マイケル・ジョン・クロッタMichael John Crotta, 1984年9月25日 - )は、アメリカ合衆国フロリダ州フォートローダーデール出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。

マイケル・クロッタ
Michael Crotta
A級ヒッコリー時代
(2007年4月9日)
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 フロリダ州フォートローダーデール
生年月日 (1984-09-25) 1984年9月25日(39歳)
身長
体重
6' 6" =約198.1 cm
235 lb =約106.6 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2006年 MLBドラフト17巡目
初出場 MLB / 2011年4月3日
NPB / 2014年3月28日
最終出場 MLB / 2011年5月10日
NPB / 2015年8月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

経歴 編集

プロ入り前 編集

2003年メジャーリーグ(MLB)ドラフト47巡目でフィラデルフィア・フィリーズから指名を受けるが、契約せずフロリダ・アトランティック大学に進学。

パイレーツ時代 編集

2006年MLBドラフト17巡目でピッツバーグ・パイレーツから指名を受け[1]、プロ入り。

2010年11月19日にメジャー契約を結び、40人枠に登録された[1]

2011年4月3日にMLB公式戦デビューを果たすと、15試合に登板した[1]。6月17日に傘下AA級アルトゥーナ・カーブへ配属された[1]。6月21日に傘下AAA級インディアナポリス・インディアンズへ配属された[1]。6月27日にオプションで傘下AAA級インディアナポリスへ降格した[1]。7月17日に7日間の故障者リスト入りとなった[1]。7月31日にDFAとなった[1]。8月8日にFAとなった[1]。8月11日にマイナー契約で再契約を結び、傘下AAA級インディアナポリス・インディアンズへ配属された[1]。8月25日に7日間の故障者リスト入りとなった[1]。9月14日に復帰した[1]。オフにはベネズエラウィンターリーグであるリーガ・ベネソラーナ・デ・ベイスボル・プロフェシオナルカルデナレス・デ・ララスペイン語版に配属された[1]

2012年1月19日にスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[1]。開幕は傘下AAA級インディアナポリスで迎えた。4月5日に7日間の故障者リスト入りとなった[1]。9月12日に復帰した[1]。11月2日にFAとなった[1]

ナショナルズ傘下時代 編集

2013年2月13日にワシントン・ナショナルズとマイナー契約を結んだ[1]。2月18日に傘下AAA級シラキュース・チーフスへ配属された[1]。3月27日に招待選手としてスプリングトレーニングに参加した[1]。チームトップの51試合に登板するとともに、6勝7敗4セーブ、防御率3.57の成績を挙げた。オフの11月4日にFAとなった[1]

日本ハム時代 編集

2013年11月12日に、北海道日本ハムファイターズへの入団契約が合意に達した[2]。2年目の契約に対する選択権を球団側が有するという条件での1年契約[3]で、背番号は20

2014年には、春季キャンプ直前の1月下旬に、球団の地元である北海道で自主トレーニングを実施[4]。レギュラーシーズンでは、オリックス・バファローズとの開幕戦(3月28日・札幌ドーム)に3番手投手として来日初登板を果たすと、30日の同カードで来日初勝利を挙げた。当初はセットアッパーに起用されていたが、武田久の戦線離脱や増井浩俊の不振などを背景に、6月下旬からはクローザーに定着。オールスターゲームにも、パシフィック・リーグの監督推薦選手として出場した[5]。その一方で、5月上旬には夫人の第2子(次男)出産に伴うアメリカへの帰国[6]、8月上旬には左脇腹筋の挫傷[7]で戦線を離脱。それでも、一軍公式戦では、通算61試合の登板で4勝5敗6セーブ30ホールド、防御率2.62という成績を残した。この結果、シーズン終了後の契約交渉では、球団が前述の選択権を行使。11月8日には、1年契約での残留に合意した[3]

