マルクス主義批判

マルクス主義批判(マルクスしゅぎひはん、: Criticism of Marxism)または反マルクス主義 (: Anti-Marxism)は、社会思想家カール・マルクスの思想およびそれを継承発展させたマルクス主義に対する批判である。マルクス主義は、歴史、経済、政治、哲学の分野に及ぶ思想体系であり、さまざまな政治的イデオロギー学問的見地からの批判がある。マルクス主義における教条主義、内的整合性の欠如のほか、決定論とそれに伴う個人の権利人権自由の抑圧の是非、マルクス経済学における価値理論の歪み、インセンティブの低下の問題、その他、哲学的・認識論的な問題などが議論されている[1][2][3][4]。また、レーニンスターリンが作ったソビエト連邦の共産主義体制(レーニン主義マルクス・レーニン主義スターリニズム)、毛沢東ポル・ポトへの批判も含む。

なお、マルクス自身はフランス労働党に対して「私はマルクス主義者ではない」とのべたことがある[5]

社会主義の潮流における批判編集

社会主義には、マルクス主義を含めて様々な潮流があるが、政策方針や政治的態度、資本主義の分析などをめぐって相互に議論と批判がなされてきた。社会民主主義者民主社会主義者は、階級闘争プロレタリア革命を通してのみ社会主義が実現するとするマルクス主義を批判する。民主社会主義は共産主義の権威主義にも反対する。唯物史観労働価値説といったマルクス主義理論の基礎を拒絶したうえで、社会主義を目指す社会主義者もいる。

エンゲルスとも親交のあったドイツの社会民主主義者ベルンシュタインは、独占資本の形成が資本と労働の敵対関係を変化させたとして、剰余価値論、資本蓄積論、貧困化論などを批判し、またプロレタリア独裁の観点を排撃し、民主主義的改良による社会主義を唱えた。ベルンシュタインは『社会主義の諸前提と社会民主主義の諸課題』『進化論的社会主義』(1899)[6]などで、マルクスの予言は数十年の発展によって誤っていたことが証明されたし、農民は没落しないし、中産階級も消滅しない、貧困と隷属は増加してはいないとして、社会主義は議会活動を最大限に利用すべきだと主張した[7]カール・カウツキーらこれを修正主義として批判して排斥し、論争になった[7][8]

アナキズムプロレタリア独裁に反対した。アナキストは、中央集権的な共産主義は必然的に強制と国家による支配の強化につながると主張している。ロシアの無政府主義者バクーニンは、マルクス主義政権が実現すれば、共産党員がやがて新たな貴族となり、貴族制による専制政治をもたらすだろうと批判した[9]。この新しい貴族制は、プロレタリア階級の中から生まれたとしても、新たに創設された権力は社会の見方を変容させ、「普通の労働者大衆」を見下すようになるだろうと批判した[9]

マルクスは、資本主義による発展は収奪をもたらし、必然的に労働者が窮乏していくという窮乏化理論を歴史の法則として主張した[10]。しかし、マルクスの予想に反して、19世紀末にブルジョア国家は、重要な政治的社会的経済的改革に着手し、資本主義は崩壊するどころか、強化された[11]。マルクス主義は、グローバル化と急速な社会的変化に苦しむ人々の精神的状況に歩調を合わせることができず、代わって登場したのは、自由資本主義によって引き起こされた混乱と腐敗した非道徳的なブルジョア世界に終止符を打ち、目的意識と団結の感覚を回復することを約束するナショナリスト運動だった[11]。このような状況のなか、マルクス主義は以下の正統マルクス主義、レーニンらの修正主義、社会民主主義の三つに分岐していったと政治学者シェリ・バーマンはいう[11]

  1. 正統派マルクス主義は、資本主義の崩壊が差し迫っているという予言についてはマルクスが間違っていたかもしれないが、資本主義は無期限に存続できないと主張したことは基本的に正しいと主張した[11]
  2. レーニンらの修正主義者[注 1]は、マルクス主義の経済的決定論と受動性を拒否し、より良い世界を革命によって創造しなければならないと主張し、実際にロシア革命を起こし、ソビエト連邦を建設してくなかで、残忍な手段を正当化し、恐怖政治への道を開いていった[11]
  3. 社会民主主義は、民主主義国家の政治力を利用することで、資本主義の欠点を最小限に抑えながら利点を最大化することが可能であると主張した[11]

戦間期大恐慌によって世界的な混乱が引き起こされた。この危機的な状況に対してマルクス主義は、経済は政治よりも強力であり、経済への干渉は事態を根本的に変えることはなく、逆効果でさえあるとし、資本主義の危機に対応してできることはほとんどないと信じていたため、たとえば、ドイツ社会民主党ヒルファディングは、歴史の原動力は「資本主義の論理」であるため、大恐慌を政治が自力で解決できないとして、経済政策は役に立たないと主張し、なんの対策も提案しなかった[11]

これに対して、ベルギー労働党のヘンドリック・デ・マンは、大恐慌に対する政府の積極的な対応と資本主義の変革を提案し、スウェーデン社会民主党は、資本主義を内部から再構築するための野心的な試みを開始した[11]。こうした一部の現実主義的な社会民主主義は、ファシズムとナショナリズムの支持層の不満に対応しない危険性を認識し、階級闘争戦略ではなく、人々の共通の利益を重視し、階級を超えた戦略を主張し、経済の社会化に取り組んだ[11]

世界大戦が終了すると、西側諸国は、大恐慌から世界大戦に至った歴史的経緯を反省し、国家と市場の新しい関係の必要性を認識した[11]モーゲンソー米国財務長官は、ブレトンウッズ会議で、大恐慌による苦難は、ファシズムと戦争をもたらしたが、各国は資本主義の悪影響、市場の混乱から人々を守るために市場を規制していく必要があると主張した。アメリカ主導のブレトン・ウッズ体制のもと、西側は急速な経済成長を遂げ、かつ恩恵も広く分配された[11]。この「社会民主主義的」な資本主義は、19世紀から20世紀初頭にかけてのゼロサムゲーム的な資本主義にとって代わり、極左と極右への支持を弱め、民主主義への支持を高めた[11]

しかし、1970年代には、戦後経済秩序は勢いを失い、さらに共産主義が自壊していくと、市場は放っておいたときに最もよく機能するとして市場への政府の干渉を少なくしようとする市場主義を促進する新自由主義が台頭した。20世紀の終わりまでに、新自由主義は、戦後秩序が市場に課した制限を少しずつ取り除き、ゆっくりとした不公平な成長をもたらした[11]。21世紀にかけて、各国は、市場、テクノクラートに対して徐々に力を失い、民主主義的な不満が高まり、システムの解体を約束する大衆主義の右翼運動への支持が高まると同時に、マルクス主義も再び流行しているが、その一部は再び経済の優位性に基づく議論に戻ることによって、資本主義を取り返しのつかないものと非難して、現在の危機に反応している[11]

経済社会学者ヴォルフガング シュトレークは、現在の危機の本質は、資本主義市場と民主主義政治との対立であり、2つが和解できると仮定するのはユートピア的なファンタジーだと主張する[11]

これに対して、政治学者シェリ・バーマンは、20世紀の世界大戦後に、資本主義と民主主義が、社会民主主義的和解によって、友好的に共存できることが証明されたのは、政治の優位性への信念を通してのみであったとし、マルクス主義は最終的に政治を無視したことが致命的な欠陥であったと批判する[11]。バーマンによれば、社会民主主義は、マルクス主義の経済決定論と自由放任主義に反対して、資本主義のマイナス面を最小限に抑えながら、プラス面を最大化するために政治権力を利用することを主張し、その結果、今日ヨーロッパの基本的な社会民主主義秩序を形作った[11]。バーマンは、資本主義による経済成長がなければ、欧米の生活水準の劇的な改善は不可能だったし、国家による市場の制限と社会的保護がなければ、資本主義の利益は広く分配されず、社会的安定を達成することは不可能だっただろうと述べ、この社会民主主義的妥協の成功が日常になったことで、それがどれほど変革的であったかは忘れられていることは危険であるという[11]

唯物史観への批判編集

土台と上部構造編集

唯物史観(史的唯物論)はマルクス主義の基礎をなしている[13][14]。唯物史観では、生産様式進歩は、必然的に生産関係(生産の社会的関係)の変化につながり[15]、社会の経済的「土台」は、文化、宗教、政治、および人々の社会意識といったイデオロギー上部構造を下支えし、またそこへ反映され、影響を与える、と主張される[16]

唯物史観は、人類の歴史における発展と変化の原因、経済的・技術的・物質的な要因、ならびに部族、社会階級、および国家間の利益の衝突を探求し、そこでは、、政治、芸術文学道徳宗教といった全ての文化事象は、社会の経済基盤の反映として上部構造を構成するとされる。多くの批判者は、これは社会の性質を過度に単純化したものであると主張し、マルクスが上部構造と呼んだ文化事象は、経済的基盤と同じくらい重要であると批判する。こうした批判に対して、エンゲルスは「唯物史観によると、歴史の最終的な決定要素は、実生活の生産再生産である。 これ以上のことを、マルクスも私も断言していない。マルクス主義は経済的要素を唯一の決定的な要素であると主張しているという言い方は、歪曲であり、無意味で抽象的な命題に言い換えているだけだ。」と、社会の経済的基盤が唯一の決定要素であるとは主張していないと手紙で述べているが[17]、マルクスは土台と上部構造との関係を因果関係ではなく決定関係であると主張している[18]

しかし、こうした批判はマルクス主義にとっても別の問題を引き起こす。上部構造が土台に影響を与えるのならば、歴史は階級闘争の1つであるというマルクスの主張は必要なくなってしまう。またこれは、土台と上部構造はいずれが先になるかという、鶏が先か、卵が先かという古典的な因果性ジレンマの議論になる。哲学者ピーター・シンガーは、この問題を解決する方法は、マルクスが経済基盤を最終的現実と見なしたことを理解することにあるという。マルクスにとって重要なのは生産手段であり、したがって人間が抑圧から解放される唯一の方法は、その生産手段を支配することであると信じていた。マルクスによれば、これが歴史の目的であり、上部構造は解放の道具とみなされる[19]

マルクスは上部構造は下部構造に規定されるという下部構造決定論を説いたが、現実には政治体制と経済体制にはズレが生じる場合がある。吉本隆明は上部構造は下部構造から幽霊のように疎外された共同幻想であり、宗教・法・国家はその本質の内部において、社会の生産様式の発展史とは関係がないと主張している。また、アルチュセールは、政治体制は下部構造だけでなく、もっと重層的な要素で決定されるという重層的決定を説いている。

フランシス・フクヤマも、購買力平価ベースの一人当たりGDPが8,000-10,000ドルあたりまで経済発展すれば民主化するという共通点を経験的に指摘できるが、経済体制と政治体制の相関関係は十分解明されていないと述べている[20]。ほか、フロイトは政治的儀式が経済性とは関係のない性的要素を含んでいることを指摘している。

イデオロギー論編集

マルクスにとってイデオロギー的信念とは、階級社会において広く共有され、長期にわたって支配的あるいは優位な考えを指す[21][22]。マルクスは、階級分化した社会で深刻な階級対立がないことに困惑したが、イデオロギーによって階級分化した社会の「安定性」は維持されていると考え、また個人がイデオロギー的な思考様式に永久に囚われるとは考えなかった[22]。しかし、多くの論者は、マルクスのイデオロギー論には競合し、矛盾する説明が混在していると指摘する[23][22]。たとえば、マルクスのイデオロギー論には、ある集団の信念を人類学的に研究する記述的な説明、集団の成員に意味とアイデンティティを与える世界観としての説明、個人を解放しようとする批判的説明の三種があると指摘される[24][22]

マルクスのイデオロギー論は広く影響力を持ったが、実際にはマルクスの著作にイデオロギーに関する記述はほとんどなく、僅かな所見も不完全で不明瞭である[22]。死後出版された『ドイツ・イデオロギー』草稿などで、イデオロギーはカメラ・オブスクラ(像を逆さまにして内部のスクリーンに映し出す光学装置)のように個人と社会状況との関係の反転を伴うものと論じられ、読者を魅了したが、一方でイデオロギーは必ずしも光を生み出すことはないとも語られている[25][22]。哲学者ジョナサン・ウルフとD.レオポルドは、マルクスの著作には、イデオロギーに関する明確で持続的な論説が存在しないと述べている[22]

また、法学者ハンス・ケルゼンは、マルクスおよびマルクス主義は「社会的真実」としての社会主義の正義を主張するが、その「社会的真実」も社会的現実のなかへ投げ入れられた彼自身のイデオロギーにほかならず、こうした前提は、事実に絶対的価値が内在しているという自然法論と同様の自然主義的誤謬に陥っていると批判する[26][27]

社会学者ダニエル・ベルは「イデオロギーの終焉」(1960)で、マルクス主義は窮乏化による階級闘争論を唱えるが、現代社会は技術革新によって生産力の飛躍的な発展をとげており、労働者の経済的貧困が解消に向かうことで、政治は絶対的な帰依を求めるイデオロギーではなく,利益集団間の妥協による市民政治に姿を変えていくと論じ、マルクス主義のような青写真に従って社会全体を変革するという思考様式や絶対的信念は破産したと批判した[28]

社会学による批判編集

エミール・デュルケーム、パレート、議会制を否定した社会思想家ジョルジュ・ソレルベネデット・クローチェらもマルクス主義批判を行った[29][30]

デュルケーム編集

マルクス主義を研究したフランスの社会学者エミール・デュルケームは、社会主義の暴力的性格、階級的性格、政治的性格を批判した[7]。デュルケームによれば、社会主義は、未来を志向するひとつの理想であって、現実に存在する対象に目を向けておらず、したがって、科学的な性格を持たない[7]。社会主義は反省を呼び起こし、科学的活動を刺激するが、諸科学から借りてくるデータは少なく、そこから引き出される実践的結論との間にはたいへんな不均衡がある[7]。マルクスの『資本論』における事実の観察は議論の的となるもので、研究は理論建設のために企てられたが、その理論は研究の結果として出てきたものではなく、その体系を貫くのは、完全な正義への渇望であり、社会主義は科学というよりも苦痛の叫びであるとみなした[7]。デュルケームは、抽象的思弁ではなく、留保と慎重熟慮の態度が唯一の誠実な社会科学の態度であるとし、経験的なデータに基づく社会学を構築していった[7]

イタリアでの批判編集

イタリアの政治学者ガエターノ・モスカは『支配階級』(1896)で、あらゆる社会は、支配する階級と支配される階級に分かれるとし、支配階級は少数者であるがゆえに強固な組織を持つ。支配階級が時代の変化に適応できなければ革命が起きるが、そこで新しい政治階級が生まれるとした[31]。モスカによれば、豊かで教養ある中産階級が没落し、無能で狭い関心に閉じこもった「大衆」が登場すると、民主主義の主張する平等の幻想によって大衆迎合 (ポピュリズム)が蔓延し、代議制は危機的な状態に陥っている。このような大衆民主主義は、金権的独裁か、軍事的官僚的独裁をもたらすとされた[31]。モスカは、社会主義革命は、新たな政治階級による絶対主義的な官僚支配をもたらすことを見通すとともに、議会制に残された自由を葬り去るファシズムも批判した[31]

イタリアの哲学者ベネデット・クローチェによれば、マルクス主義は、ヘーゲル主義者イデーを神格化したように、物質神格化し、マルクスは自分が科学的解明をしていると考えているが、科学的解明とは一般に適用しうる普遍的な定式に到達することを意味するのであり、マルクスの場合は、その中核となる理論が、革命家の情熱と結ばれていたために、歴史的知識をはるか遠くに拡大させ、いかなる既知の社会とも関係のない理想的で図式的な定義に行き着いてしまった[32][7]。クローチェは、科学的法則では現実を知覚できず、具体的な経験データと確実な関係を持ち得ないとし、マルクス主義は、実証主義によるペシミズムの空虚を埋め、歴史研究に生気を吹き込んだが、それ以上の意義を持たないものであった[7]

経済学者・社会学者のヴィルフレド・パレートは、社会主義の聖典である『資本論』は、聖典の特質である曖昧模糊性を最高度に備えているとした[7]。階級闘争は、「民衆」に対する貴族の戦いではなく、歴史を通じて、民衆の指導者とは、現実の権力から疎隔された不満分子であり、革命は、新しいエリートが古いエリートにとってかわる闘いにほかならない[7]。革命において民衆は兵隊の役割を担うが、そこで賭けられていたのは、新しいエリートの階級的ないし個人的な利益であった[7]。したがって、資本家と労働者との闘争の終焉が、階級闘争に終焉をもたらすと考えるのは幻想であり、集産主義社会においても、労働者間に、インテリと非インテリとの間に、政治家と被統治者との間に、葛藤は発生するのであり、社会主義の黙示録は蜃気楼のように消え去る[7]。パレートは人間には「結合の本能」(狐の支配)と「集合体の維持」(獅子の支配)とがあり、個人は多様であるが、社会的異質性からエリートと大衆が分化し、エリートが生み出されるが、エリートは力による支配(獅子の支配)を忘れ、狐型となり、新しいメンバー補充を怠れば革命によるエリート交代が起こるというエリート周流論を提唱した[31]。パレートによれば、階級闘争においては感情や理想、非論理的な動機づけが支配的な役割を演じるが、もし大衆が受動的な道具になりえないとすれば、マルクスの科学者的な側面からは、社会主義を志向する必要もなくなり、史的唯物論は、保守的エリートに新しい強さを付与することにもなりえる[7]。マルクス主義による社会主義が最終的に勝利するという進歩史観に対して、革命後も少数者による多数者支配は継続するというパレートのエリート周流論は、循環史観と呼べる[31]

パレートによる経済学的なマルクス主義批判は#ローザンヌ学派:ワルラス、パレートを参照。

ドイツ出身でイタリアで活躍した社会学者ロベルト・ミヒェルスドイツ社会民主党に入党していた社会主義者であったが幻滅し、組織運営において決定権が一部の人間に委譲され、メンバーがそれに服従し、執行業務の複雑化による専門化によって指導部が固定化され、組織は中央集権化し、民主主義は風化するという寡頭制の鉄則を『現代民主主義における政党の社会学-集団活動の寡頭制的傾向についての研究』(1911年)で提唱した[31]。モスカ、パレート、ミヒェルスによるエリート理論に対してブハーリンは、レーニンによる民主集中制などの前衛党理論をもって回答した[31]

ヴェーバー編集

ドイツの社会学者のマックス・ヴェーバーは、共産党宣言を「第一級の科学的業績」であると評価しながら、ヴェーバーは歴史を仮説的な性格をもつものであって、永遠の真理とはみなさなかったため、マルクスらの唯物論哲学を原理上ことごとく拒否し、歴史の客観的な法則を発見したと称するのは詐欺であると痛烈に批判した[33]。『社会科学と社会政策にかかわる認識の「客観性」』(1904)では、「世界観としての唯物史観」とは「手を切るべきである」と主張した[33]。1906年にはロベルト・ミヒェルスへの手紙で「人間に対する人間の支配が除去できるとはユートピアにすぎない」と社会主義を批判[33]。他方でヴェーバーは最大限の政治的自由を勝ち取ろうとするあらゆる政治運動に共感を示した[33]

1917年にヴェーバーは、社会主義体制への移行論に対して、国営化された経営管理も官僚制的なものになるとして反対した[33]。ヴェーバーは、マルクスの資本家と労働者への分極化テーゼに対して、新しい産業官僚、職員層が増大しており、また中間層でも労働者層でも分化過程が進行していると反論し、また、生産手段の労働者からの分離は、私的所有制度にもとづく社会秩序に固有のことではなく、あらゆる近代的社会秩序一般にあることだとし[33]、人間の疎外の原因は、私的所有制度や財産の不公平な分配ではなくて、「全能」の官僚制的支配構造がその根本原因であるとヴェーバーはみなした[33]。ヴェーバーにとって官僚制は、「死んだ機械と手を結んで」「未来の隷従の容器をつくり出す働き」を持つものであった[33]。社会主義でもまた、全労働者の収奪は克服されることはなく、体制内部の利害状況が移動するにすぎず、生産手段の国有化は、むしろ疎外を悪化させるとみなし、人間に対する人間の支配が除去されることはないと論じた[33]。さらに、社会主義による生産手段の社会化によって変わるのは、経済の中枢を握る階級の組み立てにとどまり、階級闘争を終わらせるものではない[33]。現在の資本主義では、国家官僚とカルテル・銀行・大企業の経済官僚が別々の団体として並列しているため、政治権力によって経済権力を抑えることができるが、社会主義のもとでは、この二つの官僚層が、ひとつの団体を形成するため、統制は不可能になるだろうとヴェーバーはみた[33]

ヴェーバーは、禁欲や勤勉を推奨するプロテスタンティズムの倫理が資本主義を成立させた要因のひとつではないかと代表作『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』で考察したが、1918年のウィーン大学講義では「マルクス主義的歴史把握のポジティブな批判」と題されていた[33]

ヴェーバーは、マルクス主義のように「階級の利害は不動である」というような「階級」や「階級利害」の概念を擬似科学のやりかたで扱ってはならないとして、財産の処理、財貨や給付の市場利用の機会、社会的地位といった観点から、「財産階級(Besitzklassen)」「営利階級(Erwerbsklassen)」「社会階級(Sozial Klassen)」の三つに区分し、階級状況は本来多層的であり、限界的な場合においてのみ一義的であるにすぎないとした[33]

