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オスマン帝国とテメシュヴァールのバナト

ベオグラード条約ロシア語: Белградский мирトルコ語: Belgrad antlaşmasıセルビア語: Beogradski mir)は、1739年9月18日ベオグラードで署名された、ハプスブルク君主国オスマン帝国の間の講和条約である。

この条約により、オーストリアがオーストリア・ロシア・トルコ戦争から脱落した。ハプスブルク家ロシア帝国と結んで1737年に参戦したが、オスマン帝国に逆襲され、ベオグラードを包囲占領される始末であった。オーストリアはやむなく講和に応じ、ベオグラードを含むセルビア王国英語版、テメシュヴァールのバナトの南部、ボスニア北部をオスマン帝国に割譲、さらにオルテニアを当時オスマン帝国の属国であったワラキア公国に割譲した。その境界はサヴァ川ドナウ川と定められた。オーストリアが戦争から手を引いたことで、ロシアは独力での戦争遂行を不可能と考え、ニシュ条約に署名した。同条約でロシアはアゾフ港の建設を許可され、黒海進出への第一歩となった[1]

ベオグラード条約は1718年以降のセルビア王国英語版を実質的に滅亡させ、その復活は1787年の墺土戦争まで待たなければならなかった[2]

脚注編集

  1. ^ Treaty of Nis (1739), Alexander Mikaberidze, Conflict and Conquest in the Islamic World: A Historical Encyclopedia, ed. Alexander Mikaberidze, (ABC-CLIO, 2011), 647.
  2. ^ Dennis P. Hupchick, The Balkans:From Constantinople to Communism, (Palgrave Macmillan, 2002), 213.

外部リンク編集