2015年にも、公式戦の開幕を一軍で迎えた。しかし、開幕直後から調子が上がらず、一軍と二軍の往復を繰り返した。一軍公式戦では、通算30試合の登板で、2勝2敗7ホールド、防御率6.59を記録。8月24日の出場選手登録抹消[8]を最後に一軍から遠ざかると、レギュラーシーズン終盤の9月23日に退団が発表された[9]。11月2日にNPBから自由契約選手として公示された[10]

タイガース傘下時代 編集

2015年12月30日にデトロイト・タイガースとマイナー契約の締結で合意した[11]

2016年3月2日に招待選手としてスプリングトレーニングに参加した[1]。4月6日に傘下AAA級トレド・マッドヘンズへ配属され[1]、開幕を迎えた。4月26日に傘下AA級エリー・シーウルブズへ降格した[1]。4月28日に傘下AAA級トレドへ昇格した[1]。5月1日に傘下AA級エリーへ再降格した[1]。5月9日にFAとなった[1]

プレースタイル 編集

201cmの長身からスリークォーターで投げ下ろす、最速159km/h(日本での最速は156km/h)のツーシームフォーシームスライダーチェンジアップなどを投げる[12]

詳細情報 編集

年度別投手成績 編集





















































W
H
I
P
2011 PIT 15 0 0 0 0 0 1 0 2 .000 56 10.2 20 2 5 0 0 7 1 0 11 11 9.28 2.34
2014 日本ハム 61 0 0 0 0 4 5 6 30 .444 241 58.1 49 4 16 6 5 36 1 2 23 17 2.62 1.11
2015 30 0 0 0 0 2 2 0 7 .500 145 28.2 36 2 19 1 5 18 1 0 24 21 6.59 1.92
MLB:1年 15 0 0 0 0 0 1 0 2 .000 56 10.2 20 2 5 0 0 7 1 0 11 11 9.28 2.34
NPB:2年 91 0 0 0 0 6 7 6 37 .462 386 87.0 85 6 35 7 10 54 2 2 47 38 3.93 1.38
  • 各年度の太字はリーグ最高

記録 編集

NPB

背番号 編集

  • 60 (2011年)
  • 20 (2014年 - 2015年)

脚注 編集

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa MLB公式プロフィール参照
  2. ^ マイケル・クロッタ選手と契約合意”. 北海道日本ハムファイターズ (2013年11月12日). 2013年11月15日閲覧。
  3. ^ a b 日本ハム・クロッタ契約延長「精一杯頑張る」”. 日刊スポーツ (2014年11月8日). 2016年1月10日閲覧。
  4. ^ 【日本ハム】新助っ人右腕クロッタ初来日”. 日刊スポーツ (2014年1月24日). 2016年1月10日閲覧。
  5. ^ マツダオールスターゲーム2014出場者”. 日本野球機構オフィシャルサイト. 2016年1月10日閲覧。
  6. ^ 日本ハム・クロッタ第2子誕生に米で立ち会い”. 日刊スポーツ (2014年5月9日). 2016年1月10日閲覧。
  7. ^ 日本ハム・クロッタ 左脇腹筋挫傷で登録抹消”. 日刊スポーツ (2014年5月9日). 2016年1月10日閲覧。
  8. ^ 日本ハムがクロッタの一軍登録抹消”. 日刊スポーツ (2015年8月24日). 2016年1月10日閲覧。
  9. ^ クロッタ投手退団のお知らせ”. 北海道日本ハムファイターズ (2015年9月23日). 2015年9月23日閲覧。
  10. ^ 2015年度 自由契約選手”. 日本野球機構オフィシャルサイト (2015年11月2日). 2015年11月6日閲覧。
  11. ^ タイガース 元日本ハム救援右腕と元ロッテ外野手と契約スポーツニッポン 2015年12月31日閲覧。
  12. ^ クロッタ 初の打撃投手で153キロ! 「マシソン以上」”. スポニチ Sponichi Annex (2014年2月26日). 2014年4月4日閲覧。

関連項目 編集

外部リンク 編集