまく「Category:藤原北家」に置き換われば問題ないのですが…。
また、作業実施の前にいま一度整理すべき問題として、
①記事名が「藤原+名前」となっているものは「Category:藤原北家」、「家号/苗字+名前」となっているものはその子カテゴリー、という具合に振り分けるとしても、そうした判断が機械的にできない項目=例えば僧籍に入った者や通名で立項されている女性などをどのような基準で振り分けるか(例えば紫式部は「Category:藤原北家」に分類するが、道尊は父や兄弟と同じく「Category:九条家」にするか?など)。またその作業を具体的にどう行うか。
②四家に分裂する以前の者(藤原鎌足光明皇后など)、系不詳の者(藤原玄明藤原理忠など)、その他四家のいずれにも属さない者(藤原弟貞など)は、親カテゴリーである「Category:藤原氏」に残してよいか。
③「Category:藤原北家」と「Category:○○家」の中間に位置する「Category:××流」の扱いをどうするか。例えば、甘露寺藤長には現在「Category:藤原氏」「Category:勧修寺流」「Category:甘露寺家」の三つのカテゴリーが貼られており、このうち「Category:甘露寺家」を残し、「Category:藤原氏」は除去するとしても、「Category:勧修寺流」(「Category:甘露寺家」の一階層上のカテゴリー)についてはどうするか。
などといった点があるかと思います。--Andee 2008年5月12日 (月) 16:02 (UTC)

ご意見ありがとうございます。

  • botで作業できない記事は、後で手作業で修正しようと考えております。「Category:藤原北家」については、「Category:藤原氏」の除去をbotで済ませ、残りの「Category:藤原氏」から「Category:藤原北家」の置き換えをbotで行った後、手作業で「Category:藤原北家」の子カテゴリを作成・分類していくという段取りで問題ないでしょう。
  • ①については、botは自分が作業するべき記事を記事の名称で選ぶわけではないので問題ないと思います。記事が子カテゴリに含まれているか、または記事が藤原北家の「系譜」一覧に含まれているかで、作業するべき記事が選択されます。
  • ②については、適切な子カテゴリがない場合は親カテゴリに分類することになっています。それらの記事は子カテゴリに分類されていないはずなので、botで「Category:藤原氏」の除去を行っても「Category:藤原氏」に残ることになります。
  • ③については、botでなく手作業で分類するときの問題かと思います。「子カテゴリのみに分類する」というルールなので、「Category:××流」の記事も子カテゴリを作成・分類することになります。しかし、おそらく「カテゴリの記事は200、または400まで」というルールには違反していないと思われるので、「Category:××流」に残っていても後回しで問題ないでしょう。--伏儀 2008年5月13日 (火) 10:01 (UTC)
「カテゴリの記事は200、または400まで」については一応の目安という位置づけのようで、「ルール」と表現したのは不適切でした。訂正します。--伏儀 2008年5月13日 (火) 13:48 (UTC)
お返事ありがとうございます。概ね了解しました。まずは肥大化している「Category:藤原氏」の整理が最優先事項、と理解しました。藤原北家の「系譜」は全ての対象を網羅できているわけではないので、ここに含まれていない項目で「Category:藤原氏」から「Category:藤原北家」へ移すべき項目を見つけたら、私も順次手作業での修正に参加していこうと思います。
「Category:藤原氏」から「Category:藤原北家」への移動については、前者にある記事の大半が対象になると思われますので、今度は後者について規模的な問題が出てくる可能性もあるかと思います。このため「Category:藤原北家」の子カテゴリの作成・分類作業は必須かつ繁雑なものになるかと思いますが、その作業方法の詳細はまた後日の検討課題ということですかね。--Andee 2008年5月17日 (土) 08:43 (UTC)

私の提案に賛同していただき、また「Category:藤原北家」の手作業の分類も手伝っていただけるそうで、ありがたく思います。1週間待って他の方からご意見がなければ、WP:BOTREQに依頼しようと思います。--伏儀 2008年5月18日 (日) 10:50 (UTC)

WP:BOTREQに依頼しました。--伏儀 2008年5月24日 (土) 08:32 (UTC)

Bot作業が完了しました。「Category:藤原北家」の子カテゴリなどの分類作業に移ろうと思います。作業の疑問点が出たら、「Category:藤原北家」などのノートで検討するという方針で問題ないと思います。--伏儀 2008年5月30日 (金) 09:54 (UTC)

ありがとうございました。非常に見やすくなったと思います。「Category:藤原北家」の子カテゴリの分類作業については、また気付いた点があれば改めてノートで提案させていただきます。--Andee 2008年5月31日 (土) 03:13 (UTC)


旧暦と新暦の変換について 編集

初めまして、ウィキプロジョクト日本史に参加させていただくChinaと申します。人物関係記事で必須となっている生没年月日ですが、旧暦と新暦が併記されているものと、旧暦のみが記載されている記事が混在しています。私は、長保2年(1000年)以降は「こよみのページ」[1]を使用して変換をしています。しかし、長保元年(999年)以前は変換方法を知りません。ご存じの方はここにコメントをお願いします。--China 2008年6月5日 (木) 14:13 (UTC)

年号表記に付いて 編集

初めまして。少し前から疑問に思っているのでここの皆さんのご意見をお聞きしお知恵を拝借したいのですが、記事中の年号表記につき「1922年(大正11年)」式と「大正11年(1922年)」式が混在しています。個人的には世界史との比較のため、また歴史学上の常識、またWikipedia内では西暦なら各個年にリンクしている(1922年とすれば「1922年」という記事に飛ぶが、「大正11年」という記事はない)ということもあり当然前者だと思っているのですが、統一する方法なり何なりはないものなのでしょうか?--プリズム11 2008年6月26日 (木) 16:51 (UTC)

1922年を統一する必要は、果たしてあるのでしょうか。ふたつの方式が混在しているのは確かですが、それだけのことであり、今現在、何らかの不都合があるようには見えません。明治六年以降、元号の一年と西暦の一年は、同じ日から始まり、同じ日に終るのですから。
問題は、明治六年以前でしょう。有名な例をあげます。赤穂浪士事件は、元禄十五年の十二月十五日にありました。これは、西暦にすると1702年のことであると勘違いされがちですが、実は、1703年の一月三十一日にあったことなのです。このとき、元禄十五年は、大体1702年と重なるのだから、と、「1702年(元禄15年)」とするのもおかしいし、あまり一致しないのに、「1703年(元禄15年)」とするのも、また、誤解をまねくもとでしょう。この場合だと、元禄15年(1703年[1])とかして、説明をつけるのが一番ではないか、と。
そもそも、西暦の概念のない時代の出来事なのに、西暦で時期を表すのは、道理に合わないことだと考えています。明治六年以降はどうでもいいですけれど、明治六年より前は、元号を主とした表記に統一すべきではないでしょうか。--Mobnoboka 2008年7月5日 (土) 15:19 (UTC)

徳川治済の嫡男は誰なのか 編集

当方は徳川治済の項目に武士/Templateを一通り付け加えましたが、治済の嫡男が誰なのか微妙なので、今のところどの子息も太字になっていません。嫡男と考えられる子息は家斉、治国、斉敦がいますが、それぞれに矛盾点があります。

