ペシャワール会

日本の非政府組織のひとつ

ペシャワール会(ペシャワールかい、Peshawar-kai)は、パキスタンでの医療活動に取り組んでいた医師中村哲を支援するために1983年に結成された非政府組織パキスタン北西辺境州および国境を接するアフガニスタン北東部で活動している。アフガニスタンにおいては、現地組織である平和医療団(Peace Japan Medical Services; PMS)の活動が2021年のタリバーンによる政権奪取で一時中断していたが、ナンガルハル州で同年8月21日に診療所が、9月2日には灌漑事業が再開された[1]

ペシャワール会
Peshawar-kai
設立 1983年9月
設立者 中村哲
種類 慈善団体
法的地位 非政府組織
目的 本会は、中村哲医師のパキスタン北西辺境州(現パクトゥンクワ州)ならびにアフガニスタンでの医療活動などを支援し、必要な広報・募金活動とともにワーカーの派遣を行なうことを目的とする。
本部 福岡市中央区春吉 1-16-8 VEGA天神南 601号
会員数
約12,000人
職員数
約300名の現地職員
ウェブサイト www.peshawar-pms.com
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中村は当初、主にハンセン病の治療に取り組んでいたが、2000年の大旱魃時の赤痢患者急増をきっかけに、清潔な飲料水の確保にも取り組むようになった。また、自給自足が可能な農村の回復を目指し、農業事業にも取り組んでいる。

2001年の米軍によるアフガニスタン空爆の際には「アフガンいのちの基金」を設立、アフガニスタン国内避難民への緊急食糧配給を実施した。日本の人々から募金が寄せられ、2002年2月までに15万人の難民に配給を行った。

後にこの基金をもとにした総合的農村復興事業「緑の大地計画」が実施されることとなった[2][3]

活動 編集

アフガニスタン東部のクナール川英語版の運河計画に携わり、 ジャラーラーバードの北部35kmにあるダラエヌール渓谷ガンベリ英語版砂漠を緑豊かな森林と生産性の高い小麦畑に変えた。

医療事業 編集

1991年からは、アフガニスタンのナンガルハール州で医療サービスを提供する3つの診療所を開設、そこで栄養失調がこの地域の健康問題の根本原因であることを特定した。これ以降は、仕事の範囲を農業と灌漑に広げ、アフガニスタン東部の運河プロジェクトの建設に焦点を当てるようになった[4]

水源確保事業 編集

 
クズ・クナール地区のクナール川
(北緯34度33分56秒 東経70度35分39秒 / 北緯34.5654181度 東経70.5940815度 / 34.5654181; 70.5940815)

ペシャワール会ではパキスタン北西辺境州の飲料水および農業用水の問題を改善するために、地元に伝わる昔ながらの工法を用いた井戸の設置やカナート(カレーズ)の復旧工事を進めている。アフガニスタンからの大量の難民の発生の大きな原因は旱魃でもあり、ユニセフによると、アフガニスタンの子どもの6人に1人の幼児が5歳以下で死亡し、その多くが慢性的な下痢が原因で命を落としている。これは、水源が確保できないため、上下水共用の不衛生な水を飲料利用していることにある(2004年10月)。

2003年からは、ナンガルハール州クズ・クナール地区英語版において、マルワリード運河の建設を開始した。この用水路はクナール川から水を引いており[5]灌漑用水確保15ヵ年計画として、アフガニスタンで山田堰及び堀川用水の利水構造をモデルとする全長27kmの大規模な用水路建設を開始した。

マルワリード運河は、2007年3月15日に第一期13kmが完成した。2010年に完成した全長25.5 kmのこの用水路の稼働により、約3,000 haの荒廃地が農地に変貌した[6][7][8][9]

さらにジャラーラーバード郊外のガンベリ砂漠周辺において、8本の運河を建設・修復、16,000 ヘクタールを灌漑し、60 万人の生活を支えた[4]。さらにクナール川に 11 個のダムを建設した[10]

農業支援 編集

アフガニスタンにおける安定した生活基盤の回復を実現するため活動を行っている。

また、紛争地帯の人々を井戸掘りなどのインフラ整備で雇用することによって、彼らが軍閥に職を求めることを予防している。

評価 編集

  • 1993年 - 第1回福岡県文化賞(福岡県主催)の交流部門受賞。
  • 2002年 - 第1回沖縄平和賞沖縄県主催)受賞[11]
  • 2003年 - マグサイサイ賞・平和国際理解部門受賞。
  • 2004年 - イーハトーブ賞(宮沢賢治学会主催)受賞。
  • 2009年 - 福岡市市民国際貢献賞(福岡市主催)受賞[12]
  • 2020年 - 第6回食の新潟国際賞大賞(公益財団法人食の新潟国際賞財団主催)受賞[13][14]

