T360(ティーさんびゃくろくじゅう)は、本田技研工業がかつて生産、販売していた軽トラックである。本項ではT360の小型車登録版にあたるT500(ティーごひゃく)についても記述する。

ホンダ・T360
AK250型[1]
T360(ホンダコレクションホール所蔵)
T500(同上)
T360スノーラ
概要
製造国 日本の旗 日本
販売期間 1963年8月-1967年11月
ボディ
乗車定員 2名
ボディタイプ 2ドア キャブオーバーピックアップトラック
駆動方式 MR
パワートレイン
エンジン AK250E型:水冷4ストローク直4DOHC 354cc
最高出力 30PS/8,500rpm
最大トルク 2.7kgf·m/6,500rpm
変速機 4速MT
前:ウイッシュボーン
後:リーフリジッド
前:ウイッシュボーン
後:リーフリジッド
車両寸法
ホイールベース 2,000mm
全長 2,990mm
全幅 1,295mm
全高 1,525mm
車両重量 610kg
系譜
後継 ホンダ・TN360
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概要 編集

1963年8月1日に発売された。

日本初のDOHCエンジン(2バルブ)搭載した4輪車で且つ、ホンダ初の4輪自動車でもある。当時のホンダの4輪開発担当責任者は、中村良夫。また、本田宗一郎がまるまる一台関与した唯一の車でもある。当初ホンダはS360(ショーモデルのみで発売されず)やS500といったスポーツカーの開発を進めていたが、専務の藤沢武夫が「(当時の)4輪車の需要は商用車の方が多いこと」「まだオートバイの販売網しかないホンダ販売店で売るための車」という点を考慮し「冬にバイクの代わりに売れるもの」「オートバイ店でも扱えるもの」として軽トラックの発売を進言したことからT360の開発は進められた[2]。1962年の第9回全日本自動車ショウでは、S360などと同時に展示されていた(『360cc軽自動車のすべて』三栄書房 52頁参照)。

外見は短いノーズを持つセミキャブオーバー風のレイアウトであるが、エンジンはフロントシート下に収められており、フレームはハット断面を持つサイドフレームから構成された梯子型で、フロントサスペンションはウィッシュボーン・コイルスプリング形式、リアはコンベンショナルなリジッドアクスル・リーフスプリング形式が採用されていた。

エンジンはS360用に開発された水冷直列4気筒エンジンが流用されたと言われているがこれは誤りで、軽トラックの試作車3X-120の空冷直列4気筒エンジンが水冷化される段階で、T360(XAK-250)とS360(TAS260)が共用できるように設計されたものである。 この水冷直列4気筒エンジンは鋳鉄製のスリーブ以外はオールアルミニウム合金製で、わずか360ccで30PS/8,500rpmと、軽自動車エンジンが20PS程度に留まっていた当時としては異例の高回転・高出力型となった[3]

前期型(AK250型)は4気筒エンジンの各気筒個別に京浜精機(現・ケーヒン)キャブレターを4連装備、あるいは三国工業(現・ミクニ)製双胴型キャブレターを2連装備したが、これは原型となったスポーツカーS360そのままの手法であった。トラックのエンジンとしてはメンテナンスやコスト面で得策でなく、後期型(BKと呼ばれるが正式な型式ではなく、ホンダSFなどではAK250改と呼称)はシングルキャブレター仕様となっている[4]

サイドブレーキおよびシフトレバーはステアリングコラムの右側に配置されているが、これは助手席に子どもが2名乗せられるようにとの配慮であった。

前期型では発電機は当時実用化されたばかりの交流発電機(オルタネーター)が採用され、日立製作所[5]日本電装から供給を受けていた。このオルタネーターはプーリーにラジエーター冷却用の強制空冷ファンが取り付けられており、12ボルト/250ワット(約21アンペア)の発電量を有していた[5]。T360のオルタネーターはS360とも共通で後にS500にも採用されていたが、T360のみの特徴的な点として、オルタネーターの後部にインテークパイプが取り付けられ、その先の濾紙式のエアクリーナーボックスを介してエンジンへと新気を供給していた[6]。オルタネーターの回転子遠心分離機として機能させることでアンダーフロア・エンジンオランダ語版レイアウトでもより清浄な空気の取り入れが図れる、野心的な設計であった。クランクベアリングにはバビットメタルを用いず、過去にホンダが手掛けたロードレーサーRA271の技術をそのまま転用した組立式クランクシャフトとローラーベアリングの組み合わせを採用。ラジエーターは2つ取り付けられており、外気温度とエンジン水温により2系統を使い分けるという水温制御が用いられており、片方のラジエーターで温められた空気が運転席に直接取り入れられる事で、カーヒーターの機能をも実装していた[7]