  1. 家斉は治済の長男だが、将軍家の養子となって将軍家を継いだので、一橋家の嫡男とは言い難い。
  2. 治国は次男で、家斉が将軍後嗣となったため、一橋家の後嗣となったが、当主となる前に亡くなっている。
  3. その治国が当主を継承する前に亡くなったため、6男の斉敦が一橋家を継いだが、彼は当初から一橋家の嫡男と位置づけられていたわけではなかった。

結局の所誰が治済の嫡男として妥当なのでしょうか。--やりたこ 2008年7月11日 (金) 07:00 (UTC)

時期によって変遷した、というしかないでしょうね。そういう場合にどれを代表として採用するのか、ということになると思いますが、やはり最終的に実際に家督を相続した者を嫡男とすべきではないかと考えます。いかがでしょうか?--Horlicks 2008年7月11日 (金) 10:34 (UTC)
Horlicksさんありがとうございます。斉敦を太字にしておこうと思います。--やりたこ 2008年7月11日 (金) 11:49 (UTC)

Category:日本史から日本の歴史へのカテゴリ移行 編集

Botによる移行作業を予定しています。Wikipedia‐ノート:ウィキプロジェクト 歴史#Category:イギリスの歴史などへのカテゴリ移行をご覧ください。--Triglav 2008年7月17日 (木) 11:32 (UTC)

移行作業を実施しました。--Triglav 2008年7月25日 (金) 23:00 (UTC)

戦国時代の室町幕府に関する記事の横断的テンプレート 編集

お邪魔いたします。

○○政権などかなりの文字数を持った記事がリンクの少なさから埋もれているほか、各将軍がどのような後ろ盾を得て戦国の世を乗り切ろうとしたのかが、なかなか把握しにくいと感じたため、このようなテンプレートを作ってみました。

こんな内容でテンプレートとして作っても大丈夫でしょうか?自分は日本史はほぼ素人なので査読的なものをお願いしたいです。張る記事は各政権、擁立者、被擁立者、関連する政変・戦いなどを予定しています。--R-H 2008年7月20日 (日) 08:06 (UTC)

松平・徳川氏のカテゴリについて 編集

今のところ松平氏や徳川氏の人物にはCategory:松平氏Category:徳川氏がついていますがそれらのカテゴリには以下のような「○○松平氏」や「○○徳川氏」のカテゴリがあります。

これらのカテゴリはページ数が少なく、今のところあまり活用されていません。しかし、これは決して無用ということではなく、肥大化しているCategory:松平氏Category:徳川氏からむしろ張り替える必要があると思います。具体的にはCategory:松平氏は家康以前の宗家当主および家康の傍系の十八松平の人物(十八松平のいずれかの家を養子として継いだ家康の男系子孫(例:松平忠輝)や長沢松平家の養子になった大河内松平家の人物も含むべき)の、Category:徳川氏は将軍家やその妻子、さらには独立したカテゴリをつくる必要のないほど該当項目が少ない駿河徳川家、甲府徳川家、館林徳川家の人物のみを入れ、その他の人物は該当するカテゴリに含めるというふうにすればいいと思います。例えば徳川慶喜の場合、Category:徳川氏Category:一橋徳川氏Category:水戸徳川氏に含めるといった具合です。現在カテゴリのない久松、奥平、戸田、松井、本庄などの松平家については一応保留しておきます。

また、必要に応じてCategory:会津松平氏(保科姓の正之、正頼、正経も含めるべき。また、Category:松平氏だけでなくCategory:保科氏にも含める)など、新たなカテゴリもつくるべきです。 --以上の署名のないコメントは、やりたこ会話投稿記録)さんが 2007年6月14日 (木) 08:04 (UTC) に投稿したものです(やりたこによる付記)。

基本的に賛成しますが、カテゴリの名称は「○○家」に変更しませんか?やりたこさんご自身もかつてそのような発言をされていたようですし。--Nalc 2008年7月26日 (土) 18:38 (UTC)
確かに私は過去にCategory‐ノート:清水徳川氏においてそのような発言をしました。通常記事では「○○家」となっているので、それに合わせるという意味でも変更に賛成です。--やりたこ 2008年7月27日 (日) 01:51 (UTC)

お知らせ:ウィキペディア版公卿補任?作成進行中 編集

IPuser氏により猛烈な勢いで公家の記事が多作されています。--ウィキワッチー 2008年9月8日 (月) 14:43 (UTC)

堂上家一覧のテンプレート 編集

大変申し上げにくいことなのですが、ウィキプロジェクトの参加者の方々に相談せずに堂上家一覧のテンプレートを作成してしまったのですが、どうすればよろしいでしょうか。すでにTemplate名前空間に投稿してしまったのですが、使えそうになければ、削除依頼を提出いたします。テンプレートを作成する前に相談すべきことを知らず、恥ずかしい限りです。--まさふゆ 2008年9月11日 (木) 14:52 (UTC)

安東氏の分割提案について 編集

このたび、Wikipedia:曖昧さ回避が改正され、いわゆる山手線方式が廃止となりましたが、安東氏においてはaimaiテンプレートの貼付こそなかったものの、実質山手線方式の冒頭部を持っておりました。そこで冒頭部のみを新たに「安東氏 (曖昧さ回避)」に分割しようとする提案をノート:安東氏で行っております。御意見をお寄せください。--ろう(Law soma) D C 2008年10月14日 (火) 05:31 (UTC)

1ヶ月ご意見がありませんでしたので分割しました。--ろう(Law soma) D C 2008年11月14日 (金) 06:01 (UTC)


城郭の記事について 編集

今まで城郭関連を何件か新規作成してきて思ったのですが、記事は情報が整理され、沢山あったほうがいいというのはわかるのですが、逆に城郭の記事で最低限この位のサイズ、この位の情報というのはあるのでしょうか。誰かご指南お願いします。。--Eikiti 2009年1月13日 (火) 12:26 (UTC)

Eikitiさん、初めまして。それについては、スタブをつくるときのガイドラインなどが参考になると思います。最低限というよりは、目標のようです。

私は、充分調査されたもので極端に(1,2行ほど)短くなければいいと思います。--ムカイ 2009年1月13日 (火) 15:31 (UTC)

令制国の記事にある現在の記述について 編集

出雲国を編集していて思ったんですが、果たして歴史に関する記事である令制国の記事に現在の様子を記述する必要ってあるんでしょうか?

