ベルギーグランプリ(ベルギーGP, : Belgian Grand Prix, : Grote Prijs van België, : Grand Prix de Belgique, : Großer Preis von Belgien)はベルギーで行われている自動車レースであり、F1世界選手権レースのひとつ。

Belgian Grand Prix
スパ・フランコルシャン
レース情報
周回 44
コース長 7.004 km (4.352 mi)
レース長 308.052 km (191.410 mi)
開催回数 80
初回 1925年
最多勝利
(ドライバー)
ドイツの旗 ミハエル・シューマッハ (6)
最多勝利
(コンストラクター)
イタリアの旗 フェラーリ (18)
最新開催(2024年):
ポールポジション モナコの旗 シャルル・ルクレール[注 1]
フェラーリ
1:53.754
決勝順位 1. イギリスの旗 ルイス・ハミルトン[注 2]
メルセデス
1:19:57.566
2. オーストラリアの旗 オスカー・ピアストリ
マクラーレン-メルセデス
+0.647s
3. モナコの旗 シャルル・ルクレール
フェラーリ
+8.023s
ファステストラップ メキシコの旗 セルジオ・ペレス
レッドブル-ホンダRBPT
1:44.701
2008年ベルギーGPのスタート

概要

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初開催は1925年。以来幾度かの中断を挟みながら開催され、1950年のF1世界選手権開幕シーズンからカレンダー入りした。全長14kmの公道コース、スパ・フランコルシャンを舞台に行われていたが、時代とともにマシンの性能向上に対して安全対策の不備が批判されるようになった。1969年のベルギーGPは選手組合 (GPDA) のボイコットによりキャンセルされ、1972年より常設コースのニヴェル・ボレールゾルダー・サーキットへ舞台を移した。この2ヵ所で交互開催を続ける予定だったが、ニヴェルが経営破綻したため、1975年から1982年までゾルダーで連続開催された。1983年には1周の距離が短縮されたスパ・フランコルシャンに再び戻り、1985年以降はずっとスパで開催されている。

開催時期は夏の終わりで、ハンガリーグランプリイタリアグランプリの間に挟まれることが多い。コスト削減の一環で2009年よりサマーブレイクが導入されたが、2010年以降はサマーブレイク明けの最初のレースとなっている。オー・ルージュをはじめ、高速コーナーが多いスパ・フランコルシャンでのレースは、スパ・ウェザーと呼ばれる短時間で天気が頻繁に変わることにより、レースに波乱の展開が多く見られる。

F1から欧州圏のGPが減っていく中で、ベルギーGPも存続が揺らいでいる。2003年はタバコ広告禁止法の施行により開催されず、2006年は主催者の破産や施設改修の遅れにより開催中止となった[3]2013年以降はフランスグランプリとの隔年開催という案も検討された[4]が、その後も通年開催が続いた。開催契約が満了する2022年にはモナコグランプリやフランスグランプリとともに契約延長が危ぶまれたものの、翌2023年までの開催延長にこぎつけた[5]。さらに2023年には2025年までの開催延長に向けた契約が結ばれた[6]

