ベルト・ド・オランド

ベルト・ド・オランド(Berthe de Hollande)またはベルト・ド・フリーズ(Berthe de Frise, 1050年代 - 1093年7月30日)は、フランスフィリップ1世の最初の王妃。実父はホラント伯フロリス1世、母はザクセン公ベルンハルト2世の娘ゲルトルート。父が1061年に死去した後、母はフランドル伯ロベール1世(フリース人伯)と再婚している。

ベルト・ド・オランド
Berthe de Hollande
フランス王妃
Bertha of holland.jpg
在位 1071年 - 1093年

出生 1050年代
ホラント伯領、フラールディンゲン
死去 1093年7月30日
フランス王国モントルイユ
配偶者 フランス王フィリップ1世
子女 コンスタンス
ルイ6世
アンリ
シャルル
ウード
父親 ホラント伯フロリス1世
母親 ゲルトルート・フォン・ザクセン
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生涯編集

1071年、継父ロベールとフィリップ1世の和平の一環として、ベルトはフィリップ王に嫁いだ[1]

フィリップ1世とベルトとの間には4男1女が生まれた。

1090年頃、夫フィリップ1世はこの結婚により、義父であるフランドル伯に頭が上がらない日々に嫌気が差し、新婚時代より太ったベルトに魅力を感じなくなっていた。

ベルトがフランス王室に嫁いで来た際の持参金であった領地のほとんどを占めるモントルイユの要塞に王妃を軟禁した。そして1092年、偽の家系図を作成し、教皇にベルトと自分の血族関係をでっち上げ、婚姻の無効を訴えベルトとの離婚を成立させた。

その後、フィリップ1世はシチリアルッジェーロ1世に使節を送り、娘のエンマに求婚する等、別の女性との再婚を企てた。フィリップはベルトと離婚した年内、アンジュー伯フルク4世と共に謁見に来たその妻、ベルトラード・ド・モンフォール出会い、その若さと美貌に魅了されて自分の臣下から妻を奪い取る形で再婚し、後妻とした。

不本意な離婚を強いられたベルトは失意の中、幽閉先で翌1093年に死去した。

一説によれば、突然ベルトの『太り過ぎ』を口実に、夫フィリップ1世から離縁を申し渡されたと伝えられている。

脚注編集

  1. ^ 佐藤、p. 53

参考文献編集

  • 佐藤賢一 『カペー朝 フランス王朝史1』 講談社現代新書、2009年