ヴェーバーは経済的にも社会的にも自由競争を最大限可能にするような体制を主張し、高度の社会的移動を伴う拡張的資本主義体制を理想とし、経済成長と社会的移動が、労働者の地位向上を極大化するとみた[33]。ヴェーバーにとって国家は、社会が官僚制化し硬直化していくことを矯正する手段であるべきで、国家は支配階級に奉仕する道具以上のものであった[33]。ヴェーバーにとって社会主義体制は、中央集権化された国家経済的制度としてのみ存続するもので、形式的合理性(能率)が著しく低下するなど、その欠陥は明白であり、経済における最高の形式的合理性は交換経済において発揮するもので、資本主義を経済上の操作を形式的に合理化する体制とみた[33]。ただし、これは資本主義の単なる称賛ではないとされる[33]。ヴォルフガング・モムゼンは「ヴェーバーは、理論の平面でカール・マルクスの最大の敵役を演じた」と評した[33]

ギデンズ編集

イギリスの社会学者アンソニー・ギデンズは『唯物史観の現代的批判:権力、所有、国家』(1981)で、社会構造が社会システムを構成する実践の媒体と結果の両方であり(構造の二重性)、人間の行動は、意図のほか、社会についての実践的な知識を含むもので、無自覚な条件と行為の意図しない結果の中間に位置づけられると論じて、マルクス主義における機能主義還元主義社会進化論を批判する[34]。ギデンズによれば、マルクス主義における土台上部構造メタファーは、機能的説明の一種である。アルチュセールによって導入された再生産や構造的因果性なども機能主義的説明であり、イデオロギー装置も、生産関係を再生産する条件によって説明される[34]。しかし、ギデンズは、社会的全体は機能主義ではなく、偶発的に再生産される社会システムとして分析されるべきだという[34]。また、マルクス主義は、生産様式概念に基づいて社会的全体を経済あるいは階級へ還元するが、社会の形態は時間-空間の多次元概念に基づいて認識されるべきであるとギデンズは批判する[34]

さらにギデンズは『社会の構成』(1984)において、機能主義を批判し、構造化理論を打ち立てるなかで、マルクス主義を例証として検討する[35]

ギデンズによれば、マルクスは資本主義を分析するうえで、「私的所有:貨幣:資本:労働契約:利潤」の構造群を論じ、資本主義においては、商品形式が普遍化し、貨幣によって、商品を購入し、販売することで利潤を得ていくとした[35]。マルクスは、貨幣をM (Money)、商品をC (commodity)、 購入をM-C、販売をC-Mとし、商品流通のもっとも単純な形式を、C-M-C (商品 - 貨幣 - 商品)と表した[35][注 2]。マルクスはさらに、貨幣の商品への転化、商品の貨幣への再転化、売るために買うという変換関係をM-C-M (貨幣 - 商品 - 貨幣)で表した[35]。この流通における貨幣は、資本に転化するが、これは剰余をあげる拡大的過程なので、M-C-M関係は、M-C-M1関係と表すべきである[35]。このM-C-M1関係は、商業資本だけでなく、産業資本も表すものであり、資本の一般的定式である[35]

しかし、ギデンズによれば、この資本の一般的定式には、労働力が商品であることが与えられていない[35]。ギデンズの理論では、社会システムの構造特性は、行為者の活動の媒体であり、かつ結果である。行為の反省的モニタリングは社会統合を投錨する特徴でもあるが、状況づけられた相互行為の条件や結果は、状況をはるかに超えていくのであり、社会システム再生産の条件を理解することも、システム再生産の条件の一部となる。このような構造化理論からずれば、マルクスのC-M-C関係、つまり、商品の所有者が貨幣の所有者と接触し、貨幣が商品の一時的な等価形態となり、そしてもう一つの商品の購入の起源となる、という構造群の分析は、マルクス自身も述べるように、不十分である[35]。構造関係はそれを人格化する対応する個人の活動と同型的ではない[35]。マルクスにおいては、構造特性どうしの関係がいったん孤立させられて、独自の内的力学をもつものとして、つまり、持続的な再生産の条件としてではなく、機能的必要性として扱われてしまっている[35][注 3]。また、マルクスのような仮想的な時間空間における構造関係の分析は、なぜそうした構造関係が生起するのかを説明することにはならないとギデンズは指摘する[35]

また、マルクス主義は、労働運動の目的に歴史性を取り込ませてきたが、労働運動は「歴史」への解決策を与えることはないとギデンズはいう[36]。労働運動は、敵対する資本主義者が資本蓄積を達成しようとする生産力を、平等主義的なやりかたで向上させることを課題としており、労働運動における諸観念は、資本主義を支える観念とほぼ同一となった[36]。歴史性もかつての卓越性を喪失しており、マルクスにとっての労働運動は、社会の全面改革を背負うものであったが、もはやこうした見方の限界は明らかである[36]企業は、近代組織の典型であるとともに、環境革新の源泉でもあり、そこでは、再生産の条件が反省的にモニタリングされている[36]。マルクスは、企業内の反省的な自己規制は、経済体制全体に対する反省とはならないとみたが、ウェーバー複式簿記の研究で証明したように、この企業内の反省的自己規制はますます重大な意味を持つようになった[36]。しかし、こうした組織の近代化によって、搾取的な支配様式から解放されるかどうかは課題のままである[36]

ギデンズは、唯物史観には進化論的な思想が含まれており、単系的圧縮、相同的圧縮、規範的幻想、時間的歪曲の4つの問題があると指摘する[37]

  1. 単系的圧縮とは、一般的進化を特定の進化へと圧縮する傾向であるが、マルクスは、封建主義から資本主義へと必然的に発展するとした。しかし、先行する封建主義が、資本主義の進化における一般的な段階になることはない[37]
  2. 相同的圧縮では、社会進化と個人のパーソナリティの発達とのあいだに相同性を考える[37]。フロイトは、「文明」を動物の生活と区別して、人間を自然から保護し、その相互関係を調整する規則の総体として定義し、これをマルクス主義哲学者ヘルベルト・マルクーゼは援用して、「未開」においては人は満足し、受動的で、抑圧もないが、資本主義的な文明においては、満足は遅延され、快楽は制限され、生産性が重視され、安全が保証されていくと対比した[注 4]。しかし、ギデンズは、「原始社会」の「原始性」は文化人類学によって取り除かれ、文明が口承文化よりも複雑だという想定にも慎重であるべきであり、こうした見解は間違っていると批判する[注 5]
  3. 規範的幻想とは、権力の優位性を倫理的な優位性と重ね合わせる傾向のこと[37]
  4. 時間的歪曲とは、歴史が社会変動としてのみ記述可能であるとする傾向で、時間の傾向が変動と同一視される[37]

ギデンズは、マルクス主義の「人間が歴史をつくる」という見解は支持できるが、マルクス主義による社会発展の図式には、上の4つの問題点をすべて含んでおり、有害な二次的含意をともなうと批判する[37]。たとえばマルクスは西洋よりもアジアが停滞しているのは、アジア社会が生産力の発展に適応できず、あるいは許容しないためと説明した(アジア的生産様式[37]。マルクスの進化論は、「世界成長の物語」であり、単系的圧縮と時間的歪曲という欠陥を抱えているが、しかし、こうした欠陥を修正することはもはや不可能であるとギデンズはいう[37][注 6]。なぜなら、社会変動を説明する上で、単一の至上のメカニズムを特定することはできないし、人間の社会発展の神秘を解明し、それを一元的な定式に還元する鍵は存在しないからである[37]

G.W.ドムホフ編集

政治社会学者のG.W.ドムホフは、史的唯物論は、時間と空間にまたがる権力構造の複雑さと多様性を理解するには、視野が狭すぎると批判する[38]。権力が生産手段の所有に根ざし、階級闘争が歴史の原動力となっているという思想は、たとえば、ほとんどの財産が国家によって所有されていた紀元前3000-2300年の初期文明には適合しないし、2500年にわたる軍事帝国も存在しないし、ローマ帝国以降900年間続き、資本主義と国民国家を準備したキリスト教世界 (Christendom)にも適合しない[38]。マルクス主義は、「生産様式」の優位性を広く考えるが、経済力が主要ではない歴史の広がりがあるし、また、階級闘争よりも、支配階級の活動が歴史の発展を理解する上ではるかに重要であった時代もある[38]

H.B.アクトンの批判編集

イギリスの政治哲学者ハリー・バローズ・アクトンは1955年に発表した『The Illusion of the Epoch (新時代という幻想:信条としてのマルクス・レーニン主義)』において総合的な批判を行った[39]。アクトンによれば、唯物史観では、生産力、生産関係、政治的・法的・イデオロギー的上部構造などの社会的要素の相互関係について言及し、生産力が主動因であると主張し、事実の裏付けがあるとも主張するが、これらの要素は、理論的にも事実の裏付けにおいても区別されてもいないし、分離されていないので、統計的な評価もできず、理論の真偽を決定する手段がない[40]

唯物史観では、「物質的」という表現を頻繁に用いて、生産関係における物理的変化が社会的変化を引き起こすと考えるが、マルクス自身、唯物論の教義に支配される以前の1846年には、道具や機械が社会的に継承されることを強調し、社会は「人間の相互活動の産物」であると言っていたし[41]、良い法律、良い道徳、良い政府は生産を助けることができ、社会の「物質的または経済的基礎」は、人間の法的、道徳的、政治的関係と別のものとして観察できない[40]。そうである以上、唯物史観は、根拠の足りない仮説であるのだが、にもかかわらず、唯物史観が支持されたのは、この理論が定式化した言葉の中に隠されているトートロジー (同語反復)のためであり、この同語反復によって、理論が事実に基づいているように錯覚されてきたとアクトンはいう[40]

マルクス主義は、これまでの道徳も法律も政治制度も、宗教も哲学も、現実を歪んだ形で表現する思想体系とみなし、キリスト教道徳、法律、トーリズム (Toryism)リベラリズム主権論政治的多元主義観念論などは、ブルジョアジーがプロレタリアートを搾取しやすくするための世界観であり、階級の優位の継続を主張しているにすぎず、こうした思想体系を受け入れる人々は、自分が本当は何をしているのか分かっていない、騙されているのだと主張した[42]。マルクス主義によれば、共産党のために働いている者だけが、イデオロギーを科学的に見抜ことができ、唯物史観は他のすべての見解を修正する見解であり、科学的であるため偏見に影響されないとされる[42]

エンゲルスは『反デューリング論』で、これまでの社会主義は資本主義を批判したが、それらを説明できず、したがってそれらを支配することはできず、単に悪として拒否することしかできまなかった[43]として、唯物史観と剰余価値論の発見によって、社会主義は科学になったと主張した。エンゲルスは「支配 (mastery)」というが、マルクス主義によれば、自然科学は自然に対する権力であり、社会科学は社会に対する権力であり、科学は、自然や社会を支配する力として善であるとされる。しかし、自然や社会に対する支配は、それを利用することによって、善にも悪にもなりうる。化学は病気を治すことができるが、敵を毒殺することもできるし、社会機構についての知識は、賢明な専制君主によって人々を奴隷化することもできる[44]。すべての社会的プロセスに対して自己意識的に支配を達成するという考えは、およそ現実的ではないとアクトンは批判する[44]

医学は、死を先延ばし、痛みを和らげ、気象学はハリケーンを予測して対策でき、人間は、科学によって予知し、快適に過ごすことができる[44]。マルクスのアナロジーでは、資本主義の崩壊とプロレタリア革命は、死のようなもので、経済体制の死を予知することで武装して、その間の惨めさを少なくできるという。しかし、気象学者はハリケーンを止めることも遅らせることもできないし、医学も死を最終的に避けられない[44]。アクトンは、「マルクス主義は、これまでの社会システムはすべて最終的に崩壊しており、資本主義も例外ではないと主張する。しかし、これは、前世代の人間はすべて死んだので、私たちも死ぬといったような明確な議論ではない。(略)人間は、死については明確な概念を持っているが、社会システムの崩壊について明確な概念は持たない。ある歴史的時代と別の時代との区別は、地層間の区別とは異なり、人間と動物間の区別とも似ていない。歴史的新時代(エポック)のような曖昧な概念では、明確に区別できる個体が多数存在する場合に可能な予測を行うことができない。人の死亡判定基準については医学的に同意されているが、資本主義の崩壊をどのように判定するのだろうか。人類遺伝子気体についてと同様に、社会、文明、革命、階級、社会秩序について予測できると仮定することは、空虚な言葉で自分自身を欺くことになるだろう。」と批判し[44]、マルクス主義は哲学的な寄せ集め(farrago)であるという[45]

日本では哲学者川合貞一の「マルクシズムの哲学的批判」(1932年)、哲学者岩崎武雄の「弁証法」(昭和29、1954)、佐野学の「唯物史観批判」(昭和23)などが唯物史観を批判した[46]

市村真一によると、マルクス主義はイデオロギーとして巧妙に無謬性を守るようにできている。それは、マルクス経済学・唯物史観・唯物弁証法の三面からなり、経済の議論で破綻をきたすと、歴史の流れを無視していると反論し、歴史の実証で弱みを暴露すると、哲学を知らぬと反駁し、哲学論争で敗れれば、経済の現実を知らぬと反駁する。いつも論破されたと思わず、次の聖域に逃げ込める構造になっている。これをオックスフォード大学のシートン教授は「重層防御構造」と表現した[47]

マルクス経済学批判編集

労働価値説は、マルクス主義のなかで最も一般的に批判されている教義の1つである[48][49][50][51][52]ヴィルフレド・パレートは、マルクスは、リカードらの労働価値説から引き出されたものを表現しているにすぎないと述べている[30]

限界効用理論と剰余価値理論編集

経済学者フィリップ・ヘンリー・ウィクスティードは1884年の論考で、ジェヴォンズらが『政治経済学の理論』(1871)などで分析した限界効用理論で明らかになったように、商品価値は労働量に依存するものではなく、供給の限界における効用によって決まるとして、価値はそれを生産するのに必要な労働量によって決定されるとするマルクスの剰余価値理論を批判した[53][54]。マルクスは、2つの商品の交換には、異質性 (Verschiedenheit) と同等性 (Gleichheit) が必然的に存在するとし、異質性とは、商品の質的な違い(異質性 Verschiedenheit)であり、同等性とは、抽象的な労働がすべての商品に同等に存在していることを指す[53][注 7]。つまり、さまざまな労働の産物である商品は、労働によって特定の物理的特性を与えられ、これが有用性をもたらすが、これらの物理的特性を取り除くと、抽象的な労働がすべての商品に同等に存在している[53]。しかし、ウィクスティードによれば、交換される物品は、それらが欲求を満たす仕方において互いに異なり、それらが与える満足度において互いに類似するのであり、異なる商品に同じ金額を支払うとしたら、満足度が同等であり、同等の価値がある[53]。したがって、商品の交換において決定的に重要なのは、商品を生産する労働よりも、実質的に価値と呼ばれる抽象的な効用である[53]。労働は確かに使用価値(特定の効用)と交換価値(抽象的効用)の源泉の一つであるが、交換価値の構成要素ではない、とされる[53]。ウィクスティードは、交換可能な商品が異なるもの(使用価値)から同一のもの(交換価値)に移行するとき、抽象的労働以外のその他の有用性を考察から除外したマルクスは間違っており、具体的な質的効用でなく、抽象的で一般的な量的な効用を抽出することが重要であるとマルクスを批判する[53]

ウィクスティードが下敷きにした限界効用理論では、交換価値は労働量ではなく、抽象的な有用性に常に直接的に依存していることが明らかにされた[53]。ジェヴォンズは1860年2月時点で「価値は労働にもとづいて確立される」と考えていたが、1860年6月には、消費財の数量が増加すれば、使用された最後の部分から得られる効用は減少するといった効用の法則を発見し、1862年に論文「Notice of a General Mathematical Theory of Political Economy (経済学の数学的一般理論の提示)」を発表したものの認められず、1871年に主著『経済学の理論』として結実した[56]。ジェヴォンズはリカード、J.S.ミルらの労働価値説を誤った軌道であると批判し、生産に費やされた労働は、財の将来の価値に対して何の影響も持たず、価値は効用(最終効用度)のみに依存する。効用は、財の増減によって変わるが、供給を得るために投ずる労働によって増減されるとした[56]。ジェヴォンズは、「商品が完全に同質である場合、どの部分も同等の部分と差別はなく、したがって、同じ市場で同時に、すべての部分が同じ比率で交換されなければならない」という無差別の法則(the law of indifference)と、「商品の価値は緊急性の低い欲求や必要性を満たすと、有用性が低くなる」という効用変動の法則の複合効果によって、商品の最後の抽象的な効用が、商品全体の交換比率を決定するとし、交換価値は、効用の等価性の発現であり、全体の交換価値を決定するのは、供給限界における需要であるとした[53]

マルクスの剰余価値理論では、価値はそれを生産するのに必要な労働量によって決まり、これは資本主義的生産の内在法則であり、剰余価値の抽出が不可能になった場合、資本家は生産に従事する動機を失うとされた[53]。しかし、ウィクスティードによれば、商品価値は労働量に依存するものではなく、供給の限界における効用によって決まるのであり、これは労働力の外にある[53]。労働力の価値や商品の価値を、それぞれ具現化されている労働量の比率に一致させるような経済法則は存在しない[53]。結局、マルクスは、労働力をその価値で購入する人間が、その消費において剰余価値を引き出すような、資本主義的生産の内在的法則を示せなかったとウィクスティードは評した[53]

なお、ソビエト連邦共産党の理論家ブハーリンは、1870年代の限界革命の動機を反マルクス主義のプロパガンダであるとするが、資本論初版(1867)の英訳は1887年に刊行され、1880年代までは一般的な議論とはなっていなかったし、限界効用学説がマルクス主義への挑戦として登場したとはいえない[57]

1884年には自由主義経済学者ルロワ・ボーリューが『集産主義-新しい社会主義の批判的検討』を発表した[58]

貧困の解決を課題としたイギリスの経済学者アルフレッド・マーシャルも『経済学原理』(1890年)などで労働価値説とマルクスの価値理論を批判し、「工場での糸の紡績が労働者による労働の産物であるというのは正確ではない。それは労働者の産物であるだけでなく、雇用主、管理者、など資本家の産物でもある」として、資本家はビジネスへの投資を通じて工場の仕事を生み出すとともに生産性に貢献すると指摘し、また、価格価値供給だけでなく、消費者需要によっても決定されるとして需要と供給を分析した[59]

V.K.ドミトリエフは1898年の著作[60]で、ミハイル・トゥガン=バラノフスキーは1905年の『マルクス主義の理論的基礎』[61]で、ラディスラウス・フォン・ボルトキエヴィチは1906-07年の著作[62]でマルクスの労働価値説や利潤率低下の法則は矛盾していると批判した。マルクスの理論的前提が過誤であれば、剰余価値や、労働者の搾取が利潤の唯一の源泉であるという主張は疑問視されることになる[63]

限界効用学説ベーム=バヴェルクらのオーストリア学派ジョン・ヒックスライオネル・ロビンズらは、財の希少性や効用を重視し、価値論は扱わないようになり、これが20世紀経済学の主流となった[64]。こうした潮流に貢献したロビンズは『経済学の本質と意義』(1932)で、シュモラーのような社会主義者は倫理判断を重視するが、経済学は諸目的において中立的であり、確かめられる事実を扱うのに対して、価値判断と義務を扱うのは倫理学であるとする[64]。これは、植物学が美学ではないから、植物学者が庭園の設計について見解を持ってはならないということではないように、経済学者は倫理問題について意見を述べてはならないという意味ではない[64]。ロビンズは、希少性が富の理由であり、経済学は、諸目的と希少な諸手段との間の関係としての人間行動を研究するものであると考えた[64]

これに対して、マルクス経済学はかたくなに労働価値説を墨守し、ルドルフ・ヒルファディングの『金融資本論』(1910)やレーニンの『帝国主義論』(1917)など、独自の経済学体系を展開させていった[64]

オーストリア学派(1) メンガー、ベーム=バヴェルク編集

オーストリア学派カール・メンガーは 『国民経済学原理』(1871年)などで、労働価値説およびアダム・スミスからマルクスにいたる古典派経済学を客観主義として批判し、人間は創造的で主体的な行為者であり、主観的価値が重要であるとする主観主義経済理論を論じた[65]。古典派経済学は、階級・集計量・物理的生産要素などが客観的実在として存在することに固執したが、人間の欲求を直截的に満たす「第一次元の財」は消費財であり、それは行為者が求める窮極的な目的であり、人々はそれぞれの主観的価値を持つ目的をかなえるために、またそれに動機づけられて経済行為をおこなっていくとメンガーは主張し、経済行為者の主観的視点と経済行為のプロセスを経済学の研究対象とした[65]。メンガーは、価値とは、目的に対する行為者の主観評価であり、効用とは、手段に対する行為者の主観評価であるとする[65]

マルクスは、資本家階級を革命により没落させようと主張しているが、資本家はリスク管理や市場調査などの重要な社会的分業を担っているのであり、その役割を不当に過小評価している。オーストリア学派の経済学者オイゲン・フォン・ベーム=バヴェルクらは、資本財と資本は異なるとしたうえで、資本とは、資本財の市場価値であり、自由市場で資本財を売買する行為者による価値づけであり主観的な評価であるとし、資本は経済計算を行う際の抽象概念、または道具にすぎないとする[66]。また、環境変化や、行為者の考えの変更などによって、それまでに生産された資本財は無価値になることもあるし、転換のコストもかかることもある[66]。もし市場価値が存在せず、財の資本価値が推定できなければ、資本財を使って作られる商品の価値が生産コストを上回るかどうかを計算し、予測することができなくなるのであり、したがって、自由市場や市場価格を否定する社会主義経済では、資本財について語ることができても、資本については語ることができず、こうして、社会主義におけるような国家の経済介入は、資本財の分野における起業家の発揮を阻害し、異なる時点間の体系的な調整の失敗がもたらされる[66]。起業家精神の自由な発揮、また資本財や通貨の自由市場なしには、異なる段階での経済計算は不可能になり、社会混乱によって調和的な発展は阻害される[66]。ベーム=バヴェルクは『資本利子理論の歴史と批判』(1884年)で、マルクスの搾取理論や剰余価値理論を次のように批判した[66]