特筆すべき過去のレース

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  • 1960年のレースは重大事故が相次ぎ、「暗黒の週末」と呼ばれた。予選ではスターリング・モスマイク・テイラーが負傷。決勝ではクリス・ブリストウアラン・ステイシーが死亡した。
  • 1964年のレースでは、レース終盤にガス欠による逆転劇が発生した。レースを独走したダン・ガーニーが残り2周でストップし、最終ラップにはグラハム・ヒルブルース・マクラーレンも同じ目に遭い、たなぼたでジム・クラークに勝利が転がり込んだ。そのクラーク自身もチェッカーを受けた後にガス欠でストップした。クラークは1962年のベルギーGPでF1初勝利を挙げてから1965年まで4連覇した。
  • 1967年にはダン・ガーニーイーグル)、1968年にはブルース・マクラーレン(マクラーレン)がオーナードライバーとしてチーム初優勝を達成した。
  • 1977年ゾルダーで行われたレースでは、ロータスのNo.2ドライバーのグンナー・ニルソンが雨中の接戦を制してF1初優勝を果たした。しかし、ニルソンの体は精巣癌に侵されており、これが最後の勝利になった。
  • 1981年にゾルダーで行われたレースでは、予選中ピットレーンでオゼッラのメカニックがカルロス・ロイテマンのマシンに撥ねられた。決勝スタートではアロウズのメカニックがエンジンストールしたリカルド・パトレーゼのマシンに駆け寄ったところ、後方からチームメイトのジークフリート・ストールのマシンに追突され両足骨折の重傷を負った。レースはロイテマンがポール・トゥ・ウィンで優勝し、入院していたオゼッラのメカニックは翌週死亡した。
  • 1982年にゾルダーで行われたレースでは、予選でフェラーリジル・ヴィルヌーヴが事故死するアクシデントが発生。決勝レースはヴィルヌーヴのチームメイト、ディディエ・ピローニが撤退し、フェラーリ勢抜きで行われた。この年からウィリアムズに加入したケケ・ロズベルグが序盤からトップを快走していたが、ラスト2周というところで後方グリッドから追い上げを見せたマクラーレンのジョン・ワトソンにかわされてしまい、自身F1初優勝はならなかった。
  • 1985年スパ・フランコルシャンで行なわれたレースでは、補修したばかりの路面のアスファルトが剥がれるというアクシデントに見舞われた。このため、予選後に路面の再補修が行なわれ、予選終了から3カ月後に決勝が開催された。
  • 1991年には、前戦でファステストラップを記録したベルトラン・ガショーが逮捕され、その代役としてミハエル・シューマッハジョーダンからF1デビューを果たした。シューマッハは初戦ながら予選7位の健闘を見せたが、スタート直後にリタイアした。レースはシューマッハのチームメイトのアンドレア・デ・チェザリスが終盤まで2位走行し、トップ走行していたマクラーレンのアイルトン・セナを追い上げるも、トラブルにより惜しくも自身とチームのF1初優勝を逃してしまった。ベネトンロベルト・モレノはこのレースでファステストラップを記録したが、次のイタリアGPでシューマッハとトレードされることになった。
  • 1992年には、ベネトンのミハエル・シューマッハがF1初優勝を果たすが、これは、レース序盤の雨による混乱の中、チームメイトのマーティン・ブランドルのタイヤのわずかな劣化(ブリスター)をシューマッハが見逃さずにいち早くドライタイヤに交換した判断と、ロス・ブラウンの戦略でトップに立ち勝利を収めたことで、その後のシューマッハとブラウンのコンビネーションの強さの礎となったばかりか、F1が純粋な速さだけでなく、戦略的な要素も含めた総合的な強さを必要とすることになる、転機のレースになった。またレース終盤、ロータスのミカ・ハッキネンがマクラーレンのアイルトン・セナと5位争いの最中、ケメルストレートでセナを抑える場面があり、結果ハッキネンはセナに抜かれ6位に終わったが、ハッキネンもこのレースでさらに評価を上げて、世代交代を予感させるレースとなった。ちなみに、このシューマッハの優勝は、現在において、F1におけるマニュアルシフト車最後の優勝記録でもある。