マグサイサイ賞及びイーハトーブ賞は中村の個人的な業績に対する受賞である。2003年時点で、ペシャワールの病院と4カ所にある診療所を合わせての年間の総診療数は15万人超である[15]

会員拉致殺害事件 編集

2008年8月26日ジャラーラーバード近郊を自動車で移動していた男性スタッフが武装集団に包囲され運転手とともに拉致された。その後、男性日本人スタッフ・伊藤和也(当時31)と見られる遺体が発見された[16]。27日にはターリバーンのムジャヒド広報官が、ターリバーンによる男性の拉致と殺害を認め、「このNGOが住民の役に立っていたことは知っている。だが、住民に西洋文化を植え付けようとするスパイだ」「すべての外国人がアフガンを出るまで殺し続ける」「日本のように部隊を駐留していない国の援助団体でも、われわれは殺害する」との声明を発表した[17][18]

中村哲現地代表の殺害 編集

2019年12月4日、現地代表の中村哲がナンガルハル州ジャララバードで武装勢力の襲撃を受け、死亡した[19]。当初、ターリバーンは事件への関与を否定する声明を出した[20]。その後の捜査の結果、捜査当局はパキスタン・ターリバーン運動の地方幹部の男を主犯格と特定したが、男はその後、襲撃事件で死亡した[21]

クズ・クナール地区には、彼の名前を記した Nakamura Park Jalalabad が建設された(北緯34度33分59秒 東経70度32分11秒 / 北緯34.5664402度 東経70.536266度 / 34.5664402; 70.536266)。

脚注 編集

出典 編集

  1. ^ 「ペシャワール会 アフガン支援再開」毎日新聞』朝刊2021年10月8日(総合・社会面)同日閲覧
  2. ^ 中村哲:アフガンいのちの基金No.69「いのちの基金/第二期計画 原案」「緑の大地」計画. 2001年12月27日(2021年9月16日閲覧)
  3. ^ 緑の大地計画|ペシャワール会(2021年9月16日閲覧)
  4. ^ a b Water, Not Weapons – Special Programs – TV Programs – NHK WORLD – English” (英語). 2017年2月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月11日閲覧。
  5. ^ OSRO”. osro502.org. 2017年2月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2017年2月11日閲覧。
  6. ^ ペシャワール会報119号”. ペシャワール会 (2014年4月1日). 2017年12月29日閲覧。
  7. ^ “アフガン人が夢見る「オレンジの歌会」復活”. SankeiBiz. (2017年5月9日). https://web.archive.org/web/20170510184051/http://www.sankeibiz.jp/macro/news/170509/mcb1705090500004-n1.htm 2017年12月29日閲覧。 
  8. ^ "世界が注目、水を治める江戸の知恵 福岡・山田堰". 日経電子版. 2015年10月10日. 2017年12月30日時点のオリジナルよりアーカイブ。2023年2月25日閲覧
  9. ^ 水とともに2013年1月号” (PDF). 独立行政法人 水資源機構. p. 15. 2017年12月29日閲覧。
  10. ^ Muzhda, Wahid (2019年12月5日). “Afghans Hold Vigils for Slain Dr. Nakamura”. TOLO News. 2019年12月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月6日閲覧。
  11. ^ 第1回沖縄平和賞受賞者”. 沖縄県. 2021年8月29日閲覧。
  12. ^ 福岡市市民国際貢献賞”. 福岡市. 2021年8月29日閲覧。
  13. ^ 【第6回 食の新潟国際賞 】” (PDF). 2021年8月29日閲覧。
  14. ^ 佐野藤三郎記念 食の新潟国際賞”. 2021年8月29日閲覧。
  15. ^ マグサイサイ賞”. ペシャワール会. 2021年9月16日閲覧。
  16. ^ アフガニスタンにおける邦人誘拐事件について 日本国外務省(2008年8月26日)
  17. ^ 【アフガン邦人男性拉致】タリバン「殺害した」 全外国人が標的”. MSN産経ニュース (2008年8月27日). 2010年6月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2008年9月26日閲覧。
  18. ^ 菜の花畑の笑顔と銃弾”. NHKスペシャル. 日本放送協会. 2012年11月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年2月21日閲覧。
  19. ^ “アフガンで銃撃、中村哲医師が死亡 現地で人道支援”. 朝日新聞デジタル. (2019年12月4日). https://www.asahi.com/articles/ASMD45HLBMD4UHBI02P.html 
  20. ^ アフガニスタンで銃撃された中村哲医師死亡”. NHK NEWS WEB. 日本放送協会. 2019年12月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月4日閲覧。
  21. ^ “中村哲さん殺害、捜査当局が主犯格を特定 死亡の可能性”. 朝日新聞デジタル. (2021年2月10日). https://www.asahi.com/articles/ASP296KVHP29UHBI04G.html 

外部リンク 編集