  1. すべての経済財が労働によって生産されるわけではない。天然資源は希少であり、人間的目標にとって有益な経済財だが、労働を含まない。また、同じ労働量による商品でも、生産に必要な時間が異なれば、市場価値はまったく違うものになる[66]
  2. 財の価値は主観的であり、大量の労働を必要とする商品がわずかな価値しか持たないことがある。それが何の目的にも役立たないことがわかれば、市場価値を持たない[66]
  3. 労働が商品価値を決定するとされるが、その労働は、労働の再生産や、生産性維持のために必要な商品価値によって決定される。これは循環論法であり、価値の究極的な決定要因は、決して特定できない[66]
  4. マルクスの搾取理論は、時間選好の法則に気づいていない[66]。搾取理論においては、他の条件が同じなら、現在財は将来財よりも価値が高いと前提し、労働者は実際に生産する以上のものを受け取るべきだと期待する。また、長時間の労働の後で完成する商品価値の全部について、働き始める時点で前払いされるべきだと主張する。しかし、労働者が受け取る価値が実際の生産者をはるかに超えてしまうことをも要求しており、公平ではない[66]。すべての生産過程には時間がかかり、目的達成以前に数多くの生産段階を経るが、そこでは、異質で多様な資本財が使用される[66]。これらの資本財は、起業家の経済活動、意志決定の結果によって形成されてきたもので、自動的に自己再生産されるものではなく、もし起業家の経済活動がなければ、現存する資本財は消費により消滅することになる[66]

根岸隆によるベーム=バベルクのマルクス批判の解説では、次のようになる[67]。考察を簡易にするために、いま不変資本(原材料費)をないものとする[67]。マルクス主義では、商品の労働価値と可変資本の労働価値(投入された労働力商品の価値)の差が搾取されるというが、二つの価値には生産期間だけの時間の差があり、両者は単純には比較できない[67]。商品や労働の時間を通じての移動は不可能であるし、またはいちじるしく不完全である[67]。こうして、ベーム=バベルクは、交換される商品の労働価値が等しいというマルクスは、商品や労働の完全な移動を前提としており、マルクスが行った時点の異なる二つの価値の比較には問題があるとする[67]

ベーム=バヴェルクは1896年にも『マルクス体系の終結』を発表し、批判した。

オーストリア学派のルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは、メンガーやベーム=バヴェルクらが経済学での価値理論において、価値の源泉を労働から、個人の主観的な価値評価へ移行したことは、マルクスの経済理論の結論を覆すことになるという[68]

ローザンヌ学派:ワルラス、パレート編集

ローザンヌ学派の経済学者レオン・ワルラス1896年の著書で、マルクス主義的な集産主義は「その基礎の欠陥のためにつまずく実践的な不可能性」を持っているとし、マルクス経済学の労働価値説を希少性価値説から批判した[69][58]。ワルラスによれば、マルクスは労働にのみ価値を認め、土地用役の価値を認めないため、土地用役を必要とする生産物が需給不一致する場合は生産を停止するしか方法がなく、効用面で大きな犠牲を払う[58]。また、ワルラスによれば、マルクスは国家を唯一の企業者とみなすが、その生産計画において消費者の需要を知る必要があるのに、消費者の必要性は絶えず変化するため、消費者から国家に伝えることができない。他方市場では価格変動に任せられる。マルクスは正義の実現のために経済的有利性を犠牲にしていると、ワルラスは批判した[58]。ワルラスは、資本家と企業者、両者の受け取る利子と利潤も区別するべきだが、「資本家兼企業者による搾取を排除するために、マルクス主義はすべての企業を国家の手にゆだねる」と批判した[58]。ただし、ワルラスも企業者が異常な利潤を手中におさめないように、国家が役割を担うべきだと考えていた[58]

ワルラス一般均衡理論の後継者であるパレートは『社会主義体系』(1903)などで、限界効用理論ではなく、一般均衡分析に基づいてマルクスを批判した[30]。パレートは、経済現象においての経済主体の主観的要素を重視し、マルクスが単に客観的と考えている関係は、主観的なものであるのだが、マルクスのこうした捉え方は、主要な欠陥の一つであると指摘する[30]。パレートによれば、マルクスは商品価値を労働量によって計測するが、それぞれの異なる個別労働を相互に比較するためには単一の共通の単位に還元しなくてはならない[30]。しかし、そうした還元は不可能であり、同一の商品を生産する二つの労働の比較も、二種の商品を生産する労働の比較も、市場価値を媒介することなしに、労働間の同等性は確定しえない(この点は、バヴェルク、ワルラスも共有している)[30]。また、マルクスは「具体的労働はその反対物、抽象的人間労働の表現形態となる」と述べたが、パレートは、具体的労働からはなれた抽象的な労働の存在を認めない[30]

また、パレートによれば、社会主義政府が生産を編成するならば、生産係数は企業者間の自由競争の下で定まる生産係数と同一となる[30]。そうした生産編成を充す資源配分のためには価格システムが必要だが、その価格システムは資本の領有と自由競争の下で定まる価格と同一のものとなる。しかし、こうした価格体系は、中央集権的に、代数的方法を用いた価格計算によっては実現できず、市場的方法に頼らざるをえない[30]。社会主義社会では資本家階級が消滅するが、資本家が領有していた単純資本は消滅せずに存続し、企業を運営していた資本家に代わって、官僚が経営を担うことになる[30]。このように、生産組織においては、社会主義経済も資本主義経済も実質的に異なるところがない[30]。また、所得の分配の不平等性は、経済システムよりも、人間の性質により多く依存しているとパレートは指摘する[30]

スウェーデン学派編集

スウェーデン学派グスタフ・カッセルは、『利子の本質と必要性』(1903)『社会経済の理論』(1918)『経済学の根本思想』(1925)『経済学における質的思考』(1935)などで、価値論でなく価格論で十分であり、与えられた価格の下で消費者の行動を分析すればよいという価値説無用論を提唱した[64][70][71]

カッセルによれば、物の価値は二つの物の間の交換割合のことであり、物と物との関係においてのみ成立するのであって、絶対的価値なるものは存在しない[71]。したがって、商品の価値は他の商品との交換関係において成立する[71]。われわれが言い得るのは、一定の瞬間において、AよりもBを選ぶという単純な事実であり、これが価値関係のすべてを解決する[71]。価値論では、人の選択の動機に絶対的価値の比較をみるが、そのような絶対的価値を共通単位によって比較することは不可能であり、したがって、価値論は自己欺瞞である[71]。感情の強度によって比較しようとしても、こうした感情の強度を測定する方法もないし、各人の感情には相対性があるゆえに、物自体における絶対的価値を想定することは棄却しなければならない[71]。 価値は、価格という算術的数字によって代表され、従ってすべての財は貨幣という計算尺度によって測定されるのであり、価値論は価格構成理論にとって不必要となる[71]。経済学の対象は貨幣形態における交換経済現象であり、価値論ではなく、価格理論によってより一層説明される[71]。カッセルは、生産資源や財やサービスの利用可能量は人間の欲望をみたすには不足しており、この希少性にこそ、経済的価値は依存しており、分配と排除と選択の問題もここから生じると主張した(希少性の原理)[72]

ドイツの経済学者フリードリヒ・フォン・ゴットル=オットリリエンフェルトは1925年に、経済学で通常、価値と呼ばれているものの背後に、経済行為の客体にむすびついた経済的次元があるとして、価値論の束縛から離れるべきだと論じた[71]

オーストリア学派(2) ミーゼス、ハイエク編集

オーストリア学派のルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは、『社会主義における経済計算』(1920)『社会主義研究』(1922)『介入主義の批判』(1929)など1920年代から社会主義の研究書を刊行し、自由主義に基づいて、社会主義国家による介入主義を批判していった[73]。ミーゼスは経済計算論争でも重要な役割を担った。ミーゼスによれば、生産手段を公有財産として、社会経済を統御することが可能だという幻想は、新古典派の価値理論に起源があり、新古典派は均衡状態モデルに至るために必要な情報のすべてが利用可能だと考える[74]。しかし、国家による干渉主義が実行される社会主義体制は、自由な人間の行為に反する暴力的強制に基づいており、そこでは行為者の内心から社会を協調させるために必要な情報が生まれることが阻害される[74]。多様な選択肢を取りうる行為者は、生じる結果の価値を判断する経済計算を行うが、そのためには行為者が情報にアクセスできる必要がある。社会主義のような強制や妨害に基づくシステムでは、自発的交換や通貨の自由な使用が不可能になる[74][注 8]。市場の自由、自由な市場価格と通貨、情報の自由な交換が存在しなければ、合理的な経済計算は不可能になる[74]。政府は必要なすべての情報を得ることはできないため、強制的な命令によって社会を組織化するこはできないのだが、それができると想定することこそが社会主義の知的誤謬であり、また、均衡状態では経済計算をする必要がないため(その場合は仮定においてすでに実現されてしまっている)、社会主義において経済計算は不可能となるとミーゼスはいう[74]。ミーゼスは『ヒューマンアクション』(1949年)で、人間の起業家精神の能力によって、目的と手段についての新しい情報が常に生成され追及されるのであり、起業家精神は、強制的な干渉さえなければ、市場において恒常的かつ自生的に生み出され、協調も生み出されると主張した[74]。また、定常性の仮定に基づいた科学主義(科学的社会主義を含む)は、物理学に由来するが、経済学には適用できず、自然科学的な予測も経済学では不可能であるとし、人間は未来の出来事についての不確実性に直面しているが、知識と経験の蓄積によって、それを完全に消去はできないまでも、最小化することはできる。この意味で、すべての人間が起業家であり、その内面に起業家的な能力を宿しているとミーゼスはいう[74]。ミーゼスの社会主義批判と経済的自由主義についてロバート・H・ハイルブローナーは「ミーゼスは正しかった。社会主義は今世紀の大いなる悲劇だった」と評価しており、ブルースとラスキも、社会主義はミーゼスらオーストリア学派の挑戦を受け止めることはできなかったという[75][74]

ミーゼスに師事したオーストリア学派の経済学者フリードリヒ・ハイエクは、「経済学と知識」(1937)「社会における知識の利用」(1945)で、社会主義者が依拠する一般均衡モデルでは、均衡を記述する連立方程式に使われている変数やパラメータについての情報がすべて所与であるとされているため、社会主義の不可能性は理解されないが、均衡理論とは逆に、現実の経済では情報は決して与えられるものではなく、一つ一つ起業家によって発見され、創造されるのであり、そうした動的プロセスこそが経済学の対象であると論じた[76]。ハイエクによれば、社会は「合理的に組織化された」システムでも、意図的に人為的にデザインされたものでもなく、多くの人々の相互作用から生まれる自生的秩序であり、常に進化を続ける動的プロセスである[76]。社会では、すべての個人は、自らの目的を叶えるための行為を行うことで、情報を生成し、知識を見出していくが、そうした情報へのアクセスにおいては障害があってはならず、特に政治的、制度的な強制や暴力があってはならない[76]。しかし、社会主義国家では、強制と暴力が制度的に行使されるために、人々は目的を自由に追及できなくなり、個人的な目的の喪失は、社会を協調させ進歩させていくために必要な情報を生成するインセンティブも消滅させる[76]。ハイエクによれば、社会経済制度は無数の人間が何世代もかけて経験、知識、欲望を積み重ねて築いてきた進化の結果であり、社会の行動規範は、個人の精神をはるかに凌駕する膨大な情報、経験、知識を内包しており、誰一人として、こうした制度を新しく構想、創造することはできない。社会主義は知的なプライドと科学的な驕慢から生じる誤謬であると批判する[76]

またハイエクは、社会主義は、原始的集団に見られる感情や心理(団結、利他主義、忠誠心など)によって社会秩序を維持させようとするが、原始的集団で団結や利他主義が可能なのは、各メンバーが身近であるという環境があるからで、これを大規模な相互作用がある近代社会に拡張すると、混乱が生じ、やがては文明も崩壊し、自給自足の部族経済へ逆行することになると主張する[76][注 9]

ハイエクは戦後も『自由の条件』(1960)『法と立法と自由』(1973-79)で社会主義批判を展開していった[77]。ハイエクによれば、社会主義国家による強制的な命令、統制、または経済への干渉主義は、人間行為に対する制度的システマティックな「攻撃」であるが、これにより、自然法の概念は消滅し、それに代わって、行政命令、規則、統制といった形式的な法律が行動を規制するようになる。伝統的な法は個人の道徳基準として機能しなくなり、政府からの命令と統制がそれにとって変わることによって、行為者は、法によって自分の行動を参照することができなくなり、ますます伝統的な行動規則を遵守しなくなる。こうした状況からは経済活動の腐敗が生まれるが、これらは実際の社会主義諸国家で頻繁にみられることである[77]。社会主義下では、法は虚無化され、市民は法への信頼を失い、「正義」の観念も、政府や裁判官による感情的な印象論に基づいた恣意的な判断となる[77]。これに対して、伝統的な法社会では、裁判官は抽象的知性としての機能を果たし、感情的な偏りからの影響が小さい[77]。社会主義体制におけるように、法の客観的な適用が妨げられ、主観的感情的な印象に基づく判決が下されるようになれば、法的安定性は失われる[77]。人々は、裁判官に好意的な印象を与えることさえできれば、法的保護を得られると考えるようになる[77]。ソ連などの社会主義国家では、社会プロセスの主役は政治家と官僚であり、政府からの強制命令によって意図的な協調が試みられ、命令規則は個別的具体的で、万人に対して平等には適用されない[77]。また、一つの目的が支配的になり、全員に押し付けられ、「結果の正義」というスローガンによって、当事者の行動を問わずに、結果的な平等が支持される[77]。また、政治性が社会生活のすべてを支配し、人々は部族的な集団となり、党やヒエラルキーへの忠誠心、仲間との団結が奨励される一方で、よそものは敵とされる[77]。ハイエクはこれに対して、強制や部族的集団による攻撃のない自由な社会、起業家精神に基づく自生的な社会プロセスを支持する[77]。そこでは伝統的な自然法が平等に適用され、「同胞」も「敵」もなく、抽象的な経済関係が広がることで、各人は普遍的な社会秩序の形成に参加する[77]

ハイエクは、マルクス主義・社会主義のような「設計主義的合理主義」は、合理性についてのナイーヴで無批判な理論であるが[78]、「人間を天国に連れ戻すと約束する現代の知的な合理主義の致命的な思いあがりの主要な源泉」にはルソーが創作した「一般意志」があるとした[79]。ルソーは人間の「足枷(あしかせ)」は利己的で搾取的な利益によって強いられてきたと主張し、さらに社会主義は、所有制度は、利己的で、排他的な利益を欲して、他者から財産を守ることを望んだ人々によって発明されたと主張した[80]。しかし、ハイエクによれば、総生産物の規模が大きいのは、所有物の自由な市場交換を通じて、所有資源を配分することができるからであり、個人が資源の用途を判断できるようにする情報は市場において獲得される[80]。これに対して、社会主義では、本質的に分散している知識を権威がひとまとめにして計画的な秩序を構築しようとするのであり、限られた知識は、少数の個人の手に握られる[80]。ハイエクは、個別的な所有制度は、万人の知識を最大限利用できるような秩序へ生産の指針を移転させることによって、財産をもたない人々にも財産を持つ人と同様に利するという点で普遍的に有益であるとする[80]

また、社会主義は、プロレタリアートの存在を搾取のせいにするが、プロレタリアートを構成している個人は、他者がかれらに生計の手段を提供するまでは存在しえなかったのであり、西側のプロレタリアートや発展途上国は、自分達の存在を先進国がもたらした機会に負っており、共産主義諸国の人々も、西側世界が世界経済体制を保っていなければ飢えていただろう、資本主義は、生産から所得を得るための新しい形態、すなわち人々を、家族や部族から独立させることで彼らを解放する形態をも導入したとハイエクはいう[81]

ケインズ経済学編集

ジョン・メイナード・ケインズは『説得論集』(1931)で「資本論」を「科学的に誤りがあるだけでなく、現代世界への関心や応用もない時代遅れの教科書」とコメントした[3]

ケインズサーカスジョーン・ロビンソンは「An Essay on Marxian Economics(マルクス経済学についての一試論)」(1942)や「マルクス主義経済学の検討」(1955)で[46]、ケインズ理論に基づいたマルクス経済学へのマクロ経済学的批判をおこなった[30]。ロビンソンは、マルクスの労働価値説における価値の形而上学的な強調を批判し、論理的なプロセスとして、個々の商品の賃金に対する利益率は、利益率が事前に認識されている場合に計算できると指摘する[82]。マルクスにとって商品は、製造される時間、労働力、および技術的条件の蓄積である労働からその価値を受け取るものであり[83]、マルクスは、需要と市場価格を反映した生産物の労働時間との均衡を見出したといえる[84]。しかし、2人の労働者が同じ時間労働し、異なる品質の製品を生産している場合、2人の労働の価値をどう測定するのか、労働の価値は、同じ労働時間量、同じ商品を生産する場合でも、地域が異なれば、例えば、農業労働と都市のキャリア個人の労働はまったく異なり、商品の価値と等しくはならない[85]。さらに、土壌肥沃度、気候、市場の動向、自由市場の慣習などの要素も、労働の過酷さに関係なく、商品の品質を変化させるのであり、マルクスはこうした要素が生産過程にもたらす影響について考慮していない[85]。ロビンソンは、マルクスの労働の絶対理論を批判し、生活水準の違い、インフレ、省力技術の違いなどを考慮に入れた相対的なアプローチを取り[86]、労働の均等性と賃金の均等性の定量化の重要性を訴えるとともに、政府は労働者が直面する不利益や異なる状況を考慮に入れた労働評価をすべきだと主張する[85]

ロビンソンの見解では、正統派の経済学者は、資本主義における有効需要(貨幣的支出に裏づけられた需要[87])の問題、つまり市場の制限と、経済全体での商品の異なる価格の問題に対処していないし、投資の減少を調整できなかった[88]。これに対して、マルクスは、資本主義システムは消費に基づいて構築されており、資本主義が生き残るためには資本を蓄積すると適切に考えた[88]。資本主義は利益の成長のため、市場の制限と長期投資なしの過剰消費を引き起こしている[88]。しかし、マルクスは、利益が必然的に減少するという理論を仮定するにとどまり、十分な代替案を提示できなかったとロビンソンは批判する[88]

労働組合を通じた労働者と使用者の交渉による名目賃金の上昇は、実質賃金の上昇につながるとされるが、賃金上昇はしばしばコストの上昇につながり、労働者の購買力が大きくあがることはないとマルクス主義では指摘される[89]。 しかし、ロビンソンはケインズと同様に、資本家から労働者への購買力の移転は、消費財の需要を刺激し、雇用を増加させる傾向があるため、名目賃金の上昇は、実際に雇用増加につながると主張する[89]。マルクスは賃金低下によって資本が拡大するとみなしたが、ロビンソンはケインズ的な立場にたって、1930年代の戦間期は賃金の下落が資本拡大につながらないことを示し、ケインズによって切り開かれた有効需要の短期変動理論は大きな進歩を遂げているが、マルクスの長期変動分析は未開拓のままであると述べた[89]。ただし、ロビンソンは、賃金率と雇用率は蓄積された利益率に基づいて変化するというマルクスに共感し、たとえば、資本が減少した場合、賃金は低下する可能性があるが、資本家は労働者をより多くの時間働かせ、同時に作業負荷を増加させることで利益を得ることができるのであって、雇用は流通する資本量と資本家の搾取に依存するとみなす[86]。マルクスが、資本家による技術革新で賃金が低下するだろうと想定したのは誤りだったが、賃金上昇を推進するためには労働組合が重要だと認識した点では正しかったとロビンソンはいう[86]

なお、ロビンソンは後年、毛沢東文化大革命を熱狂的に評価した[90][91]。また朝鮮分断については、北朝鮮を支持し、韓国は社会主義に吸収されなければならないと主張した[92][93][94]

線形経済学編集

数理経済学の一つである線型代数学を用いた線形経済学分野では、ポール・サミュエルソン森嶋通夫によるマルクス経済学批判がある[30]ポール・サミュエルソンは「経済学6版」(1964)などでマルクス批判をした[46]

経済学者森嶋通夫とカテフォレスは、エンゲルスは「資本論」3巻で、資本主義の出現以前の単純商品生産社会、さらに紀元前エジプトバビロニアなど商品交換が現われる時代においても、価格価値を中心として振動するのであり、マルクスの価値法則は妥当すると主張したが[95]、しかし、前資本主義時代には十分な数の独立生産者は存在せず、商品生産は、資本主義的生産様式が農業を含むすべての経済部門を征服したときに完全に発達するのであり、エンゲルスのいう単純商品生産は歴史上決して実現されなかったと1978年の著書で批判する[96][97]。また、マルクスも価値および抽象的労働は資本主義においてのみ現実性をもつと解しており、マルクスが価値の働きを説明するために単純商品生産について述べたのも、生産手段の資本主義的所有が搾取、所有の集中、商品の生産価格などにおよぽす影響を確定するための理論的シミュレーションを行うためであったと森嶋とカテフォレスはいう[97]。森嶋は、マルクスの理論の再評価にあっては、論理的なモデルとして再構成することが課題となるのであって、エンゲルスが価値法則を論理的過程であると同時に歴史的過程を構成すると考えたことは批判する[97]。価値法則は資本主義社会には現実的妥当性をもたないのであり、「単純商品生産社会」も現実的適用性を持たない、論理的な分析のためのモデルとして設定された抽象的な社会であり、これは、資本主義社会との比較考察を行うための規準であって、商品が現実に価値に基いて売買されたことを立証するものではない、と森嶋とカテフォレスは主張する[97]