  • 1994年には、アイルトン・セナの事故死などで安全性が見直され、この年に限りオー・ルージュが大きく曲げられるカーブとなった。そして、2回の予選セッションともに雨となったが、ジョーダンのルーベンス・バリチェロが絶妙のタイミングでアタックを敢行し、自身及びチームのF1での初めてのポールポジションを獲得した。レースではベネトンのミハエル・シューマッハがトップでゴールするも、レース終了後にスキッドブロック(レギュレーションでマシン底部に付けることを定められている板)が削れ過ぎているという違反を問われて失格になった為、2位でフィニッシュしていたウィリアムズのデイモン・ヒルが繰上げ優勝となった。
  • 1995年も、前年同様予選は雨となったが、途中から雨がやんだことにより、アタックのタイミングにより大きくタイムに影響する結果となった為、チャンピオン争いをしていたウィリアムズのデイモン・ヒルが8位、ベネトンのミハエル・シューマッハに至っては16位に沈むことになった。レースでも、途中から降り出した雨による大きな順位変動が見られたが、最終的にはシューマッハが逆転優勝を果たすことになる。これはF1史上最多勝を誇るシューマッハの数多くの勝利の中でも、最も後方グリッドからのものである。
  • 1998年には、レーススタート直後に、マクラーレンのデビッド・クルサードとフェラーリのエディ・アーバインの接触から、クルサードのスピンをきっかけに後方の多数のマシンを巻き込む事故が発生した。レースは赤旗再スタートとなるが、再開後のレースでも、チャンピオン争いをしていたマクラーレンのミカ・ハッキネンが1コーナーでフェラーリのミハエル・シューマッハと接触後スピンし、リタイア。その後レースは大雨となり視界不良の中、多くのドライバーがリタイアしていった。そして、トップ走行していたミハエル・シューマッハが、周回遅れのクルサードに後方から追突するアクシデントが発生。ミハエル・シューマッハが豪雨のヘヴィーウェットの中、3輪状態でピットまでスピンせずに戻り、マクラーレンのガレージへ怒鳴り込みの抗議に出向く一幕があった。結局レースは、ジョーダンのデイモン・ヒルが、チームメイトのラルフ・シューマッハを従え、チーム初優勝を1-2フィニッシュで飾ることとなった。
  • 2000年のレースでは、13周目にトップを走っていたマクラーレンのミカ・ハッキネンが、スタブローの濡れた縁石でハーフスピンをした。2位走行していたフェラーリのミハエル・シューマッハがトップに躍り出る。その後、それぞれ1回のタイヤ交換を行い、順位はそのままであった。しかし、ここからハッキネンは、1周平均コンマ5秒もシューマッハより速いペースで追い上げる。徐々に差が縮まっていき、40周目と41周目でのケメル・ストレート・エンドの攻防となった。40周目は、ハッキネンがシューマッハのイン側からオーバーテイクを試みるも、シューマッハがぎりぎりマシン1台分のスペースまでイン側を締めるブロックにて防ぎ、ハッキネンの左フロントウィングとシューマッハの右リアタイヤがわずかに接触する際どいバトルとなったが、シューマッハは紙一重でブロックに成功する。翌41周目は周回遅れのBARリカルド・ゾンタを左のアウト側からシューマッハが追い抜こうとすると、同時にハッキネンはゾンタの右のイン側わずかなスペースに差込み、シューマッハ、ゾンタの2台ともまとめて一挙に追い抜き、再逆転。そのままトップでチェッカーを受けた。この3台が並走するオーバーテイクシーンは、「20世紀最高のオーバーテイク」とも報道され、近年のF1のバトルシーンのうちでも最も見ごたえのあるシーンの1つとなった。なお、ハッキネンがオー・ルージュからラディオンを抜けるときのスピードは、当時として初の300km/hオーバーとなった。
  • 2001年には、レース序盤にジャガーのエディ・アーバインとプロストルチアーノ・ブルティが接触し、ブルティは高速コーナのブランシモンのタイヤバリアに突っ込むという大事故が起こった為、赤旗中断となった。この事故でブルティが大事に至らなかったことは不幸中の幸いであった。レースはフェラーリのミハエル・シューマッハが優勝を果たすが、これはアラン・プロストの記録を破る、F1史上最多となる52勝目であった。
  • 2003年は、タバコ広告規制の問題が影響し、32年ぶりにベルギーGPが開催されなかった。
  • 2年ぶりにカレンダーに復活を果たした2004年のレースでは、フェラーリのミハエル・シューマッハが5年連続7回目のチャンピオンを決定した。これはファン・マヌエル・ファンジオの4年連続を上回る、史上最長期間連続のチャンピオン獲得の記録となった。また、ミシュランタイヤのトラブルにより、B・A・Rのジェンソン・バトンなど数名のドライバーがリタイアとなるが、高速走行中のもので、一歩間違えば大惨事につながりかねないものであった。
