マティルド・ダンボワーズ
マティルド・ダンボワーズ(フランス語:Mathilde d'Amboise, 1200年ごろ - 1256年5月12日)またはマオー・ダンボワーズ(Mahaut d'Amboise)は、シャルトル女伯(在位:1248年 - 1256年)。
マティルド・ダンボワーズ Mathilde d'Amboise | |
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シャルトル女伯 | |
在位 | 1248年 - 1256年 |
出生 |
1200年ごろ |
死去 |
1256年5月12日 |
配偶者 | ボーモン子爵リシャール2世 |
ジャン2世・ド・ネール | |
家名 | アンボワーズ家 |
父親 | シュルピス3世・ダンボワーズ |
母親 | イザベル・ド・ブロワ |
生涯
編集シュルピス3世・ダンボワーズとブロワ伯ティボー5世の娘イザベルの間に生まれた[1]。
マティルドはボーモン子爵リシャール2世と結婚したが[2]、2人の間に子供は生まれなかったとみられる。リシャールは1242年9月17日に死去した。1232年、マティルドとリシャールはリュの修道女たちに土地を与えた[3]。後にマティルドはジャン2世・ド・ネールと再婚したが、この結婚でも子供は生まれなかった。
マティルドの死後、シャルトル伯位は親族のブロワ伯ジャン1世・ド・シャティヨンが継承した。
脚注
編集- ^ Berman 2009, p. 144.
- ^ Smith & Wells 2009, p. 291.
- ^ Berman 2009, p. 146.
参考文献
編集- Berman, Constance Hoffman (2009). “Noble Women's Power as Reflected in the Foundations of Cistercian Houses for Nuns in Thirteenth-Century Northern France: Port-Royal, les Clairets, Moncey, Lieu and Eau-lez-Chartres”. In Katherine Smith; Scott Wells. Negotiating Community and Difference in Medieval Europe: Gender, Power, Patronage and the Authority of Religion in Latin Christendom. Brill. pp. 137–149
- Negotiating community and difference in medieval Europe: gender, power, patronage, and the authority of religion in Latin Christendom. Brill. (2009) 144
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