ゲオルク・ド・ヘヴェシー

ハンガリー生まれの化学者
ヘヴェシ・ジェルジから転送)

ゲオルク・ド・ヘヴェシー(George de Hevesy, ハンガリー語: Hevesy György, 1885年8月1日 - 1966年7月5日)は、ハンガリー生まれの化学者1923年ハフニウムを発見した。1943年に化学反応研究におけるトレーサーとしての同位体の応用研究でノーベル化学賞を受賞した。

György de Hevesy
ゲオルク・ド・ヘヴェシー
生誕 Georg Karl von Hevesy
(1885-08-01) 1885年8月1日
オーストリア=ハンガリー帝国の旗 オーストリア=ハンガリー帝国 ブダペスト
死没 1966年7月5日(1966-07-05)(80歳)
ドイツの旗 ドイツ フライブルク
国籍 ハンガリー王国の旗 ハンガリー王国
研究機関 ゲント大学
エトヴェシュ・ロラーンド大学
ニールス・ボーア研究所
チューリッヒ工科大学
アルベルト・ルートヴィヒ大学フライブルク
マンチェスター大学
出身校 アルベルト・ルートヴィヒ大学フライブルク
主な受賞歴 ノーベル化学賞(1943年)
プロジェクト:人物伝
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ノーベル賞受賞者ノーベル賞
受賞年:1943年
受賞部門:ノーベル化学賞
受賞理由:化学反応研究におけるトレーサーとしての同位体の応用研究

生涯 編集

ブダペスト貴族の家柄に生まれ、エトヴェシュ・ロラーンド大学ベルリン大学フライブルク大学の各大学で学んだ。フライブルク大学、ストックホルムの有機化学研究所につとめた。フローゲン大学の、ディルク・コスターと共同してX線分析法を使って、ハフニウムを発見した。

ヘヴェシーはハンガリー人でコスターはオランダ人であるが、助言をうけたニールス・ボーアの研究所のあるコペンハーゲンのラテン語名ハフニアにちなんでハフニウムと名づけた。

第二次世界大戦によりデンマークがナチス・ドイツに占領されたため、ヘヴェシーはマックス・フォン・ラウエジェイムス・フランクから預かっていたノーベル物理学賞製のメダルを王水で溶かし、ニールス・ボーア研究所にしまってからスウェーデンへ亡命した。これは、二人がユダヤ系だったため訴追される恐れがあったこと、そしてメダルといえども金を国外へ持ち出すことが違法とされていたためである。ヘヴェシー自身がノーベル化学賞を受賞したのは亡命中のことであった。終戦後、ヘヴェシーは無事に残されていた溶液から金を精製し、ノーベル財団に依頼して二人のメダルを作りなおしてもらった。1949年にコプリ・メダルを受賞し、王立協会の外国人会員となった。

その後、ヘヴェシーはフライブルクで過ごし、1966年に同地で80歳で死去。遺体は、ブダペストのケレペシ墓地に埋葬された。

外部リンク 編集