森嶋は資本主義社会が価値および剰余価値をも生産し、さらに、利潤の根拠として搾取が存在することを明らかにすることが『資本論』の中心テーマであると指摘し、資本主義において産業が正の利潤をあげることができるのは、正の搾取率が成立しているとき、しかもそのときに限られる、すなわち、労働者が資本家によって搾取されていることが、全産業に正の利潤をもたらすための必要かつ十分な条件であるという「マルクスの基本定理」を数学的に証明した[98]。森嶋によれば、マルクスの基本定理は、資本家による労働者の搾取が、正の利潤をうみだす一組の価格一賃金の存在にとって、いいかえれば、資本主義経済の存続の可能性にとって必要かつ十分な条件であることを主張している[99][100]。マルクスは、資本主義は搾取によって、収益的でかつ生産的な体制であるがゆえに、資本主義体制は拡大するとみていたと森嶋は解釈する[101]。したがって、『資本論』の中心テーマは、資本主義の存立可能性と拡大可能性である、と森嶋は指摘する[100]。このように森嶋は、資本主義義の成長性と存続性の根拠として搾取を位置づけるが、他方、マルクスは崩壊へと至る資本主義のいわば「原罪」として搾取を位置づけていたののであり、両者の資本蓄積論の捉え方は正反対である[100]

経済学者小畑二郎は、森嶋は宇野弘蔵と同様に、窮乏化法則や資本主義崩壊論を分析から除外したという[100]。小畑は、森嶋のマルクス分析を詳細に検討した論文において、森嶋の搾取理論は分配の公正、体制選択の問題も不問に付されたとして一面的といわざるをえないと批判する[100]

20世紀編集

社会思想家ジョルジュ・ソレルは、 マルクスの価値と剰余価値の理論は、遠く離れた時代の経済についての単純な考察に帰せられ、いまや純粋経済学とってかわられるだろうと批判した[30]

哲学者ベネデット・クローチェは、マルクスによる資本制下の労働分析を認めながら、マルクス経済学は一般的な経済学ではなく、労働価値説も価値の一般理論ではないと批判した[30]

シュンペーターは「資本主義・社会主義・民主主義」(1949)で、マレー・ウルフソンは「マルクス経済学の再評価」(1964)[102]でそれぞれマルクス経済学の批判的検討を行なった[46]

日本では、戦前はマルクス学派が主流だった[103]。経済学者高田保馬は『マルクス価値論の価値論』(1930年)[104]や『マルクス経済学論評』(改造社,1934年)[105]、「マルクス批判」昭和30(1955)などで、たびたびマルクス経済学を批判した[46]。また経済学者小泉信三は『マルクス死後五十年』(昭和8、1933年)などでマルクス主義批判を行ない[46]、マルクスは『資本論』の中で、商品過剰と労働者過剰による資本主義の没落を説いたが、これはただの景気循環の問題に過ぎず、資本主義の本質的な没落を招く欠陥ではないとし、ケインズが主張したように財政出動による公共事業の失業対策で対処可能で、あくまでも商品価格は需給関係によって成立するのであり、労働価値説は誤りだと批判した[106]

戦後日本は、大河内一男が1947年に近代経済学とマルクス経済学は、それぞれ物的な地盤が対立関係にあるもので、妥協は不可能であると主張し、マルクス主義法学者の風早八十二は近代経済学はブルジョワジー、金利生活者、金融独占資本家の理論的武器であり、資本主義を永久不変のものとすると批判した[103]。これに対して安井琢磨は、近代経済学は、マルクスの労働価値説を含む機能分析にくみし得ないし、マルクスの価値ー貨幣ー価格系列の理論に意義がないことに疑問の余地はないと反論した[103]今井賢一宇沢弘文小宮隆太郎根岸隆村上泰亮らは、近代経済学からみると、マルクス経済学は、実証科学ではなく、科学的方法に基づいていない、つまり、仮説を実証し、実証に基づいて理論を改善していく循環構造をもっておらず、マルクス経済学は、哲学、歴史哲学、世界観、イデオロギーを含む思想体系であって、人々に行動の指針を与えるが、厳密な意味での科学はそのようなものではないと1971年の共著で批判した[107][103]。ほかに経済学者難波田春夫[108]、経済学者堀江忠男[109]や、竹内靖雄[110]もマルクス経済学を批判した[46]

哲学者のカール・ポパーは、マルクス主義は「資本主義」をあらゆる人間を奴隷にしてしまう「最も恐ろしく逃れられない帰結を有する経済メカニズム」と解釈したが[注 10]、このような「資本主義」は存在しない単なる妄想であると批判する[111]。マルクス主義を掲げた政党は、この妄想された社会システムを抹殺することを主要課題とし、実際にソ連は西側諸国との核兵器軍備拡張競争に熱中し、敗北したが、こうしたことは「資本主義の地獄という存在しないものを一掃するということがマルクス主義の課題であったから生じたこと」で、「マルクス主義は知的なブラックホールへと、虚構の絶対零度へと落ち込んでしまった」とポパーはいう[111]

政治哲学者ロバート・ノージックは『アナーキー・国家・ユートピア――国家の正当性とその限界』(1974年)で、マルクスの搾取理論は、労働価値説剰余価値理論、つまり、商品価値は社会的に必要とされた労働量に比例するという理論に基づいているが、搾取という基本的なアイデアは価値理論にそれほど依存すべきなのか、その場合、労働価値説に誤りがあるならば搾取理論も崩壊することになると異議を提起した[112][22]

1985年に経済学者トーマス・ソウェルは、「資本論」は巨大な知的偉業であるが、経済学への貢献は事実上ゼロであり、マルクス経済学者でさえ、マルクスの経済分析ではなく、イデオロギー的、政治的、または歴史観のためにのみマルクスを用いている。「資本論」は、歴史的には世界的な政治運動の中核とみなしうるが、経済学の専門家の間では袋小路への入り口にすぎない。しかし、「資本論」を読んだことがない人々によって「資本論」は語られたあげく、天才が資本主義の間違いを「証明」したという保証(権威に訴える論証)の源泉となり、魔術的な力を持つとみなされたと指摘する[113]

ジョージ・スティグラーは、マルクス経済学は、主要なエコノミストの専門的な仕事に実質的な影響を与えていないと1988年に指摘している[114]ロバート・ソローは、マルクスは重要な思想家であり、マルクス主義も知的な影響力をもっていたが、まじめな経済学者はマルクス経済学を行き止まりの袋小路とみなしているという[115]

ゲーリー・モンジオヴィも、マルクスの価値と利潤率についての説には矛盾があると批判した[116]

オーストリア学派(3) ロスバード、ソト編集

オーストリア学派の経済学者・政治哲学者マレー・ロスバードは、マルクスの理論の中核にある「物質的生産力」や「生産関係」は曖昧な定義しかなされていないと指摘する[117]。マルクスは「哲学の貧困」のなかで、技術進歩によて新しい生産力を獲得し、それが生産様式と社会的関係も変化させていくと述べるが、この技術はどこから来たのか、誰が作り改善していくのか、マルクスはこの始まりの問題について言及していない[117]フォン・ミーゼスが指摘したように、生産の技術的設備道具機械といった、「物質的な生産力」の起源について問いかけることはマルクス主義では許されないため、これらの技術や技術革新天国から与えられたと仮定するほかないのである[117]。しかし、技術発明は「物質的」というよりも、新しいアイデアを考案する精神的なプロセスの産物であり、道具や機械は物質的ではあるが、それを生み出した心理的な働きは精神的なものである[117]。機械はアイデアが具体化したものであり、そこには発明だけでなく、設備投資も必要であるし、社会において分業が十分に発達していることも必要である[117]。技術決定論者でもあったマルクスはロンドンの電気機関車の展示会を見学し、「電気は必然的な共産主義革命を引き起こす」と喜んでいたが[118]、そうした技術のイノベーション発明には資本家の投資やそこにたいる合理的な判断などの介入があった[117]。生産関係には明らかに法的な財産関係が先立って存在しているが、マルクスはこれを無視して、生産関係を適切に定義しなかったが、これは深い混乱を招いた[117]。また、マルクスは階級闘争プロレタリア革命によって、生産力と生産関係の矛盾は解決し、技術システムとの関係も調和にいたると主張する。しかし、「封建的な資本家」が技術革新に投資しないと前提することはできないし、事実、歴史的にも資本家たちは新しい技術開発に投資してきたのである[117]。また、イデオロギーは経済的土台に決定され、意識は社会関係(階級を生じる生産関係)によって決定されるとマルクスは主張するが、マルクスはブルジョア階級に所属していた[119]が、マルクス以外の経済学者はブルジョア階級の利益に束縛されるのに対して、なぜマルクスだけはブルジョア階級の利益によって決定されないのかは説明されていないし、マルクスの決定論には自己矛盾がある[117]

さらにロスバードによれば、マルクスは「資本家階級」に共通する「階級利益」があると主張するが、資本家・企業は、原材料、労働力の獲得、商品販売において、つねに価格品質のたえまない競争にあり、競合相手に先んじるための新製品を模索している[117]。国家が介入すれば、ある産業界での支配層やカルテルなど「特権」を生み出すだろうが、そのような介入以前に、共通の利益を持つ「階級」は市場に存在していない[117]。特権階級を作ることができるのは国家一党独裁制による国家も含めて)であり、自由市場には「支配階級」としての「資本家」は存在しないし、同様に、共通の階級利益を持つ「労働者階級[120]」も存在しない[117]。なお、国家によって形成される特権階級は、「労働者」「共産党員」やビジネスマンといった集団によっても形成されるのであり、「資本家」だけではない、とロスバードは批判する[117]

オーストリア学派の経済学者ヘスース・ウエルタ・デ・ソトは2000年の著書で、古代ローマキケロが、いかなる賢明な支配者の精神的容量よりも、法制度の方が長期間の進化プロセスを経て膨大な情報や知識を取り込んでいると見出しており、オーストリア学派による社会主義的な計画経済の困難についての見解を先駆けて指摘していたとする[121]

他国(クレタ島ミノス王スパルタリュクルゴス)の政治体制は特定の個人の判断に従ったものであるが、ローマ帝国の政治体制は、一人の特定の個人によるものではなく、何世代もかけて作られた多数による産物である。すべてを見通す知性を持つ人物などいない。我々のすべての思考力を特定の個人に集中させたとしても、歴史を通しての経験なしに、一時に考慮することはできない。 — マルクス・トゥッリウス・キケロ国家について』2巻[122]

マルクスや社会主義者による搾取理論の基礎となる価値の客観理論に対しては、すでに16世紀サラマンカ学派のディエゴ・デ・コバルビアス・イ・レイバ(Diego de Covarrubias、1512-1577)が「ものの価値は客観的な性質のものではなく、人間の主観的な評価に依存している」として、西インド諸島で小麦がスペインよりも高価なのは、小麦の客観的な性質は同じでも、現地の人々が小麦の価値を高く評価するからだと論じた[121]。また、サラビア・デ・ラ・カージェ(Luis Saravia de la Calle)も1577年に「財の公正価格を、その商品を生産して商う人々の労働・費用・リスクによって測ろうとする者は深刻な誤りをおかしている。なぜなら公正価格とは、財や商人、貨幣が希少であることや、潤沢にあることから生じるからで、費用や労働、リスクから生じるわけではない」と市場経済の役割を重視して、労働価値説を批判しており、これもオーストリア学派の見解の先駆けであったとソトは述べる[121]

ガルブレイス編集

経済学者のジョン・ケネス・ガルブレイスは1996年の著書で、マルクスは、能力に応じた報酬ではなく、個々の必要に応じた報酬を提供すれば、より高いレベルのモチベーションにつながると平等主義による仮定を主張したが、このような平等性は、人間のモチベーションとは矛盾するもので、マルクスの「希望に満ちた考え方も、歴史や人類が経験してきた出来事と照らし合わせてみると、明らかに見当違いであった」と総括し[123]、良くも悪くも人間はそのような道徳的な高さまで上昇することがないことは歴史的に明らかで、わたしたちは人間の現実をそのまま受け入れる必要があるとして、平等主義に訴える共産主義は、賃金報酬やモチベーションの点から非現実的であると批判した[124]。また、ガルブレイスは、かつて資本家は国家における決定的な権力を持っていたが、20世紀後半になると大企業の所有と経営は分離されており、柔軟性を欠く企業内官僚、投資に興味はあるが機能的には無力な株主が大経営者にとって代わり、また独占禁止法で禁止された独占力も国際競争技術革新に屈していった[125]。現在は様々な職業があり、企業の力は多数のなかの一つに過ぎなくなっており、営利企業の排除が国民の権利を拡張することにはつながらないことは、ソ連、東欧、中国のような公的所有政策をみても、社会主義の論拠が崩れたことは明らかで、社会主義は、古典的な資本主義と同様に、よい社会を実現する体制だとはみなされなくなった[125]。さらに、経済の発展に伴い、輸送の発達による交通インフラ整備や消費増大に伴う廃棄物処理など、公共サービスの必要性も高まるし、消費が発展すれば、健康に気を遣うようになり、かつては当然と思われていたリスクに対しても敏感になるなど、経済発展に伴って、国民と企業の保護や社会的規制など国家の責任がますます重要になっていったことも、社会主義の衰退の理由であるとガルブレイスは指摘する[125][注 11]

複雑系経済学塩沢由典によれば、マルクス経済学は、資本主義批判を行うことで満足し、具体的な社会主義制度の諸問題については無関心であった[126]。そのため、社会主義経済計算論争や、ソ連東欧で行なわれた計画に関する論争を軽視したり、原理論を文献解釈学に変えたほか、資本主義のダイナミズムについて固着した発想でしか分析できなくなり、塩沢のようにマルクスの後継者を自認する立場からも、マルクス経済学が破綻したといわざるをえないと1997年の著書で批判する[126]。なお、塩沢はケインズ経済学も失墜したとも批判する[126]

塩沢の計画経済批判については#計画経済への批判を参照。

池田信夫は、経済理論学会(マルクス経済学の学会)に所属する金子勝『反グローバリズム』(1999年)の書評で、マル経(マルクス経済学)は、よりどころとする理論が崩壊してしまったので、「国際」「情報」のような「きわもの」的なテーマを探すしかないが、「グローバリズム」の定義も書かれてないまま、「グローバル・スタンダード」への非難が繰り返され、改革批判の根拠は「リストラしたら景気が悪くなる」というだけで、「市場の失敗」を非難する一方で「政府の失敗」をいわない介入主義も、マルクス経済学の弊害だと述べている[127]

政治哲学者ニール・スコット・アーノルドは、マルクスはポスト資本主義社会の制度下で搾取や疎外は廃絶されると主張するが、廃絶されることはなく、またマルクスの中心計画も実現されないのであり、マルクス主義は実践上は欠陥があるが理論は有効だとよく言われるが、理論上も欠陥を抱えていると批判した[128]

国際搾取理論編集

発展途上国は、先進国搾取されているから経済的に貧しいのであり、この国家間の格差はますます広がっていくという従属理論も展開された。こうした国際搾取理論については、マルクス自身はこういっている。「リカードの理論でさえも、ある国の三労働日は他の国の一労働日と交換されうることを考察している。この場合には価値の法則は本質的な修正を受ける。そうでない場合には、一国の内部で、熟練した複雑な労働が未熟練で簡単な労働にたいしてどうであるかということも、違った国々の労働日が相互にどうであるかということも、同様であろう。このような場合には、より富んでいる国が、より貧乏な国を搾取することになり、それは、たとえあとのほうの国が交換によって利益を得るにしても、そうである」[129][67]

根岸隆は、ベーム=バベルクの搾取論批判を踏まえたうえで、国際貿易による富国による貧国の搾取については、国際貿易において商品の完全移動があると考えられるとしても、労働の完全移動は考えられず、労働の国際間移動が完全でなければ、異なる国の労働の量を比較しても意味がなく、経済学的には比較不能であると指摘する[67]。この問題について、どの国においても、労働は、同じ賃金財の一定量を消費することにより再生産されるが、その賃金財の国際間を自由に移動可能であるので、労働そのものの国際間移動がなくても、各国の労働は同じ労働として比較できるとし、その場合、富国による貧国の搾取が成立すると考察した[67]

これについて野口旭は、新古典派経済学では国際貿易は二国の社会的無差別曲線生産可能性曲線(代替曲線)とにより示されることを踏まえ、貧国は、貿易前の財の国内価格と貿易後の国際価格が異なり、社会的無差別曲線により示される貿易利益を得る。しかし、富国では貿易前の国内価格と貿易後の国際価格が同じであり、貿易があっても貿易利益はないのであり、富国が貧国を搾取しているとはいえないと批判がなされた[67]

これを受けて根岸は再考し、労働の投入、生産物の算出がそれぞれ同じ時点であっても、その間の生産期間の経過により、ベームバベルクの問題がやはり国際貿易においても存在し、マルクスの例における不等労働量交換は国際的搾取を意味しないと結論を変更した[67]。すなわち、富国の1日分の労働を体化した商品と、貧国の3日分の労働を体化した商品が交換されるならば、生産期間に差がない場合は、富国の労働生産性は3倍で、賃金率に差がないのであるから、富国の粗利潤率(1+利潤率)は貧国の3倍になる[67]。生産物に体化され交換される労働は、投入後に生産期間だけの時間が経過しているから、時間の調整にベームバベルクのいう資本利子率(利潤率)を使用するならば、比較されるのは、富国の労働と貧国の労働ではなく、それぞれの労働に粗利潤を乗じたものでなくてはならない[67]。富国は、粗利潤が貧国の3倍であるため、生産物に体化された富国の1日分の労働と、貧国の3日分の労働との交換は、不等労働量交換であっても、不等価交換ではなく、搾取とはいえない[67]

オットー・バウアー[130]やH.グロスマン[131]は、先進国は、後進国よりも資本の有機的構成(不変資本と可変資本の割合)が高く、利潤率均等化のために後進国で生産された剰余価値が先進国に移転されて搾取されると主張した[67]。これに対しては、名和統一[132]ポール・スウィージー[133]が、この国際搾取理論では、労働と資本の国際移動の自由が仮定されていると指摘し、賃金財の国際移動の自由があれば、労働移動の自由を仮定することは必要なくなる[67]。また、アルギリ・エマニュエルが指摘するように、資本の国際移動の自由の仮定は、むしろ現実的である[134][67]

根岸隆によれば、マルクス主義の国際搾取理論の問題点は、不変資本と可変資本の投入時点の違いを無視したマルクスの価値計算にあり、これを訂正すれば、搾取は存在しなくなる[67]。ただし、根岸は、国際的搾取の存在を否定するわけでなく、マルクス主義の国際搾取理論を否定しているのであり、根岸自身は、マルクス主義の国際搾取理論とは異なる不等労働量交換による国際搾取を論じている[135][136][67]

フランシス・フクヤマは、日本大韓民国中華民国シンガポールは、積極的に先進国と交流し、奇跡とも言われる高度経済成長を達成した。発展途上国が発展途上国のままでいるのは、先進国に搾取されているからではなく、むしろ積極的に先進国と貿易や技術交流、相互投資を行わないからであるとの見解を出した[20]

従属理論世界システム論は、マルクス主義のなかのヨーロッパ中心主義を批判した[137]

21世紀編集

S.ビヒラーとJ.ニッツァンは、労働価値説の実証を目的とした研究は、労働価値の総計を複数の経済部門の価格総計と比較して強い相関関係があると主張するが、しかし各経済部門の価格と労働価値の相関関係は実際には小さく、したがって、こうした研究は統計学的な誇張であり、方法論的な誤りを犯していると指摘する[138]。また、ビヒラーとニッツァンは、抽象的な労働を測定する定量的研究は困難であるために、研究者は仮説の構築に専念するが、命題の証明においてその命題を仮定した議論を用いたり、証明すべき結論を前提としたりするなどの循環論法が含まれることが多いと批判する[138]

労働力の価値が実際の賃金率に比例するという仮定、また、可変資本剰余価値の比率が賃金と利潤の価格比率によって与えられるという仮定、さらに、減価償却された不変資本の価値が資本の貨幣価値の一部に等しくなるといった仮定がなされているが、ここで研究者は労働価値説が「証明」されることを事前に想定してしまっている。 — S.ビヒラー、J.ニッツァン、『Capital as power: A study of order and creorder』(2009)[139]

