マティルド・ド・ブラバン (1224-1288)

マティルド・ド・ブラバンフランス語:Mathilde de Brabant, 1224年6月14日 - 1288年9月29日)は、ブラバント公アンリ2世とその最初の妃マリア・フォン・ホーエンシュタウフェンの間の長女[1]

マティルド・ド・ブラバン
Mathilde de Brabant
マティルドのメダル

出生 (1224-06-14) 1224年6月14日
死去 (1288-09-29) 1288年9月29日(64歳没)
配偶者 アルトワ伯ロベール1世
  サン=ポル伯ギー3世
子女 ブランシュ
ロベール2世
ユーグ2世
ギー4世
ジャック
ベアトリス
ジャンヌ
家名 ブラバント家
父親 ブラバント公アンリ2世
母親 マリア・フォン・ホーエンシュタウフェン
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マティルドとアルトワ伯ロベール1世の結婚

結婚と子女

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マティルドは13歳の誕生日である1237年6月14日に、最初の夫アルトワ伯ロベール1世と結婚した[2]。ロベール1世はフランス王ルイ8世ブランシュ・ド・カスティーユの息子であった[3]。2人の間には2子が生まれた。

ロベール1世は第7回十字軍に参加していたが、1250年2月8日に戦死した[5]1255年1月16日、マティルドはサン=ポル伯ギー3世と再婚した[6]。ギー3世はブロワ伯ユーグ1世とブロワ女伯マリーの間の息子であった[6]。2人の間には以下の子女が生まれた。

  • ユーグ2世(1258年 - 1307年) - サン=ポル伯、後にブロワ伯[6]
  • ギー4世(1254年頃 - 1317年) - サン=ポル伯
  • ジャック(1256年 - 1302年) - ルーズ=シャティヨン領主、フランドル総督
  • ベアトリス(1304年没) - ウー伯ジャン1世・ド・ブリエンヌと結婚[6]
  • ジャンヌ - シャトールー領主ギヨーム3世・ド・ショヴィニーと結婚
  • ジェルトルード - マリーヌ領主フローレンと結婚

脚注

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  1. ^ a b Dunbabin 2011, p. xiv.
  2. ^ Nieus 2005, p. 166,176.
  3. ^ Dunbabin 2014, p. 244.
  4. ^ Gee 2002, p. 141.
  5. ^ Strayer 1969, p. 499-501.
  6. ^ a b c d Pollock 2015, p. 184.

参考文献

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  • Dunbabin, Jean (2011). The French in the Kingdom of Sicily, 1266–1305. Cambridge University Press 
  • Dunbabin, Jean (2014). Charles I of Anjou: Power, Kingship and State-Making in Thirteenth-Century. Routledge 
  • Gee, Loveday Lewes (2002). Women, art, and patronage from Henry III to Edward III, 1216-1377. The Boydell Press 
  • Nieus, Jean-François (2005). Un pouvoir comtal entre Flandre et France: Saint-Pol, 1000-1300. De Boeck & Larcier 
  • Pollock, M.A. (2015). Scotland, England and France after the Loss of Normandy, 1204-1296. The Boydell Press 
  • Strayer, Joseph R. (1969). “Crusades of Louis IX”. In Setton, Kenneth M.. A History of the Crusades. II. University of Wisconsin