  • 2006年、暫定の開催カレンダーには決勝日9月17日の第16戦として掲載されていたが、ベルギーGP主催者側がFIAに開催辞退の申請をし受理され、同年の開幕戦直前(2月8日)に開催中止が発表された。スパ・フランコルシャンサーキットの改修が理由となっているが、財政難による中止がささやかれていた中での発表だった。
  • 2008年はレース終盤の雨の中でキミ・ライコネンルイス・ハミルトンが優勝争いを展開。ライコネンがクラッシュし、ハミルトンがトップチェッカーを受けた。しかし、バトルの際にシケインをショートカットしたことで利益を得たとしてレース後に25秒加算ペナルティを課され、3位に順位が落ちた。
  • 2009年フォース・インディアジャンカルロ・フィジケラがチーム初のポールポジションを獲得。「チーム初入賞が初優勝」という快挙が期待されたが、決勝ではライコネンに競り負け2位となった。
  • 2012年は予選8番手のロータスロマン・グロージャンルイス・ハミルトンに幅寄せし、ハミルトンは右側のタイヤをダートに落とし制御不能になりグロージャンに衝突。止まりきれないグロージャンは前にいたセルジオ・ペレスにぶつかり、ペレスはフェルナンド・アロンソに接触。ハミルトンは小林可夢偉のフロントタイヤに乗り上げたあと、アロンソのリヤに接触しアロンソ、ハミルトン、ペレス、グロージャンがその場でリタイア。可夢偉はノーズにダメージを受けピットインし最後尾まで後退するといった多重クラッシュが発生。グロージャンはこの多重クラッシュを引き起こした責を問われ、1レース出場停止処分と罰金50000ユーロが課せられた[7]。グロージャンが引き起こした多重クラッシュは一歩間違えば死亡事故に発展しかねない程の危険度であった。
  • 2018年は、レーシング・ポイントに買収されて再出発したフォース・インディアが予選で3・4番手の快挙を見せるも、決勝ではスタート直後にニコ・ヒュルケンベルグがブレーキングミスからフェルナンド・アロンソに追突し、アロンソのマシンは大きく宙を舞ってシャルル・ルクレールを巻き込みながら大破し、アロンソとルクレールをリタイアさせたうえ、ヒュルケンベルグ自身と共に3台揃ってリタイア。この際にルクレールのマシンのHalo[注 3]が損傷しながらもルクレール自身は無傷だったことから、今シーズンから義務化されたHaloの効果を実証する形になった(巻き添えを食らった当事者であるアロンソは「証明するまでもなく、Haloが装着されているのはよいことだ」、ニコ・ロズベルグは「Haloに関する議論はこれで終わり」とコメントした)。更にこの一件はキミ・ライコネンダニエル・リカルドにも波及し、両者ともマシンにダメージを受けてリタイアとなり、バルテリ・ボッタスセルゲイ・シロトキンもその多重クラッシュに巻き込まれてボッタスはシロトキンに接触、ボッタスはその責任を問われ5秒加算ペナルティを受ける。この件でヒュルケンベルグに次戦イタリアGPで10グリッド降格ペナルティが科せられた。一方でPU性能に優れるセバスチャン・ベッテルが1周目のケメルストレートでルイス・ハミルトンを抜いたあと、結局最後まで首位を譲らず全周回トップで優勝した。
  • 2019年は、この年フェラーリに移籍したルクレールがポール・トゥ・ウィンでF1初勝利を挙げた。
  • 2021年の決勝レースは断続的な雨の影響により所定の開始時刻より25分遅れでセーフティカー先導でスタートしたが、その直後レース続行不可能と判断されて赤旗が振られ、2時間47分の中断の後にセーフティカー先導により再スタートが切られたものの3周を終えたところで赤旗が振られてそのままレース終了となった。レースは成立したが、規定の周回数の75%を消化していないためハーフポイントレースとなった[8][9]
  • 2023年は、レッドブルが開幕12連勝[注 4]を飾り、1988年にマクラーレンが挙げた開幕11連勝を更新した[10]
  • 2024年は、1ストップ作戦を成功させたジョージ・ラッセルがハミルトンとオスカー・ピアストリの猛追をしのいでトップでチェッカーフラッグを受けたが、レース後の車検で車両重量違反が判明したため失格の裁定が下り、繰り上がりでハミルトンが勝者となった[2]

