マックス・エマヌエル・イン・バイエルン

マクシミリアンマックス・エマヌエル・イン・バイエルンMaximilian (Max) Emanuel Herzog in Bayern, 1849年12月7日 - 1893年6月12日)は、ドイツバイエルン王国の王家傍系出身の軍人、バイエルン王国議会議員。バイエルン公(Herzog in Bayernの称号を有する。

マクシミリアン・エマヌエル
Maximilian Emanuel
ヴィッテルスバッハ家
Max Emanuel in Bayern1.jpg

出生 (1849-12-07) 1849年12月7日
バイエルン王国の旗 バイエルン王国ミュンヘン
死去 (1893-06-12) 1893年6月12日(43歳没)
ドイツの旗 ドイツ帝国
バイエルン王国の旗 バイエルン王国フェルダーフィング英語版
配偶者 アマーリエ・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ
子女 ジークフリート
クリストフ
ルイトポルト
父親 マクシミリアン・ヨーゼフ・イン・バイエルン
母親 ルドヴィカ・フォン・バイエルン
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生涯編集

 
バイエルン公家の家族写真。左から姉ゾフィー・シャルロッテマティルデ、母ルドヴィカ、父マックス・ヨーゼフ、そしてマックス・エマヌエル(1860年頃)

バイエルン公マックス・ヨーゼフとその妻でバイエルン王マクシミリアン1世の娘であるルドヴィカの末息子として生まれ、マッペルル(Mapperl)の愛称で呼ばれた。次姉はオーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の皇后エリーザベトである。

マックス・エマヌエルは幼い頃から軍事に関心が強く、1865年に16歳でバイエルン王国軍第3軽騎兵連隊ドイツ語版に入隊し、後にバンベルク駐屯のバイエルン王国軍第1槍騎兵連隊ドイツ語版に転属した。後に陸軍少将にまで昇進しており、ミュンヘンの騎兵学校校長を務めている。

 
結婚式の際のマックス・エマヌエルとアマーリエ(1875年)

マックス・エマヌエルは1875年9月20日にオーストリアエーベンタール英語版において、ザクセン=コーブルク=ゴータ家カトリック系の分家コハーリ侯爵家の家長アウグストの娘アマーリエと結婚した。夫婦仲は良好だったという。

この縁談が持ち上がった時、本家のバイエルン王子レオポルトもアマーリエに関心を寄せていたが、姉の皇后エリーザベトが介入して弟とアマーリエを結婚させ、レオポルトには自分の娘ギーゼラをあてがった。

妻アマーリエとの間には3人の息子をもうけた。

胃潰瘍を患い、1893年6月12日に胃からの大量出血が原因で亡くなった。43歳だった。

外部リンク編集

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