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マリア・フォン・エスターライヒ(Maria von Österreich, 1505年9月17日 - 1558年10月17日)は、ハプスブルク家フィリップ美公カスティーリャ女王フアナの三女。ハンガリーボヘミアの王ラヨシュ2世の王妃。

マリア・フォン・エスターライヒ
Maria von Österreich
HabsburgMaria.jpg

在任期間 1531年1月 - 1555年10月
君主 ブルゴーニュ公シャルル2世
(神聖ローマ皇帝カール5世)
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マーリア
Mária
ハンガリー王妃
ボヘミア王妃
在位 1515年7月22日1526年8月29日

出生 1505年9月17日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
Armes brabant escudo brabante.png ブラバント公国ブリュッセル
死去 (1558-10-17) 1558年10月17日(53歳没)
Flag of Cross of Burgundy.svg スペイン帝国、シガレス
埋葬 Flag of Cross of Burgundy.svg スペイン帝国エル・エスコリアル修道院
配偶者 ハンガリー王・ボヘミアラヨシュ2世
父親 フィリップ美公
母親 カスティーリャ女王フアナ
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ハプスブルク、オーストリア、ハンガリー、カスティーリャブルゴーニュなど様々な家名や国名を名前に付して呼ばれる。ドイツ語ではそれぞれフォン・ハプスブルク(von Habsburg)、フォン・エスターライヒ(von Österreich)、フォン・ウンガルン(von Ungarn)、フォン・カスティーリエン(von Kastilien)、フォン・ブルグント(von Burgund)となる。何語で呼ぶべき人物かということにも関わるが、本文中では省略する。

生涯編集

兄に神聖ローマ皇帝カール5世(およびスペイン王カルロス1世)、フェルディナント1世(ハンガリーとボヘミアの王位を継ぐ)、姉にレオノールポルトガル王妃、フランス王妃)、イサベルデンマーク王妃)、妹にカタリナ(ポルトガル王妃)がいる。ブリュッセルで生まれ、兄姉たちとともにフランドルで父方の叔母マルグリットに育てられた。

1522年、1歳下ながらすでにハンガリーとボヘミアの王位に就いていたラヨシュ2世とブダ(現在のブダペストの一部)で結婚した[1]。前年の1521年には兄フェルディナント大公とラヨシュの姉アンナが結婚していたが、この二重結婚(ウィーン二重結婚)は1515年にハプスブルク家とヤギェウォ家の間で取り決められたものであった。

1526年、モハーチの戦いでハンガリー軍を率いていたラヨシュ2世が戦死した[2]。王妃マリアとの間に子はなかったため、ボヘミアとハンガリー王の王位はラヨシュの義兄であるフェルディナント大公が継承した。以後、両王国(王領ハンガリーボヘミア王冠領)はハプスブルク家の所領となり、ハプスブルク帝国成立の端緒となった。ラヨシュの死後、マリアは再婚せず、兄カールの命により、叔母マルグリットの後任としてネーデルラント17州の総督を務めた[3]

系譜編集

脚注編集

  1. ^ ライトナー、p. 151
  2. ^ ライトナー、p. 156
  3. ^ ライトナー、p. 163

参考文献編集

  • テア・ライトナー 『ハプスブルクの女たち』 新書館、1996年
先代:
マルグリット・ドートリッシュ
ハプスブルク領ネーデルラント総督
1530年 - 1555年
次代:
サヴォイア公エマヌエーレ・フィリベルト