過去の結果と開催サーキット

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F1世界選手権レース開催前 (1925年-1949年)

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決勝日 ラウンド サーキット 勝者 コンストラクター 結果
1925英語版 6月28日 2 スパ・フランコルシャン   アントニオ・アスカリ英語版 アルファロメオ 詳細英語版
1926
-
1929
開催されず
1930英語版 7月20日 1 [注 7] スパ・フランコルシャン   ルイ・シロン ブガッティ 詳細英語版
1931 7月12日 3 スパ・フランコルシャン   ウィリアム・グローバー=ウィリアムズ
  カベルト・コネッリ英語版
ブガッティ 詳細英語版
1932 開催されず
1933 7月09日 非選手権 スパ・フランコルシャン   タツィオ・ヌヴォラーリ マセラティ 詳細英語版
1934 7月29日 非選手権 スパ・フランコルシャン   ルネ・ドレフュス英語版 ブガッティ 詳細英語版
1935 7月14日 3 スパ・フランコルシャン   ルドルフ・カラツィオラ メルセデス・ベンツ 詳細英語版
1936 開催されず
1937 7月11日 1 スパ・フランコルシャン   ルドルフ・ハッセ英語版 アウトウニオン 詳細英語版
1938 開催されず
1939 6月25日 1 スパ・フランコルシャン   ヘルマン・ラング メルセデス・ベンツ 詳細英語版
1940
-
1945
第二次世界大戦の影響により開催されず
1946 6月16日 非選手権[注 8] カンブルの森英語版   ユージェン・シャブー英語版 ドライエ 詳細英語版
1947 6月29日 非選手権 スパ・フランコルシャン   ジャン=ピエール・ウィミーユ英語版 アルファロメオ 詳細英語版
1948 開催されず
1949 6月19日 非選手権 スパ・フランコルシャン   ルイ・ロジェ英語版 タルボ・ラーゴ 詳細英語版

