ホセ・パティーニョ

この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はパティーニョ第二姓(母方の)はロサレスです。(Template:スペイン語圏の姓名

ドン・ホセ・パティーニョ・イ・ロサレスJosé Patiño y Rosales、1666年4月11日 – 1736年11月3日)はスペインの政治家で、ミラノで生まれた。1734年から1736年にかけてスペインの首相を務めた。

ホセ・パティーニョの肖像
ラファエル・テゲオ英語版

生涯編集

彼の父親であるドン・ルーカス・パティーノ・デ・イバラ(Don Lucas Patiño de Ibarra)は、ガリシアに起源を持つセニョール・デ・カステラル(Señor de Castelar)だった。父親はスペイン統治下のミラノ公国における軍隊の監察官であり、秘密委員会のメンバーだった。母親の結婚前の名前はベアトリセ・デ・ロサレス・イ・ファシーニ(Beatrice de Rosales y Facini)だった。

パティーノの家族はスペイン継承戦争ではブルボン王朝を強く支持していた。兄のバルタサールは後にカステラル侯爵となったが、彼は外交官としてのキャリアを歩み、彼の息子のルーカスは著名な将軍だった。ホセ・パティーノは聖職者を志望していたが、世俗職を歩み、1700年にフェリペ5世が王位に就くとミラノの元老院に議席を与えられた。スペイン継承戦争でスペインがミラノ公国失うと、彼はスペインへと戻され、1707年に軍令部の統治機関に勤めた。

スペイン継承戦争の間、彼はエストレマドゥーラ州地方行政長官英語版(インテンダント)となり、1711年から1718年の間はカタルーニャ州のインテンダントを勤めた。1717年に海軍のインテンダントに任命された。その海軍はフランス式に再編されたところだった。激務に対する彼の能力と才能はジュリオ・アルベローニ英語版に認められることとなり、彼自身の安全を守ることになった。しかし彼は私生活では決して打ち解けた交友関係を持たなかった。パティーニョのイタリアでの教育は彼のスペイン・スタイルに影響を与え、彼の生涯を通じてイタリア主義へと陥らせる原因となり、かつ彼を更に出世させることに役立ったのかも知れない。

パティーニョは、頑固な王妃エリザベッタ・ファルネーゼと国王に強くそそのかされたことでアルベローニにより着手された無謀な外交に強い不信感を持った。彼は、それが惨禍を導くものであると予想したが、公的業務では指示に従うだけで、1718年から1720年にかけてサルディーニャシチリアセウタに派遣されて多様な遠征軍を主催する利点を享受していた。彼は後年国王と王妃に知られるようになり、四カ国同盟戦争ではナヴァラの辺境地帯でフランス軍に対する悲惨な作戦の間に宰相のような行動をとるようになっていた。

1726年までに彼は国王から十分な信頼を受けるようになり、彼と彼の兄のカステラル侯爵は冒険家リペルダー英語版の主たる反対者となっていた。リペルダーはその頃国王と王妃をとりこにしていた。この注目すべき人物の没落で、パティーニョは海軍とインディアス(アメリカ大陸のスペイン植民地)と外交のための秘書官に任命された。軍務省が後々他の部門に追加された。

1726年5月13日以来彼の死没時まで、パティーニョは宰相の地位にあった。彼の行政府時代の後半はイギリスとの面倒な交渉に深く関わらされた。すなわち、新大陸における植民地と商業に関するイギリスとスペインの二国間の競合における紛争関係であり、この紛争は、彼の死後、1739年にジェンキンスの耳の戦争を引き起こした。

1735年に彼はスペイン・ポルトガル戦争 (1735-37年)英語版を開始し、ポルトガルから南アメリカのバンダ・オリエンタルを取り戻した。

彼のパティーニョとカンピーリョ(Patiño y Campillo) (マドリード, 1882年)において、ドン・アントニオ・ロドリゲス・ビラ(Don Antonio Rodríquez Villa)は政治家の生涯の生没年を集め、いくつかの価値ある書籍を出版した。しかしパティーニョ政権の最高の解説は歴史家のウィリアム・コックス英語版ブルボン家のスペインの諸王の回想(Memoirs of the Kings of Spain of the House of Bourbon) (ロンドン、1815年)に見出すことができる。そこではマドリードでのイギリスの大臣の通信文書を見出すことができるのである。

脚注編集

  •   この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Patiño, José". Encyclopædia Britannica (英語) (11th ed.). Cambridge University Press.

外部リンク編集

関連項目編集

公職 スペインの首相
1734年-1736年
次代:
セバスティアン・デ・ラ・クアドラ (初代ビリャリアス侯爵)英語版