マリー・ド・ブルボン=サン=ポル

マリー・ド・ブルボンフランス語:Marie de Bourbon, 1539年5月30日 - 1601年4月7日)は、エストゥトヴィル女公およびサン=ポル女伯

マリー・ド・ブルボン
Marie de Bourbon
エストゥトヴィル女公
サン=ポル女伯
Armes marie bourbon saint pol.png
マリーの紋章
在位 1546年 - 1601年

出生 (1539-05-30) 1539年5月30日
Bannière de France style 1500.svg フランス王国、ラ・フェール
死去 (1601-04-07) 1601年4月7日(61歳没)
Bannière de France style 1500.svg フランス王国ポントワーズ
埋葬 Bannière de France style 1500.svg フランス王国ヴァルモン修道院英語版
配偶者 ソワソン伯ジャン・ド・ブルボン
  ヌヴェール公フランソワ1世・ド・クレーヴ
  ロングヴィル公レオノール・ドルレアン
子女 本文参照
家名 ブルボン=ヴァンドーム家
父親 サン=ポル伯フランソワ1世
母親 エストゥトヴィル女公アドリエンヌ
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生涯編集

マリーはサン=ポル伯フランソワ1世とエストゥトヴィル女公アドリエンヌの娘で、サン=ポル女伯マリー・ド・リュクサンブールの孫にあたる。1546年、兄フランソワ2世が12歳で死去し、マリーは兄の跡を継いで4代エストゥトヴィル女公および4代サン=ポル女伯となった。

1557年6月14日に、マリーはソワソン伯・アンギャン伯ジャン・ド・ブルボンと最初の結婚をしたが、ジャンは同年8月10日サン=カンタンで戦死した。2人の間に子供はいなかった。

サン=ポル伯領はこの頃神聖ローマ皇帝カール5世により占領されており、サン=ポル女伯の地位はマリーに利益をもたらさなかった。この占領は13年後の1559年4月5日に結ばれたカトー・カンブレジ条約とその後の交渉により終わった。フランス王アンリ2世はマリーとその母アドリエンヌにサン=ポル伯領を自分たちで取り戻すよう命じた。マリーがサン=ポル伯領を取り戻すのは、母アドリエンヌが1560年12月15日に死去した後、同年の年末のことであった。

1561年9月6日、マリーはヌヴェール公フランソワ1世・ド・クレーヴと再婚したが、翌1562年2月13日にフランソワ1世は死去した。今回の結婚でも子供はいなかった。

1563年7月2日、マリーはロングヴィル公・ヌーシャテル伯レオノール・ドルレアンと三度目の結婚をした。レオノールは1573年8月7日に死去し、マリーは夫の死後ヌーシャテル伯領を息子アンリ1世およびアンリ2世のために統治した。マリーは1576年に1度だけヌーシャテルの地を訪れている。

マリーは1601年に死去し、ヴァルモン修道院英語版に埋葬された。

子女編集

ロングヴィル公レオノール・ドルレアンとの間に以下の子女が生まれた。

  • シャルル(1564年? - 1565年?)
  • シャルル(1565年生?) - 早世
  • マルグリット(1566年 - 1615年9月13日 パリ) - ”エストゥトヴィル嬢”
  • アンリ1世(1568年 - 1595年) - ロングヴィル公
  • レオノール(1569年生?) - 早世
  • フランソワ英語版(1570年 - 1631年) - フロンサック公、サン=ポル伯
  • アントワネット(1572年 - 1618年) - レッツ公シャルル・ド・ゴンディと結婚、レッツ公アンリ・ド・ゴンディ英語版の母。
  • カトリーヌ(1572年? - 1638年9月29日 パリ) - 修道女、1604年にパリのサン・ジャック郊外のカルメル会修道院(fr)に寄進を行った。
  • エレオノール(1573年 - 1639年) - ガセ女領主、1596年にトリニ伯シャルル・ド・ゴワイヨン・ド・マティニョン(1564年 - 1648年6月2日)と結婚

参考文献編集

  • Charles Clémencet, Maur Dantine, Ursin Durand, L’art de vérifier les dates, 3. Ausgabe, Band 12, 1818, S. 408f
  • Histoire du Pays de Neuchâtel, Band 2 De la réforme à 1815, Éditions Gilles Attinger, Hauterive, ISBN 2-88256-053-2
  • Detlev Schwennicke, Europäische Stammtafeln, Band 2, 1984, Tafel 28(マリー本人に関して), Band 3, Teilband 2, 1983, Tafel 311(マリーの子孫に関して)

外部リンク編集

  • Myriam Volorio Perriard (Übers. Ekkehard Wolfgang Bornträger), Marie de Bourbon, in: Historisches Lexikon der Schweiz (HLS) (online, abgerufen am 4. Juni 2021)
  • Étienne Pattou, Maison d‘Estouteville, S. 22 (online, abgerufen am 5. Juni 2021)
  • Étienne Pattou, Maison et Duché de Bourbon, S. 10 (online, abgerufen am 5. Juni 2021)
先代
フランソワ2世
サン=ポル伯
1546年 - 1601年
次代
フランソワ英語版