経済的不平等の専門的な経済学者トマ・ピケティは『21世紀の資本』(2013年)で、マルクスは資本が蓄積して少数者の手に集中する結果として資本主義は破滅すると予言したが、実際の経済統計によれば、19世紀末には賃金が上昇しはじめ、労働者の購買力も改善されたことで状況は激変したし、共産主義革命は西欧の最後進国であったロシアで起こり、ほとんどの西欧の先進国は他の社会民主主義的な方向性へ向かい、マルクスの予言は実現しなかったと指摘する[140]。また、マルクスは持続的な技術進歩と生産性の上昇の可能性を無視しただけでなく、芝居がかった形で統計を使用し、データと自分の理論との関係をはっきりとは示さないままであったし、自分の予言を改善させるために必要な統計データを持っていなかった[140]。マルクスは1848年共産党宣言で結論をあらかじめ決めており、その結論を正当化するように分析を進めたために拙速な断言を繰り返し、さらに資本の私的所有権が完全に廃止された社会、民間資本が完全に廃止された社会が、いかに政治的経済的にまとめられるのかをほとんど考えなかったとピケティは批判する[140][141]。ただし、マルクスの分析には重要な洞察も含まれているともピケティはいう[140]。経済学者は政治的信念を守ろうとしてデータを無視することがあるが、マルクス経済学者も、資本のシェアが増加する一方で賃金は伸び悩んでいると示したがり、データの歪曲も厭わなかったし[142]、ロシア革命から冷戦時代における共産主義と資本主義の二極対立は、資本と格差の研究を不毛なものにしてしまい、サルトルアルチュセールアラン・バディウらは自分がいかに熱心なマルクス主義者であるかを述べるが、この人々は、資本や格差の問題にはたいして興味がなく、まったく違った性質の闘争の口実に使っているだけだったと批判した[143]

政治学者ウィリアム・クレア・ロバーツは、基本的に『資本論』は、経済学というよりも政治理論の著作であると2017年の著書で指摘する[144][22]

政治哲学者マット・ツヴォリンスキーと政治学者A.ウェートハイマーは、労働価値論は克服できない多くの困難を抱えており、1870年代の限界革命の後、経済学者によってほとんど放棄されたという[145]。最大の困難として、ある労働は熟練し、ある労働は未熟練であり、前者を後者に還元して、商品の価値を測定する単一の基準を確立する方法はなく、こうして労働が不均質であることに起因する[145]。さらに、労働価値説は、土地や原材料など、人間の労働によって生産されない商品の価値を説明できない[145]。さらに致命的なことは、労働が剰余価値を生み出す唯一の力を持っているというマルクスの仮定に根拠が提示されていないことである[145]

政治哲学者ロバート・ポール・ウォルフは、マルクスの労働への注目は全く恣意的であって、労働の代わりにどんな商品でも、形式的に同一の価値論が構築されうる、例えばトウモロコシ価値論は、労働価値論と同様に正当であり、同様に役立たないと批判する[146][145]

マルクスの利潤率分析では、労働集約的な産業は、恒常的な資本に大きく依存する産業よりも利潤が高いとされるが、しかし,この結論は明らかに経験的に誤っており[147]、さらに産業間の利潤率を等しくするように投資が調整される経済競争というマルクスの仮定と相容れないと政治哲学者ニール・スコット・アーノルドや政治哲学者アレン・ブキャナンは指摘している[148][149][145]。マルクスとエンゲルスもこの事実を認識しており、『資本論』第3巻において、価値と価格が等価であるという第1巻の仮定を取り下げ、その代わりに、価値が何らかの複雑な過程を経て価格に変化すると主張した。しかし、この「転形問題」に対するマルクスの試みが成功したかどうかについては、大きな論争がある[150][151][152][145]

マルクス主義者、マルクス経済学者による転形問題に関する批判は別節で述べる。

G.A.コーヘンは、マルクスの搾取論は、労働価値説から独立しているだけでなく、それと相容れないと主張し、搾取の問題は、資本家が労働によって生み出された価値の全体ではなく、その価値の一部を収奪することにあり、労働は価値を生み出さないかもしれないが、価値を持つものを生み出すのは労働だけであると論じた[145]

コーエンに対して、政治哲学者ツヴォリンスキーとウェートハイマーは、コーエンの説明でも、搾取が必ずしも剰余価値の強制的移転を伴うかどうかが不明確であると批判した[145]。マルクスは、労働者が資本家のために働かざるを得ないのは、餓死しか選択肢がないからだとしたが、政府が、十分なセーフティーネットを提供したとしても、労働者は、強制労働でなくとも、不当な賃金を支払わされることによって搾取される可能性がある。また、剰余価値の強制移転を伴うすべてのケースが、必ずしも搾取的であるとも限らない[145]。例えば、政府による課税が搾取的であるとしても、税収を社会福祉に充てた場合でも搾取とよぶべきだろうかと批判した[145]

マルクス経済学者・マルクス主義者による批判編集

マルクス経済学者・マルクス主義者によるマルクス経済学への批判も蓄積されている。マルクス主義者は、マルクス理論の現実妥当性を問うという手法でマルクス経済学を批判してきた[30]

宇野弘蔵は、マルクスの資本主義崩壊論で説かれる歴史的必然性は、具体的なものでなく、資本主義はそのままではやってゆけない歴史的段階にすぎないということを言ったものであるとし[153]、窮乏化法則や資本主義崩壊論を純粋資本主義社会の法則としては議論できないものとして理論から排除した[100]。なお、宇野弘蔵は自分をマルクス主義者とも社会主義者とも考えたことはないと述べている[154]

マルクスは、過去の経済学者は、資本主義がいかに利益を上げているかを説明できなかったが、これは搾取理論で解答できると主張する[22]資本家は労働者の労働力を購入する。商品のコストは、それを生産するために必要な社会的に必要な労働力の量で決定される。労働者が生き続けるために必要な労働(必要労働)を超えて行う剰余労働は、資本家のための剰余価値が生み出され、これがすべての利益の源となる[22]。産業が機械化され、不変資本(工場設備・工作機械や原材料の購買にあてられた資本)と可変資本(労働力購買にあてられた資本を)が使用されるほど、利益率は低下する、つまり利益率は時間とともに低下するとマルクスは資本論第3巻で予測し、これが資本主義の崩壊につながる要因とされる。 しかし、マルクス経済学者ポール・スウィージーは『資本主義発展の理論』(1942年)においてこのマルクスの分析には問題があると批判した[22]。また、スウィージーはマルクスが商品価値を生産価値に変換させたのは不満足なものであったと結論づけた[155]

マルクスの労働価値説によれば、労働集約型の産業は、労働力の少ない産業よりも高い利益率を持つはずであるが、これは経験的にも理論的にも誤りであり、マルクスは、実際の経済生活では価格は価値と体系的に異なると主張した。これは転形問題として知られており、洗練された議論があるが、マルクス理論がどの程度救済されるかについては依然として議論が続いている[156][22]。労働だけが余剰価値を生み出すことができるというマルクスの主張を裏付ける分析はいまだ行われていないが、労働が価値を創造し、利益は搾取の結果であるという主張は、立証が難しくても、直感的な説得力を持っている[22]

マルクス経済学者の置塩信雄が1961年に発表した置塩の定理では、資本家がコストカットの技術を追求したり、実際の賃金が上がらなければ、利潤率は低下しない(必ず上がる)ことを証明した[157][158]置塩の定理では、実質賃金率が上昇すると、既存の技術の内部でどのような技術を選んでも均等利潤率は低下すること、資本家が新技術を導入し、実質賃金率が不変にとどまるならば,均等利潤率は不変にとどまるか下落すること、それゆえ、実質賃金率の傾向的な上昇を前提しない限り、資本家による自発的な技術選択の下では、マルクスの利潤率の傾向的低下は生じないことが論証された[159]。マルクスを基本的に擁護しながら別の理論を構築した置塩は、個別主体の行動の分析に重きを置いていないことをマルクス経済学の弱点のひとつとみなした[160][159]

1970年代以降は、マルクス経済学内部でも意見は不一致となることが顕著になった[161]。イアン・スティードマンは、物量が利潤率(したがって生産価値)を決定し、価値の水準はせいぜい利潤率(と生産価値)の決定において余剰なので、マルクスの価値理論は放棄されるべきだと論じた[162]

分析的マルクス主義の哲学者G. A.コーエンは『マルクスの歴史理論』(1978年)で、マルクスが生産力を重視する一方で、生産力の発展を説明するときに経済構造を優先させることに矛盾があると指摘する[22]。たとえば、『共産党宣言』では「ブルジョアジーは、生産手段を絶えず革新することなしには存在できない」とあるが、これは生産力の発展をもたらす経済構造(資本主義)に説明上の優位性を与えている[22]。しかしコーエンは、この矛盾は、次の「機能的説明」によって克服できるという[22]。資本主義の経済構造は生産力を発展させる。これが資本主義の存在理由である。もし資本主義が生産力を発展させることができなければ、資本主義は消滅してしまう[163][22]。マルクスは、経済構造が生産力を束縛し、発展させることができないとき、革命が起こり、時代が変わると主張している[22]

しかし、マルクスの歴史の一般理論を持っていたが、それはコーエンが主張するよりも柔軟であり、確定的なものではなかったとミラーはいう[164][22]。また、セイヤーズは、コーエンの弁証法的推論を否定する解釈は間違っていると批判する[165][22]

分析的マルクス主義者のヤン・エルスターは、ある経済構造が生産力を発展させている間だけ存続するという前提はおかしいとコーエンを批判する[166]。エルスターは、マルクスは生産力を最大限発展させるという目的を持って歴史を導く指導者が最善の経済構造を選択するという形而上学的な仮定をしていないが、誰のものでもない歴史の目的に訴えることを批判する[22]。歴史の目的に訴えることについては、シモーヌ・ヴェイユも批判している[22]。「ヘーゲルは、宇宙には隠された精神が働いており、人間の歴史はこの世界精神の歴史であり、それは精神的なものすべてと同様に、完成に向かって無限に傾いていると信じていた。マルクスは、ヘーゲル弁証法を逆さまだと非難し、世界精神に代えて物質を歴史の原動力として置き換えた。精神の本質は、善への絶え間ない願望とにあるが、マルクスはこのような精神の本質を物質に見出したように歴史をみなした」とヴェイユはいう[167]

また、コーエンは、人間の本質を生産的な存在と論じたマルクスの生産重視の姿勢は、人間の他の本質を無視した一面的な見解であるとも批判した[168][22]

分析的マルクス主義ジョン・ローマーは『マルクス派経済理論の分析的基礎』(1981年)で、企業の革新によって利潤率は上昇し、利潤率低下の法則に希望はないと批判した[169]

また、分析的マルクス主義について青木孝平は、リベラリズムの倫理的個人主義と同じであると批判した[170]

マルクス主義者M・リュベルは『19世紀と20世紀の非市場社会主義』(1987年)[171]で、また、市場経済による価格決定を取り入れる市場社会主義者のジュリアン・ルグランとソール・エストリンは『市場社会主義』(1989年)[172]で、1968年のポーランド危機でイギリスに亡命した経済学者ヴロジメエルス・ブルスとポスト・ケインズ派経済学者カジミエルス・ラスキは『マルクスから市場へ』(1989年)[173]で、マルクスや社会主義的国有化政策は市場経済の役割を理解していないと批判した。

時間的単一体系解釈(TSSI)の提唱者アンドリュー・クリマンは、マルクスの矛盾は時間的単一体系とみなされた誤解による結果だったとしている[174]。アンドリュー・クリマンは、マルクスの価値説の内部矛盾は必然的にその説の過誤を意味する、過誤は修正すべきであるし、または棄却すべきであるとした[175]

デビッド・ライブマンも、マルクスにおける理論の展開には矛盾があると批判し[176]、マルクスが資本論で述べた、オリジナルの政治経済批判は修正されるべきだと論じた[177]

他方、コーエン、J.ウルフ、N.ヴルサリスらは、労働価値説とは無関係に、マルクス主義の搾取理論は成立するという[178][179][180][22]。また、ローマーは、搾取は商品と労働の不平等な交換として定義されるとする。労働者が収入で購入できる商品に具体化された労働の量が、その収入を得るために費やした労働の量よりも少ない場合、交換は不平等である。たとえば、8時間の労働で稼いだ賃金で、4時間で作られたコートを購入すると、8時間の労働を他人の4時間の労働に交換したことになり、搾取されていることになる[181][22]

グラムシアドルノアルチュセールらの西欧マルクス主義者は、ソ連や東ヨーロッパにおけるソビエト・マルクス主義の抑圧的な官僚制下では、党の解釈から独立したマルクス研究が弾圧されていることを批判した[22]

ファシズム・全体主義としてのマルクス主義:恐怖政治・暴力編集

マルクスとエンゲルスは暴力革命プロレタリア独裁を主張し、社会主義国家は自由のためでなく、敵を抑圧するための暴力装置であると言っており[182]、レーニンも 「どんな法律によっても、絶対にどんな規則によっても束縛されない、直接暴力に依拠する権力」[183]を掌握することでプロレタリアート独裁のソヴェト国家をつくり、スターリンもまたこの道を忠実に進んだ[184]

マルクスの理論に基づいて、レーニンスターリンが作ったソビエト連邦の共産主義体制(レーニン主義スターリニズム)は、共産主義を科学だと自称し、他のイデオロギーを非科学的、反革命的だと弾圧した。レーニンは、階級敵に対する容赦なき弾圧や殺害(クロンシュタットの反乱の兵士やニコライ二世の子供たちを含むロマノフ家の殺害など)を実行したほか、秘密警察チェーカー(反革命運動、怠業、および投機取締非常委員会)を作り、反革命と認定された者を逮捕処刑し、集中収容所 (グラーグ)に収容するなど、弾圧を行い、こうした恐怖政治をスターリンは引き継いだ[184]。したがって、レーニンがスターリンよりはるかに人間的で寛容だったとはいえないのである[184]。レーニンは、「人民の敵、社会主義の敵、勤労者の敵には、なんの容赦もいらない。金持とその寄食者であるブルジョア・ インテリゲンチャに必死の闘いを宣言せよ」と主張し、「金持ちとぺてん師」は、「資本主義にそだてあげられた寄生虫」であり、社会主義の主要な敵であって、「全人民の特別の監視のもとにおかれなければならず、社会主義社会の規則にすこしでも違反したならば、容赦なく制裁しなければならない」存在であるとし、レーニンも反革命的な党外の反対者に対して極めて非寛容であった[185][184]

スターリン大粛清では反革命分子として異端とされた党員が数十万から700万が処刑されたといわれる。そのため、労働者階級の解放どころか、結局は人民の自由を抑圧する「ポスト全体主義体制」でしかなかったという批判がある。マルクスは階級廃絶を主張していたが、党官僚という偽善的な新階級「ノーメンクラトゥーラ」を生み出してしまい、富は公平どころか特権階級に集中したと批判された。

政治学者アーロン・L・フリードバーグによれば、ソビエト連邦中華人民共和国は、マルクス・レーニン主義政党による一党独裁体制で、国民の生活のあらゆる側面の管理を目指し、世界の共産主義革命運動のリーダーであると称したが、共産主義を奉じた20世紀の全体主義大国の後継国家であるロシアと中国は、経済面では国家資本主義である[186]

中国は、改革開放政策で市場経済を導入したが、天安門事件民主化運動を弾圧して以降は、経済成長を約束する一方で、党への反対意見を押さえ込み、情報統制を強め、愛国主義教育キャンペーンによる新たな信念体系の創出に取り組んみ、1990年代末までに中国は、共産主義的全体主義体制から、権威主義的資本主義体制へ移行した[186]

ソ連は1980年代に中央集権的な計画経済システムが破綻し、経済再建(ペレストロイカ)を党官僚から反対されたゴルバチョフグラスノスチで情報公開や検閲を緩めると、共産党への批判が噴出し、一党独裁の正統性も崩壊し、ソ連崩壊となった[186]。1992年以降は、ソ連時代の価格統制や補助金を廃止し、資産の民営化が進み、国営企業も売却され、市場経済が獲得されていった一方で、価格統制の撤廃で急激なインフレが生じて、失業率が上昇し、長期的な景気後退に陥った[186]エリツィンが辞任し、プーチンが大統領に就任すると、国家の権威主義体制を強化し、ガスプロムロスネフチを政府管理に戻し、国家資本主義体制を確立した[186]

経済的自由主義者のミーゼスの弟子ハイエクは『隷従への道』(1944年)で、社会主義、共産主義、ナチズムファシズムは同根的な集産主義(collectivism)であり、計画経済や社会主義・共産主義が「独裁制の全体主義」に陥るのは、必然的なことだったと指摘した[187]

哲学者のカール・ポパーは1945年に『開かれた社会とその敵』を発表し、全体主義の根源にヘーゲルとマルクスがあるとし、20世紀の共産主義を批判した。ポパーによれば、共産主義は「完全に統制された、全体主義的な社会を作ること」を目的としており、これはナショナリズムと共通する[188]。共産主義社会では、同じ信念と目的を持ち、国家の絶対的な権威に完全に服従する「均質な住民」から成り立っており、正しいと信じられる共産主義思想に同意しない人々は、「明らかな真理を受け入れることを、悪意から拒否している」人々、つまり「明らかな真理に対する敵」とみなされ、暴力を用いて弾圧され、こうして共産主義には非人間性、自由に対するその固有の敵意があると指摘される[188]。ポパーによれば、共産主義思想では、地上の楽園を作ることが主張され、試みられてきたが、「しかし、それはいつも、むしろ地獄に似たものを確立するに至った(…)なぜなら、無垢な社会という、美しいヴィジョンに鼓舞された人々は失望せざるをえないからだ。そして、失望したときに、彼らは、その失敗を、犠牲者や人間の悪魔に押し付けるのである。そういったものたちは、悪意をもって、千年王国が到来することを邪魔しようとたくらむ者どもであり、それ故、根絶されなければならない人々」とされるのである[188]。ポパーは共産主義の重大な誤りとは「ロベスピエール恐怖政治のように、素朴で過度の楽観主義の致命的な結果なのである。共産主義は、奴隷制、予防的恐怖、そして予防的拷問さえ再導入した。そしてわれわれはこれを黙認してはならないし、許してもならない」と警告する[188]。ポパーによれば、共産主義国家建設の経験は、地上に楽園を作る試みの恐るべき危険を例証しているのであり、従って、「われわれが地上に楽園を作ることができないということを明らかにすることが、すべての理性的な政策の第一原理のひとつでなければならない」、「われわれは、自由を馬鹿馬鹿しい値段で、あるいは最高度に可能な生産性と効率性を得るという見込みのために、売り払うべきではない」とする[188]。ポパーは、貧困は大きな害悪だが、貧困と富裕の対比よりも重要なのは、自由とその欠如との対比、すなわち、新たな階級、新たに支配を握った独裁政権と、強制収容所などへ追いやられる恵まれぬ市民との対比であると主張する[189]

作家の坂口安吾は1947年に、次のように自由主義にもとづいて共産主義を批判している。

私は共産主義は嫌ひであつた。彼は自らの絶対、自らの永遠、自らの真理を信じてゐるからであつた。

我々の一生は短いものだ。我々の過去には長い歴史があつたが、我々の未来にはその過去よりも更に長い時間がある。我々の短い一代に於て、無限の未来に絶対の制度を押しつけるなどとは、無限なる時間に対し、無限なる進化に対して冒涜ではないか。あらゆる時代がその各々の最善をつくし、自らの生を尊び、バトンを渡せば、足りる。
 政治とか社会制度は常に一時的なもの、他より良きものに置き換へらるべき進化の一段階であることを自覚さるべき性質のもので、政治はたゞ現実の欠陥を修繕訂正する実際の施策で足りる。政治は無限の訂正だ。
 その各々の訂正が常に時代の正義であればよろしいので、政治が正義であるために必要欠くべからざる根柢の一事は、たゞ、各人の自由の確立といふことだけだ。
 自らのみの絶対を信じ不変永遠を信じる政治は自由を裏切るものであり、進化に反逆するものだ。
 私は革命、武力の手段を嫌ふ。革命に訴へても実現されねばならぬことは、たゞ一つ、自由の確立といふことだけ。

 私にとつて必要なのは、政治ではなく、先づ自ら自由人たれといふことであつた。 — 坂口安吾「暗い青春」(1947)[190]

ドイツの哲学者カール・ヤスパースは『現代における理性と反理性』(1950)で、マルクス主義は、精神分析と同様に、反理性の代表であるとして批判する[191][192]。ヤスパースによれば、マルクス主義は、科学を自称するが、ヘーゲル的な全体知であり、憶測の知識であり、信仰を憶測の科学として擁護しているような、独善的な信仰である[192]。マルクスの政治活動は、信仰の活動であり、弁証法は、全体を規定する単一の因果性として効果的な詭弁となり、マルクスは暴力革命によって権力を勝ち取ることを訴えた[192]。マルクスは、神に見捨てられた世界に復活した予言者であって、その予言は、神話的思考あるいは強大な魔法であり、魔法をかけられた者は、反理性の不条理を真剣に受け入れ、理性の哲学と対立する。しかし、理性とは開放性であり、人間相互の交わりを可能にするような、実存となる根拠であり、理性を放棄することは、自由を放棄することであるとヤスパースは論ずる[192]

ヤスパースは続けて『新しいヒューマニズムの可能性』(1952)において、マルクスの共産主義革命によっては疎外は克服されないどころか、現存するものは精算され、廃墟から新しいものが生まれるという空想は、人間を奴隷化する反ヒューマニズム的なものになると論じ[193][194]、さらに『原子爆弾と人間の未来』(1958)において、マルクスは、独断的な予言者として疑似科学的に暴力行為を正当化しており、その思考は全体知であり、全体的支配に通じるもので、マルクス主義的思考は、絶対化された悟性の反理性であると批判する[195]。ヤスパースによれば、マルクス主義的な全体的支配においては、唯一の組織が権力を持ち、憶測の絶対的真理を復唱させ、調教し、威嚇することで、すべての 人々が一つの全体計画に服従させられるのであり、自由も、理性も、真理も存在しないという[195]