しかし、これらの野心的ではあるが複雑な設計は、販売後程なくして複数回の設計変更を受けることとなり、発電機は後期型ではオルタネーターとセルモーターが一体化したダイナモスターター英語版に変更され、冷却ファンはクランクシャフト直結型となった。4年の販売期間でシリンダーブロックの設計変更は9回、クランクシャフトの設計変更は6回にも及び、同じT360でありながらエンジン番号が僅かに違うだけでも発注した部品が取り付けできなくなってしまう程であった。ロータス・カーズを参考にした水冷機構は故障が多く、組立式のクランクシャフトと極細のニードルローラーベアリングは組立指定工具にピンセットが用いられるという、同時期のホンダ製オートバイ用エンジンやS600/S800用エンジンなどに精通した整備士であっても分解整備やオーバーホールに二の足を踏むほどの難物でもあった。組立式クランクシャフトを選択した理由は当時のホンダに一体式クランクシャフトを製造する大型工作機械が無かったことによる苦肉の策であるが、ニードルローラーベアリングの採用は極度の高回転エンジンで市場を驚かせることに固執した本田宗一郎の強い要望に因るものであり、中村良夫本人は「必ずしもローラーベアリングが必要だとは思わなかった」という。また戦前、三式戦闘機ハ40の設計・製造に携わり、戦時体制下におけるニッケルクロムなどの重要資材の欠乏から、ニードルローラーベアリングをはじめとするエンジン部品の製造品質の悪化に悩まされた苦い経験を持つ中村の執念から、T360のエンジン資材には当時の最高級品が惜しげもなく用いられたが、その結果エンジン1機の製造原価が車体の販売価格を上回るとすら噂されるほどのコスト上昇を招く結果を生んだ。中村は後年T360のエンジンを「オバケエンジン」と振り返ったが、実際に購入した顧客層の特殊性故か「顧客からのクレームは何故か無かった」とも述べていた。後年この時期のMade in Japan製品の数々を取材した藤沢太郎は、T360を評して「この軽トラは始めから間違っていた」と総括した[8]

1966年10月、一部改良に伴い、灯火器及び反射器等に関する法規に対応するためフロントフェンダーの左右側面に小丸型のサイドターンシグナルランプが装備された。

1967年11月、N360用と同一の空冷2気筒SOHCエンジンを搭載したキャブオーバータイプの後継車TN360に道を譲り販売終了。

T360は4年間に10万892台製造販売されたが、この4年間で国内他社の軽トラックの合計販売台数は154万3154台に上り、T360の市場占有率は僅か6%程度であった[9]

補足

4代目アクティトラック2021年4月27日を以って生産終了、2022年年12月までに販売終了(新車登録完了)となった。これにより、T360から続いてきたホンダの軽トラックの系譜は通算59年の歴史に幕を下ろし、ホンダは軽トラック市場から名実共に完全撤退した。

スノーラ 編集

オプション品として後輪を履帯(クローラー)に置き換え半装軌車にするパーツが発売された。主に積雪地で雪上用に使用するため、前輪用スキーとセットとなり「スノーラ」という商品名が与えられた。[10]

タイヤ交換の要領でタイヤと交換できるという画期的なものだった。

スノーラは後継モデルであるTN360のものも発売された。その更に後継となるアクティには、1977年の発売当初に継承されたかどうかは不明だが、この間に道路網整備が進み不整地特化仕様のスノーラはかえって不便になったこと、そして1980年にライバルの富士重工業(現・SUBARU)がサンバー4WDを発売し不整地対応車両としては取扱が遥かに簡便なことから、発売されていないか、されていたとしてもすぐに絶版となったと思われる。

後、1994年に半装軌車「アクティクローラ」を発売しているが、こちらは完全にクローラ仕様のサスペンションで、履帯を外して高速走行することも可能だが、スノーラのように換装はできず、更に4輪仕様に変更することもできない。

T500  編集

1964年9月に登場したT360の荷台を延長したモデルである。S500用を元に商用車用に最適化した水冷直列4気筒DOHCエンジンを搭載しており、最高出力は38PS/7,500rpmで当時の規格では軽ではなく小型登録車扱いだった。

脚注 編集

  1. ^ Honda 廃棄段階のリサイクル 自動車リサイクル法 車種別リサイクル料金, https://www.honda.co.jp/auto-recycle/tariff/t_360.html 
  2. ^ Honda四輪発売50周年ムービー「Honda四輪への挑戦」 - YouTube、2013年8月8日配信
  3. ^ 当時、競合他社の軽自動車は、2ストロークエンジンが主流で、最高出力は20PS程度であった。その後馬力競争が始まり、1970年代には40PSに迫るモデルも登場した。
  4. ^ 【T360】画像で見る、試作から量産初期までのエンジンヘッドの変遷 - 三妻自工 Blog(キャッシュ)
  5. ^ a b 自動車部品」『日立評論1964年1月号』
  6. ^ T360の吸気システム - 三妻自工 Blog(キャッシュ)
  7. ^ 「ホンダS360の輸出の件」と「T360の吸気システム」 - 三妻自工 Blog(キャッシュ)
  8. ^ T360の説明 - ホンダT360公道復帰 - 楽天ブログ
  9. ^ 説明その・3 - ホンダT360公道復帰 - 楽天ブログ
  10. ^ 当時のカタログ - [1]。ただしこのサイトでは「T360だけ」と書かれているが明確に誤りである。

関連項目 編集