現在のどの都道府県のどの市町村に相当するのかを書き込むぐらいなら別に問題ないと思うんですが、都市圏だとか鉄道だとかの記述が令制国の記事にあるのは違和感があります。まぁ現在の出雲地方はこういう状態なんだというのを示したいんでしょうが、その令制国の領域を引き継ぐ県の記事に書けばすむことなんじゃないかと思います。

他には石見国伊賀国遠江国でそのようなのを見かけました。こういうのは放っておくべきか、それともさくっと削除するべきか悩みます。--松山の暗黒騎士・暗黒な方です。 2009年2月13日 (金) 03:17 (UTC)

確かにちょっと違うように思います。その都道府県の中で特異な地域として成立しているならば、多摩地域木曽地域のように出雲地方などとして項目を立てれば(分割)いいだけであって、令制国の記事に入れる必要性はないと思います。なお、伊賀国伊賀地方の、遠江国遠江のリダイレクトになっていますので、これらはある意味必然的に記述が為されていると見なすことが出来ますが、同様に分割すべきだと思います。--ろう(Law soma) D C 2009年2月13日 (金) 07:53 (UTC)
分割すべきですか。了解です。4つの記事を分割するのはちょっと大変ですが、依頼を提出してみます。--松山の暗黒騎士・暗黒な方です。 2009年2月13日 (金) 12:38 (UTC)

参加依頼 編集

こんにちは。記事執筆およびノートへの参加依頼として九州征伐をあげます。このページは、もともと10KBにも到達していない小さな記事なうえに、中立性・一般性・不正確性など、さまざまな問題を抱えている記事です。そこでプロジェクトの皆様にお願いしたいのは、ノート:九州征伐への参加です。この議論は8人のユーザーと1人のIPの方のみで編集されています。しかも過去1ヶ月の編集で見ると6人のみの参加となっています。蚯蚓さんが改名提案のコメント依頼にも提出されたのですがあまり集まらなかったようで…私も少数による議論はまずいと思い、このページにてお願いしたいと思いました。ここはこんなことを依頼するところではないとわかっていますが…コメント依頼がだめならここしかないと思いまして…すみません。ただ、依頼によいお返事待ってます。ここへ。--美濃蝮 2009年3月2日 (月) 09:20 (UTC)

下位プロジェクト「戦国」 編集

上のセクションにも書かせていただいたものですが、今度はプロジェクトができたので報告に参りました。日本の戦国時代というものです。参加を待っています。詳しくはこちら。Wikipedia:ウィキプロジェクト 日本の戦国時代。--蚯蚓 2009年3月12日 (木) 11:55 (UTC)

人物記事に本姓や遠祖、「正式な名乗り」の記述がどこまで必要かついて 編集

現在、利用者‐会話:海衛士#北条氏の系譜についてで、[2]の編集のように、北条氏の人物記事に>本姓平氏家系桓武平氏棟梁 鎮守府将軍平貞盛の四世 平直方を祖とする。正式な名乗りは平英時(たいらのひでとき)。という記述が必要か否かについて議論しております。

自分の意見としては北条氏の遠祖については解説が必要であり、誤解を与えるので北条時政など祖にあたる人物以外に入れるべきではなく、また本姓、正式な名乗りなどについても氏族の記事で解説されるべき事で、すべての子孫の記事に必要な情報ではないと思います。よって北条氏の各人物記事の家系については「時の権力者執権北条氏の一族である事」「一族内のどの系統か(政治的地位に関わるので)」までに留め、遠祖についてまで書かない、本姓についてはテンプレートがあれば「氏族」の所に桓武平氏である事を入れるに留める、という事で提案したいと思いますが如何でしょうか。--小者 2009年5月12日 (火) 15:50 (UTC)

非常に単純に、家系については氏族の記事に詳述し、個人の記事からは「関連項目」としてリンクすればよいと思います。家系などは異説が複数存在したりする場合も多いので、個人の記事で別々に扱うより、一箇所でまとめたほうが扱いやすいでしょう。実際、同じ家系の別々の人物記事で、家系に関する記述が矛盾したりするケースも過去にあったような記憶があります。--Horlicks 2009年5月13日 (水) 12:47 (UTC)
Horlicksさんに同意。家系に関する詳述は家系の記事で扱う方がよい。本人が除去した海衛士さんの発言に関しては、百科事典とは学問的な知識を得るためのものであって、高校レベルへの配慮も勿論大事ではあるものの、誤解を招く記述は避けた方がよいことを指摘しておきます。要するに北条氏の本姓が平であることは全ての人物記事に必要ですがテンプレ対応でも可能なものであり、逐一「正式な名乗り」として記述する必要はなく、それは本姓なり北条氏の記事に記述されるべきであろうということです。例えば織田信長の記事に本姓記述はありませんが、織田氏には必要ですし事実記述されています。--ろう(Law soma) D C 2009年5月14日 (木) 02:12 (UTC)--ろう(Law soma) D C 2009年5月15日 (金) 01:59 (UTC)一文撤回。

記載者として一言。本姓や家系そのものを理解するなら重複になる。下手をすると冗長になる。この点は私も同意致します。私が本姓及び家系記載を加筆してきたのは、単純にその人物の氏族や系譜を示すに留まらず、むしろ、人物の官位の任免に関して本姓や自称するところの家系の情報が必要になるケースもあるということを強調しておきます。 例えばです。播磨守護の赤松氏は、事実、村上源氏であるかというと、疑問符がおおいにつけられるわけです。しかし、南北朝期に村上源氏の北畠家と懇意になり、それが赤松家の対朝廷や政治面での活動に影響与えたことはいうまでもない。人物記事への本姓は家系記載はたんなる重複に留まらず、また、その事実その氏族の系譜であるか別にしてたとえ仮冒であっても、朝廷よりその氏族を称することを認められていること自体に一定の意義がある。

北条氏の武将の記事に関しては北条が事実血統において平氏であるかということと、法令上平氏として認められたということ、それはわけて考えなければなりません。「平貞盛の四世 平直方を祖とする」という部分は削除するとしても、本姓と家系としての北条氏と北条氏内の系統(赤橋、普恩寺など)の記載はやはり必要だと思う次第です。 また、事実確認として織田信長に関しては冒頭における本姓記載はないものの、系譜の項目にてそのあたりは解説されております。 また、北条氏の武将はともかくとして、他の武家・氏族も含めた日本の武将の項目一般の記載にも当合意形成が適用されるのはどうでしょうか。場合によりけりですが、本姓家系があって便利なケースはあります。不要論が多いことは謙虚に受け止めつつ、室町・戦国・江戸の人物事典にも本姓や家系記載があるものもあることなども付けくわえてコメントと致します。--海衛士 2009年5月14日 (木) 15:48 (UTC)

小者さんとHorlicksさんに全面同意。shimoxx 2009年5月14日 (木) 15:54 (UTC)

多くのご意見賜りましてありがとうございます。基本的に「氏族の詳細については氏族の記事に書くべき」という方向でご賛同頂けているかと思います。紙媒体の人物事典とちがって、詳しい家系情報が知りたければリンクひとつで詳細な解説を読めるのがWikipediaの利点だと思います。海衛士さんにおかれましては、>本姓は平氏。家系は桓武平氏の棟梁 鎮守府将軍平貞盛の四世 平直方を祖とする。正式な名乗りは平英時(たいらのひでとき)。といった、氏族に関する詳細情報は氏族の記事に書いて頂く事として、各人物記事に入れて回る事はしない。という事でご理解頂けませんでしょうか。--小者 2009年5月14日 (木) 17:42 (UTC)


