ホレイショ・ウォルポール (第2代オーフォード伯爵)

第2代オーフォード伯爵ホレイショ・ウォルポール英語: Horatio Walpole, 2nd Earl of Orford1752年6月13日1822年6月15日)は、イギリスの貴族、政治家。1757年から1806年までホレイショ・ウォルポール閣下儀礼称号を、1806年から1809年までウォルポール卿の儀礼称号を使用した。

生涯 編集

初代オーフォード伯爵ホレイショ・ウォルポールとレイチェル・キャヴェンディッシュ(第3代デヴォンシャー公爵ウィリアム・キャヴェンディッシュの三女)の長男として、1752年6月に生まれた[1]。1764年から1770年までイートン・カレッジで教育を受けた後[2]、1771年5月6日にケンブリッジ大学トリニティ・カレッジに入学、1773年にM.A.の学位を修得した[3]

1780年イギリス総選挙ウィガン選挙区英語版から出馬して当選、以降ノース内閣が倒れるまで野党の一員として活動、1783年2月18日のシェルバーン伯爵の仮条約にも1783年11月27日のチャールズ・ジェームズ・フォックスの東インド法案にも反対票を投じた[2]1784年イギリス総選挙キングス・リン選挙区英語版に鞍替えした後は第1次小ピット内閣の野党として活動した[4]。父が1806年にオーフォード伯爵に叙された以降は野党活動を取りやめ、総人材内閣英語版(1806年 – 1807年)に反対せず第2次ポートランド公爵内閣英語版(1807年 – 1809年)を支持した[4]

1809年2月24日に父が死去すると、オーフォード伯爵の爵位を継承した[1]。以降は貴族院で反カトリックのトーリー党員として活動した[4]

1822年6月15日に死去、長男ホレイショが爵位を継承した[1]

家族 編集

1781年7月27日、ソフィア・チャーチル(1797年没、チャールズ・チャーチルの娘)と結婚[1]、下記の子女を儲けた。

1806年7月28日、キャサリン・タンストール(Catherine Tunstall、1807年没、ジェームズ・タンストール英語版の娘)と再婚した[1]

脚注 編集

  1. ^ a b c d e Burke's Peerage, Baronetage and Knightage (英語) (99th ed.). London: Burke's Peerage Limited. 1949. p. 2067.
  2. ^ a b Drummond, Mary M. (1964). "WALPOLE, Hon. Horatio (1752-1822), of Wolterton, Norf". In Namier, Sir Lewis; Brooke, John (eds.). The House of Commons 1754-1790 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年6月15日閲覧
  3. ^ "WALPOLE, The Hon. (WLPL771H)". A Cambridge Alumni Database (英語). University of Cambridge.
  4. ^ a b c Thorne, R. G. (1986). "WALPOLE, Hon. Horatio (1752-1822), of Piddletown, Dorset". In Thorne, R. G. (ed.). The House of Commons 1790-1820 (英語). The History of Parliament Trust. 2019年6月15日閲覧
グレートブリテン議会英語版
先代
ジョージ・ビング英語版
ヘンリー・シンプソン・ブリッジマン
庶民院議員(ウィガン選挙区英語版選出)
1780年1784年
同職:ヘンリー・シンプソン・ブリッジマン 1780年 – 1782年
ジョン・コーツ 1782年 – 1784年
次代
ジョン・コーツ
オーランド・ブリッジマン
先代
トマス・ウォルポール英語版
クリスプ・モリニュー英語版
庶民院議員(キングス・リン選挙区英語版選出)
1784年 – 1801年
同職:クリスプ・モリニュー英語版 1784年 – 1790年
サー・マーティン・フォルクス準男爵英語版 1790年 – 1801年
次代
連合王国議会
グレートブリテンおよびアイルランド連合王国議会
先代
グレートブリテン議会
庶民院議員(キングス・リン選挙区英語版選出)
1801年 – 1809年
同職:サー・マーティン・フォルクス準男爵英語版
次代
サー・マーティン・フォルクス準男爵英語版
ウォルポール卿
イギリスの爵位
先代
ホレイショ・ウォルポール
オーフォード伯爵
1809年 – 1822年
次代
ホレイショ・ウォルポール