マリーア・デステ
マリーア・デステ (Maria d'Este, 1644年12月8日 - 1684年8月20日)は、パルマ公ラヌッチョ2世・ファルネーゼの3番目の妻。
マリーア・デステ Maria d'Este | |
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パルマ公妃 | |
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在位 | 1668年 - 1684年 |
出生 |
1644年12月8日 モデナ=レッジョ公国、モデナ |
死去 |
1684年8月20日(39歳没) パルマ公国、パルマ |
埋葬 | パルマ公国、パルマ、サンタ・マリア・デッラ・ステッカータ教会 |
結婚 | 1668年1月16日 |
配偶者 | パルマ公ラヌッチョ2世 |
子女 |
フランチェスコ・ファルネーゼ アントニオ・ファルネーゼ |
家名 | エステ家 |
父親 | モデナ公フランチェスコ1世・デステ |
母親 | マリーア・ファルネーゼ |
生涯
編集モデナ・レッジョ公フランチェスコ1世・デステとパルマ・ピアチェンツァ公ラヌッチョ1世・ファルネーゼの娘マリーア・ファルネーゼとの間に生まれた娘で、ラヌッチョ2世の2番目の妻イザベッラ・デステの妹である。
1666年にイザベッラと死別したラヌッチョ2世はその後、別の従姉妹と結婚することに決めた。1667年の10月16日から23日の間に結婚の話がまとまり、1668年の1月16日に結婚式を行った。
2人は多くの子供をもうけたが、この時代の死亡率は高く、以下の2人だけが成人した。
- フランチェスコ・ファルネーゼ(1678年 - 1727年)- 1694年からのパルマ・ピアチェンツァ公
- アントニオ・ファルネーゼ(1679年 - 1731年) - ファルネーゼ家最後のパルマ・ピアチェンツァ公
マリーアは1684年8月20日にパルマで死去した。