小者さんの御意見多数ということであれば致し方ないのではないかと思います。但し、。ろう(Law soma)さんも仰せですが、 「北条氏の本姓が平であることは全ての人物記事に必要ですが」という一文があること。そして、出来得るならばいわゆる氏族家系の理解のためという趣旨とは別に、官位除目において武将の氏族の位置づけも必要な場合があることをお汲み取り頂ければより幸いであると考えております。

加えて。確かに氏族のことは氏族に書けばよろしい。それはその通りです。ただ北条氏のように仮冒であるか成否を超えて一貫して平姓を通した場合は別として、奥羽の和賀氏、津軽氏などのように、藤原から源氏、源氏から藤原に改姓をしている一族についてなど一貫していないケースもあります。鎌倉時代の足利義純のように家督相続ではなく名跡継承として畠山家に入っているケース、戦国時代の上杉謙信のように他姓養子による家督相続の場合、人物記事においてそれらを述べるケースもあります。北条のことはともかく、一般ルールとしてすべて例外なく氏族の記載排除というのはそれはそれで如何かと思っております。今回は北条のケースとして合意なされたということでよろしいでしょうか。--海衛士 2009年5月14日 (木) 23:53 (UTC)

信長記事の件は撤回します。ところで、海衛士さんは接続詞「が」の意味をお分かりなのでしょうか?結論が前置きと反対となる場合に「が」を用います。海衛士さんのおっしゃる長尾景虎のように当該人物が明確に本姓を変更している事例の場合は「例外」として人物記事での言及もいいと思いますが、基本的には北条に限定せずに一般ルールでいいと思います。--ろう(Law soma) D C 2009年5月15日 (金) 01:59 (UTC)

では、言及の必要性がある特殊なケースを除いて、基本的に氏族についての詳細は氏族の記事に書き、人物記事においては、遠祖からの家系の列記や本姓は○○、正式な名乗りは○○○。といった記述は行わない。という方向でご了解いただけますでしょうか?--小者 2009年5月15日 (金) 11:24 (UTC)

小者さんへ 手続き上の合意形成だとするならば、いうまでもなく私はそれに従いたいと思います。 ただ、素朴な疑問として、桓武平氏云々、家祖が誰云々はともかく、北条氏であれば赤橋流や金沢流といった人物の属する系統があるかと思うのですが、それも記載しないということなのでしょうか。また、例外とするケースの判断は、必要性の有無をケースで判断することいことでいいのか。--海衛士 2009年5月15日 (金) 12:11 (UTC)

どの記事が例外になるかはその記事ごとに判断すればよいと思います。赤橋流や金沢流は「遠祖」ではありませんよね?確認させて頂きたいのは、海衛士さんが今まで行ってこられた、あらゆる人物記事に「本姓は○○。遠祖の列記。正式な名乗りは○○。」と入れて回る事は今後止めて頂きたいという事なのですが、それについてはご了解頂けますか?--小者 2009年5月15日 (金) 14:07 (UTC)

訂正。何度も合意に従う旨は申し上げているつもりですが、文章がお若いのか。こちらが悪いことしている気が。事実、そうなならお詫びしなければなりませんが。 ちなみにルール化されれば従うまで。今回は人物記事において血筋や系譜上のことについては基本的に氏族の記事にということで、人物記事には遠祖は書かないということですよね。 独り言というか意見としては「本姓は○○。遠祖の列記。正式な名乗りは○○。」のうち、本姓の部分は人物辞典でもきちんとした専門書なら記載があるので必要だと思っていますが。--海衛士 2009年5月15日 (金) 15:06 (UTC)

ご了承いただきありがとうございます。言い方がくどくなって申し訳ありません。>海衛士さん。
今回は人物記事において血筋や系譜上のことについては基本的に氏族の記事にということで、人物記事には遠祖は書かないということですよね。
はい、それでよろしいかと思います。この海衛士さんのまとめをもって結論としたいと思います。ご協力いただきました皆様もありがとうございました。--小者 2009年5月15日 (金) 15:20 (UTC)

例外とするケース、概ねこうだと思います。 ①出身氏族の記事が立てられていないもののそせんの系譜が明らかなケース、②異姓(他姓)養子があったケース、③同一家系の中で、とある一家のみが改姓したケース(ほとんど一族は藤原を称しているのに特定の一家が平姓を称した…)、④特定の姓・家系に生まれたことが人生を左右しているケース(ここは判断が難しいですが)。 実は時代が下るほど、①~③てあるのです。どこの武将家も北条氏のように有名とは限りません。ちょっと歴史に詳しければ北条氏は平姓で、仮冒説もあるということは知っていたり、調べたりできますよね。でも、有名でないケースの場合、北条氏と同列に扱う訳にはいかなかったりする。その辺如何なのでしょうか。・・・とお聞きしたかったけどもうおられないかな。いやに性急な議論で中身が正確に共有できたのか。釈然としない。--海衛士 2009年5月15日 (金) 15:47 (UTC)

一つ上の海衛士さんのご意見は、海衛士さん個人の考えをただ単に書いただけであって、何らかの合意形成を目的としたものではないですよね?釈然としなくても黙って引き下がるべきときは引き下がりましょう。それが大人ってもんですよ。--shimoxx 2009年5月15日 (金) 16:04 (UTC)
意見を述べようとしていたら、小者さんが結論を出してしまったようですが、私が初版を投稿した仁木頼章の項目を海衛士さんが加筆された時から気になっていたことなので。加筆して頂いてこのようなことは申し上げにくいですが、基本的に本姓や遠祖、「正式な名乗り」は書かなくても良いと思います。既に書かれてあるものを除去するまでのこともないと思いますが。普段、公家の記事の編集をしていて思いつく異姓養子の例(皇族が臣籍降下して臣下の養子になった例も含めて)に徳大寺公維(村上源氏久我家から閑院流藤原氏徳大寺家への養子)、久我晴通(藤原五摂家近衛家から村上源氏久我家への養子)、近衛信尋(天皇家から近衛家への養子)、一条昭良(天皇家から藤原五摂家一条家への養子)、鷹司輔平閑院宮家から藤原五摂家鷹司家への養子)がありますが、本姓や遠祖、「正式な名乗り」は記載されていません。なお、『姓氏家系大辞典』の第1巻の「皇室御系図」を見ると「藤原朝臣信尋」や「藤原朝臣輔平」といった表記がありますが、これらは臣籍降下して臣下の養子となり皇室の実系系図から離れたということを明確にするためのものと思われます。やはり、よほど特殊な例以外は本姓などの記載は不要と考えます。--まさふゆ 2009年5月15日 (金) 16:52 (UTC) 下線部追加--まさふゆ 2009年5月16日 (土) 13:18 (UTC)

議論をかき回すようですまないんですけど、「正式な名乗りは○○」ってどうしても書きたいんだったら、「正式な名乗りは○○」って書いてある出典を示して書けばいいんじゃないですか。海衛士さんが書いてる「正式な名乗りは○○」って記述は、正式な名乗りをした論拠のない、単なる独自研究に陥ってしまっていませんか? 実際、「本姓の部分は人物辞典でもきちんとした専門書なら記載がある」とおっしゃってますが正式な名乗りの論拠は示していらっしゃらないですよね。--彩華1226 2009年5月15日 (金) 20:18 (UTC)

