マッシモ・オッド

イタリアのサッカー選手

マッシモ・オッドMassimo Oddo, 1976年6月14日 - )は、イタリアアブルッツォ州チッタ・サンタンジェロ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはDF (RSB)。現在はセリエBデルフィーノ・ペスカーラ1936の監督を務めている。

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Massimo Oddo.jpg
現役時代のオッド
名前
ラテン文字 Massimo ODDO
基本情報
国籍 イタリアの旗 イタリア
生年月日 (1976-06-14) 1976年6月14日(44歳)
出身地 チッタ・サンタンジェロ
身長 182cm
体重 76kg
選手情報
ポジション DF (RSB)
利き足 右足
ユース
1992-1993 イタリアの旗 レナート・クーリ英語版
1993-1995 イタリアの旗 ミラン
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
1992-1993 イタリアの旗 レナート・クーリ 3 (0)
1993-1999 イタリアの旗 ミラン 0 (0)
1995-1996 イタリアの旗 フィオレンツォーラ (loan) 19 (0)
1996 イタリアの旗 モンツァ (loan) 4 (0)
1996-1997 イタリアの旗 プラート (loan) 16 (0)
1997-1998 イタリアの旗 レッコ (loan) 20 (1)
1998-1999 イタリアの旗 モンツァ (loan) 30 (5)
1999-2000 イタリアの旗 ナポリ 36 (1)
2000-2002 イタリアの旗 ヴェローナ 64 (9)
2002-2007 イタリアの旗 ラツィオ 135 (17)
2007-2012 イタリアの旗 ミラン 56 (2)
2008-2009 ドイツの旗 バイエルン (loan) 18 (0)
2011-2012 イタリアの旗 レッチェ (loan) 27 (1)
通算 428 (36)
代表歴2
2002-2008 イタリアの旗 イタリア [1] 34 (2)
監督歴
2013-2014 イタリアの旗 ジェノア U-17
2014-2015 イタリアの旗 ペスカーラ U-20
2015-2017 イタリアの旗 ペスカーラ
2017-2018 イタリアの旗 ウディネーゼ
2018 イタリアの旗 クロトーネ
2019-2020 イタリアの旗 ペルージャ
2020 イタリアの旗 ペルージャ
2020- イタリアの旗 ペスカーラ
1. 国内リーグ戦に限る。2015年7月14日現在。
2. 2008年8月25日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

父親のフランチェスコ・オッドは元サッカー指導者。

経歴編集

選手時代編集

初期の経歴編集

ACミランの育成組織出身。トップチーム昇格後も2シーズンをベンチ要因として過ごし、出場機会を求めてレンタル移籍の形でセリエBセリエCのチームを転々とする。

2000年エラス・ヴェローナFCに完全移籍し、セリエAデビューを果たす。ここでの活躍が目に留まり、2002年にSSラツィオへの移籍が決まる。

ラツィオ編集

4シーズン半を過ごしたラツィオではUEFAチャンピオンズリーグUEFAカップでヨーロッパの舞台でプレーする機会を得た。ラツィオでの3年目にあたる2003-04シーズンにはコッパ・イタリアを獲得し、自身初のタイトルを経験した。

2006-07シーズンにはファビオ・リヴェラーニの後任としてキャプテンに任命された。2007年1月、移籍金750万ユーロ(約11億6千万円)とパスクアーレ・フォッジャとの交換で、実に12年ぶりに古巣ACミランへの復帰が決まった。

ミラン編集

移籍から数カ月後のチャンピオンズ・リーグ決勝では右サイドバックとして先発フル出場し、チームの優勝に貢献。しかし、翌シーズンは好不調の波が激しく、クロスの精度を欠くこともあり、チームも低迷する。2008年夏にはイタリア代表で同じポジションのジャンルカ・ザンブロッタがチームに加入し、控えにまわることが噂されたが、入れ替わる形でバイエルン・ミュンヘンへレンタル移籍した(故障離脱中のウィリー・サニョルの代役)。

