ペレグリン・バーティー (第3代アンカスター=ケスティーヴァン公爵)

第3代アンカスター=ケスティーヴァン公爵ペレグリン・バーティー英語: Peregrine Bertie, 3rd Duke of Ancaster and Kesteven PC1714年1778年8月12日)は、グレートブリテン王国の貴族。1715年から1723年までウィロビー・ディ・アーズビー卿、1735年から1742年までリンジー侯爵儀礼称号を使用した。

第3代アンカスター=ケスティーヴァン公爵
ペレグリン・バーティー
Pregrine Bertie
式部卿
任期
1778年 – 1742年
個人情報
生誕1714年
死没1778年8月12日
配偶者エリザベス・ブランデル
メアリー・パントン
子供#家族参照
父:ペレグリン・バーティー
母:ジェーン・ブラウンロー

生涯 編集

第2代アンカスター=ケスティーヴァン公爵ペレグリン・バーティーとジェーン・ブラウンローの長男として生まれ、1742年に父が死去すると爵位を継承した[1]

1742年から1778年まで式部卿リンカンシャー統監英語版を、1755年から1765年まで寝室侍従英語版を、1766年から1778年まで主馬頭英語版を務めた[2]。また、軍階では1755年に少将に、1759年に中将に、1772年に大将になった[2]

1778年8月12日に死去、息子ロバートが爵位を継承した[1]

家族 編集

 
アンカスター=ケスティーヴァン公爵夫人メアリー・パントン

1735年5月22日、エリザベス・ブランデル(Elizabeth Blundell、1743年12月没、ウィリアム・ブランデルの娘で相続人)と結婚したが、2人は子供をもうけなかった[1]。1750年11月27日、メアリー・パントン英語版(1793年10月19日没、トマス・パントンの娘)と再婚[1]、3男3女をもうけた[3]

脚注 編集

  1. ^ a b c d Burke's Peerage (英語) (99th ed.). 1949. p. 52.
  2. ^ a b George Edward Cokayne, ed. Vicary Gibbs英語版, The Complete Peerage, volume I (St Catherine Press, London 1910) p. 128.
  3. ^ "Monumental Memoirs of the Bertie Family". The Gentleman's Magazine (英語). 78: 21–22. 1808.
公職
先代
第2代アンカスター=ケスティーヴァン公爵
式部卿
1742年 – 1778年
次代
第4代アンカスター=ケスティーヴァン公爵
先代
ウェイマス子爵
シャーロット王妃主馬頭英語版
1765年 – 1766年
次代
第2代デ・ラ・ウォー伯爵英語版
先代
初代ハートフォード伯爵
主馬頭英語版
1766年 – 1778年
次代
初代ノーサンバーランド公爵
名誉職
先代
第2代アンカスター=ケスティーヴァン公爵
リンカンシャー統監英語版
1742年 – 1778年
次代
第4代アンカスター=ケスティーヴァン公爵
グレートブリテンの爵位
先代
ペレグリン・バーティー
アンカスター=ケスティーヴァン公爵
1742年 – 1778年
次代
ロバート・バーティー