マリー・ド・フランス (1344-1404)
マリー・ド・フランス(Marie de France, 1344年9月18日 - 1404年10月15日)は、フランス王ジャン2世の娘で、バル公ロベール1世の妻。
マリー・ド・フランス Marie de France | |
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バル公妃 | |
出生 |
1344年9月18日 フランス王国、サン=ジェルマン=アン=レー |
死去 |
1404年10月15日(60歳没) |
埋葬 | フランス王国、バル公領、バル=ル=デュック |
配偶者 | バル公ロベール1世 |
子女 | 一覧参照 |
家名 | ヴァロワ家 |
父親 | フランス王ジャン2世 |
母親 | ボンヌ・ド・リュクサンブール |
生涯
編集ジャン2世王とその最初の妻ボンヌ・ド・リュクサンブールの間の第8子、四女として、サン=ジェルマン=アン=レーに生まれた。1364年にバル公ロベールと結婚した。夫は元はバル伯爵だったが、1354年にマリーの母方の叔父神聖ローマ皇帝カール4世によってバル公爵およびポンタ=ムッソン侯爵に昇格を許された。
マリーは読書家で、数多くの書籍を集めた図書室を所有しており、その書籍のジャンルも非常に幅広かった。図書目録には物語や詩だけでなく、歴史や神学に関する著作も含まれていた[1]。 詩人ジャン・ダラスは、『メリュジーヌ物語』をバル公爵夫人マリーに献呈し、この本はマリーの子供たちの政治教育の助けとなればと思って執筆した、と献辞で述べている[2]。
マリーの息子たちは多くが戦場で命を落とした。長男アンリと次男フィリップはニコポリスの戦いに参加し、2人ともオスマン帝国軍の捕虜となって異国の地で客死した。四男エドゥアールと六男ジャンも、1415年にアジャンクールの戦いで戦死した。
子女
編集- アンリ(1362年 - 1397年) - マルル領主
- ヨランド(1365年 - 1431年) - 1483年、アラゴン王フアン1世と結婚
- フィリップ(1372年 - 1398年)
- シャルル(1373年 - 1392年) - ノジャン=ル=ロトルー領主
- マリー(1374年 - ?) - 1384年、ナミュール侯ギヨーム2世と結婚
- エドゥアール3世(1377年 - 1415年) - バル公
- ルイ1世(? - 1431年) - ヴェルダン司教、枢機卿、バル公
- ヨランド(? - 1421年) - 1400年、ユーリヒ=ベルク公アドルフと結婚
- ジャン(1380年 - 1415年)- ピュイゼイ領主
- ボンヌ(? - 1400年) - サン=ポル伯・リニー伯ワレラン3世と結婚
- ジャンヌ(? - 1402年) - 1393年、モンフェッラート侯テオドーロ2世と結婚
引用
編集参考文献
編集- Goldstone, Nancy (2013). The Maid and the Queen: The Secret History of Joan of Arc. Phoenix Paperbacks, London