翌2009-10シーズンにミラン復帰後は、左サイドにポジションを移したザンブロッタに代わり、若手のイグナツィオ・アバテと右サイドバックのポジションを争うことになった。2010年10月21日には残りの契約を1年間延長し、2012年6月30日までミランでプレーすることになった[2]。なお、同時期にザンブロッタも契約を延長している。

しかし、2010-11シーズンのリーグ戦出場はわずか7試合とチームの構想外となり、2011年夏にはUSレッチェへレンタル移籍。2011-12シーズン終了後に現役引退を発表した [3]

代表歴編集

2002年にデビューを飾り、UEFA EURO 2004予選では7試合に出場した。2006年ドイツW杯では、ザンブロッタの控えとして優勝メンバーの一員となった。

指導者時代編集

ペスカーラ編集

プリマヴェーラでの指導を経て、2015年5月16日、成績不振で解任されたマルコ・バローニ監督の後任としてデルフィーノ・ペスカーラ1936の監督に就任した[4]

ウディネーゼ編集

2017年11月21日ウディネーゼ・カルチョの監督に就任した[5]

個人成績編集

クラブ シーズン リーグ カップ 国際大会 その他 通算
ディビジョン 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
レナート・クーリ・アンゴラーナ 1992-93 エッチェッレンツァ 3 0 3 0
ミラン 1993-94 セリエA
1994-95
通算
フィオレンツォーラ (loan) 1995-96 セリエC1 19 0 3 0 22 0
モンツァ (loan) 1996-97 セリエC1 4 0 2 0 6 0
プラート (loan) 1996-97 セリエC1 16 0 16 0
レッコ (loan) 1997-98 セリエC1 20 1 20 1
モンツァ (loan) 1998-99 セリエB 30 4 1 0 31 4
ナポリ 1999-00 セリエB 36 1 9 0 45 1
エラス・ヴェローナ 2000-01 セリエA 32 4 2 0 34 4
2001-02 32 6 1 2 33 8
通算 64 10 3 2 67 12
ラツィオ 2002-03 セリエA 19 0 5 0 7 0 31 0
2003-04 31 1 7 0 6 0 44 1
2004-05 35 4 1 0 5 0 1 0 42 4
2005-06 35 7 3 0 38 7
2006-07 15 5 2 0 17 5
通算 135 17 18 0 18 0 1 0 172 17
ミラン 2006-07 セリエA 10 1 7 0 17 1
2007-08 25 1 1 0 6 0 2 0 34 1
2009-10 14 0 4 0 18 0
2010-11 7 0 3 0 10 0
通算 56 2 4 0 17 0 2 0 79 2
バイエルン・ミュンヘン (loan) 2008-09 ブンデスリーガ 18 0 2 0 7 0 27 0
レッチェ (loan) 2011-12 セリエA 27 1 27 1
総通算 428 36 42 2 42 0 3 0 515 38

代表数編集

国際Aマッチ 34試合 1得点(2092年-2008年)


イタリア代表国際Aマッチ
出場得点
2002 2 0
2003 7 0
2004 7 0
2005 2 0
2006 7 1
2007 8 0
2008 1 0
通算 34 1

監督成績編集

2020年8月14日現在
クラブ 就任 退任 記録
勝率
ペスカーラ 2015年5月16日 2017年2月14日 80 30 19 31 114 121 −7 037.50
ウディネーゼ 2017年11月21日 2018年4月24日 24 7 3 14 33 37 −4 029.17
クロトーネ 2018年11月1日 2018年12月28日 8 0 2 6 3 15 −12 000.00
ペルージャ 2019年6月7日 2020年1月4日 22 10 6 6 29 27 +2 045.45
ペルージャ 2020年7月19日 2020年8月19日 5 2 0 3 7 8 −1 040.00
ペスカーラ 2020年8月29日 0 0 0 0 0 0 +0 !
合計 139 49 30 60 186 208 −22 035.25

タイトル編集

クラブ編集

ラツィオ
ミラン

代表編集

イタリア

脚注編集