私も同感です。「正式な名乗り」と言っても、「本姓+諱」という形式は朝廷から官職を与えられる時などごく限られた場合に、しかも自分から「名乗る」ものでなく朝廷から附けられる名前であって、本人にとって「正式」なのかどうかとは別問題かと。特に武家の場合、幕府の文書等ではむしろ「名字+官職ないし通称」の方こそ「正式な名乗り」として扱われていることが多いように思えます。本人の自署なり人物事典・研究書の引用などの確かな出典があれば附け足してもOKかと思いますが、そうでなければ独自研究とのツッコミを受けることもあろうかと思います。--トホホ川 2009年5月15日 (金) 22:37 (UTC)
失礼します。彩華1226さん、トホホ川さんのおっしゃることは道理にかなったことではありますが、だからといって出典さえあれば「正式な名乗り」や「系図」を延々と書き並べてもいいのかというと、それは違うと思います。出典が出せないのは論外として、たとえ出典があっても過剰なまでの血統や本姓の説明が羅列的に書かれているのは記事を読みにくくするだけだ、というのが論点じゃないかと私は思うのですが(念のため、両氏の論旨が「出典さえあれば何でも書いていい」ということではないことは承知しています)。プロジェクトに参加してない身で差し出がましいことを言いますと、小者さん他の方々のご意見に私も賛成です。--Arawodas 2009年5月16日 (土) 02:23 (UTC)

ポイントがずれてきている気がしますが、「本姓は○○」というのは、ある氏族に関する情報なのですから、氏族の記事に書くのが妥当では、という話です。「個人の本姓」ではなく「氏族の本姓」なのですから。 なので、ある個人Aが氏族Bに属し、その氏族の本姓がCなら、個人Aの記事にはその個人が氏族Bの出身であることを記述し、氏族Bの記事には本姓がCであることを記述する、というのが最も合理的だと思います。--Horlicks 2009年5月16日 (土) 02:58 (UTC)

少し説明を補足します。たとえば「イチロー」の記事に「所属チームはシアトルマリナーズ。」まではいいのですが「本拠地球場はセイフコフィールド。本拠地はシアトル。監督は~」というように所属チームの情報を記述するのはおかしいですよね、ということです。これらは「シアトルマリナーズ」の記事に書かれるべきことです。これは読者もそうであることを期待して読んでいるはずという観点からもそうですよね?--Horlicks 2009年5月16日 (土) 03:03 (UTC)
Horlicksさんに同意。佐竹氏のように異姓養子が行われた結果、後世に多大な影響を与えたというケースもあるが、それでも本姓などを人物の記事に書く意義は小さいと思います。本姓などの情報は氏族の記事に書いておけば十分でしょう。蛇足ながら、系譜というものは血統上正しいかどうかはあまり重要ではなく、朝廷その他から系譜の正統性を認められたということに意義があると思われます。特に武家の場合は時代が下るほどその傾向が強くなると言えるのではないでしょうか。その意味でも人物記事において本当の血統や本姓にこだわりすぎるのもどうかなと思います。--まさふゆ 2009年5月16日 (土) 13:18 (UTC)


  • 故城一片之月ともうします。議論に直接参加してないのですが、私も日本史記事で人物伝を投稿していますので、この議論の合意の確定事項を知りたくやって来ました(参加者の皆様では決着してるのかもしれませんが)。もう最後のコメントから4ヶ月が経ちますので、ここでまとめをさせて下さい。

北条氏の人物記事に>本姓は平氏。家系は桓武平氏の棟梁 鎮守府将軍平貞盛の四世 平直方を祖とする。正式な名乗りは平英時(たいらのひでとき)。という記述が必要か否かについて

  1. 本姓は氏族の記事に記述し、人物伝個別の頁には記載しない。
  2. 原則的に人物伝個別の頁に本姓記載しないが、例外ケース①・②・③・④(海衛士さんの上記コメント(2009年5月15日 (金) 15:47 (UTC)))では本姓記述を認める
  3. 本姓記載の出典が明示できれば個別人物伝頁に記載は可能である。

☆上記のように原提案に同意が多くかつ積極的な異論もないので、 1の「本姓は氏族の記事に記述し、人物伝個別の頁には記載しない」 をこの議論の合意事項と見てもよろしいですか?

  • なお、これを合意とされた場合は北条氏以外の日本史の人物伝記事に関して、水平展開してよいと思われますがいかがでしょうか、これについて別途に議論の節を立てますか?あと、海衛士さんのいう例外ケース①・②・③・④については記事の冒頭部(定義部)ではなく、個別記事の内容中に、例えば必要に応じて改姓した事実を述べればよいと思いますが。--故城一片之月 2009年9月12日 (土) 14:22 (UTC)
最近この議論を拝見しました。わたしは海衛士さんの現行の記述に賛成します。私は主に琉球の歴史を執筆していますが、琉球には唐名と大和名があり、こららを構成する姓、元祖、系祖、家名、称号、名乗りといった情報は非常に重要で、記事中に記述されていれば大変便利ですし、記述がなく自分で調べたり、別記事にリンクをたどるなると面倒になってきます(詳しくは沖縄県の名字を参照)。海衛士さんの記述は自分で調べろとなると大変煩わしい系図、家系の記述を調べて書いて下さっているのですから、非常にありがたく参考になります。従って、現状維持でいいと思います。--尚玉 2009年9月16日 (水) 06:01 (UTC)
議論の経緯を再度読み直していただきたいのですが、そのような記述を削除すべきという話をしているわけではなく、そのような記述は該当する氏族記事に記述することを基本とする、という話です。内容を記述することじたいの是非を論じているわけではありませんので、「必要だから記述すべき」というご意見は議論の対象から的が外れてしまっています。必要だから記述すべきという場合は氏族記事に記述されればよいかと思います。そうではなくて「あえて個人の人物記事に記述すべき」とされる理由が別におありでしたら、そのようなご説明をいただきたくお願いいたします。
ただ、個人の記事への記述を原則とすると、たとえば「伊藤博文」とか「鳩山由紀夫」という記事に本姓はとか正式な名乗りはとか書けるのか、という問題もありますので、そういうことも考慮した議論が必要になってくると思います。--Horlicks 2009年9月16日 (水) 08:56 (UTC)
「該当する氏族記事」となると、例えば北条長時の場合、平氏桓武平氏北条氏北条氏 (極楽寺流)と分かれてきますが、個別にこれらの記事を一つ一つたどるのは大変ですし、たどり方を間違えると遡れなくなってしまう恐れがあります。ですので、人物記事に系譜が書いてあってもいいと思いますし、あればそちらのほうが断然便利です。もちろん興味のない方には煩わしく感じられる場合もあるでしょうから、例えば見出しの部分ではなく本文や概要の冒頭に記すとか、記述する節を話し合うのはいいと思いますが、「氏族記事」で代用できるという主張には賛成しかねます。系譜は沖縄学でも非常に重要ですが、時々研究者によって系譜を省略したり、よく知らないで書いたりすると、こちらが『県姓家系大辞典』などで一々調べるはめになり大変面倒です。その面倒な事柄をわざわざ調べて記事に書いてくれているわけですから、書かないほうのメリットが思い浮かびません。--尚玉 2009年9月16日 (水) 10:51 (UTC)
お話が噛み合ってない印象です。Horlicksさんはあえて本姓(元祖・発祥など含め)を記載する必要の無いときは省略して、リンクさせた該当氏族ページの参照で本姓(元祖・発祥など含め)情報に繋げば良いと言うお話だと思います。逆に本姓(元祖・発祥など含め)情報の記述必須な人物記事に既に記述したものを削除すべきとか書くなと言ってるわけではなく、必要に応じてという意味だと思いますが?北条長時の例では、凡例Boxに系統も「赤橋長時」という別称も記述されており、その一方、本姓(元祖・発祥など含め)情報に関する冗長な記述は存在せず、私は問題ないと思われます。小者さんの本議題は「家系は桓武平氏の棟梁 鎮守府将軍平貞盛の四世 平直方を祖とする……である。」といった、なにか講談風な冗長な記述はやめて簡素化しましょうということではないでしょうか?--故城一片之月 2009年9月16日 (水) 11:59 (UTC)
「『氏族記事』で代用」とは申しておりません。氏族についての記述は氏族の記事にすべき、と申し上げています。上に野球の例を挙げましたが、尚玉さんのご意見をそれにあてはめると、「イチローの記事にシアトル・マリナーズの本拠地や球場に関する記述があったほうが便利だし、いちいちリンクをたどるのは不便です」ということになりますが、それが便利かどうか、ということと、そこに記述するのが妥当であるか、という話は別だと思います。本姓などの情報は氏族に属する情報であって個人に属する情報ではありませんので、個人の記事に記述するのは適切ではなく、氏族の記事に記述するのが適切、ということです。また、話がいつのまにか「系譜」の話にすり替わっていますが、そもそも系譜を記載するかどうかという話ではありませんので、そのへんは再確認をお願いいたします。
また、上記で近代以後の人物記事についても問題提起しておりますが、そのへんもあらためてご考慮願いたく思います。--Horlicks 2009年9月17日 (木) 08:49 (UTC)
レスありがとうございます。少し階層が複雑になってきたので、下でまとめて投稿します。--尚玉 2009年9月18日 (金) 04:16 (UTC)

