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地理編集

ヴェルマンドワ地方に属する。ソンム川がコミューン内を流れる。

交通編集

  • 道路 - A1、A29

歴史編集

 
城壁の一部
 
第一次世界大戦で破壊された聖堂広場

ソンム川とその潟を見下ろす丘の上にあるペロンヌは、メロヴィング朝時代から軍事上の本拠地で、9世紀には城壁が築かれた。現在も残るブルターニュ門は、古い要塞の名残である。

929年、シャルル3世は捕われの身のままペロンヌのダンジョン内で死んだ。1151年までのペロンヌはコミューンとして機能したが、12世紀のフィリップ2世時代に塔を備えた城が築かれた。それは堀で囲まれ、落し格子門で入り口が守られていた。

1468年10月10日から14日まで、シャルル突進公は城に閉じ込めていたルイ11世ペロンヌ条約英語版への署名を強要した。

1536年、神聖ローマ皇帝カール5世はペロンヌを包囲したが占領に失敗した。マリー・フレことカトリーヌ・ド・ポワ(fr)は、城壁の最上部にいたスペイン兵士を投げ落とし、都市を守った。

フランスの歴史と関わる都市は数少なく、しばしば荒廃した都市も数少ない。ペロンヌはノルマン人の侵入で焼かれ、略奪され、スペインによる攻城戦でひどい被害を受けた。普仏戦争中の1870年にはドイツによって荒らされ、第一次世界大戦中の1917年に都市全体が破壊された。1940年5月のドイツ空軍による空襲と爆撃で、ペロンヌはクロワ・ド・ゲール勲章とレジオン・ドヌール勲章を授けられた。

史跡編集

  • サン=ジャン=バティスト聖堂 - 1914年から1918年の間にほとんどが破壊され、1944年にはフランボワイヤン・ゴシック様式のファサードが一部残るのみであった。フランス革命前のペロンヌには教区が7つあった。1980年代に復元工事が行われ、現在はアミアン司教座に属する。
  • マリー・フレ像
  • ブルターニュ門

経済と観光編集

2つの世界大戦において戦闘が起きた地であるため、ヘリテージツーリズムが行われている。特にアングロサクソン系の観光客が多い。ソンム川谷の中心にあるペロンヌは、池や野原に挟まれた釣り人や狩猟者の楽園として知られている。

人口統計編集

1962年 1968年 1975年 1982年 1990年 1999年 2006年
5 081 7 146 8 568 9 129 8 497 8 380 8 218

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出身者編集

  • ピエール・マク・オルラン(1882-1970) - 作家
  • ファヒド・ベン・ハルファラー(1982-) - プロサッカー選手

姉妹都市編集

脚注編集