F1世界選手権レース開催後 (1950年-)

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決勝日 ラウンド サーキット 勝者 コンストラクター 結果
1950 6月18日 5 スパ・フランコルシャン   ファン・マヌエル・ファンジオ アルファロメオ 詳細
1951 6月17日 3 スパ・フランコルシャン   ジュゼッペ・ファリーナ アルファロメオ 詳細
1952 6月22日 3 スパ・フランコルシャン   アルベルト・アスカリ フェラーリ 詳細
1953 6月21日 4 スパ・フランコルシャン   アルベルト・アスカリ フェラーリ 詳細
1954 6月20日 3 スパ・フランコルシャン   ファン・マヌエル・ファンジオ マセラティ 詳細
1955 6月05日 4 スパ・フランコルシャン   ファン・マヌエル・ファンジオ メルセデス 詳細
1956 6月03日 4 スパ・フランコルシャン   ピーター・コリンズ フェラーリ 詳細
1957 開催されず
1958 6月15日 5 スパ・フランコルシャン   トニー・ブルックス ヴァンウォール 詳細
1959 開催されず
1960 6月19日 5 スパ・フランコルシャン   ジャック・ブラバム クーパー-クライマックス 詳細
1961 6月18日 3 スパ・フランコルシャン   フィル・ヒル フェラーリ 詳細
1962 6月17日 3 スパ・フランコルシャン   ジム・クラーク ロータス-クライマックス 詳細
1963 6月09日 2 スパ・フランコルシャン   ジム・クラーク ロータス-クライマックス 詳細
1964 6月14日 3 スパ・フランコルシャン   ジム・クラーク ロータス-クライマックス 詳細
1965 6月13日 3 スパ・フランコルシャン   ジム・クラーク ロータス-クライマックス 詳細
1966 6月12日 2 スパ・フランコルシャン   ジョン・サーティース フェラーリ 詳細
1967 6月18日 4 スパ・フランコルシャン   ダン・ガーニー イーグル-ウェスレイク英語版 詳細
1968 6月09日 4 スパ・フランコルシャン   ブルース・マクラーレン マクラーレン-フォード 詳細
1969 開催されず
1970 6月07日 4 スパ・フランコルシャン   ペドロ・ロドリゲス BRM 詳細
1971 開催されず
1972 6月04日 5 ニヴェル   エマーソン・フィッティパルディ ロータス-フォード 詳細
1973 5月20日 5 ゾルダー   ジャッキー・スチュワート ティレル-フォード 詳細
1974 5月12日 5 ニヴェル   エマーソン・フィッティパルディ マクラーレン-フォード 詳細
1975 5月25日 6 ゾルダー   ニキ・ラウダ フェラーリ 詳細
1976 5月16日 5 ゾルダー   ニキ・ラウダ フェラーリ 詳細
1977 6月05日 7 ゾルダー   グンナー・ニルソン ロータス-フォード 詳細
1978 5月21日 6 ゾルダー   マリオ・アンドレッティ ロータス-フォード 詳細
1979 5月13日 6 ゾルダー   ジョディー・シェクター フェラーリ 詳細
1980 5月04日 5 ゾルダー   ディディエ・ピローニ リジェ-フォード 詳細
1981 5月17日 5 ゾルダー   カルロス・ロイテマン ウィリアムズ-フォード 詳細
1982 5月09日 5 ゾルダー   ジョン・ワトソン マクラーレン-フォード 詳細
1983 5月22日 6 スパ・フランコルシャン   アラン・プロスト ルノー 詳細
1984 4月29日 3 ゾルダー   ミケーレ・アルボレート フェラーリ 詳細
1985 9月15日 13 スパ・フランコルシャン   アイルトン・セナ ロータス-ルノー 詳細
1986 5月25日 5 スパ・フランコルシャン   ナイジェル・マンセル ウィリアムズ-ホンダ 詳細
1987 5月17日 3 スパ・フランコルシャン   アラン・プロスト マクラーレン-TAG 詳細
1988 8月28日 11 スパ・フランコルシャン   アイルトン・セナ マクラーレン-ホンダ 詳細
1989 8月27日 11 スパ・フランコルシャン   アイルトン・セナ マクラーレン-ホンダ 詳細
1990 8月26日 11 スパ・フランコルシャン   アイルトン・セナ マクラーレン-ホンダ 詳細
1991 8月25日 11 スパ・フランコルシャン   アイルトン・セナ マクラーレン-ホンダ 詳細
1992 8月30日 12 スパ・フランコルシャン   ミハエル・シューマッハ ベネトン-フォード 詳細
1993 8月29日 12 スパ・フランコルシャン   デイモン・ヒル ウィリアムズ-ルノー 詳細
1994 8月28日 11 スパ・フランコルシャン   デイモン・ヒル ウィリアムズ-ルノー 詳細
1995 8月27日 11 スパ・フランコルシャン   ミハエル・シューマッハ ベネトン-ルノー 詳細
1996 8月25日 13 スパ・フランコルシャン   ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
1997 8月24日 12 スパ・フランコルシャン   ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
1998 8月30日 13 スパ・フランコルシャン   デイモン・ヒル ジョーダン-無限ホンダ 詳細
1999 8月29日 12 スパ・フランコルシャン   デビッド・クルサード マクラーレン-メルセデス 詳細
2000 8月27日 13 スパ・フランコルシャン   ミカ・ハッキネン マクラーレン-メルセデス 詳細
2001 9月02日 14 スパ・フランコルシャン   ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2002 9月01日 14 スパ・フランコルシャン   ミハエル・シューマッハ フェラーリ 詳細
2003 開催されず
2004 8月29日 14 スパ・フランコルシャン   キミ・ライコネン マクラーレン-メルセデス 詳細
2005 9月11日 16 スパ・フランコルシャン   キミ・ライコネン マクラーレン-メルセデス 詳細
2006 開催されず
2007 9月16日 14 スパ・フランコルシャン   キミ・ライコネン フェラーリ 詳細
2008 9月07日 13 スパ・フランコルシャン   フェリペ・マッサ フェラーリ 詳細
2009 8月30日 12 スパ・フランコルシャン   キミ・ライコネン フェラーリ 詳細
2010 8月29日 13 スパ・フランコルシャン   ルイス・ハミルトン マクラーレン-メルセデス 詳細
2011 8月28日 12 スパ・フランコルシャン   セバスチャン・ベッテル レッドブル-ルノー 詳細
2012 9月02日 12 スパ・フランコルシャン   ジェンソン・バトン マクラーレン-メルセデス 詳細
2013 8月25日 11 スパ・フランコルシャン   セバスチャン・ベッテル レッドブル-ルノー 詳細
2014 8月24日 12 スパ・フランコルシャン   ダニエル・リカルド[13] レッドブル-ルノー 詳細
2015 8月23日 11 スパ・フランコルシャン   ルイス・ハミルトン メルセデス 詳細
2016 8月28日 13 スパ・フランコルシャン   ニコ・ロズベルグ メルセデス 詳細
2017 8月27日 12 スパ・フランコルシャン   ルイス・ハミルトン メルセデス 詳細
2018 8月26日 13 スパ・フランコルシャン   セバスチャン・ベッテル フェラーリ 詳細
2019 9月01日 13 スパ・フランコルシャン   シャルル・ルクレール フェラーリ 詳細
2020 8月30日 7 スパ・フランコルシャン   ルイス・ハミルトン メルセデス 詳細
2021 8月29日 12 スパ・フランコルシャン   マックス・フェルスタッペン[8] レッドブル-ホンダ 詳細
2022 8月28日 14 スパ・フランコルシャン   マックス・フェルスタッペン レッドブル-RBPT 詳細
2023 7月30日 13 スパ・フランコルシャン   マックス・フェルスタッペン レッドブル-ホンダ・RBPT 詳細
2024 7月28日 14 スパ・フランコルシャン   ルイス・ハミルトン メルセデス 詳細

