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概要編集

マレー人と関係のある少数民族集団である、ベトナム中部[1]やメコンデルタ地域のチャム族が主に信仰する宗教として知られるが、国内のムスリムの約3分の1は他の民族集団である[2][3]メコンデルタ地方のチャウドック周辺には、イスラム教を信仰するチャム族またはチャム系ムスリムが住むが、チャム族やクメール人、マレー人、ミナン人ベト人中国人アラブ人といった複数の民族の混血と自称しているコミュニティもある[4]

歴史編集

チャンパ王国編集

もともとチャンパ王国はベトナムをヒンドゥー教を以て支配していたが、チャム族の宗旨変更からイスラム教への改宗に到っている。伝承によれば、イスラム第3代カリフウスマーン・イブン・アッファーンが650年に、ベトナムおよび唐にムスリム正使を送ったとされる。イスラム史のかなり早い段階で、海上移動を行うムスリム商人が、中国へ向かう経路の途中にあるチャンパ王国に停泊地を複数作ったことが知られている。しかしながら、イスラム教の伝来を示す最古の物的証拠は、10世紀末から11世紀初頭にかけて、チャム族の間にイスラム教が広がったという宋朝期の記録による[5][6]

13世紀後半から14世紀以降、チャンパ王国の交易によりベトナムを含むインドシナ半島においてイスラム化が進行[7]。ムスリム商人の活動により、インドシナ半島とマレー半島との間で交流が盛んになると、イスラム教もマレー半島からチャンパ王国に影響を与えることとなる[7]

マラッカ王国編集

信者数は1471年にチャンパ王国が崩壊した後、マラッカ王国との接触が広がった際に増え始めるが、イスラム教がチャム族の間に広範に普及したのは、17世紀半ばになってからであった[8]。一方この間、マレー半島などのイスラム勢力との連携は困難を極めてゆく[7]

フランス領インドシナ編集

フランスがインドシナ半島を統治していた時代には、チャム系ムスリムの地域は厚遇を受け、幾許かの自治も是認[7]。しかし、マレー半島を支配するイギリス、独立国タイ、そしてインドシナ半島を勢力圏に置くフランスが鼎立すると、チャム系ムスリムは急速な孤立化を余儀無くされる[7]。19世紀半ばのこの時期、多くのチャム系ムスリムがカンボジアからメコンデルタ地域に移住、ベトナムにおいてイスラム教の存在感が高まることとなる。

マレーシアのイスラム教20世紀初頭、チャム族の間に影響力を持ち始め、宗教系の出版物マラヤ半島から輸入。マレー人聖職者モスクにおいてマレー語フトバ説教)を行い、チャム族の中にはイスラム教を学ぶため、マレーシアマドラサに赴いた者もいる[9][10]

ベトナム社会主義共和国編集

1976年ベトナム社会主義共和国が成立すると、チャム系ムスリム55000人の一部はマレーシアに移住。また1750人がイエメンにより移民として受け入れられ、ほとんどがタイズに居を移す。モスクが政府により閉鎖されたと主張する著述家もいるが、残った者は暴力的な迫害を受けずに済んだ[2]。国家の制約があるものの、建前としては同国憲法において信教の自由を保証しているためであると言える[11]

1981年にはベトナムへの外国人観光客が、土着のムスリムに話し掛けたり、彼らのそばで礼拝することも許されており、ある1985年の報告では、ホーチミン市のムスリム系住民にとりわけ民族的多様性があると記述。チャム族のほか、インドネシア人やマレー人、パキスタン人イエメン人北アフリカ人もおり、その総数は当時約10000人に上ったという[8]

しかしながら、歴史的経緯からベトナムのムスリムは世界のイスラム教主流派から比較的隔絶。この隔絶と、宗教学校がなかったことにより、ベトナムにおけるイスラム教の宗教活動は習合性が進んだ。また、アラビア語の使用は宗教指導層にさえ広がらず、ムスリムの中にはアリー・イブン・アビー・ターリブを崇め、アリーを「神の子」と呼ぶ者もいるとの報告がある[2]

国内最大のモスクが2006年1月、一部サウジアラビアからの寄付を得てドンナイ省スアンロック県に完成[12]

