マリーア・アントーニア・デル・ポルトガッロ
マリーア・アントーニア・デル・ポルトガッロ(Maria Antónia del Portogallo)またはマリーア・アントーニア・ディ・ブラガンツァ(Maria Antonia di Braganza, 1862年11月28日 - 1959年5月4日)は、パルマ公ロベルト1世の2度目の妃(ただし、マリーア・アントーニアが生まれる以前にパルマ公国は廃されている)。
マリーア・アントーニア・デル・ポルトガッロ Maria Antónia del Portogallo | |
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ブラガンサ家 | |
全名 |
葡語:Maria Antónia Adelaide Camila Carolina Eulália Leopoldina Sofia Inès Francisca de Assis e de Paula Micaela Rafaela Gabriela Gonzaga Gregória Bernardina Benedita Andrea マリア・アントニア・アデライデ・カミラ・カロリーナ・エウラリア・レオポルディナ・ソフィア・イネス・フランシスカ・デ・アシス・エ・デ・パウラ・ミカエラ・ラファエラ・ガブリエラ・ゴンザーガ・グレゴリナ・ベルナルディナ・ベネディータ・アンドレア |
出生 |
1862年11月28日 バイエルン王国、ヴェルトハイム、ブロンバッハ村 |
死去 |
1959年5月4日(96歳没) ルクセンブルク、シュロース=コルマール・ベルク |
配偶者 | ロベルト1世 |
子女 | 一覧参照 |
父親 | ミゲル1世 |
母親 | アーデルハイト・フォン・レーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク |
宗教 | キリスト教カトリック教会 |
ポルトガルの廃王ミゲル1世とその妃であるレーヴェンシュタイン=ヴェルトハイム=ローゼンベルク侯女アデライデの末子として、ブロンバッハで生まれた。
1884年にロベルトと結婚し、12子をもうけた。
- マリーア・デッレ・ネーヴェ・アデライデ(1885年 - 1959年) - 修道女。
- シスト(1886年 - 1934年) - 貴賤結婚のため継承権放棄。
- フランチェスコ・サヴェリオ(1889年 - 1977年) - ブルボン=ビュッセ公女マドレーヌと結婚。パルマ公位請求者、およびカルリスタの一派の支持するスペイン王位請求者。
- フランチェスカ・ジュゼッピーナ(1890年 - 1978年) - 修道女。
- ツィタ(1892年 - 1989年) - オーストリア皇帝カール1世の皇后。
- フェリーチェ(1893年 - 1970年) - ルクセンブルク大公シャルロットと結婚。
- レナート(1894年 - 1962年) - デンマーク王女マルグレーテと結婚。
- マリーア・アントーニア(1895年 - 1937年) - 修道女。
- イザベッラ(1898年 - 1984年)
- ルイジ(1899年 - 1967年) - イタリア王女マリーア・フランチェスカと結婚。
- エンリチェッタ(1903年 - 1987年)
- ガエターノ(1905年 - 1958年) - トゥルン・ウント・タクシス公女マルガレーテと結婚。