哲学者ハンナ・アーレントは『全体主義の起源』(1951年)や『革命について』(1963年)のなかで、ナチズム国民社会主義ソ連共産主義ボリシェヴィズム大粛清恐怖政治の起源をフランス革命に見いだして批判した[195]。アーレントは、ナチズムとスター リンのボルシェヴィズムの全体主義がそれまでの専制政治とは異なるところは、両者ともに世界征服を目指しており、秘密警察と強制収容所が国家の中核にあり、人間をテロル恐怖政治)の鉄のに押し込んだと指摘する[195]。アーレントは中国共産党についても、その全体主義的な特質は最初から明白であり、文化大革命という名の党粛清では、大量殺戮も辞さないという威嚇が公然と行なわれていると述べ、毛沢東を、ヒトラーやスターリンと同様に批判している[196][195]

吉本隆明は『マチウ書試論』(1954年)のなかで、「人間は、狡猾に秩序をぬってあるきながら、革命思想を信ずることもできるし、貧困と不合理な立法をまもることを強いられながら、革命思想を嫌悪することも出来る。自由な意志は選択するからだ。」と述べ、階級性に関係のない人間の自由意志の存在を指摘している[197]

クロード・ルフォールもソ連の体制は、ナチスや東欧諸国とならんで全体主義であると批判した[198]

ミシェル・フーコーは、マルクス主義によって政治的な想像力が貧困化し、枯渇したと批判し、その理由として、マルクス主義が権力の一様態にほかならないからであるとした[199]

ズビグネフ・ブレジンスキーは「共産主義とファシズム、ナチズムは歴史的に関連があり、政治的にも類似している。いずれも、工業化時代の深刻な問題―何百万という根無し草のような労働者の出現、初期資産主義がもたらす不公平、そこから生じた階級対立など―への答えとして生まれたものである」「社会的憎しみを社会正義という理念で包み、社会を救済する手段として、国家の組織された暴力を正当化するにいたるのである。ヒトラーのナチス・ドイツとスターリンのソビエト・ロシアは、のちに大規模な戦争を展開する」が、これは「共通の信念を持つ者同士の兄弟殺しの戦争であった」「スターリンがナチであったと同様、ヒトラーはレーニン主義者であったといっても過言ではない」と述べている[200]

ソ連から西ドイツに亡命したミハイル・S.ヴォスレンスキーは、ソ連の「現存社会主義社会には、生産手段の『国有』ないし『社会有』以外に法的な所有形態は存在しないから、生産手段の所有を通じての支配・被支配の関係は生まれない」という主張はフィクションにすぎず、実際のソ連ではソビエト共産党の党員1,700万人中4パーセントの70万人が、指導者層のノーメンクラトゥーラを形成し、それが生産手段を超独占的に管理することによって、労働者階級を支配し搾取し、一党独裁による官僚制国家であると西側社会に報告した[201]

歴史学者フランソワ・フュレは『幻想の過去―20世紀の全体主義』(1995年)において、共産主義は20世紀に全体主義体制として出現したが、フランス革命の記憶を利用して、進歩の先導者を自称し、世界を革命と反革命に分けたことで、共産主義への批判は困難になり、普遍主義は独善の論理に転化したと指摘した[202]山下範久も同書書評において「世界の改造や社会の改革を叫ぶ普遍主義者が、「味方でなければ敵」というレトリックを振り回す状況が、決して過去ではない」と指摘した[202]

1960年代には初期のマルクスは理想主義的な「ヒューマニズム」にあったが、後期マルクスはハードコアで、スターリン主義の萌芽があると区別する議論がなされた[117]。しかし、経済学者・政治哲学者マレー・ロスバードは、マルクスの思想は一貫して、人間の個性を破壊し、分業体制を破壊する、狂信的な救世主の目標に奉仕することによって支えられており、レーニンスターリン毛沢東ポル・ポトなど20世紀の共産主義者による恐怖の歴史は、彼らの主人であるマルクスの狂信的で破壊的なビジョンの論理的な展開であると1995年の著書で指摘した[117]

欧州評議会議員会議は2006年1月25日の1481号決議において、「20世紀に席巻し、現在でも依然としていくつかの国で権力を握っている全体主義的な共産主義政権(The totalitarian communist regimes)は、例外なく、大規模な人権侵害を行なってきた。そこには、強制収容所、人為的な飢饉、拷問、奴隷労働およびその他の組織的暴力などによる個人および集団の殺害、また、民族的または宗教的迫害、良心や思想を表明する言論の自由表現の自由への侵害、報道の自由の侵害、政治的多元主義の欠如などが含まれる。」「全体主義的共産主義体制における犯罪は、階級闘争理論とプロレタリア独裁の原則の名の下に正当化されてきた。共産主義の敵として排除された膨大な数の犠牲者は自国民であった。」「これらの犯罪は、ナチズムの犯罪のように、国際社会によっていまだ裁かれていない。その結果、共産主義政権の犯罪に対する諸国民の認識は非常に乏しく、一部の国では、共産党は合法政党であり、活動的な場合もある。」 「欧州評議会は、共産主義体制の犯罪を強く非難するとともに、共産主義体制の犠牲者の苦しみに同情し、それを理解することは倫理的な責務であると考える。」と決議した[203]

マルクス主義の正統としてのスターリン主義編集

マルクス主義やマルクス・レーニン主義を信奉する者のなかには、ソ連や東欧の社会主義制度の崩壊はスターリン主義に基づいて形成されたためで、マルクスやレーニンが建設していれば自由で豊かな社会をつくっただろうし、大粛清などもスターリン個人の責任であり、マルクスやレーニンとは無縁であるとする中村静治らの主張がある[184][204]

しかし、経済学者鈴木重靖は、レーニンがマルクス主義者であったように、スターリンも自他ともに認めるマルクス主義者であったとし、スターリンだけを例外として考えることは難しいと反論する[184]。スターリンは自分をマルクス主義者であり、レーニン主義者であると自認していたし、1950年代まではスターリンはレーニンやマルクスと同等の評価を国際的に受けており、スターリンは、マルクスとレーニンの思想にしたがってソ連建設に貢献した[184]

レーニンとマルクスを比較すると、マルクスは社会主義革命は先進国において生じると考えたが、レーニンはロシアのような後進国でも革命は起こると主張し、実際に革命を起こした[184]。この結果、中国、朝鮮キューバ、東欧などの後進国で革命が起こっていった[184]。レーニンは、ロシアが火蓋をきったあとは、ドイツ、フランス、イギリスなどの先進国で革命が起こるとして、世界同時革命を主張した[184]

レーニンは、労働者階級が資本家階級に対して独裁権を行使して、資本家階級を一掃し、生産手段を社会的所有(国有化)させて計画経済を行い、資本家、地主、商品、貨幣のない社会主義社会を実現していくと考え、これはマルクスと同一の思想といっていいが、レーニンはこうした思想を1921年のネップによって商業取引や外資を導入し、放棄した[184]。ネップはマルクス主義からの「退却」といわれたが[注 12]、これによってレーニンをマルクス主義者ではなくなったと主張されることはない[184]

スターリンはネップ政策を再修正し、「退却」を「前進」「突撃」に変え、共産主義への道をより速やかに進んで行くことを決意した[184]。スターリンは権力獲得後、レーニンのネップ政策を引き継いだものの、五か年計画でネップを放棄し、生産手段の社会化、農業の集団化、経済の計画化などの徹底、世界同時革命の主張という、むしろレーニンによって捨て去られたマルクスの基本思想に立ち返った[184]。これにより、スターリンは、内外の多くのマルクス主義者より、レーニン以上の本当のマルクス主義者であると当時称賛された[184]。マルクスの主な功績は思想であり、革命家としてはほとんど大衆に知られることはなかったのに対して[注 13]、スターリンは、国内はもちろん、国際的にも一般大衆に知られ、大衆を把握して動かす力は強大で、第二次世界大戦での役割や冷戦時代を形成したその影響力は、ナポレオンをも凌駕するもので、マルクスやレーニンよりも大きい影響力を当時は持っていた[184]。マルクスとエングルスは資本家・地主のいない社会、市場なき経済を目指し、スターリンはこの目標に向かって、生産手段の私的所有の廃止と経済の計画化を徹底的に遂行し、ソ連は20世紀で最も市場に依存しない経済制度であった[184]。カンボジアのポル・ポトも完全非市場経済の建設を試みたが失敗し、ユーゴスラビアは共同体所有に近い計画経済を実行したが失敗した[184]

このように、レーニンよりもマルクスの思想に忠実であったスターリンがマルクス主義者ではないという主張は全く不当といわなければならないし、スターリンをマルクス、レーニンから切り離すことはできない、と鈴木はいう[184]。鈴木によれば、ロシアのような後進国が単独で、先進資本主義の国々に包囲されながら、社会主義社会を建設しようとするならば、遅かれ早かれスターリン型といわれるような中央集権的指令経済の独裁国家にならざるをえなかった[184]。マルクス型社会主義は商品経済を否定し、さらに共産主義の段階になれば分業さえもなくなるとする点で、スターリン型よりもさらに徹底した市場排除型社会主義経済である[205]。スターリン型・ソ連型社会主義の中央集権的独裁国家は、マルクスやレーニンの思想を忠実に実現しようとした結果生まれたものである[184]。スターリンを諸悪の根源だというならば、マルクスこそそのルーツであるといわなければならないと鈴木は述べる[205]

S・ブラギンスキーとV・シュヴィドコーも、予言者マルクスのドグマをもとに社会をつくろうと思えば、スターリン型の社会しかつくれないと述べる[206][205]

マルクスの市民社会論とレーニンの恐怖政治編集

ドイツ思想史研究者の神田順司は、マルクスの市民社会論はヘーゲルを歪曲して、既存制度の歴史的文脈を否定したものであるが、これがレーニンらによる暴力行使の理論的素地となったと指摘する[207]

ソ連崩壊後に公開されたマルクス・レーニン主義研究所中央文書館KGB中央文書館の極秘文書によれば、レーニンをはじめとしたボリシェヴィキの指導者たちの多くは、生活のために働いた経験もなく、党の資金に寄生して暮らす「労働者階級」とは無縁の存在であった[207][208]。しかもその資金のほとんどは、銀行強盗、現金輸送車の強奪、詐欺などで略奪されたもので、ボリシェヴィキの強盗団の頭目がスターリンだった[207]。こうした手法は1906年にロシア社会民主労働党第四回党大会でメンシェヴィキから批判されて否決されたが、その後もレーニンの指示で続けられた[207]。また、テロルによる恐怖支配は、レーニンが権力を強化するために用い、強制収容所や大量虐殺は、ボリシェヴィキの経済政策が破綻するなか、農民や労働者の反乱に戦慄したレーニンが独裁支配を維持するために導入したものだった[207]

マルクスの革命論では、革命後の社会については不明瞭で、「プロレタリアの権利宣言」があっても、実効性のある制度としての人権もなく、権力の正当性についての制度的保証も責任規定もなかった[207]。レーニンはこうしたマルクス主義の粗暴な側面を明け透けに表明し、大衆を動員して「人民の敵」と決めつけ、暴力を行使していった[207]。レーニンは1917年12月に「革命の利益は憲法制定会議の形式的権利に優る」と宣言して、革命ロシアにおける民主主義の可能性を暴力によって粉砕した[207]

マルクスは、ヘーゲルの法哲学批判において、ヘーゲルが「国家と市民社会の対立」を前提していると批判するが、実際にはヘーゲルはそのような主張をしていない[207]。ヘーゲルは市民社会を利害の闘争の場であるが、職業団体(同業者組合)は共通利益を国家に提示する一方で、官僚はそうした利害を調整することで、「近代国家の原理」の実現を目指すと考える[207]。マルクスは、ヘーゲルによる市民社会の国家との媒介のダイナミズム論を理解しようとせずに、「ヘーゲルは普遍的なものを独立させておいて、私的利害という経験的存在と混ぜこぜにし、それを無批判に理念の表現と見做す」と批判するが、これは外在的批判にすぎず、その後マルクスがヘーゲルの行政権論を論評ぬきで書き写している事実は、マルクスがヘーゲルを理解できないままに理論破綻していることを示すと神田順司は指摘する[207]

マルクスはヘーゲルが国家と市民社会の「分離」から出発し、官僚制はこの分離に基礎を置いているとし、「職業団体は官僚制の唯物論であり、官僚制は職業団体の精神論である」「職業団体は市民社会の官僚制であり、官僚制は国家の職業団体である」「官僚制は国家の市民社会として、職業団体という市民社会の国家に対峙する」と論じるが、これらは「屁理屈としかいいようのない論理」であると神田は批判する[207]。マルクスはフォイエルバッハの批判を用いて、ヘーゲルは「国家と市民社会の対立」という「二元論」を前提しているとして批判したが、マルクスのいうこの二元論をヘーゲルは主張していないのであり、これは捏造にもとづく批判である[207]

ヘーゲルは歴史的文脈を踏まえて近代市民社会の矛盾を考察し、既存制度の改革によってドイツをいかに近代化するかに腐心した[207]。これに対して、マルクスは憲法を「政治的国家と非政治的国家との妥協」とみたり、議会を「市民社会の政治的幻想」として否定し批判するが、制度的規定を欠いた「民主制」という現実から乖離した夢想をもって理論破綻している、と神田はいう[207]。さらにヘーゲルは、国家に悪意を前提するような見方は、「市民生活と政治生活とを相互に切り離し、政治生活をいわば宙に浮かしてしまう」立場であると批判していたが、まさにマルクスは、このヘーゲルの批判する立場にいたのであり、マルクスがこの箇所以降、書き写しや乱れをみせていることがマルクスの草稿に残っており、マルクスが当惑し、理論破綻していることを示すと神田はいう[207]。なお、現行のマルクス・エンゲルス全集では、こうした草稿における論評抜きの書き写しなどを削除しているが、これは史料への加工であり、問題である、と神田は批判している[207]

こうした市民社会論以外でも、たとえばヘーゲル哲学における「理念」は、空虚な構想物ではなく、「概念とその現実態」としてヘーゲルは説明しているが、マルクスはこれを「抽象的ないし論理的な理念」として取り違え、その取り違えに基づいてヘーゲルを批判するなど、マルクスのヘーゲル理解は稚拙であると神田はいう[207]

このように、マルクスのプロレタリア革命論は、その市民社会論を前提としているが、それはヘーゲルの法哲学の曲解と一面化して、近代的な法・政治的カテゴリーを排除するものであり、したがってまた、歴史的に形成されてきた法・政治制度・規範・モラルなどをまったく意に介さないレーニンの恐怖政治政策が生まれる理論的素地を用意するものとなっていった[207]

計画経済への批判編集

20世紀半ばまで社会主義的な計画経済による、平等で豊かな社会の建設が目標とされた[209]。ドイツ社会民主党内閣の経済相ウィッセルが1919年に計画経済という言葉を最初に使ったが、一国の経済を、無政府的な市場経済でなく、組織的な計画によって運営すべきと考えたのはサン・シモンやマルクスであり、レーニンも「国家と革命」で行なった[209]

ソ連型計画経済では、共産主義の第一段階を、社会全体を一つの事務所とひとつの工場とし、「事務所」が党による計画作成、その指令を受けて「工場」が生産する[209]。しかし、国家と官僚組織でも、生産能力や資源・資材の状況、技術の水準、管理部門の経営、労働者の指揮、需要の状況などを工場ごとに中央省庁が把握することはできなかった[210]。さらに何をどれだけ生産し、流通させるか、計画をたてればよいのか、どのようなデータにより計算すればよいのかについての理論らしい理論もなかった[210]スターリン五カ年計画も工業生産を目標としたが、それ以外の要素は犠牲になり、設備機械輸入の代金支払いのためにウクライナで穀物を無理に挑発したことで、大飢饉 (ホロドモール)が発生し[210]、ウクライナだけで400万〜600万人が犠牲となった[211]。計画のためのデータもないままで、商品の仕様も、商品の基本的な分類や標準化も不十分で、材料、部品の投入、生産と生産の間の相互の複雑な関係を計算するだけの手法も機構もなかった[210]

ソ連の計画経済の特徴は次の通りである[210]

  1. 重要な経済活動の国家による独占。農業は例外
  2. ヒエラルヒー秩序による組織統合。上層機関による利害調整
  3. 指令と報告による管理形態の国家規模への拡張
  4. 計画と統制のための計算体系

4の計算体系では、中期計画として投資計画の「五か年計画」が策定され、経常計画は年次計画:日間、月間、四半期ごとの計画で、これらの短期計画は工場、企業連合、各省庁が担当した。しかし、こうした分担制度によって、それぞれの計画間の不整合性を防げないという問題が生じた[210]。利害がからんだ組織間の対立が起きると、計画経済は自動的な調整機能をもたないために、解決が困難となった[210]。つねに上層機関による利害調整が必要とされるが、時間がかかった[210]。ヒエラルヒー秩序を強化しても、上層機関が下層機関をすべて把握できず、たとえば、ソ連国家計画委員会 (ゴスプラン)では2000種の生産物が区別され、国家資材機械補給委員会(ゴススナプ)では13000種が扱われた[210]。しかし、ソ連には1200万から2500万の品目が存在しており、生産物の指定は困難で、生産物の生産量は企業の裁量に任せられた[210]。企業においても社長が全社員の行動をすべて管理できないようなことが国家全体という大規模で拡大され、発生した。共産党による計画では、企業取引についての原理的な検討や、指令のあいまいさ、包括性と下層機関の裁量の問題についての検討と対策は行われていなかった[210]

マックス・ヴェーバーは、近代産業社会において官僚制化の過程が浸透すれば、新たな隷従をうむと診断しており、これはマルクスとも共通していたとも指摘されているが、生産手段の国有化は労働者の状態を悪化させるし、資本主義には欠陥もあるが、社会主義的な国家統制型の経済秩序よりもましであって、計画経済よりも交換経済の方がよいと、マルクス主義を批判した[33]。1918年講演「社会主義」では、生産手段の社会化によって階級闘争が終止符を打つことは決してない、と批判した[212]。生産量を指標とし、報奨金制度も設置されたが、鋼板の生産量は重さで測られたために、厚めの板ばかりが生産されたり、運送量も走行距離と運搬重量で測られたためにわざと遠周りすることもあった[213]。統制と報酬による刺激の体系は肥大化し、1953年には指標数は9490にも及び、最適な決定も、実行可能解を探すのも困難となった[213]

ソ連では、社会主義経済のもとでは客観的経済法則は存在しないとされ、数理経済学はブルジョワ経済学とみなされ、スターリン時代には理論的分析を持たないまま、ヤマカンと手探りで進められた[213]レオニート・カントロヴィチ線型計画法、ネムチーノフ、ノヴォジーロフらは数理経済学に貢献したが、活用されなかった[213]スターリン批判以降の1965年にはアレクセイ・コスイギンエフセイ・リーベルマンの改革が開始し、マルクス・レーニン主義で忌避されてきた「利潤」が再導入され、企業の義務指標は8つまで大幅に減らされた[213]

経済学者アマルティア・センは『貧困の克服』などで次のようなマルクス主義批判を行なった。レーニンは著書『国家と革命』の中で、共産社会が実現した暁には国家経済の運営は極めて単純になり、郵便事業をモデルとした読み書きと四則演算ができる程度の人材であれば、誰でもその運営に携われるとしたが、実際には計画経済を立案・実施するためには、極めて専門的な知識と技能をもったエリート集団が必要となり、庶民とはかけ離れた特権的官僚組織「ノーメンクラトゥーラ」を生み出した[214]。また、治安維持についても「泣いている子がいれば近所の人間が黙っていないように」社会が自発的に秩序を保つと予言したが、実際にソ連国家が生み出したのは秘密警察強制収容所(ラーゲリ)での強制労働・組織的拷問などの歴史上まれに見る権力による暴力組織であった[214]。さらに、ソ連の経済政策の結果、ウクライナ人1,450万人が犠牲となった人工的な大飢饉ホロドモールが1932年-33年に発生した。また中華人民共和国でも1958年から大躍進政策が実施され、人工的な大飢饉によって推計5000万人が犠牲になった。アマルティア・センは、こうした共産主義国家における人工的な飢饉は政策によって回避できたものだったとして批判した[214]

また、需給に関する全ての情報が効率的に集められない以上、効果的な計画経済は不可能であるとの指摘(経済計算論争)もある。現実に、道路建設・住宅建設・軍事産業・宇宙事業などの大規模な重厚長大産業では大きな効果を発揮したが、スピードと多様性が要求される情報産業やサービス産業には対応できず[215]、民需品の品質は低いものが多かった。1960年代後半には、宇宙開発でもアメリカ合衆国の後塵を拝した。ソビエト共産党自身もその不合理性を認め、政治・経済の自由化を推し進め、1991年に解散した[20]

1968年のプラハの春など東欧の民主化運動に対してレオニード・ブレジネフは軍隊で鎮圧し、国内でも引き締めを強化、経済政策では分権化は忌避され、全国的なコンピュータ網による運営が構想され、OGAS(全国家経済計画、経営、会計のためのデータ収集、貯蔵、処理の全国家自動化システム)が推進された[216]。しかし、1970年代末までに実現できたのは従来の計画策定作業の一部を情報システムに置き換えたことにすぎず、社会主義経済最適機能システム(SOFE)では中央省庁と企業間でコンピュータを駆使して計画を自動化することが提案されたが、これもほとんど実現できなかった[216]。コンピュータシステムの不十分さのほか、統一分類体系などの制度上の不整備なども原因であった[216]。複雑系経済学の塩沢由典によれば、ソ連の計画経済の破綻は、複雑さの問題を軽視したことにあるが、これは資本主義社会における経済政策にとっての教訓ともなる[216]

