Rタイプベントレー1952年から1955年に製造した乗用自動車である[1][2]

スタンダードスチールサルーンボディのRタイプ

概要 編集

ベントレー・マークVIの兄弟車ロールス・ロイス・シルヴァードーンが1952年にマイナーチェンジをした際、名称を変更せずマイナーチェンジの扱いだったが、マークVIはモデルチェンジの扱いとなりRタイプとなった[2][1]マークVIIRタイプとする文献もある[1]

内容はシャシ改良[1]とスタンダードスチールボディの延長[1]トランクが大型化[2][1]された。シフトレバーは右ハンドル仕様でシート右横フロアシフト、左ハンドル仕様でコラムシフト[1]。また4速ATを1952年[1]のうちにオプション設定[2]、1953年には左ハンドル仕様で標準化、1954年には右ハンドル仕様でも標準となった。

ボディは引き続きロールス・ロイス製スタンダードスチールボディであったがコーチビルドボディも用意された[2]

1955年、シルヴァードーンシルヴァークラウドへのモデルチェンジと同時にSタイプにモデルチェンジして製造中止となった[2]。生産台数は2,320台[1][2][注釈 1]で、うちコーチビルド303台[2]

 
Rタイプ・コンチネンタル

コンチネンタル 編集

第二次世界大戦後のベントレーがツインSUキャブレターホイールベースを除いてロールス・ロイスと変わらなくなってしまった反省から企画され、少なくとも戦前のロールス・ロイス製ベントレーの水準までスポーツ的な性格を回復したモデルがRタイプ・コンチネンタルである[1]

圧縮比を6.75から7.25[1]に上げ[2]、2ドアコーチビルドボディ架装を前提[2]とする。重量は通常のRタイプのスタンダードスチールボディで1,912 kgだったものが1,678 kgに軽量化され、最終減速比を3.47から3.077に引き下げ、空気抵抗低減も相まってSS¼マイルを18.5秒で走った[1]トランスミッションは4速MTだったが1954年ATがオプション設定され、これに伴いSタイプロールス・ロイス・シルヴァークラウドが1955年から搭載した4,887 ccユニットを先行して搭載した[2]。生産台数は208台[2][注釈 2]で、その全てコーチビルドボディを搭載していた[2]。このうちH・J・ミュリナークーペ193台、パークウォード製のクーペと4席オープン合わせて6台、グレイバー3台、フラネイ5台、ピニンファリーナ1台であった[2]。実測の最高速度は初期型で171 km/h[2]とも185 km/h[1]とも言い、4,887 ccエンジン搭載車は188 km/h[2]に達した。戦後のロールス・ロイス、ベントレーを通じて最も素晴らしい車とする評価もある[1]

生産4号車はアメリカ富豪カーガイであったブリッグス・カニンガムがエンジンを後の4.9リットルに載せ替えて愛用した[1]

注釈 編集

  1. ^ コンチネンタルRを含まない。
  2. ^ 『世界の自動車-22 ロールス・ロイス ベントレー - 戦後』は207台とするが、細かく内訳を記載しその合計数が合致する『ワールド・カー・ガイド27ロールス・ロイス&ベントレー』の数を説得力が高いと考え採用した。

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 『世界の自動車-22 ロールス・ロイス ベントレー - 戦後』pp.36-45。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『ワールド・カー・ガイド27ロールス・ロイス&ベントレー』pp.109-156「ベントレーとモータースポーツ」。

参考文献 編集