ペシュティーゴ火災

ペシュティーゴ火災(ぺしゅてぃーごかさい、英語:Peshtigo fire)は、1871年10月8日アメリカ合衆国中央北部のウィスコンシン州ペシュティーゴ(Peshtigo)で発生した大規模な森林火災である。合衆国史上最悪の野火(wildfire)で[1]、約1500人[1]、もしくは2500人もの死者が出たと推定されている[2]

ペシュティーゴ火災
(Peshtigo fire)
PeshtigoFireExtend.png
野火被害の範囲(Extent of wildfire damage)
現場 ウィスコンシン州ペシュティーゴ
座標 北緯45度03分 西経87度45分 / 北緯45.05度 西経87.75度 / 45.05; -87.75座標: 北緯45度03分 西経87度45分 / 北緯45.05度 西経87.75度 / 45.05; -87.75
発生日 1871年10月8日 (1871-10-08)
死者 1,500人–2,500人(推定)
焼け残った数少ない木材のひとつ ペシュティーゴ火災博物館

同日に有名なシカゴ大火が発生したため、ペシュティーゴ火災はすっかり忘れられている[3][4]。ペシュティーゴおよびシカゴの火災と同じ日に、ミシガン州ホランドおよびマニスティー(Manistee)(ペシュティーゴからミシガン湖を越えて)、およびヒューロン湖の南端ポートヒューロンでも大火災が発生したために、同時代人および歴史家が共通の原因に関する様々な説を挙げている。

ファイアストーム

耕地開拓と鉄道建設のために森林を開墾する共通の方法は、火を放つことである。ペシュティーゴ火災の日、寒冷前線が西から通過したことで強風下にあった。そのため火を抑えられなくなり、拡大へとつながった[5]。その後、ファイアストームが起こった。ゲッス(Gess)とルッツ(Lutz)の言葉を借りれば、ファイアストームでは、「少なくとも華氏2000度(約摂氏1083度)の、過熱された炎が...時速100マイル(約160.934キロメートル)あるいはもっと強い風で前進した。その火災範囲は、直径1000フィート(約304.8メートル)ないし1万フィート(約3048メートル)....ファイアストームが森林で噴出するとき、それは空気で膨らんだ、自然の核爆発である....」("superheated flames of at least 2,000 degrees Fahrenheit...advance on winds of 110 miles per hour or stronger. The diameter of such a fire ranges from one thousand to ten thousand feet....When a firestorm erupts in a forest, it is a blowup, nature's nuclear explosion....")[6]:101

ファイヤーストームが収まるまでに、1875平方マイル(4,860 km2 すなわち120万エーカー)が焼け[7][8][9]、その地域はロードアイランド州よりも50パーセント大きかった。12のコミュニティーが破壊された。

正確な死者数は判明していないが、これは地元の記録が火災のために失われたためである。1200人ないし2500人が命を失ったと考えられている。ウィスコンシン議会への1873年の報告は、死者、行方不明の住民1182名の名前を一覧表にした[10]。1870年に、ペシュティーゴ町の住民は1749人であった[11][12]。350超の遺体が共同墓地に埋葬されたが[13]、これはおもに、死者があまりに多く、すべての遺体の身元を確認できる生存者がいなかったからである。

 
共同墓地

火災はペシュティーゴ川(Peshtigo River)を越え、入江の両岸が焼けた[14]。生存者らは、ファイアストーム(firestorm)がファイア・ホワール(fire whirl)(これは竜巻(tornade)と形容された)を発生させ、ファイア・ホワールは鉄道車両と家屋を空中に投げ上げた、と報告した。多くの人々が、火炎から逃れてペシュティーゴ川、井戸、あるいはその他の付近の水体(bodies of water)に全身を浸した。溺れ死んだ人々も居れば、また低体温症で倒れた人々も居た。グリーン・アイランド灯台(Green Island Light)は、視界を遮る煙のために昼間も点灯したが、3本マスト・スクーナー『George L. Newman』は沖合で難船した。ただし乗組員は救助された[15]

同時に、別の火災がドア半島の一部を焼いた。偶然の一致のために、火災がグリーンベイを跳び越えたと不正確にも推定した人々も居た[16][Note 1]。ドア半島のロビンソンヴィル(Robinsonville)(現チャンピオン(Champion))では、シスター・アデル・ブライズ(Sister Adele Brise)その他の修道女、農夫ら、そして家族らが、地元の礼拝堂に避難した。そこで彼らは、祈りと処女マリアへの献身に参加した。礼拝堂は火炎に包まれたが、焼け残った[17][18][19]。礼拝堂に集まった人々は、自分たちの生存を奇跡と見なした[19]

