ボフミーン市電チェコ語: Tramvajová doprava v Bohumíně)は、かつてチェコスロバキア(現:チェコ)の都市であるボフミーンチェコ語版に存在した路面電車軌間760 mmという狭軌の路線であったが、1973年に廃止された[1][2][3]

ボフミーン市電
ボフミーン市電(1960年撮影)
ボフミーン市電(1960年撮影)
基本情報
チェコスロバキアの旗 チェコスロバキア
所在地 ボフミーンチェコ語版
種類 路面電車[1][2][3]
開業 1902年馬車鉄道
1916年路面電車[1][2][3]
廃止 1973年[1][2][3]
路線諸元
軌間 760 mm[1]
電化区間 全区間(廃止時)
路線図(1930年時点)
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概要 編集

ボフミーンの主要駅であるボフミーン駅1847年に完成したが、鉄道への反対運動を始めとした経緯からボフミーン郊外のシュニフル村( 現:ノヴィ・ボフミーンチェコ語版)に建設された。その後、シュニフル村は利便性の高さから大きく発展した一方、それに取り残される形となったボフミーンの旧市街(Starý Bohumín)ではボフミーン駅と接続する公共交通機関が求められるようになった。それを受けて軌間760 mm軽便鉄道を建設する事が決定され、1902年12月22日から馬車鉄道として営業運転が開始された。その後、翌1903年に動力が蒸気機関車(スチームトラム)へと切り替えられ、1916年には電化が実施された[1][2][3]

運営は長らくボフミーン市によって行われていたが、第一次世界大戦第二次世界大戦を経た1947年にシレジア地方鉄道(Slezských zemských drah)へ運営権が移管された後、1949年以降は近隣地域の公共交通事業者と共にオストラヴァ市交通局(Dopravní podnik města Ostravy、DPMO)へと統合された。だが、車両や施設の老朽化が要因となり全線を路線バスへ置き換える事が決定し、1967年に一部区間が廃止された後、1973年8月1日に残りの区間も営業運転を休止し、9月30日に実施された式典をもってボフミーン市電は完全に廃止された[1][2][3]

脚注 編集

注釈 編集

出典 編集

  1. ^ a b c d e f g Historie MHD v Ostravě”. Dopravní podnik ostrava. 2021年7月24日閲覧。
  2. ^ a b c d e f Jaroslav Šipula, Tomáš Januszek (2013年10月1日). “1.10.2013 - Od jízdy poslední úzkorozchodné tramvaje uplynulo 40 let”. Bohumín. 2021年7月24日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 7.11.2017 - Kdysi a dnes: Náměstí ve Starém Bohumíně”. Bohumín (2017年11月7日). 2021年7月24日閲覧。