ヘルマン3世 (ライン宮中伯)

ヘルマン3世(Hermann III.)またはヘルマン・フォン・シュターレック(Hermann von Stahleck、? - 1156年9月20日)は、ライン宮中伯(在位:1142年 - 1156年)。

ヘルマン3世
Hermann III.
ライン宮中伯
在位 1142年 - 1156年

称号 ビルトハウゼン伯
ラインの伯
死去 1156年9月20日
埋葬 エーブラハ修道院 → ビルトハウゼン修道院
配偶者 ゲルトルート・フォン・シュヴァーベン
家名 シュターレック家
父親 ゴズヴィン・フォン・シュターレック
母親 ルイトガルト・フォン・ヘンゲバッハ
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シュターレック城、現在はユースホステルとなっている。

生涯編集

ヘルマンはゴズヴィン・フォン・シュターレックとルイトガルト・フォン・ヘンゲバッハとの間の唯一の息子である。母ルイトガルトはハインリヒ1世・フォン・カッツェンエルンボーゲンの寡婦で、ヘルマンの異父兄にハインリヒ2世・フォン・カッツェンエルンボーゲンがおり、ハインリヒ2世は1138年にローマ王コンラート3世から伯位を与えられた。ヘルマンはシュヴァーベン大公フリードリヒ1世の娘ゲルトルートと結婚し、コンラート3世の義兄弟および皇帝フリードリヒ1世の義理の叔父となった。

ヘルマンは父よりビルトハウゼン伯(現在のミュンナーシュタット区マリア・ビルトハウゼン)およびラインの伯(バッハラッハ近くのシュターレック城)として東フランケンの領地と地位を相続した。また、1142年もしくは1143年に、バーベンベルク家のライン宮中伯ハインリヒ2世がオーストリア辺境伯位を得た後に、義兄弟であるコンラート3世によりライン宮中伯とされた。ハインリヒ2世の前任者の親族、特にザルム伯オットー1世(アルデンヌ家)からの主張を抑えての就任であった。

1147年から1148年までヘルマンはヴェンド十字軍に参加した。

マインツ大司教との確執により2度にわたり破門の宣告を受けた。フリードリヒ1世は「犬運び」の不名誉な罰を与えたが、両者の関係は変わらずヘルマンは最期までフリードリヒ1世に仕えた。

ヘルマンは最初エーブラハ修道院に葬られたが、エーブラハの娘修道院でありヘルマンが創設したシトー会のビルトハウゼン修道院が完成した後にこちらに改葬された。

フリードリヒ1世は、ヘルマンの死後、ライン宮中伯位を自らの異母弟コンラートに与えた。

参考文献編集

  • Peter Fuchs: Hermann (III.), Graf von Stahleck. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 8, Duncker & Humblot, Berlin 1969, ISBN 3-428-00189-3, S. 640 [1]
  • Wolfram Ziegler: König Konrad III. (1138–1152). Hof, Urkunden und Politik. Böhlau, Wien u.a. 2008, S. 460ff.
  • Heinrich Stüber: Burg Stahleck über Bachrach. Von der Stauferburg zur Jugendherberge. Verein für die Geschichte der Stadt Bacharach und der Viertäler, Bacharach 2004, ISBN 3-928022-75-X.
  • 『ラインの古城 コブレンツからビンゲンまで』 by Gunter Seifert, Overath 2003, Mitglied der DGF e.V.
先代
ハインリヒ3世
ライン宮中伯
1142年 - 1156年
次代
コンラート