大族や、中央の貴族・武士は、上記で賛成します。

しかし、地方史・郷土史上のみに登場する人物の場合は、その氏族の記事が存在しなかったり、あっても成長が見込めないものが、多々あります。そのような場合は、上記のルールに反対します。--今泉総一郎 2009年9月13日 (日) 18:43 (UTC)

どうでしょう?それはまた別の問題になるような気がします。つまり、「特筆性」の問題になりませんか?氏族記事が単独記事として成立しない程度の特筆性であれば、その氏族の本姓について記述する必要性はほとんどないようにも思います。甲子園にも出場していない地元高校の補欠選手についてその成績を記述する必要がないのと同じように、です。--Horlicks 2009年9月14日 (月) 11:17 (UTC)
たとえば私の専門の沖縄学の場合、琉球士族の氏族記事というのはほとんどありません。せいぜい第二尚氏とその周辺くらいです。日本史でもマイナーな公家や地方の藩の家老とか藩士などは、氏族記事の発展が望めない例は多々あると思います。--尚玉 2009年9月16日 (水) 11:03 (UTC)
私も琉球士族の唐名・大和名・名乗についても大いに関心があり、個人的に以前から興味を持っていますが、それはさておき、正直個々の人物記事に対して本姓や元祖や発祥を加筆する必要性があるとは到底思えません(ましてそれを日本史全体に敷衍することも)。もちろん、その姓(一族)に関する記事が今現在Wikipedia:JA内に存在していない場合、詳細説明を付記することについて妨げるつもりは毛頭ありませんが、すでに姓なり一族の記事があるにも関わらず、個別の人物記事にまで一つ一つほぼ同じ記述を書くほどの情報とは思えません。個人的な印象では尚玉さんの仰るマイナーな公家や地方の藩士についても十分な記事は揃っている印象があります。琉球士族についても、個別の人物記事に書くよりは、氏族記事にまとめた方が、むしろ可読性は高まると思います。--トホホ川 2009年9月16日 (水) 12:34 (UTC)
 上記で、故城一片之月氏が、述べられているように、(1)講談風な冗長な記述はやめて簡素化する。(2)なるべく本姓や氏族は、リンクを活用する。それでは対応できない地方氏族や、琉球貴族及び士族・諸藩の家老・重臣・旧家(郷士)などについては、(1)(2)を前提に、ウィキペディアで定めた出典と特筆性がある限り、これを排除せずケースバイ・ケースで対応するということにすれば、議論がかみ合うので、提案させて頂きます。--今泉総一郎 2009年9月16日 (水) 20:21 (UTC)
今泉さんの上の御意見は一番最初の小者さんの本提案に同じ意味だと思うので、ご提案というよりも小者さんに同意ということですよね?それと、今泉さんもWikipedia:ウィキプロジェクト 日本史#参加者に御署名なさることをお勧めします。--故城一片之月 2009年9月17日 (木) 11:12 (UTC)
よく考えたら私もプロジェクトに署名していないのに、いろいろと偉そうなことを書き連ねていました。すみません。遅まきながら署名してまいりました。--トホホ川 2009年9月17日 (木) 14:55 (UTC)
今泉さんの提案でしたら、問題ありません。私としてはせっかく系譜を調べて書いて下さったのに、それをわざわざ削除して氏族記事に記述を一括するという提案に受け取りました。ただ「何が冗長か」というのは、主観的な印象の要素も含みますから、一律に規定するのは難しい気がします。冒頭の例でいうと、「鎮守府将軍」などは省いていいと思いますが、例えば「(北条英時の)家系は桓武平氏の支流北条氏の一門、赤橋流北条氏。」くらいの記述はあっていいと思います。あと、琉球士族の例ですが、琉球には厳密な意味での名字は存在しません。名島という領地名が名字に相当しますが、領地替えによってこれは変わりますし、親子、兄弟でもばらばらという例は珍しくありません。日本でも庶家の場合や分家独立などで名字が変わりますが、琉球の場合はその頻度が著しく、姓や何世からの支流を記載しないと訳が分からなくなります。ですので、氏族記事で代用するのはかなり困難だと思います。--尚玉 2009年9月18日 (金) 04:30 (UTC)
「系統」はOK、「遠祖」・「本姓」は省略。小者さんの、既出 2009年5月15日 (金) 14:07 (UTC)のコメントを参照ください。また、私は琉球時代の沖縄の歴史人物については、日本内地とは異なる王朝・文化だったのですから、ja-Wikipediaの琉球関係の歴史記事では個別議論としてローカル・ルールを合意して頂ければ、それに委ねたいと思います(既に合意が形成されていれば、ここではそれを尊重します)。もう、ここも議論が長いので、琉球関係の人物記事の議論は別途たててはいかがでしょうか?--故城一片之月 2009年9月18日 (金) 09:44 (UTC)
(追加)Wikipedia‐ノート:スタイルマニュアル (人物伝)#琉球の人名、年号の表記における議論とその合意が尊重されるべきと思います。--故城一片之月 2009年9月18日 (金) 10:15 (UTC)
上の議論は読みましたが、遠祖というのは具体的にどのレベルをいうのでしょうか? あと北条氏のような歴代当主の記事が充実している氏族はいいでしょうが、一代かぎりで活躍した武将や藩士など、氏族記事の充実が望めない人物は本姓や遠祖の記述があっていいと思います。--尚玉 2009年9月18日 (金) 22:28 (UTC)
それぞれの人物は特有の歴史背景を持つと考えられるので、ここは単純に遠祖の、どのレベルかを特定するのではなく、氏族ページで記述できる事項は省略するという意味でしょう。例えば、徳川家康新田氏世良田氏系(真偽は別として)とされるとしても、「遠祖は新田義重で義重~代の裔孫」とか「得川義季世良田頼氏の何代目の裔孫」とかを徳川氏の各個別人物記事の名乗りにはいちいち記述するに及ばずという意味でしょう。それらは徳川氏の氏族ページで代表記述をすれば済むことだからです(繰り返しで恐縮ですが)。初代・家康は藤原氏清和源氏など称・改姓についての歴史事実があるので、この様な節目の人物はその記事本文に一項目を設けて記述すればよい(そうなってると思いますが)のです。原則論ですから全ての例外事例を網羅できる訳ではありません。特筆性を満たす人物でも関連する氏族記事の充実が見込めない場合はこの限りに含めず、個別の常識的判断または個別の合議でよいのでは。--故城一片之月 2009年9月19日 (土) 00:24 (UTC)