彗星説

1883年に最初に提出されたある推測によれば、同じ日のペシュティーゴおよびシカゴの火災の発生は偶然の一致ではなく、その日イリノイ、ミシガンおよびウィスコンシンで発生した大火災はビエラ彗星の衝突によって引き起こされたというものである。この説は1985年の書籍で復活し[20][21]、2004年のアメリカ航空宇宙工学協会(American Institute of Aeronautics and Astronautics)への文書で調査された[22]。専門技術を有した地域の科学者らは、彗星は地表に達したとしても冷たいので火災を起こすことはできない、と主張し[23]、彗星によって出火した火災の信頼し得る報告は無かった[23][24]

そのうえ、地球外作用に帰せられたシカゴおよびペシュティーゴの火災の振る舞いのさまざまな側面には、もっとつまらない説明があった[25]。どの事件においても、出火の外的原因は必要ではなかった。土地開墾その他の原因による多くの小さな火災が、乾いた夏の後ですでにこの地域で発生していて[6][26] あまりに多くの煙を発生させたために、主なる火災の前にグリーン・アイランド灯台(Green Island Light)は、何週間にもわたって、いちにち24時間点灯しつづけた[27]。中西部における火災のみならず、ファイアストームを発生させるのに必要なものはすべて、その晩に動いた前線からの風であった[26]

遺産

 
ペシュティーゴ火災博物館(Peshtigo Fire Museum)

ウィスコンシン州の国道41号線の真西の、ペシュティーゴ火災博物館(Peshtigo Fire Museum)には、火災からの人口遺物の小さな収集、事件の一人称形式での説明、そして悲劇の犠牲者らに捧げられたペシュティーゴ火災共同墓地(Peshtigo Fire Cemetery)がある。火災を記念する記念物は2012年10月8日にペシュティーゴ川に架かる橋で奉献された[28]

シスター・アデル・ブライズその他が火災から避難した礼拝堂は、ナショナル・シュライン・オヴ・アウア・レィディー・オヴ・グッド・ヘルプ(National Shrine of Our Lady of Good Help)となった。この敷地は聖母マリアのいち社(やしろ)であり、そこで訪問者は宗教的な巡礼をおこなうことができる[19]

風、地勢、および火元の組み合わせは、人間の居留地と自然地域の境界における諸条件を主として表わすファイアストームを引き起こし、ペシュティーゴ・パラダイム(Peshtigo Paradigm)として知られている[29]。諸条件は、第二次世界大戦中に、アメリカおよびイギリスの軍によって、綿密に研究され、ドイツと日本の都市に対する爆撃作戦のためにファイアストームの諸条件を再現する方法を学んだ。発焼装置(incendiary device)によるドレスデン爆撃およびより悲惨な東京大空襲は、広島市への原爆投下および長崎市への原子爆弾投下に匹敵する死者数を出すという結果に終わった[29]

注釈

  1. ^ "Because of the timing, many people later thought—incorrectly, it now appears—that this fire was an offshoot of the one that had struck Peshtigo and that it had somehow jumped across the 30-mile-wide bay."[16]