開催されたサーキット

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ベルギーGPの開催サーキット

優勝回数

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ドライバー

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ドライバー別通算勝利数では、1992年にスパでF1初優勝をあげたミハエル・シューマッハが6勝、アイルトン・セナルイス・ハミルトンが5勝、ジム・クラークキミ・ライコネンが4勝と続き、ファン・マヌエル・ファンジオデイモン・ヒルセバスチャン・ベッテルマックス・フェルスタッペンが3勝と、F1史上に残るドライバーが名を連ねている。このうち、クラークは1962-1965年、セナは1988-1991年と4年連続で優勝している。ベルギーGPはスパ、ゾルダー、ニヴェルの3か所で開催されたが、複数のサーキットで優勝したドライバーはいない。

(2勝以上)

回数 ドライバー 優勝年
6   ミハエル・シューマッハ 1992, 1995, 1996, 1997, 2001, 2002
5   アイルトン・セナ 1985, 1988, 1989, 1990, 1991
  ルイス・ハミルトン 2010, 2015, 2017, 2020, 20241
4   ジム・クラーク 1962, 1963, 1964, 1965
  キミ・ライコネン 2004, 2005, 2007, 2009
3   ファン・マヌエル・ファンジオ 1950, 1954, 1955
  デイモン・ヒル 1993, 19942, 1998
  セバスチャン・ベッテル 2011, 2013, 2018
  マックス・フェルスタッペン 2021, 2022, 2023
2   アルベルト・アスカリ 1952, 1953
  エマーソン・フィッティパルディ 1972, 1974
  ニキ・ラウダ 1975, 1976
  アラン・プロスト 1983, 1987
  • 太字2024年のF1世界選手権に参戦中のドライバー。
  • ^1 - ジョージ・ラッセルが車両重量違反により失格となったため繰り上げ。
  • ^2 - ミハエル・シューマッハが最低車高違反により失格となったため繰り上げ。

コンストラクター

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(2勝以上)

回数 コンストラクター 優勝年
18   フェラーリ 1952, 1953, 1956, 1961, 1966, 1975, 1976, 1979, 1984, 1996, 1997, 2001, 2002, 2007, 2008, 2009, 2018, 2019
14   マクラーレン 1968, 1974, 1982, 1987, 1988, 1989, 1990, 1991, 1999, 2000, 2004, 2005, 2010, 2012
8   ロータス 1962, 1963, 1964, 1965, 1972, 1977, 1978, 1985
  メルセデス 1935, 1939, 1955, 2015, 2016, 2017, 2020, 2024
6   レッドブル 2011, 2013, 2014, 2021, 2022, 2023
4   アルファロメオ 1925, 1947, 1950, 1951
  ウィリアムズ 1981, 1986, 1993, 1994
3   ブガッティ 1930, 1931, 1934
2   マセラティ 1933, 1954
  ベネトン * 1992, 1995
  • 太字2024年のF1世界選手権に参戦中のコンストラクター。
  • ピンク地はF1世界選手権以外で開催された年。
  • クリーム地は第二次世界大戦前に行われていたヨーロッパ・ドライバーズ選手権[注 6]の一戦として開催された年。
  • グリーン地は第二次世界大戦前に行われていた世界マニュファクチャラーズ選手権[注 5]の一戦として開催された年。
  • * 1986年から1995年はイギリス国籍、1996年から2001年はイタリア国籍。

エンジン

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回数 メーカー 優勝年
18   フェラーリ 1952, 1953, 1956, 1961, 1966, 1975, 1976, 1979, 1984, 1996, 1997, 2001, 2002, 2007, 2008, 2009, 2018, 2019
12   メルセデス * 1935, 1939, 1955, 1999, 2000, 2004, 2005, 2015, 2016, 2017, 2020, 2024
10   フォード ** 1968, 1972, 1973, 1974, 1977, 1978, 1980, 1981, 1982, 1992
8   ルノー 1983, 1985, 1993, 1994, 1995, 2011, 2013, 2014
6   ホンダ *** 1986, 1988, 1989, 1990, 1991, 2021
5   クライマックス 1960, 1962, 1963, 1964, 1965
4   アルファロメオ 1925, 1947, 1950, 1951
3   ブガッティ 1930, 1931, 1934
2   マセラティ 1933, 1954
  RBPT / ホンダ・RBPT *** 2022, 2023