ペレストロイカ時代の1987年にソ連の経済学者N.P.シュメリエフは、ソ連経済はあまりに長い間、法令によって支配されてきたが、行政による企業運営では、産出改善や生産効率の上昇に関わることができず、計画担当者は製造の工程を極度の用心深さで見守るだけで、「何もかもが政府部局の泥でつまった官僚的沼地にはまりこんでしまって」いると、国営事業体の独占的傾向を批判した[217]。また、ソ連では西側でいう失業者はいないが、「仕事が保証されているというわれわれの寄生的信頼感」は害毒であり、「無秩序、酒びたり、および粗悪な仕事ぶりは、過度に全部的な雇用の保証のおかげである」とし、選択と競争こそが経済の客観的条件であり、独占は不可避的に停滞を招くと主張した[217]

政治社会学者のG.W.ドムホフによれば、計画経済がソ連をはじめ多くの社会主義国家で失敗した理由には、複雑な経済を運営するために必要な情報の範囲が、計画官僚にとって大きすぎること、原材料の入手可能性の変化や消費者の嗜好の変化に対処するのに十分な情報を一括して分析する能力を持っている機関が実現できないことがある[38]。その結果、計画担当者は、ノルマを達成するために手抜きをし始め、官僚機構の潜在的な問題が発生していく[38]。上層部が権力を掌握すると、能力を考慮せずに友人や親戚を責任ある地位に配置したり、重要な情報を提出しなかったり、幹部の個人的な利益のためにリソースを搾取したりするなど、組織腐敗が続き、士気動機づけも低下し、非効率な経済体系となる[38]。ドムホフは、非市場計画は社会主義だけでなく、民主主義社会においても機能しないし、国家規模の複雑な経済では機能しないことが歴史的に証明されているという[38]

宗教的予言としての批判編集

宗教家としてのマルクス編集

マルクスは無神論者であったが、マルクスには宗教的詩人の側面があり、博士論文を書いた頃の1841年の詩「狂乱の歌」では、「われらは鎖につながれ、粉砕され、空しく、おののく」「われらは冷酷な神のつくりなせる猿」と書き、作中の神は「人間にすさまじいいのろいを投げかけてやる」と言う[218]。マルクスはゲーテの「ファウスト」に出てくる悪魔メフィストフェレスのことばを好み、破局が切迫しているという終末論思想をもっており、『ドイツ・イデオロギー』(1845-46)では、最後の審判の日に燃えさかる都市で大砲がとどろき、ギロチンが拍子をとり、大衆は叫び、自意識は街頭柱に吊るされると書き、1856年には歴史の審判はプロレタリアが執行すると演説した[218]。マルクスの終末論的な歴史ドラマは、資本主義の死と最後の審判の日がやってくると信じる読者をひきつける魅力を持っていたとジョンソンは指摘する[218]

また、マルクスは高利貸し質屋を強く憎悪しており、そこから、ユダヤ人およびユダヤ教への批判を行なっている[218]。マルクスは、ユダヤ人の貨幣であり、ユダヤ人は世界を証券取引所に変え、ユダヤ教の基礎は「私利私欲」であるとする[218]。マルクスによれば、貨幣は、人間の労働と存在から切り離された本質であり、あらゆる神を商品に変えて、世界から本来の価値を奪い、人間を支配し、人間はこれを崇拝する[218]。マルクスはこのような反ユダヤ主義を拡大させ、高利をむさぼるブルジョワ階級こそ悪であるとみなし、それに対比して、プロレタリアを階級ではない階級、なんの歴史の持たない救済力で歴史的な法則の埒外にあり、かつ歴史を終わらせるものとみなした[218]。ジョンソンは、こうしたマルクスの考えは、ユダヤ教的で、プロレタリアはメシアに相当しているという[218]

宗教としてのマルクス主義編集

共産主義は資本主義の止揚された姿なので、マルクスは先進国で共産主義革命が起こると予言したが、実際に起こったのは発展途上国のロシアであった。

矢内原忠雄は「マルクス主義と基督教」(一粒社 1932)においてキリスト教とマルクス主義は類似しているが、マルクス主義はキリスト教に匹敵するところではないと批判している[219]

小泉信三[106]小室直樹もマルクス主義を宗教として批判している[220]小泉信三によれば、社会主義の、まず原始共産制から階級分化が起こり、やがて共産主義社会の到来で階級対立がなくなるという考えは、キリスト教的な千年王国待望論で、宗教的信仰であったと批判され、また、階級が消滅した後の世界についてマルクス主義は具体的なことをほとんど何も語っていないが、闘争のない一切が平和と幸福に満ちた停止した社会とすれば、それは皮肉にもマルクスが否定したユートピアのように聞こえる。未開社会やサルのような動物の社会でも、順位制という身分制度があり、原始共産制は見られない[106]小泉信三は、社会主義は科学ではなく、労働者の資本家に対する体系化された嫉妬の情であると指摘している[106]

マルクス主義の理論体系は倫理的指令によって決定づけられ、世界の隅々まで解明しつくすカトリック神学体系に匹敵するものだったともいわれ、神によって強者の富者が否定され,弱者の貧者が救済され、恩寵として両者が逆転するという「マリアの賛歌」や、「ヨハネの黙示録」などの思想を継承した「破局的な恐慌」をマルクスが述べるなど、マルクス主義はキリスト教的革命論の継承者とも指摘されている[221]

1948年、上智大学教授だったヨゼフ・ロゲンドルフはマルクス主義について「その見せかけの厳密な論理性の背後には、経済史の恐しい展開につれて一歩一歩近づいてくる最後の審判の黙示的な幻影の火が燃えている。実際、今世紀に於ける全体主義哲学はすべて、キリスト教会を追放した結果近代社会に出来た大穴を埋めるべく、反教会の旗印も鮮かに乗りこんできた異教なのである。宗教のみがそそり立てることのできる忠誠と献身と雄々しさの感情は悉く彼等の手中に帰した。彼等もまた、キリスト教と同じように殉教者も、祭式も行列も、そしてドストエフスキーがすでに予言しているように、大審問官の宗教裁判まで、取りそろえている」と書いた[222][219]

猪木正道は『共産主義の系譜』(1949年)において「マルクスは教祖とし、資本論を聖典とする一大教会の形態をとり、法王、枢機官、僧正、司祭といった大小の聖職者を生み出し、僧侶の差別さえあらわれる。マルクス主義が負のキリスト教(Negative Christianity)と呼ばれるのはこのためである」とのべている[223][219]

哲学者カール・ヤスパースは、マルクスのスタイルは研究者のものではなく、自分の理論に対立する実例や事実を考慮することもなく、自分が真理だと考えたものを強化する事実のみをとりあげ、信仰者がその信念にもとづいて主張するような方法で立証すると指摘する[224][225]

歴史学者スチュアート・ヒューズは、マルクスは自分を唯物論者だと見なしていたが、その言葉使いには宗教的心像があり、マルクスには科学者の面と予言者の面があったと指摘したうえで、マルクスは社会科学者としては公正でもあったが、予言者としては憤怒の人であり、敵に侮辱嘲笑を浴びせ、自己の主張の正しさに対するゆるぎない確信によって異質な哲学を総合させる一方で、外見上論理を追って多くの断定を並べ、その必然的連関については自分の道徳的確信以外にはほとんど根拠をあげなかったと批判した[7]。マルクスのあらゆる階級の終焉という黙示録的な観念にしても、19世紀の歴史思想に背く根本的に非歴史的な観念であったし、社会主義の勝利が労働者階級の優位を保証すると確信できないことについては、ソ連の経験で証明されたとヒューズは1958年の著書で総括した[7]

1966年に清水幾太郎はマルクス主義などの19世紀の「大思想の分解を正面から認め,それに堪えて行かなければならない」と指摘した[226]。当時のアカデミズムはマルクス主義に制圧された時代であったため、清水は転向者とみなされた[221]

哲学者の梅本克己1967年に、マルクスは資本主義の崩壊を予測したが、20世紀に資本主義は発展する一方、革命によって成立した共産主義が前近代的独裁国家となっていることを背景に、厳密な意味でマルクスの予測は外れたので、崩壊しているのはマルクス主義の方だと指摘した[227]。こうした梅本の指摘は「神の死」に匹敵する「マルクスの死」とされた[221]

ズビグネフ・ブレジンスキーは「共産主義が20世紀の歴史にこれほど大きな位置を占めてきたのは教義の極度の単純化が時代に合っていたからだといえよう。あらゆる悪の根源が私有財産制度にあるとした共産主義は、財産を共有することで真に公正な社会が、したがって人間性の完成が達成できると仮定した。」「インテリにとって贖罪のための革命を推進する政治活動や合理的な計画によって公正な社会を実現しようとする国家統制は魅力的であった」とし、マルクス主義を宗教思想としみなし、「共産主義は理性の力を信じ,完全な社会を建設しようとした。高いモラルによって動かされる社会を作るために,人間へのもっとも大きな愛と,抑圧への怒りを結集したのである。それによって最高の頭脳,最良の理想主義的精神を持った人々の心をとらえた。にもかかわらず,共産主義は,今世紀はもちろん他の世紀にも類を見ないほどの害悪を生んだ」と批判した[200][221]

経済学者小畑二郎は、マルクス思想の意義を評価するには、マルクスを無批判的かつ文字どおりに擁護することでなく、また都合のよい文脈だけを取り出して現代的解釈を加えることでもなく、徹底的な批判を加えることが必要だとし、また、社会主義運動の困難の原因を探ぐる原典としても読まれねばならないと指摘する[228]

マルクスは、資本が蓄積されるにつれて労働者の状態は悪化せざるをえず、生産のための手段はすべて、生産者を支配し搾取するための手段となり労働者を不具にする(窮乏化、疎外)[229]。資本の集中が進むと、資本家の数は減る一方で、貧困と搾取は増大してゆくが、労働者階級の反抗も増大していく。「資本独占は、それとともに開花しそれのもとで開花したこの 生産様式の梗桔となる。生産手段の集中も労働の社会化も、それがその資本主義的な外皮と調和できなくなる一点に到達する。そこで外皮は爆破される。資本主義的私有の最期を告げる鐘が鳴る。収奪者が収奪される。」(資本主義崩壊理論)[230][100]

このマルクスの予言は、これまでのマルクス経済学において、非科学的として理論から除外されるか、あるいは歴史法則としてそのまま信じられてきた[100]。小畑は、そのような文字通り歴史法則として信じ込むような読み方では、「多くの人々が物質的欲望を至上のものとして、それに強い不満をもっていて、その限りない不満のはけ口を体制打倒運動に求めることが想定されており、また人々は歴史の必然性を認識し、生産力なる歴史の原動力につき従うたんなる手段(自動機械)となって、何かあるより大きな権威に対して隷属することを強制され(…略…) 一種の終末論的な歴史観を育て、人間の意志とは独立の物質的運動法則として、または歴史的必然性として社会主義社会への移行を無条件に人々に信じこませた結果、かえって革命後の社会主義建設における無為無策や既成体制に対する極端なシニシズムや破壊主義を育ててきてしまった」として、マルクスの主張を歴史法則として信じ込む読み方こそが、社会主義の挫折を生んだ元凶であると厳しく批判する[100]。小畑は、マルクスによる貧困の強調は、貧困に象徴される社会的関係および分配体制への批判として、すなわち、分配上の公正という倫理的批判として読まれるべきであり、また、歴史を人間の意思とは無関係な物理的運動の過程としてとらえるのは、市場の調整能力を無条件に信仰するのと同じく、マルクスが批判した物神崇拝にほかならないと批判する[100]。小畑によれば、マルクス主義は、社会主義建設への具体的方針の練り上げや、その理論的究明を怠ってきたとし、「一体いかなる責任をもって、綿密かつ考え抜かれた展望なしに人々 を社会変革への大事業へとこれまで誘うことができてきたのであろうか。分配上の公正や疎外とその克服に対する強い倫理的請求は、将来社会に対する精密な歴史的見通しと結合されて初めて人々に対して訴える力をもつことができるのである」と批判する[100]

経済学者・政治哲学者マレー・ロスバードは、マルクスの哲学用語は曖昧で漠然としたものであり、マルクスの弁証法は根拠のない断言・決定論であり、マルクスの哲学体系は見せかけの誤謬の塊りであるとして批判する[117]。マルクスは前千年王国説ハルマゲドン (世界最終戦争)予言のように、「歴史の法則」を「科学的に」発見したと主張するが、たとえば、労働者はますます貧困に苦しむとマルクスは予言したが、西側諸国の労働者の生活水準はおしなべて上昇した[117]。マルクス主義者は、貧困とは資本家階級との関係において存在すると反論したが、しかし、資本家が12隻のヨットを所有しているのに対し、労働者が1隻しか所有していないからといって、大量の殺人をともなう血なまぐさい革命を行う必要があるのか[117]。マルクス主義者は、人々の人生を決定論として技術的に説明しているだけで、もはや無効となった古びた主張を頑迷に保持するが、これは科学的または合理的な態度ではなく、神秘主義または宗教家の態度であるとロスバードは批判する[117]

経済学者鈴木重靖によれば、マルクス主義では、自由に起業したり、自由な雇用関係、自由な売買、つまり資本主義社会で人々が通常考えているような「資本主義思想」に対して極めて排他的であり、マルクス主義には宗教に似た強い排他性 (排外主義)がある[184]。鈴木は、マルクス主義は政治権力を握らなければ実現しない思想であり、排外主義が国家権力と結びつくとき、全体主義や独裁政治と結びつくと論じた[184]

決定論としての批判編集

社会思想家ジョルジュ・ソレルドレフュス事件でドレフュス擁護派であったが、ドレフュス擁護派の勝利が派閥的な立身出世に利用され、社会主義と中産階級の民主主義者の統一に幻滅し、議会主義的民主制の批判と暴力の擁護に取り組んだ[7]。ソレルによれば、社会主義者は科学を「問題を注ぎ込んだら解決が出てくる粉ひき機械」のように考えているが、科学はもっと控えめな機能しか持っていない[7]。マルクスは階級闘争として葛藤を示したことは正しかったが、歴史運動の複雑さを考えようとしてしばしば正確を欠き、マルクスの後継者にいたっては、「歴史の必然性」とか「宿命」などと粗末に乱用し、問題を混乱させた[7]。ソレルは、社会科学に決定論を持ち込んではならず、抽象的言説としてのマルクス主義は、問題の半分も提示しえないとし、マルクス主義を宗教と同様の象徴的形式で表現された思想とみなした[7]

歴史決定論編集

哲学者のカール・ポパーは、ヘーゲルやマルクスなどの「歴史法則主義」は、歴史には一元的な「計画(plot)」があるとし、旧来の歴史神学の伝統を引き継いだものであるとする[231][232]。ヘーゲルの絶対精神や、マルクスの生産力生産関係などの全体論的かつ一元的な社会概念は、歴史神学におけるまたは絶対者を置き換えたものであり、さらに、「歴史の法則」、「歴史の計画」といった概念が歴史を決定する万能者にされたとポパーはいう[232]。マルクスにおいて歴史の進歩に抵抗する者は、神に対する罪人のような犯罪者となり、神に代わって歴史が裁判官になる[232]。ポパーは、このように歴史に単一の計画があり、歴史に必然性があるとする歴史決定論(Historicism)を退ける[232]

構造的決定論編集

社会主義者エドワード・P・トムスンは、アルチュセールらの構造主義的マルクス主義に対して、人間を生産様式のたんなる支柱とみなす構造的決定論では、人間行為者の説明は不完全であり、人間は底なしに愚劣だという秘めた前提から出発していると批判した[233]。トムソンによれば、社会生活あるいは人間の歴史は、統御不能な実践として理解されるべきで、人間は目的と知識能力をもって行動するが、ふるまいの結果を予見することも制御することもできない[233]ギデンズは、トムソンの説明でも、行為者性について明らかにしているわけではないという[233]

発展論的決定論編集

社会学者アンソニー・ギデンズによれば、マルクス主義は、ある類型の社会の社会変動の進行方向を一つとする発展論的決定論 (developmental deternism)に陥っている[234]。たとえば、金融街のシティ・オブ・ロンドンは、産業資本の必要性に対して、時代遅れの商業的役割ともつものとして捨てられねばならないとされる[234]。これはマルクス主義では、産業資本主義は一般的な発展様式をもち、この様式がない社会は遅れているとみなされるためである[234]。このようなマルクスやヒルファディングの内生的モデル (endogenous model) では、産業的に最も発展した社会が模範とされ、19世紀のイギリスを社会の未来像とみなし、他国の発展を予兆していると考えられ、産業資本主義の発展によって、商業資本や銀行資本は中心的地位を失うと予言した[234]。 しかし、ギデンズは、経済発展の典型的プロセスを評価するためには、異なった社会の直接的比較だけに頼るべきであり、一つの社会が発展の模範になると想定すべきではないし、マルクスの理論では、シティが長期にわたって維持されてきたことを説明できない、と批判する[234]

ギデンズは、G.K.インガムの研究を発展論的決定論に陥っていない例であるとする[235][234]。インガムによれば、シティは金融の拠点とみなされるが、シティの主要な関心は、あらゆる形態での仲買、つまり、資本の生産的使用に直接携わるものを仲介するサービス提供から生まれる利潤に向けられており、イギリスは、世界最初の産業国としてではなく、世界の商業取引の中心地として栄えた[234]。シティは、早くから世界通貨の中心地となり、取引の決済をする国際的な手形交換所となったが、これは金ー英貨本位制の導入などの政治的決定や政治状況によって支えられたためであり、イギリスの産業的覇権とは区別されねばならない[234]

シティが繁栄したきっかけは、19世紀初頭、ナポレオン戦争によって悪化したイギリス国債に対して実施された財政改革のためであった[234]。これにより、シティへの一極集中が加速し、権力基盤であった農業経済の衰退に直面していた貴族階級も生きながらえ[注 14]イングランド銀行も世界通貨として英国貨幣を安定させることを志向した[234]。シティは、他の理由からはじめられた財政措置の意図せざる結果として繁栄し、次第に国際取引の仲買の地位を得たが、その特殊性から、他の場所で同様の現象が繰り返されることはなかった[234]。20世紀にはシティは他国との激しい競争に巻き込まれていったが、イギリス政府、銀行、商人たちは、世界的な通貨仲買人としての地位と権力の維持を目的として政策を推し進め、こうして、シティの経済的権力は、政治的要因のおかげで維持できた[234]

ギデンズによれば、マルクス主義のように国家を一元的な現象と捉えるようでは、シティの分析はできない[234]。たとえば1930年代の金本位制に関する政策が、シティの命運を決定したのであり、このことを理解するには、戦略的に配置された集団の連携の推移や意図しなかった結果、経済行為者の知識が状況の一部となること[注 15]などを含めて考察しなければならないと批判する[234]

科学主義と空想性への批判編集

科学主義編集

マルクス、エンゲルスによる科学主義を継承したスターリンは「社会科学は、社会現象の複雑さにもかかわらず、生物学のように、社会の発展の法則を実用的に利用できる精密な科学となりうる。それゆえ、プロレタリアートの党は、その実践的活動において、気まぐれな動機によってではなく、社会の発展の法則によって、自らを導くべきである。それゆえ、社会主義は、人類のよりよい未来の夢から科学に転換される。」と発言した[44]

哲学者のカール・ポパーは『歴史主義の貧困』(1945/57)で、マルクス主義は科学を自称しているが反証可能性がないため科学ではない、と批判した[236]。共産主義社会の到来を予言したが、時期を明確にしていないので、永遠に「いつか共産主義社会が到来する」と言い続けていたらその予言は外れることはない。これは歴史上言い続けられてきた「いつか最後の審判が訪れる」「千年王国は近づいた」といった宗教的予言と同種の構造であり、科学として正誤を確認しようがない。

ハイエクは『科学による反革命』(1952)で、社会科学自然科学の方法を模倣することを「科学主義」と呼び、マルクスの「科学的社会主義」は社会科学が誤って自然科学の模倣をし、科学的に偽装した典型的な例であるとして批判した[237][232][注 16]。ハイエクによれば、社会科学が安易に自然科学を模倣した場合、社会は機械論的に理解され、人間の自由な主体的決定の意義は軽視され、人々の自由な行動を抑圧する全体主義的な社会組織の建設にもつながっていく[232]。自然科学は、人間の意志や思考とは無関係に運動する物理現象や、物質同士の関係に関する客観的法則などの客観的研究を課題とする。これに対して、社会科学では、人間の意志や思考、人間行為の相互関係への理解を不可欠とするもので、人々の行為の意図しない結果に関する分析を無視できないし、また計画や設計ではなく、人々の相互作用によって自発的に形成される「自生的秩序」について理解することが必要である[232]

マルクス主義は、ブルジョワ科学者の動機を階級利害の道徳に基づくとみなし、そのイデオロギーを暴露すると意気込むが、政治哲学者H.B.アクトンは、科学的理論の真偽は、科学的議論によって決まるのであって、提唱者の動機によってではないと批判する[239]。アクトンによれば、論者の社会的・心理的な背景も、議論自体とは全く無関係であり、論争者は、相手が使用した議論が支持できないことが議論によって示されていない限り、相手の動機に言及しても無意味であるし、相手が攻撃的な動機をもっているからといって議論を拒否した場合、この拒否は政治的行為であり、科学的または哲学的な行為とはいえないのである[239]

また、ジョンソンによれば、マルクスは「科学的社会主義」を標榜するものの、全般に科学的というよりも、詩人、ジャーナリスト、モラリストの側面が強く、肝心の点では反科学的であった[218]