出典

  1. ^ a b Biondich, S. (2010年6月9日). “The Great Peshtigo Fire”. Shepherd Express. http://www.expressmilwaukee.com/article-11172-the-great-peshtigo-fire.html 2011年11月9日閲覧。 
  2. ^ Scott Knickelbine. The Great Peshtigo Fire: Stories and Science from America's Deadliest Firestorm. Madison, WI: Wisconsin Historical Society Press, 2012.
  3. ^ Christine Gibson. "Our 10 Greatest Natural Disasters". American Heritage, vol. 57, no. 4 (August/September 2006).
  4. ^ John Steele Gordon. "Forgotten Fury". American Heritage, vol. 55, no. 4 (April/May 2003). Retrieved May 24, 2017.
  5. ^ Hemphill, Stephanie (2002年11月27日). “Peshtigo: a tornado of fire revisited”. News and Features. Minnesota Public Radio. 2008年3月30日閲覧。
  6. ^ a b Gess, D.; Lutz, W. (2003). Firestorm at Peshtigo: A Town, Its People, and the Deadliest Fire in American History. New York: Macmillan. ISBN 978-0-8050-7293-8. OCLC 52421495. https://www.google.com/books?id=7ALzHG4sRmAC&pg=PA1 
  7. ^ Kim Estep. "The Peshtigo Fire" Green Bay Press-Gazette. National Weather Service.
  8. ^ Wisconsin Department of Natural Resources. Wisconsin Wildfires > 250 Acres, 1871 - Present. September 11, 2017.
  9. ^ Everett Rosenfeld. Top 10 Devastating Wildfires: The Peshtigo Fire, 1871". Time, June 8, 2011.
  10. ^ Wisconsin. Legislature. Assembly (1873). Journal of Proceedings. pp. 167–172. https://books.google.com/books?id=e9Y2AQAAMAAJ&pg=RA1-PA167 2013年8月8日閲覧。 
  11. ^ United States Census Bureau. The Statistics of the Population of the United States ... Compiled, from the Original Returns of the Ninth Census (June 1, 1870), Vol. 1. Washington, DC: G.P.O., 1872, p. 292.
  12. ^ 1870 Federal Census of town of Peshtigo”. Rootsweb.ancestry.com. 2013年10月8日閲覧。
  13. ^ registered historic marker (Image:PeshtigoFireCemetery.jpg), dated 1951, accessed August 26, 2007
  14. ^ Hipke, Deana C.. “The Great Peshtigo Fire of 1871”. 2013年1月26日閲覧。
  15. ^ Green Island Lighthouse”. Terry Pepper. 2010年11月26日閲覧。
  16. ^ a b Watson, Benjamin A. 1993. Acts of God: The Old Farmer's Almanac Unpredictable Guide to Weather and Natural Disasters. New York: Random House, p. 106.
  17. ^ "Shrine escaped devastation of Peshtigo Fire", The Compass, February 17, 2011. Retrieved October 8, 2013.
  18. ^ "Robinsonville: A Wisconsin Shrine of Mary", Catholic Herald, Milwaukee, Wisconsin, May 23, 1935. Retrieved October 8, 2013.
  19. ^ a b c Troubles and Miracles”. Shrine of Our Lady of Good Help (2011年). 2013年11月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年3月1日閲覧。
  20. ^ Waskin, Mel (1985). Mrs. O'Leary's Comet: Cosmic Causes of the Great Chicago Fire. Academy Chicago Publishers. ISBN 0897331818 
  21. ^ Fire From The Sky. WTBS documentary, 1997
  22. ^ Wood, Robert M. (2004年). “Did Biela’s Comet Cause The Chicago And Midwest Fires? (PDF)”. American Institute of Aeronautics and Astronautics. 2009年3月25日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月31日閲覧。
  23. ^ a b Calfee, Mica (February 2003). “Was It A Cow Or A Meteorite?”. Meteorite Magazine 9 (1). http://www.fireserviceinfo.com/cow-comet.html 2011年11月10日閲覧。. 
  24. ^ Meteorites Don't Pop Corn”. NASA Science. NASA (2001年7月27日). 2011年11月10日閲覧。
  25. ^ Bales, R. F.; Schwartz, T. F. (April 2005). “Debunking Other Myths”. The Great Chicago Fire and the Myth of Mrs. O'Leary's Cow. McFarland. pp. 101–104. ISBN 978-0-7864-2358-3. OCLC 68940921. https://www.google.com/books?id=clov25F-2dQC&pg=PA101 
  26. ^ a b Bales, R. F.; Schwartz, T. F. (April 2005). “Debunking Other Myths”. The Great Chicago Fire and the Myth of Mrs. O'Leary's Cow. McFarland. p. 111. ISBN 978-0-7864-2358-3. OCLC 68940921. https://www.google.com/books?id=clov25F-2dQC&pg=PA111 
  27. ^ Keepers of the Light – 1871 account”. Survivor Stories of the Peshtigo Fire. Oconto County WIGenWeb Project. 2011年11月20日閲覧。
  28. ^ "Large Crowd Attends Fire Monument Event." 2012. Peshtigo Times (11 October).
  29. ^ a b Tasker, G. (2003年10月10日). “Worst fire largely unknown”. The Baltimore Sun. 2013年10月9日閲覧。

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外部リンク