マイラ・アディル・ローガン

マイラ・アディル・ローガン(Myra Adele Logan, 1908年 - 1977年1月13日)は、アメリカ合衆国アラバマ州生まれの外科医。1943年に世界で9例目となる心臓外科手術を成功させ、黒人女性最初の米国外科医師会会員になった。

病室のマイラ・アディル・ローガン(中央の女性

1927年にアトランタ大学を首席で卒業し、ニューヨークコロンビア大学心理学の修士号を取った[1]。数年間コネチカット州YWCAで働き、奨学金を受けながら医学の道を志す。1933年にニューヨーク医科大学医学博士号を取得し、ハーレムの病院で働き始めた。貧困層の患者のために深夜に無給で緊急手術を行うこともあった。執刀分野は心臓のみならず各部に及んだ。特に乳幼児の手術に力を注ぎ、オーレオマイシンなど抗生物質の研究でも業績を残した。また、今日広く実施されているグループ医療の草分け的存在であったアッパー・マンハッタン健康保険医療グループの発起人に名を連ねた。1960年代に行ったX線チューブの研究は、女性の肺結核の発見を容易にした。

医学以外の分野でも活躍し、ニューヨーク州の差別問題委員および無差別雇用対策委員に抜擢された。プライベートでは温厚で謙虚な人物と評され、芸術家のチャールズ・オールストンを夫とし、ピアノを弾くことを趣味とした。

晩年は外科手術の一線から離れ、州の身体障害者プログラムにたずさわった。68歳で死去したローガンの葬送歌を歌ったのは、友人のオペラ歌手レオンティン・プライスであった。

参考文献 編集

  • ルイス・ハーバー『20世紀の女性科学者たち』「初の女性心臓外科医」(晶文社、1989年、ISBN 4794958579)pp. 128-136

脚注 編集

  1. ^ Office of Minority Health, "Myra Adele Logan" (2006年12月29日取得)