ボアルBo’al, モンゴル語: Бувал, ? - ?)は、チンギス・カンの長男ジョチの息子で、モンゴル帝国の皇族。『集史』などのペルシア語史料ではبوالBūālと記される。孫にはジョチ・ウルスの有力諸侯の一人ノガイがいる。

概要編集

『集史』「ジョチ・ハン紀」ではジョチの第七子と記されているが、具体的な活動については述べられていない。父ジョチや兄バトゥの遠征に従い、キプチャク草原でウルスを形成したものと見られる。ボアルとその子孫はジョチ・ウルス全体の中で右翼に所属していた。

モンケ・カーンの治世にて西アジア遠征が計画されると、ボアルの次男ミンカダルの長男トタルがジョチ・ウルス右翼を代表して、オルダの息子クリが左翼の代表として、シバンの息子バラカンが中央軍の代表としてフレグの指揮下に入った[1]。しかしモンケ・カーンの急死によってフレグがイランにおいて自立する意思を見せるとカフカース地方の権益を巡ってジョチ・ウルスとの対立が顕在化した。

折しもジョチ・ウルスから参戦していた三人の王族の内、バラカンは呪術を行ったという告発のため処刑され、トタルとクリが相継いで亡くなっていたため、時のジョチ・ウルスの君主ベルケは彼等が毒殺されたと疑い、ジョチ・ウルスとフレグ・ウルスとの間で戦端が開かれた。

この時、ジョチ・ウルスからはボアルの長男タタルの息子、トタルにとって従兄弟に当たるノガイが三万騎とともに先鋒として送られ、奮戦して功績を挙げた[2]。ノガイはこの戦いを皮切りに多くの戦闘で功績を挙げ、「ジョチ・ウルス右翼」を代表する人物として地位を高めていった。

子孫編集

『集史』では以下のような系図を伝える:

  • ボアル
    • タタル
      • ノガイ
        • チュケ
        • テケ
        • トライ
    • ミンカダル
      • トタル
        • キルデイ・ブカ
      • ベクドゥズ
      • オロス
        • トデュケン
        • グトゥル・バイ
      • エブゲン
        • トグチ
        • アフマド
      • ウズベク
      • サスィン
        • バサル
      • ウルン=クルトカ
      • トクルチャ
      • エル・バスミシュ

出典編集

  1. ^ 赤坂2005,131-133頁
  2. ^ 赤坂2005,132頁

参考文献編集

  • 赤坂恒明『ジュチ裔諸政権史の研究』風間書房、2005年
  • 北川誠一「ジョチ・ウルスの研究 1 ―「ジョチ・ハン紀」訳文 1」『ペルシア語古写本史料精査によるモンゴル帝国の諸王家に関する総合的研究』 文部省科学研究費補助金研究成果報告書 総合研究(A)、(科研費課題番号 05301045) 1993年 - 1995年
  • 北川誠一「ジョチ・ウルスの研究 2 ―「ジョチ・ハン紀」訳文 2」『史朋』30号, 1998年3月
  • 新元史』巻110列伝7