マツダ・クロノス
クロノス(CRONOS)は、かつてマツダが製造・販売していたセダン。バブル景気で潤っていた国内マーケットに向け、マツダが展開した販売店多チャンネル化の核となり、それが原因となるマツダの経営難の引き金ともなった。
マツダ・クロノス GE型 | |
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海外仕様 フロント 海外仕様 リア リア(日本仕様) | |
販売期間 |
日本: 1991年 – 1995年 日本国外: 1992年 - 1997年 |
乗車定員 | 5人 |
ボディタイプ | 4ドア セダン |
エンジン |
K8ZE型 1.8L V6 140PS KFZE型 2.0L V6 160PS KLZE型 2.5L V6 200PS FSDE型 2.0L 直4 125PS(4WD車専用) RF型 2.0L 直4 82PS(ディーゼルエンジン) |
駆動方式 | FF / 4WD |
変速機 | 4速AT / 5速MT |
全長 | 4,695mm |
全幅 | 1,770mm |
全高 | 1,400mm |
車両重量 | 1,300kg |
別名 |
マツダ・626 (日本国外) |
姉妹車 | 起亜 クレドス/クラルス |
先代 |
日本: マツダ・カペラ(5代目セダン) |
後継 |
日本: マツダ・カペラ(6代目セダン) |
-自動車のスペック表- |
概要編集
1991年、カペラの後継として新しいマツダのミドルクラスセダンとしてデビュー。3ナンバー税制改変の恩恵を受けた三菱・ディアマンテなどの人気から競合車種たちが軒並み大きくなる傾向にあった中[1]、開発当初は5ナンバー寸法での設計も行われ試作車での走行実験も行われていたが[2]、新たなGEプラットフォームが採用され、クロノスも3ナンバー/ワイドボディとなった。
このプラットフォームをベースに生まれた数々の姉妹車たちも、ユーノス500を除いて小型車枠を超えることになった。当時のマツダは多品種少量生産を志向しており、防府工場での生産ラインは、1つのラインでこれらの姉妹車を同時混流で生産できるようになっていた。
輸出名はマツダ626で、先代のカペラと同じであったが、小型車から普通車に変わるにあたりカペラの名前を引き継ぐことはユーザーに対して不誠実という理由[3]から、他社が同様のケースでも車名の変更を行なわなかった[4]のに対し、マツダの場合は、長年親しまれたカペラの名前をクロノスに変更した。さらにマツダ店(MX-6(クーペ))、アンフィニ店(MS-6、MS-8)、ユーノス店(ユーノス500)、オートザム店(クレフ)、オートラマ店(プローブ、テルスター)に姉妹車を割り振り、統一した名前をつけなかったことが圧倒的な知名度不足につながり、ぜいたくなつくりを持っていたのにもかかわらず、姉妹車すべてを含めても月1万台に届かない販売台数となり、バブル崩壊に伴いマツダは経営難に陥ってしまった。これがいわゆる「クロノスの悲劇」である。
クロノス登場後も5代目カペラベースの「カペラカーゴ」は生産を継続していた。
スタイル編集
ボディタイプはノッチバックの4ドアセダンのみ。同じフロントのマスクを持ったアンフィニ店専売のMS-6は、その5ドア(ハッチバック)セダンモデル。当時のマツダのスタイルの特徴で、滑らかな曲線で統一されたスタイルはボリューム感があり、それまでの日本車における王道的セダンの典型だったトヨタ・クラウンや日産・セドリック/グロリアのような、狭くて細長いスタイルと比べ、とても新鮮味のあるものだったが、クロノスのスタイルは、その後生まれるユーノス500やユーノス800のようにまだ熟成・洗練されておらず、そのエクステリアは、とって付けたようなグリーンハウスなど、デザイン的なまとまりをやや欠いていた。また堂々たる3ナンバーサイズのセダン・ボディであるが、全幅の拡大分は主に、規制が強化されつつあった側面衝突安全基準への対応に費やされた。特にアメリカの衝突安全基準=MVSSに対応しようとサイドインパクト・ビームをドア内部に装備しているため、CMで言われていたほど、室内幅は広がってはいない[5][6]。また、フロントオーバーハングを長く取り、キャビンは(他車よりもピラーが立ち気味ではあるが)クーペ風に絞りこむという当時のデザイントレンドを捨て切れなかったこともあって、3ナンバー化は室内空間の拡大にあまり寄与していない。またクレフのような姉妹車も現れたが商業的に成功しなかった。
初代 GE型(1991年-1997年)編集
- 1991年10月21日 - カペラの後継車として、マツダ店でのみの取扱いでデビュー。当初は、FF駆動方式に新開発のK型V6エンジン(1.8Lと2.0L)のみが搭載されていた。
- 1992年 - PWS付ディーゼル車とビスカスカップリング式フルタイム4WD車、V62.5Lエンジンのグランツーリスモシリーズを追加。海外向け生産・販売を開始。
- 1994年10月 - カペラ復活後ながらマイナーチェンジ。1.8L車を廃止、ABSが全グレード標準装備になった。同時にフロントグリルを変更[7]。
- 1995年 - 日本仕様の販売を終了。
- 1997年 - 7代目カペラの登場に伴い輸出向け仕様(現地名:マツダ・626)の生産・販売を終了。
生産台数:3万4096台
CMソング編集
脚注編集
- ^ 同じく税制改変の恩恵を受けた三菱・ギャランは1992年、ホンダ・アコードは1993年に3ナンバー化した(ただしアコードは姉妹車の販売不振で1997年に5ナンバー化)。
- ^ GOLD CARトップニューカー速報No.89「NEWカペラ」内開発ストーリーより
- ^ これは表向きの理由で、実際は増収を目論んだ広告代理店に担がれ、イメージアップのためには「5チャンネル化」と旧来の車名を切り捨てるべき、との策に乗せられた。
- ^ トヨタ・カムリ、三菱・ギャラン、ホンダ・アコードはこれに当てはまる。
- ^ CMでは「全幅は広がったが、ドアミラー(サイドミラー)も含めた総幅は旧来の5ナンバー車(小型車)並みであり取り回しは悪くなっていない」とも謳われた。
- ^ 全幅の1,770mmには「サイドターンランプの膨らみ」が含まれており、左右の当該膨らみ10mmずつを省くと、実質的な全幅は1,750mmとなる。
- ^ この措置は兄弟車のテルスターでも行われた。[1]