ポルシェ・959
ポルシェ・959(Porsche 959 )は、ドイツの自動車メーカーポルシェが製造・販売していたスーパーカーである。当時のポルシェが持つ技術を結集した1台であった。
ポルシェ・959 | |
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フロント リア | |
販売期間 | 1986年 - 1989年 |
乗車定員 | 4名 |
ボディタイプ | 2ドアクーペ |
エンジン |
2,848cc 水平対向6気筒 DOHC ツインターボ リア縦置 |
駆動方式 | フルタイム4WD |
最高出力 | 450PS/6,500rpm[1] |
最大トルク | 51.0kgm/5,500rpm[1] |
変速機 | 6速MT |
全長 | 4,260mm[1] |
全幅 | 1,840mm[1] |
全高 | 1,280mm[1] |
ホイールベース | 2,300mm[1] |
車両重量 | 1,450kg[1] |
-自動車のスペック表- |
概要編集
ポルシェは1970年代後半から4WDシステムの開発を進めており、1981年にスタディモデル4WDカブリオレを製作、1983年のフランクフルトモーターショーにてグルッペBが発表された[2]。このモデルは生産車にフィードバックすべき技術のトライアルモデルとして、1986年から959として限定生産された。外観からは911とさしたる違いを見せない959の名を呼び声高くしたのは、レースでの活躍と、時代の最先端と称しても差し支えない内容を持った技術的背景にある。当時のグループBのホモロゲーションを取得するため200台[3]の生産予定でスタートしたプロジェクトは、予想をはるかに超えるオーダーに少しでも応えるために増産されることになり、最終的には283台が生産された。
911と似た外見のボディであるが911と共用のパネルはない。一体化されたリアフェンダー、下面全面のカバーリング、NACAダクトの採用などによりCd値0.31と空気抵抗を小さくしている。基本的にボディシェルはケブラーやガラス繊維により強化されたエポキシ樹脂素材をオートクレーブ加工したハイブリッド構造である。フロントフードとドアパネルには熱硬化性アルミニウム合金、バンパーは復元性に優れたガラス繊維強化ポリウレタンを使用するなど、部位ごとに材質を使い分けている。
959には画期的ともいえる四輪駆動システムが採用されていた。可変トルクスプリット式と呼ばれ、コンピュータ制御により加減速・コーナリングなどの車体状況に応じ前後の駆動力配分を自動制御し、ステアリングコラムに設けられたレバースイッチにより、天候状態や路面状況により最適なモードを選択することができた。なお、1989年に登場した日産・スカイラインGT-Rの四輪駆動システム(ATTESA E-TS)とツインターボエンジン(日産・RB26DETT)の制御は、959を手本にして開発されたといわれている[4][注釈 1]。
場所さえ確保すれば公称値である最高速度300km/h以上を何ら問題なく達成し、その一方で930型911をベースとしているので後席があるなど日常的な足にもなるという全く正反対の二面性を持つ車となっている。
タイヤサイズはフロントが235/45-17で、リヤが255/40-17だった。左ハンドル仕様のみの設計であり、右ハンドル仕様車は生産されなかった。
エンジン編集
グループC車両である962Cに搭載していた、シリンダーヘッドのみ水冷の半空冷式水平対向6気筒935/82型エンジンをベースに、公道での使用に耐えられる改良を加えたもの。ボアφ95mm×ストローク67mm[注釈 2]で排気量2,848ccという中途半端な値だが、これは将来的に参加するレースのレギュレーションを睨んでのことである。1気筒あたり4バルブ、圧縮比8.0、最高出力450PS/6,500rpm、トルク51.0kgm/5,500rpm[5]。
2基のKKK製ターボチャージャーを低・中回転時には1基のみ、高回転に差しかかったところで2基により過給を行なうシーケンシャル制御のツインターボで低中回転域の実用的なトルク、レスポンスと高回転域のハイパワーを両立している。
トランスミッション編集
足回り編集
サスペンションは乗り心地優先と走行性能優先から選択できる[6]。
地上高を120mm、150mm、180mmから選択できる。地上高を高くしたまま高速走行した場合、自動で低く変更される[6]。この装備は軽量スポーツバージョンの場合装備されない[6]。
ポルシェがボッシュと共同開発した空気圧低下警告システムを備える。ボッシュマグネシウムホイールはスポークが中空になっており、2つの圧力スイッチが内蔵されている。このスイッチは走行中に高周波発生器を介して電気信号を制御装置に送り、空気圧が低い場合どの車輪の空気圧が低下しているか警告灯で運転者に知らせる[6]。
タイヤはフロント235/40VR17、リア255/40VR17[6]。
レース活動編集
959のプロトタイプは1983年発表されたグループB車両グルッペBである。すなわち世界ラリー選手権 (WRC) と世界耐久選手権(WEC)への参加が目的であったが、グループBの消滅でWRCへの参戦ができなかった。しかしパリ-ダカール・ラリーという舞台で輝かしい戦績を残すこととなった。
最初の挑戦は1984年の953という実験的車両によるもの。これは930ボディの911に開発段階の四輪駆動システムを組み合わせ、その有用性を検証することが目的だった。ノーマルの911から自然吸気の3.2L空冷エンジンを流用し、モノコックボディーのトンネルに944から流用したプロペラシャフトを組み込んで四輪を駆動する。3台投入された内レネ・メッジ/ドミニク・ルモイヌ組が総合優勝、ジャッキー・イクス/クロード・ブラッスール組が6位、ロランド・クスモウル/エーリッヒ・レルナー組が28位と、初陣にして最高の成績を残すに至った。
1985年のパリダカには959として出走した。しかし前年型953の発展型シャシーに959ルックのボディ、エンジンはやはり前年型を引き継いでおり、四輪駆動システムもまだ開発段階であった。同じ年のフランクフルトモーターショーに完成形の959が出展されていたところから、ポルシェとしては同年中には市販する目論見だったのだろうが、出走した3台全てがトラブルに遭いゴールにたどり着く前に息絶えてしまったため、その計画は見送られることとなった。
1986年のパリダカには正真正銘959ベースのレイド車両が実戦投入され、圧倒的なレースを展開。レネ・メッジ/ドミニク・ルモイヌ組が総合優勝、ジャッキー・イクス/クロード・ブラッスール組が2位とワンツーを決め、更にはサポートカーという役割で出走していたロランド・クスモウル/エーリッヒ・レルナー組も6位に入賞を達成、名声を決定的なものにし、これをきっかけにして市販に踏み切られた。
1986年のル・マン24時間レースには961の名でIMSA-GTXクラスに出走した。パッと見は市販車両をワイドボディにした程度にしか見えないが、エンジンには市販車の面影はなく、巨大なインタークーラーと効率重視のターボチャージャーを配置し、レーシングカーの風格を漂わせていた。天候変化の激しいことで有名なル・マンにおいて、フルタイム4WDシステムの利を最大限に生かしてクラス優勝をもぎ取り、総合成績もグループCカーに割って入り7位で完走を果たした。
1987年にはロスマンズカラーを纏ってIMSAクラスに参戦するが、エンジントラブルにより炎上リタイアし、これが961の最後のレースとなった。
注釈編集
出典編集
参考文献編集
- 『外国車ガイドブック1986』日刊自動車新聞社
- 『ワールドカーガイド1ポルシェ』ネコ・パブリッシング ISBN 4-87366-090-4
- 福野礼一郎著『自動車ロン頂上作戦』双葉社 ISBN 978-4575296761
- 『スポーツカーカタログ見聞録』ティーポ1998年8月号増刊