冠スポンサー

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脚注

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注釈

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  1. ^ 予選トップはマックス・フェルスタッペンが記録した1:53.159だが、フェルスタッペンのグリッド降格ペナルティにより、繰り上がりでルクレールがポールポジションを獲得した。[1]
  2. ^ 決勝をトップでフィニッシュしたのはジョージ・ラッセル(メルセデス)だったが、レース後の車検で車両重量違反が判明したため失格[2]
  3. ^ Halo, コックピット上部に装着する頭部保護パーツ。詳しくは2018年のF1世界選手権を参照。
  4. ^ 第13戦として開催されたが、第6戦エミリア・ロマーニャGPが集中豪雨により中止となったため、12戦目の開催となった。
  5. ^ a b c 1925-1930年に行われた四輪モータースポーツにおける製造者に対する選手権。現在のF1コンストラクターズ選手権の前身にあたる。ただし、1928-1930年は対象となるレースの減少によりキャンセルされた。ベルギーグランプリが選手権の一戦として開催されたのは1925年と1930年。
  6. ^ a b c 1931年-1932年および1935年-1939年に行われた四輪モータースポーツにおける最高峰の選手権。現在のF1世界選手権の前身にあたる。ベルギーグランプリが選手権の一戦として開催されたのは1931年、1935年、1937年、1939年。
  7. ^ 世界マニュファクチャラーズ選手権として開催されたのがこの1戦のみだったため、選手権が成立しなかった[11]
  8. ^ スポーツカーレースとして開催[12]

出典

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  1. ^ 角田がパワーユニットを交換、大幅なグリッド降格が決定。フェルスタッペンもICEを交換/F1第14戦”. autosport web (2024年7月26日). 2024年7月29日閲覧。
  2. ^ a b 暫定優勝のラッセルに失格の裁定下る。ルイス・ハミルトンが優勝に/F1第14戦ベルギーGP”. autosport web (2024年7月29日). 2024年7月29日閲覧。
  3. ^ "FIA、ベルギーGP中止を発表". レスポンス.(2006年2月9日)2013年7月3日閲覧。
  4. ^ "F1フランスGPとベルギーGP、開催権料で合意できず". TopNews.(2012年3月3日)2013年7月3日閲覧。
  5. ^ F1、ベルギーGPと開催契約を延長。”伝統の地”スパ・フランコルシャンが2023年もカレンダーに残る”. motorsport.com (2022年8月28日). 2022年8月29日閲覧。
  6. ^ 存続危ぶまれたF1ベルギーGP、2025年まで開催契約を延長。”. motorsport.com (2023年10月13日). 2023年10月14日閲覧。
  7. ^ “ロマン・グロージャン、1レースの出場停止処分”. F1-Gate.com. (2012年9月3日). http://f1-gate.com/grosjean/f1_16379.html 2012年9月5日閲覧。 
  8. ^ a b "フェルスタッペン6勝目 断続的な雨で一時中断、再開も3周でレース終了". nikkansports.com. 日刊スポーツNEWS. 30 August 2021. 2021年8月30日閲覧
  9. ^ "F1で珍事…3周でレース終了 レッドブル・ホンダは今季7勝目/ベルギーGP". サンケイスポーツ. 産経デジタル. 30 August 2021. 2021年8月30日閲覧
  10. ^ フェルスタッペン優勝でレッドブルがマクラーレン・ホンダを抜く開幕12連勝! 角田裕毅は今季3度目の入賞|F1ベルギーGP決勝”. motorsport.com (2023年7月31日). 2023年7月31日閲覧。
  11. ^ Hans Etzrodt. “1930 CHAMPIONSHIP”. 2022年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月28日閲覧。
  12. ^ GP Belgium - Sports 4500 cc or 2250 cc s/c 1946 - Race Results”. Racing Sports Cars. 2023年12月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年1月28日閲覧。
  13. ^ 【F1 ベルギーGP】リチャルドが今季3勝目…タイトルを争うメルセデス勢がまさかの同士討ち - スポーツナビ、2014年8月25日閲覧
  14. ^ Belgian Grand Prix 2020 - F1 Race”. The Official F1 Website. 2020年8月31日閲覧。
  15. ^ Belgian Grand Prix 2021 - F1 Race”. The Official F1 Website. 2023年7月31日閲覧。
  16. ^ Belgian Grand Prix 2022 - F1 Race”. The Official F1 Website. 2023年7月31日閲覧。
  17. ^ Belgian Grand Prix 2024 - F1 Race”. The Official F1 Website. 2024年1月28日閲覧。
  18. ^ Belgian Grand Prix 2023 - F1 Race”. The Official F1 Website. 2023年7月31日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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