マリー・アンリエット・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ

マリー・アンヌ・アンリエット・レオポルディーヌ・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュMarie Anne Henriette Leopoldine de La Tour d'Auvergne, 1708年10月24日 - 1728年7月28日)は、プファルツ=ズルツバッハ公ヨハン・クリスティアンの最初の妻。自身の権利としてベルヘン・オプ・ゾーム辺境女伯ドイツ語版であった。

マリー・アンリエット・ド・ラ・トゥール・ドーヴェルニュ
Marie Henriette de La Tour d'Auvergne
ベルヘン・オプ・ゾーム辺境女伯ドイツ語版
マリー・アンリエット、J・P・フォン・デア・シュリヒテン画、1724年

出生 (1708-10-24) 1708年10月24日
フランス王国[1]
死去 (1728-07-28) 1728年7月28日(19歳没)
ヒルポルトシュタイン
配偶者 プファルツ=ズルツバッハ公ヨハン・クリスティアン
子女 カール・テオドール
マリア・アンナ
家名 ラ・トゥール・ドーヴェルニュ家
父親 オーヴェルニュ公フランソワ・エゴン
母親 マリー・アンヌ・ダランベール
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生涯 編集

フランス王室侍従長ブイヨン公爵の弟オーヴェルニュ伯の息子オーヴェルニュ公フランソワ・エゴン(1675年 - 1710年)と、アーレンベルク公フィリップ=シャルル=フランソワの娘マリー・アンヌ(1689年 - 1736年)の間の一人娘[2]。2歳で父を亡くすと同時にベルヘン・オプ・ゾーム辺境伯位を継承した。1722年2月15日、プファルツ=ズルツバッハ公爵家の嗣子ヨハン・クリスティアンと結婚したが、1728年に19歳の若さで世を去った[2]

夫との間に1男1女をもうけた[2]

  • カール・フィリップ・テオドール(1724年 - 1799年) - プファルツ=ズルツバッハ公、プファルツ選帝侯、バイエルン選帝侯
  • マリア・アンナ・ルイーズ・アンリエット(1728年)

引用・脚注 編集

  1. ^ Maria Henriette Leopoldine de La Tour d'Auvergne”. dinastias.com. 2010年5月17日閲覧。
  2. ^ a b c Pas, Leo van de. “Maria Henriette de La Tour d'Auvergne”. Genealogics.org. 2010年5月17日閲覧。