人口編集

 
アンザン省のモスク

1999年4月国勢調査によると、63146人のムスリムがいることが明らかとなった。ただし、国内の公定6宗教(仏教カトリック、プロテスタント、イスラム教、カオダイ教ホアハオ教[11])のうち、ムスリム人口が総人口8800万人の0.1%にも満たない約67000人との調査もある[1]

居住地域・性差編集

77%以上が南東部に住み、うち34%がニントゥアン省、24%がビントゥアン省、9%がホーチミン市に住んでいる。残りのうち22%がメコンデルタ地域、特にアンザン省に、1%のみが国内の他地域に居住。信者数は、ムスリム女性の数がムスリム男性の数よりも7.5%多いアンザン省を除き、イスラム教徒が多く住むどの地域においても男女の比率差が2%の枠内に収まっている[13]

ただし、この分布は以前に比べ幾分変化。1975年以前は国内のムスリムのほぼ半数がメコンデルタに住み、1985年になってもホーチミン市のムスリム系住民は約10000人と報告されていた[2][8]

構成編集

「イスラーム」と「バニ」という2集団に分かれ、前者はホーチミン市やメコンデルタなど南部に居住するスンナ派で、後者は中南部に住み民間信仰との融合が極めて顕著[1]。また、前者が世界のムスリム共同体と関わりがあるのに対し、後者は海外の世界のムスリム共同体との紐帯が乏しく、専らチャム族で占められているという[1]

学歴編集

5歳以上のムスリム54775人のうち、25%に当たる13516人が現在学生で、48%に当たる26134人が過去学校に通ったことがあり、27%に当たる残りの54775人が、一度も就学経験が無いという(ベトナム全体の非就学者は人口の10%)。これはムスリムが国内の全ての宗教集団の中で、2番目に非就学率が高いことを示している(国内最高はプロテスタントの34%)。非就学率は男性が22%、女性が32%であった[14]

また、ムスリムは宗教別の大学進学率が最低レベルでもあり、高等教育機関で学んだ者は、総人口の約3%に比べ、ムスリムは1%程度である[15]

組織編集

ホーチミンムスリム代表者委員会が1991年7人により設立、同様の組織は2004年にアンザン省にも設立されている[10]

関連項目編集

脚注編集

参考文献編集

  • Taylor, Philip (2007), Cham Muslims of the Mekong Delta: Place and Mobility in the Cosmopolitan Periphery, NUS Press, Singapore, ISBN 978-9971-69-361-9 
  • De Feo, Agnès (2006), Trangressions de l'islam au Vietnam, Cahiers de l'Orient n°83, Paris 
  • Religion and policies concerning religion in Vietnam, Hanoi, Vietnam: Government Committee for Religious Affairs, (2006), https://www.mofa.gov.vn/ctc_quocte/ptklk/nr040819162124/ns070205095603/Relegion%20and%20Policies%20regarding%20Religion%20in%20Vietnam.doc/download 2007年3月29日閲覧。 
  • Teng, Chengda (2005), “当代越南占族与伊斯兰教 [Modern Vietnam's Cham People and Islam]”, 《西北第二民族学院学报》 [Journal of the #2 Northwest Nationalities Academy] 1, http://scholar.ilib.cn/Abstract.aspx?A=xbdemzxyxb-zxshkxb200501007) 
  • Farah, Caeser E. (2003), Islam:Beliefs and Observances, Barron's, ISBN 0-7641-2226-6 
  • Hourani, George Fadlo (1995), Arab Seafaring (expanded ed.), Princeton University Press, ISBN 0-691-00032-8 
  • Levinson, David; Christensen, Karen (2002), Encyclopedia of Modern Asia, Thomson Gale, ISBN 0-684-31247-6 
  • Taouti, Seddik (1985), “The Forgotten Muslims of Kampuchea and Viet Nam”, in Datuk Ahmad Ibrahim; Yasmin Hussain; Siddique, Sharon, Readings on Islam in Southeast Asia, Institute of Southeast Asian Studies, pp. 193–202, ISBN 9971988089 

国勢調査編集