いったんインデント戻します。 「どうやったら、どこに記述できるか」という方向から考えたらおかしなことになります。氏族の中で有名な人物が一人しかいない場合でも、氏族として特筆性があれば氏族記事として成立し得ます。例としては皆川広照くらいしか有名人を出していない皆川氏などがあります。 単独記事が成立しないような氏族(たとえば福沢諭吉を出した福沢氏など)は、氏族としてその遠祖や始祖、本姓といったことも特筆性がないと判断して差し支えないでしょう。 福沢氏そのものに特筆性がないのであれば、福沢諭吉個人の記事に本姓や遠祖を書く必要も同様にないだろう、ということです。 また、徳川家康の記事に遠祖や本姓を書くなら、当然、徳川秀忠にも徳川家光にも徳川光圀にも徳川斉昭にも同じことを記述する必要があることになり、まったく収拾がつかないと思います。そのうちの一部だけだれかが更新したら、他のものと整合性も取れません。そんな記事間の整合性を常時監視しているような暇な人もいないでしょう。

何度も繰り返しになりますが、ある氏族の本姓や遠祖がだれであるかをWikipediaのどこかに記述する必要性を熱弁されても、それを個人記事に記述すべき、という根拠にはなりませんので、そういう方向の議論はやめたほうがいいと思います。 氏族に関する情報は氏族記事に、という、きわめて単純なことを一貫して申し上げているだけですので、「それでも個人の記事に書きたいのだから書ける道を開くべき」というような強引な展開はあまり好ましくないと思いますよ。--Horlicks 2009年9月19日 (土) 12:27 (UTC)

それではHorlicksさんにお尋ねいたします。徳川家康#征夷大将軍の節の本文を御覧になって、どの様に感じられますでしょうか?あるいは為すべきでしょうか?ご教示下さい。--故城一片之月 2009年9月19日 (土) 16:37 (UTC)
特に問題ないと思いますよ。その部分は「徳川家康の祖先はだれか」とか「家康の本姓は何か」ということを記述するための項目ではなく、家康の将軍宣下に至る経緯や背景についての説明ですので、その説明に必要なことが書かれているだけで、何の問題もないと思います。そもそもこの議論のスタートはその部分のようなケースの話ではありません。「徳川家康は~~。本姓は源氏。正式な名乗りは源家康」というような記述を、ほとんどすべての中世・近世人名に手当たりしだいに追加している編集についての議論でした。当然、そういう編集を念頭において議論しているわけです。途中で何度も「違う話になっている」と軌道修正をお願いしていますが、みなさん目前の話に視点が移ってしまっていて、そもそもの話がわからなくなっているように見えました。--Horlicks 2009年9月19日 (土) 17:41 (UTC)
御意見ありがとうございます。この家康自身の事績の中で称姓・改姓の出来事のような記事が生じるのは問題ない筈だと私も思うのですが、「名乗り」に関して遠祖・本姓の情報付加は必要ないとの見解は私も全く同意見なのです。どうも、これまでの議論の中で、「名乗り」に関する取扱いと、「個人の事績」に関する取扱いを混同している人がいるので、「個人の事績」が改姓等に関わる場合は、その記述項目の中で述べれば良いと私は言ったつもりであって、「名乗り」に本姓・遠祖を書き込むの為の抜け道を強引に開こうというつもりは毛頭ないのです。その点、御理解ください。
海衛士さんのいう、例外①・②・③・④のうち、①は該当氏族ペ-ジを新規作成してこれに記述すればよく、②〜④はいずれも該当人物の個人事績として記述すべきもので、問題はクリアされる筈と思う次第です。
また、琉球の場合は別に議論の場が存在し、水野白楓さんあたりも「日本本土と同一基準をそのまま適用するのは問題がある」との意見をだしており、そもそも尚玉さんがそちらの議論とは別に、琉球関係の事例をここに持ち込む事はすべきではないのではと思うのです。--故城一片之月 2009年9月19日 (土) 19:04 (UTC)

メインページ「今日は何の日」における旧暦併記について 編集

ウィキプロジェクト日本史のみなさま、こんばんは。ととりんと申します。現在メインページの「今日は何の日」で、日本史項目へ旧暦を併記することについてご意見を募集しております。関心をお持ちの方はTemplate‐ノート:今日は何の日#日本史項目の旧暦併記について。をご覧下さい。--ととりん 2009年6月3日 (水) 11:31 (UTC)

渡来人関係 編集

ウィキプロジェクト日本史のみなさま、はじめまして。主に川勝氏などを編集していますDRKAWAと申します。もともと理科系の人間で、日本史は不得意です。川勝氏から秦氏秦河勝などにリンクがあります。その渡来人関係(弓月君東漢氏も含む)のページで強引な編集をする方がおり、それらのページは現在、半保護となっております。全保護依頼を提出しましたが、議論不十分ということで半保護となりました。ノートで誠実に議論を行うつもりですが、日本史の知識が乏しいため不安です。何らかのアドバイスを戴ける方、ノートの議論に参加いただける方、それから編集に参加していただける方(出典不備な記事多し)、いらっしゃられましたら幸甚です。何卒、よろしくお願いします。

--DRKAWA 2009年6月15日 (月) 14:08 (UTC)

