マリア・ユゼファ・ヴェッセル

マリア・ユゼファ・ヴェッセルMaria Józefa Wessel, 1685年頃 - 1765年1月4日)は、元ポーランド王子コンスタンティ・ヴワディスワフ・ソビェスキの妻。

マリア・ユゼファ・ヴェッセル
Maria Józefa Wessel
Manyoki Józefa Sobieska.jpg
マリア・ユゼファ・ヴェッセル、マーニョキ・アーダーム英語版画、1713年

出生 1685年
死去 1765年1月4日
Chorągiew królewska króla Zygmunta III Wazy.svg ポーランド・リトアニア共和国ワルシャワ、秘跡修道院
埋葬 Chorągiew królewska króla Zygmunta III Wazy.svg ポーランド・リトアニア共和国ワルシャワ聖カジミェシュ教会英語版
配偶者 コンスタンティ・ヴワディスワフ・ソビェスキ
家名 ヴェッセル家
父親 スタニスワフ・ヴェッセル
母親 バーバラ・シュターレンベルク
テンプレートを表示

生涯編集

オストロヴィエツ(Ostrowiec)の代官スタニスワフ・ヴェッセル(Stanisław Wessel)と妻バーバラ・シュターレンベルク(Barbara Starhemberg)の間の娘。母がポーランド王ヤン3世ソビェスキの娘テレサ・クネグンダガヴァネスを務めており、ソビェスキ家と主従関係にあった。おそらく、1702年より亡き王の長男ヤクプ・ルドヴィク・ソビェスキの所領オワヴァ公領ドイツ語版の小宮廷に出仕した[1]

1708年11月、グダニスクでソビェスキ家の末子コンスタンティ・ヴワディスワフ・ソビェスキと結婚。この婚姻はソビェスキ家の親族、特に姑の元王妃マリシェンカの反対に遭った[2]。結婚後まもなく夫は彼女を置いて家を出てゆき、1711年には婚姻の解消に向けた手続きを始めた[3]。マリア・ユゼファもこれに応じ、1719年5月までにマリシェンカ王妃の建てたワルシャワの秘跡修道院ドイツ語版に入り、婚姻解消の手続きを進めようとした。

1720年、夫はマリア・ユゼファの住まいとして廷臣フランチシェク・マントイフェル=キェウピンスキ(Franciszek Manteuffel-Kiełpiński)からワルシャワ市内の邸宅を購入した[4]。1724年、婚姻解消手続きは停止され、婚姻は有効なままとなった[5]。1725年11月には夫婦間の財産継承贈与に関する契約が結ばれた。同年末、マリア・ユゼファは男児を死産したという説があるが、おそらく事実ではない[6]。1726年7月26日にコンスタンティは死去した[1]

1727年春、マリア・ユゼファは義兄ヤクプ・ルドヴィク・ソビェスキと財産契約を結び、1年半に限ってコンスタンティの遺領だったジュウキェフ英語版ポモジャニ英語版及びタルノーポリを管理する権利を認められた。彼女は契約期限の切れた1729年1月にジュウキェフ城英語版を去ってルヴフに移った。さらにシレジアピリツァ英語版に城を買い、近隣の13の村落を合わせて購入した。1731年から1740年にかけ、マリア・ユゼファはピリツァ城ポーランド語版を居館として使用するため大々的に改築した。またピリツァにフランシスコ会系の修道院を建てた[7]

1753年、甥のテオドール・ヴェッセルポーランド語版に所領を売却し、再びワルシャワの秘跡修道院での修道生活に入った。1761年1月4日同院で乳がんのため死去、遺産は甥や姪に譲られた。埋葬式は1761年1月7日、ワルシャワ新市街聖カジミェシュ教会英語版で行われた。彼女の墓碑は1944年のワルシャワ蜂起に伴うドイツ軍の空襲で破壊された[8]

引用・脚注編集

  1. ^ a b Sikorski, p. 195
  2. ^ Skrzypietz, p. 298
  3. ^ Skrzypietz, pp. 298–299, 302
  4. ^ Sikorski, p. 197
  5. ^ Skrzypietz, p. 308
  6. ^ Skrzypietz, p. 310; Sikorski, p. 197
  7. ^ Sikorski, pp. 197-198
  8. ^ Sikorski, pp. 198–199

参考文献編集

  • Skrzypietz, Rozkwit i upadek rodu Sobieskich (Warsaw, 2014)
  • Sikorski A., Maria-Józefa z Wesslów żona królewicza Konstantego Sobieskiego, [w:] Rocznik Polskiego Towarzystwa Heraldycznego t. IV (XV), Wydawnictwo DiG, Warszawa 1999, ISSN 1230-803X, ss. 189–201.
  • Biogram został opublikowany w latach 1999-2000 w XXXIX tomie Polskiego Słownika Biograficznego.