とりあえず7月まで半保護で何か不都合がありますか?当面、貴方は編集でき、IP氏は編集不可能な筈です。その相手には「出典を明記していない記述であっても一方的に除去せず出典を求める方が摩擦を生みませんよ」ということを告げ、書記の記述、以前からある説、有力説などを併記する方向に持って行ければ解決しそうですが。相手の文章を活かして従来の記述も併記しておいてから、説の軽重を論じればいいように思います。相手も出典付きの記載をしていますし、悪戯荒らしではなさそうですので。--ろう(Law soma) D C 2009年6月15日 (月) 23:48 (UTC)
ろうさん、アドバイスありがとうございます。相手がIPユーザーの方だけならいいんですが、東漢氏の履歴から分かるとおり登録ユーザーの方もおります。他のページで議論を拒否して編集を強行し、投稿ブロック(3RRによる)を最近受けた方です。この方も議論に参加してくれればいいんですが‥‥。何だか心配です。--DRKAWA 2009年6月16日 (火) 04:42 (UTC)
私が見た限りでは、除去されている文章の出典が不明確であったりしていますし、除去する側にも理があるみたいです。要は出典のない記事は除去してもいいという極端な方に対して、公式方針であるWikipedia:検証可能性にあるように『信頼できる情報源を欠く編集は、除去されるのもやむを得ません。しかし、もしも出典を示す機会を与えずに記述を除去すると、異議を唱える人がいるかもしれません。情報源を欠く記述について情報源の明示を求める場合、その記述をノートページに移動するとよいでしょう。』ということを示せばいいのです。それでも聞く耳を持たない方は、対話拒否としてコメント依頼からブロック依頼を経てブロックされる可能性があります。同一性が困難なIPの方よりも登録ユーザの方が対応しやすいのではないでしょうか。--ろう(Law soma) D C 2009年6月16日 (火) 05:43 (UTC)
ろうさん、懇切丁寧なアドバイスに感謝します。誠実に議論を行ってまいりたいと存じます。それから、わたしの能力不足のために、ウィキペディアプロジェクト日本史の諸兄に再度お願いします。渡来人関係の編集と議論に是非参加してください。何卒、よろしくお願いします。--DRKAWA 2009年6月16日 (火) 06:46 (UTC)

「騎馬民族征服王朝説」にて議論参加のお願い 編集

騎馬民族征服王朝説にて、この説に反対する研究者の仮説・議論が記事から除去されています。しかし、除去した利用者は、「事典が中立的だ」として反対説を扱っていない事典があることを除去の理由としたり、研究者の反対説を「いたずらに「伝説」だの「ロマン」だのを持ち出すのは、学説を中傷することが目的」であると断じたりなどしておられます。2007年からこの状態が続いており、今後の編集方針について合意形成できる見込みがありません。議論に参加し助言をいただけないでしょうか。よろしくお願いいたします。--伏儀 2009年6月19日 (金) 11:41 (UTC)

Template:令制国一覧に掲載する「律令体制以前」の内容について 編集

Template:令制国一覧の記載に疑問がありましたので、Template‐ノート:令制国一覧に提議し、2009年6月23日 (火) 02:31(UTC)差分の編集で一旦除去しています。主題は、Template:令制国一覧に律令体制以前の国名を掲載する必要があるのか、必要性がある場合その範囲はどうあるべきか、です。議論への参加をお願いします。--ろう(Law soma) D C 2009年6月23日 (火) 02:41 (UTC)

(報告)律令体制以前の国名は掲載しないということでまとまり、テンプレートを変更しました。--Kinori 2009年9月12日 (土) 00:11 (UTC)

おしらせ。閔妃の編集について 編集

閔妃#関連の話題に2009年8月24日の報道ステーション特集について、ノート:閔妃#8月24日報道ステーションの記述についてで、どのように記述するか議論が行われています。多くの方の議論参加が望ましい問題のように思いますのでお知らせいたします。--政治野球マニア 2009年8月30日 (日) 08:47 (UTC)

陸奥・出羽関連カテゴリの再編成提案のお知らせ 編集

Category:陸奥国Category:出羽国と、分割後のCategory:陸中国Category:羽前国などのカテゴリに関し、Category‐ノート:陸奥国で再編成の提案を行いました。近世以前も陸中国・羽前国などでカバーする現状を改め、陸奥国・出羽国に移そうというものです。多くのカテゴリ・記事に関わることですので、関心のある方はCategory‐ノート:陸奥国での議論参加をお願いします。--Kinori 2009年9月7日 (月) 08:27 (UTC)

議論のまとめと同意欄の設定の御提案 編集

皆様、最近参加署名させていただいた、故城一片之月です。今後、お話合いにも参加できたらなと思いますが、よろしく御願いいたします。 さて、早速ですが、いろいろ、提案・議論がされておりますが、少し御願いがございます。

  • 提案・議論の各節において、話合いが成熟してきたものについては大変お手数ですが簡単なまとめ(中間まとめも含め)を、各節(各テーマ)ごとの末尾に提示されることを望みます。
  • まとめの為された場合はその下には、そのまとめに対するプロジェクト参加者の同意欄を設けてはいかがでしょうか。
  • 同意欄は単に同意の表明(賛否でもよいですが)のみとし、もし不同意(反対)表明が多い場合には当該まとめ内容の実施を保留とし、あらたに議論を進めるようにしてはいかがでしょう。

せっかくの議論の成果がプロジェクトメンバーで共有されたほうが、より効率的かと思いますし、議論に直接参加してなかったプロジェクトメンバーも、「まとめ」を見て同意(または賛否)の意志表明での参加が可能となると思われます。ご検討のほどを。--故城一片之月 2009年9月10日 (木) 16:38 (UTC)

まとめには賛成です。良いことですので、自分でもぜひ習慣づけたいです。しかしWikipedia:投票の指針にあるように、できるだけ投票を使わずに合意形成をはかるのがウィキペディアのやり方となっているので、同意欄は必要ないと思います。結果の周知や参加の徹底も良いことには違いないですが、私は、議論が短くすむならそれに越したことはないとも思います。特に、いったんしんどい議論を経てまとまったのに投票で延長、ということがあるとつらいです。--Kinori 2009年9月12日 (土) 00:09 (UTC)
Kinoriさん、有り難うございます。そうですね、Wikipedia:投票の指針に準拠した方がよいですね。--故城一片之月 2009年9月12日 (土) 14:41 (UTC)

栃木県矢板市の城郭記事群への議論参加のお願い 編集

現在、矢板市の城郭記事(山田城堀江山城御前原城境林城幸岡城沢村城)および城主の塩谷氏の記事にて同一編集者と出典に記載してあるのないのかを巡って編集合戦のようになってしまっています。要出典をめぐり既存の参考資料リストにあると主張される方と、提示の文献を参照したが見えないとしてより詳しい情報求める依頼者との間で、上記の記事群で同じ論争になっています。2人しかいないためか対話が不調であり、相手の方が依頼者を要出典を貼り付ける荒らしと認識している感もあるため、城郭関係やこの地域の地方史・出典の出し方に詳しい方の議論参加をお願いします。ノート:山田城ノート:堀江山城ノート:御前原城ノート:境林城ノート:幸岡城ノート:沢村城ノート:塩谷氏で各記事の内容への問題提起を行いましたが、とりあえず対話が一番進んでいるノート:堀江山城への参加をお願いします。--KurmUmy 2009年9月13日 (日) 08:35 (UTC)

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