科学的社会主義の空想性編集

マルクス、エンゲルスらは自らを科学的社会主義と呼んで、フーリエサン=シモンオーエンなどを「ユートピア的社会主義」と呼んだ。ユートピア社会主義では、計画は社会主義者の変革を導き、未来の社会は設計される必要があるとされる。これに対してマルクスは、共産主義は歴史的プロセスを通じて生じるものであり、あらかじめ定められた計画の実現ではないと主張する[22]

しかし、マルクスのユートピア社会主義批判の多くは、根拠が弱く、根本的批判にはなっていない[22]。『共産党宣言』ではユートピア的社会主義は社会変化を非歴史的に見ており、社会主義が特定の歴史的段階でのみ現れる条件に左右されることを理解していないと批判されるが、しかし、哲学者ジョナサン・ウルフとD.レオポルドは、ユートピア的社会主義においても計画に向けての実行する意思や戦略的な条件が認識されている場合はあるし、また「非歴史的見解」があるとしてもユートピア的社会主義を放棄する理由にはならないと指摘する[22]

マルクスは、ユートピア的な計画は、必然的に個人の自己決定を制限するので非民主的であり、また、不可能な冗語であると批判する[22]。しかし、個人の自己決定の条件についての説得力ある説明は難しい問題であり、マルクスの批判は安易なもので、またマルクスもまた未来の共産主義社会の計画については説得力ある説明を行なっていないと政治学者デイヴィッド・レオポルドは指摘する[240][22]

哲学者ジョナサン・ウルフとD.レオポルドによれば、マルクスは社会主義の設計図は正確でなければならず、そのためには、未来社会の状況の予測が必要だが、そうした予測は不可能であるとユートピア的な計画を批判する。しかし、完全に正確な計画が不可能であるとしても、完全に正確な計画だけが有用であるという主張には疑問がある。また、マルクスは、歴史的条件が十分に発達していなかったために、初期の社会主義は、社会主義への移行について誤った説明をしており、社会問題の解決策は、歴史的プロセスの展開から自動的に生まれるので、ユートピア的な計画は不要であり余分であると結論付けた[22]。しかし、マルクスは、その設計の代わりに何が置き換わるのかを明らかにしていないし、また、歴史的条件の未発達にもとづく批判は次の世代の社会主義者へは無効であり、さらにマルクス以後の資本主義の歴史において社会主義的な社会の基本構造が自動的に発展していることは確認できないとウルフとレオポルドは批判する[22]

マルクスとエンゲルスは『ドイツ・イデオロギー』(1846)で、共産主義社会では、誰も独占的活動領域を持たず、各人が望むどの部門でも熟達することができる。社会は一般的生産を規制しているので、朝は狩りをし、昼は釣りをし、夜は牛を飼い、夕食後は批判し、心のままに、狩人にも漁師にも羊飼いにも、評論家にもならずにいられるとされ、 ここでは、誰も一つの仕事に縛られることがない分業の終焉が主張された[241]。マルクスは『ゴータ綱領批判』(1875年)の中で、将来の共産主義社会の第二段階について、「分業に対する個人の隷属的服従」が消え、知的労働と肉体的労働の対立もなくなると言った[241]。共産主義の理想は、計画されていないことは何も起こらないし、誰もが自分の望むような人生を送ることができる[241]。しかし、アクトンは、こうした理想が実現される可能性は考えられない。なぜなら、計画を実行しようとすれば、一部の人々が反対していることが行われることになるし、誰かが反対していることが何も行われなければ、計画は実行されないからであると指摘する[241]。アクトンによれば、社会が完全に人間のコントロール下にあると仮定することは、誰も間違いを犯さないと仮定することになり、マルクス主義は、人間を不本意な社会的力から解放することを切望するあまり、無謬で不可避な社会計画に人間を従わせることを提案しているが、その具体的な組織と運営については、説明していない[241]。マルクス主義理論では、「国家」という言葉は曖昧であり、それは法律、警察、裁判官などを通じて統治される社会も、行政機関も意味するのであり、この曖昧さのために、何の困難にもぶつからない[242]。アクトンは、「マルクス主義とは、教義の権威としての共産党が最高権力を獲得しようとしていくためのユートピア主義である。科学的方法論も、共産党がその権力を広めることを目指すためのものであり、マルクス主義の目標は、法のない行政、完全な計画、支配のない統治、所有や労働のない高い生産性であるが、これは背後に猛獣がいるという条件で放置されながら、抑圧がないとされるような社会である。」と批判した[242]

マルクス主義道徳論への批判編集

ブルジョア道徳批判編集

エンゲルスは『反デューリング論』で、道徳には「永遠の真理」はなく、人間の生活条件の変化に応じて道徳規範も変化しなければならないと主張し、プロレタリア革命が実現すれば、"キリスト教的封建的道徳"、"近代ブルジョア道徳"にかわって、"未来のプロレタリア道徳 "が出現するとした[243]。マルクス主義は、資本主義と階級が廃止された新しい社会では、すべての人が一つの社会に属することになり、人々は一つの道徳に受け入れらていくのであり、このような共産主義道徳は、過去の階級社会の道徳に対して進歩したものとなると主張する。しかし、ここでは、道徳が単なるイデオロギーであるということと、道徳が改善される可能性があるということを矛盾した形で主張しているとアクトンはいう[239]

一方で、マルクスは『聖家族』で、ウージェーヌ・シューの小説『パリの秘密』を批判して、「(小説に出てくる)ロドルフ王子による救出と治癒を行う魔法の手段は、彼のお金である。この英雄の真似をするには、億万長者でなければならない。道徳は行動において無力である。悪徳を攻撃するときはいつでも、道徳は最悪になる。」という[244]。マルクスは、ロドルフの活動は、表向きの目的は悪を正すことであるが、実際には、自己満足の手段であり、彼の悪への憎悪は、個人的憎悪の偽善的な隠れ蓑であるという[244]

アクトンによれば、ここでマルクスは、道徳を攻撃しているのか、それとも、マルクスが偽りの道徳と見なすものを攻撃しているのか、矛盾している[244]。なぜなら、誤った道徳は、正しい道徳に照らしてのみ批判されるのであるし、一方、すべての道徳が否定されるならば、それは道徳ではない何かを支持してのことでなければならず、道徳的区別が正当であることを認めないことになるからである[244]

マルクスは、次の四つのことを言っている。(a)犯罪者が罰、悔い改め、反省によって臆病になり、人間以下になることはよくない、(b)罰を主張し、反省を促す人々は、偽善的に復讐心からそうする、(c)罰、悔い改め、反省によっては、決して犯罪の根を破壊できない、 (d)道徳には、犯罪を抑制する力がない[244]。マルクスによれば、刑罰が犯罪者を不自由にし、その独立性を奪い、卑屈にする限り、刑罰は善よりもむしろ害をなしている。犯罪者は異常に自立した人間か無力な犠牲者であり、どちらの場合も処罰に値しない。正しい道は、彼らを罰するのではなく、人間を犯罪に追い込く社会を変えることだからである[244]。マルクスの見解では、悪法によって抑圧された異常に活力のある人間か、悪い社会状況に支配された弱々しい人間でない限り、誰も犯罪を犯すことはなく、故意に他人の権利を侵害する可能性については想定していない[244]。マルクスにとって唯一の悪行は、不幸な者を罰しようとする偽善的な熱意である[244]。アクトンは、マルクスは法を破る人間の活力を賞賛するが、そのことと、社会の犠牲者である弱々しい犯罪者を免責することに一貫性はないと批判する[244]。たとえ社会が悪であっても、殺人のような特定の権利侵害を罰し、防止することは、当然である[244]。マルクスには、犯罪は社会的状況の結果であり、社会的状況は非人格的な推進力に従って変化し、階級のない社会では犯罪は存在しないという信念があり、したがって、刑罰とは、支配階級の利益を確保するために国家が行う手段とみなした[244]

マルクスは、『聖家族』で資本主義道徳に対するシャルル・フーリエの批判を好意的に紹介する。フーリエによれば、資本主義には「道徳主義[注 17]」、「政治」、「経済主義」、「形而上学」という4つの「偽りで欺瞞的な科学」がある。フーリエは、道徳主義は、人間の情念を理解しようとしない怠惰な信条であると考えた[245]。マルクスが道徳とは「行動における無力さ」と言ったとき、道徳主義者が、犯罪の動機を理解しそれを社会の善に振り向ける辛抱強く科学的な道筋ではなく、禁止し抑制する怠惰な道を歩んでいるというフーリエの考えを踏まえていた[245]。フーリエにおける「道徳主義」とは、科学的理解が果たすべき役割を無視し、人間の情念を共通の利益のために利用する代わりに抑制し、抑制が失敗すると隠蔽や偽善を行う、一連の実践や態度のことであった[245]

マルクス主義では、ブルジョアの道徳は、彼ら自身の利益を反映するものであることから、労働者階級がブルジョアジーから受けたいかなる利益も、利権に対する支持の代価、あるいは急進的な路線から引き離すことを期待してなされたものとされる[245]。したがって、ブルジョアジーが、社会の変革を促進するために持ちうる唯一の義務は、共産党に加わることとされ、ブルジョア階級のマルクス主義者は、自分の出生を恥じ、それを放棄したときにのみ、善行を行うことができるとされる[245]。こうして、非マルクス主義者によって推進されるすべての改革や道徳的行為は、偽善的な策略とみなされる[245]。道徳的努力は、社会秩序の中での義務の遂行から、それを変革する義務へと転換されるだけでなく、共産党の指示の下でなければ、道徳的努力とは認められないのである[245]

マルクスとエンゲルスは『ドイツ・イデオロギー』で、ドイツのブルジョアジーが「善意」の道徳を卑怯にも受け入れていると批判しているが、道徳的な行為者の意図と目的を卑下している点に注目すると、ここからソ連におけるブハーリンらの粛清へと論理的につながる[245]。マルクス主義者は、彼らが裏切り者とみなす人々を、人としてではなく、独立した道徳的価値を持つ存在としてではなく、カントが言う「目的」としてではなく、(共産主義社会実現のための)非人格的なプロセスにおける壊れた環として扱う[245]。人間の誠実さは、その行動によって判断される。行動によって裏切られた意図は、偽善的な言葉によって繕われる。人間の誠実さは、抑圧された者のために働くことによって示されるのであるから、抑圧者を支持する共産党のために働くことによって示される[245]。この共産党内において、その成功を危険にさらす政策を追求する人間は、最も危険な敵とされる[245]。こうして、マルクス主義倫理学では、責任ある道徳的関与を要求する状態から、機械的な、無責任な党への絶対服従だけを要求する状態に移行し、道徳的な憤りにはじまり、革命的な統治を経て、シニシズムニヒリズムに至ることになったとアクトンはいう[245]

共産主義と正義編集

マルクスは資本主義の利益は労働者の搾取から得られていると主張したが、実は、マルクスは資本主義が不当であるとも、共産主義が正義の社会であるとも明言していない[22]。実際、彼は正義を主張する人々から距離を置くためにしばしば苦労し、著作から直接的な道徳的コメントを排除しようと意識的に試みている[22]

哲学者アレン・ウッドによれば、マルクスは資本主義を不公正な体制であるとは述べていない[246][22]。『資本論』でマルクスは、資本主義下での交換は「決して売り手を傷つけるものではない」とさえ言っている[247][22]。ウッドによれば、マルクスは、経済システムの一般理論的アプローチを進め、経済構造の内部から個々の行動(窃盗など)を不正と批判することは可能であっても、資本主義全体を批判することはできないと考えた[22]

G.A.コーエンは、マルクスは資本主義が不正であると信じていたが、自分が不正であると信じていることを信じなかったという[22]

哲学者ジョナサン・ウルフとD.レオポルドは、 マルクスが資本主義が不当であると明言しなかった理由として第一に、資本主義には悪い面もあるが、歴史的に見れば良い面もある、資本主義がなければ、共産主義もありえず、資本主義は超越するものであって、廃止するものではないとマルクスが考えていたこと、第二に、当時の社会主義者の多くが正義や道徳的感性に訴えたが、マルクスは道徳に訴えることは理論的後退であるとみなし、人間の解放は道徳ではなく、歴史的・社会的諸力の分析にあると主張したことがあると指摘する[22]

マルクスは『ゴータ綱領批判』で、共産主義は、各人が自分の能力に応じて貢献し、自分の必要性に応じて受け取るべき社会であると述べており、G.パブロはこれを正義の理論としてとらえる[248]。しかし、スティーヴン・ルークスは、マルクスにとっての共産主義は正義を超越するものであったとする[249][注 18]

疎外論編集

マルクスは資本主義社会において人間はその本質を失い、疎外状態にあるとし、革命によって人間は疎外から解除されると論じた。マルクス主義の疎外論についても各種批判がある。

社会心理学者エーリヒ・フロムは、マルクスは労働者階級が最大の疎外者であるとしたが、20世紀の大衆社会では、僧侶も、セールスマンも、官僚もが、労働者以上に疎外的となり、マルクスはこのことを予見できなかったと批判する[250][194]

ユーゴスラビアのマルクス主義哲学者ガヨ・ペトロヴィチは、マルクス主義では社会の疎外解除は同時に個人の疎外解除を意味することになるとされるが、非疎外的な人間とは個人の自由な意識によって生れるものであり、外部から与えられるものでなく、非疎外的な個人を自動的に発生せしめるような社会の組織は不可能であり、財産を国有にしても社会的共有にしても、生産と分配において疎外の問題は必ず発生すると批判した[251][194]

ユーゴスラビアのマルクス主義哲学者プレドラグ・ヴラニッキーも、教条的マルクス主義者は、社会主義革命によって疎外は解除されているのであるから、社会主義において疎外を説く必要はないというが、スターリン主義の社会主義諸国において疎外は少しも解除されていない、人間の解放と疎外の克服を望むならば, 自由な人間性が社会的自由の必要条件であり、社会主義の使命は疎外の克服であると論じた[194][252]

ドイツのフランクフルト学派政治学者イリング・フェッチャー は、疎外は私有財産制度が撤廃された社会では解除されるとマルクス主義は説明してきたが、現実に私有財産制度を廃止したソ連でも、強制収容所での強制労働などのより一層強い疎外状態が発生しており、疎外解除は人間の自由な意識によって行われるもので、イデオロギーの強制によっては実現できないと1967年の著書で批判した[253][194]

経済学者正井敬次は、マルクスは経済的疎外が基本的で、その疎外が解除されるとその他の疎外も解除されるとするが、精神的疎外は経済的疎外とは別のものであり、革命が起こったとしても新しい疎外的環境が生まれるのであり、疎外が絶滅することはないとマルクス主義を批判した[194]

国家・権力・代表民主制編集

マルクスの国家論編集

マルクスは、資本主義社会における国家について統一的な理論的説明をしていない[22]。ジョン・エルスターは、マルクスは、道具モデル、階級均衡モデル、退位モデルの3つの国家論があるという[254]

  1. 道具モデルでは、マルクスは、国家を支配階級が自らの利益のために、他の階級を犠牲にして直接支配する道具として描いたとする。『共産党宣言』は「近代国家の行政は、ブルジョアジー階級の共通の問題を調整するための委員会にすぎない」と主張している[255]。しかし、この説明では、国家は資本家の利益に反して行動することもありえ、国家のメカニズムに対する説明は、マルクスの著作では明らかではない[22]
  2. 階級均衡モデルでは、マルクスは、国家がそれ自身の利益を持ち、資本家の利益は、その追求の戦略的限界の一つに過ぎないと描く。1851年のナポレオン3世のクーデターによって成立したフランス国家のように、資本家と労働者という二つの階級の力が均衡している状況では、行政は、自らの利益を促進するためにその対立を利用し、独立を得ることがある。国家は資本家や労働者と競合しながら、それぞれの階級に保護を約束することによって政府は階級に左右されることなく、自律的に国家を支配することができる[256]。したがって、資本主義的利益は、国家の主要な目標ではなく、国家の行動を制約する要因の一つとされる[22]
  3. 退位モデルでは、ブルジョアジーが政治権力の直接的な行使から離れることが彼らの利益につながるからそうするのだと説明される。フランスでは、ブルジョワジーが当初支配していた政治権力を退位させ、イギリスとドイツでは、ブルジョワジーがそもそも政治権力を握らなかったが、いずれにしても、ブルジョアジーは財布を守るために、王冠を没収し、またブルジョアジーは支配することの悩みやリスクから逃れるために自らの政治的支配を排除しようとすることもある[257][22]

マルクスの悪名高いプロレタリアート独裁は、全体主義というよりも、緊急事態での一時的な支配という意味で、その一時的な独裁政府でも多数派の支持を得たり、民主的な権利(言論の自由、結社の自由など)を保持されなければならないとマルクスは述べている。しかし、これらは超法規的であり、頻繁には論じられていない[22]。マルクスは、公職は、特定の政治カーストによって駄目になっているので、平均的労働者程度の給料にし、選挙などによって固定化を防ぎ、脱専門職化を目指すべきだと論じた[258]。マルクスは、問題の民主的解決と公共財の供給を国家の任務とする一方で、常備軍や警察など組織的強制力を排除できると考えた。しかし、国家的強制力の排除には多くが懐疑的である[22]

権力論編集

マルクスは、権力国家を、階級の利害とむすびつけ、社会主義を権力による支配を超越した社会とみなした[259]。さらに、権力は階級闘争に基礎づけられているために、未来の社会では、権力が明確な脅威をもたらすことがないと想定した[259]。しかし、アンソニー・ギデンズは、権力の脅威は偏在的であり、国家は権力の射程を最小化するように民主主義的な方法で組織化されねばならないと批判する[259]。ギデンズによれば、権力は必ずしも利害対立や抗争と結びついているわけではなく、抑圧的な本質をもつわけでもない[259]パーソンズがいうように、権力とは結果を達成する能力であって、権力はむしろ自由や解放を達成する媒体である[259]。社会的再生産のプロセスでは、権力は、なだらかに流れていき、支配の構造によって作動するのであり、したがって、暴力は権力の典型的な事例ではなく、流血、憤激、戦闘、敵対グループの衝突などにおいて権力の広範な効果が感じ取られることも、確証されることもない[259]

マルクスは労働者階級が資本主義の矛盾を把握するに応じて、変革に動員されるようになると予言した。しかし、マルクスは、社会の支配集団が、資本主義システムについての理解を洗練させ、システムを安定させていく可能性を考察することができなかったとギデンズは批判する[234]。国家は、システム再生産の条件をモニタリングすることによって、起こりかねない闘争を最小化しようとするのであり、この点において国家の役割は拡大していった[234]

代表民主制の否定編集

マルクス主義者にとって、国家は私有財産を保護する支配構造であるが、政治社会学者のG.W.ドムホフによれば、考古学的および歴史学は、国家が階級闘争と私有財産の台頭に起源を持つという主張を支持していないし、初期の国家は、穀物など食料を集団で保管し、社会維持の機能を持った宗教と政治が混合した機関であり、これは狩猟採集の集団に比べて、都市的な生活を発展させ、また規制する機能もあった[38]。ドムホフはまた、国家の性質を変化させる最大の要因は、階級対立による社会の変化よりも、他の部族、国家に対する共通の防御の必要性であったとして、マルクス主義は、国家の政治的宗教的側面を見ないために、集団や階級の行動を形成する際に愛国的および宗教的感情が果たす役割を軽視し、階級間にも共通の社会的絆が存在する可能性についても過小評価していると批判する[38]

マルクス主義は、資本家が一見公正な市場メカニズムを通じて剰余価値を利用するように、代表民主制(間接民主制)においても労働者の政治力が利用されるとし、代表民主制は、市場と同様の神秘化から生じた幻想であるとして軽視する[38]。たとえば、マルクス主義者のスタンリー・ムーアは 「資本主義民主主義批判」 (1957)において、資本主義的交換の形式的な自由と平等の下には、資本家による生産手段に対する独占と搾取が横たわっているが、それと同様に、ブルジョアの民主的選挙における形式的な自由と平等の下には、資本家のエージェントがによる強制手段に対する独占と、官僚行政による抑圧があるとして、資本主義にとって代表民主制は最適であると論じた[260][38]

マルクス主義経済学者のジェームズ・オコナーによれば、「リベラルな民主主義国家」とは、国家の非民主的な側面を民主的な仮面によって隠蔽している資本主義の武器であり、自由な議会とは市場における自由の政治的対応物にすぎず、官僚制は工場における資本主義的分業の対応物であるという[261][38]。オコナーの考えは、21世紀の環境保護原理主義 (Radical environmentalism)や、世界グローバル正義運動(global justice movement)のメンバーにも共有されている[38]

こうして、マルクス主義では、リベラルな自由 (liberal freedom)とは、労働者階級を抑圧するベールであり、質的に搾取的であって、代表民主制は偽物だとされるため、マルクス主義者が自由主義者との連合に参加することは困難になる[38]

マルクス主義は人々自身が決定を下す直接民主制による解決を目指すが、これは「ソビエト」(自然発生的に形成された労働者・農民・兵士の評議会)という言葉の意味であったが、ソビエト連邦の歴史的経験としては、そのような自発的な集団が共産党員によって独裁的に支配されたことを示す[38]

1960年代の新左翼や女性運動での「参加型民主主義」においても、対等な人々の開かれた参加を目指したが、カリスマ的なメンバーによる権力構造を形成し、フェミニストのジョー・フリーマンのいう「構造のない専制政治」が出現した[262][263][38]。フリーマンは自らのフェミニスト運動体験から、リーダーシップによるヒエラルキーと構造化された分業が拒絶され、これによって非公式の権力構造がつくられてしまい、「指導者」の存在を形式的に否定することはむしろ悪質な権力体制をもたらしてしまうと分析した[262]

また、マルクス主義の資本主義の必然的な失敗への確固たる信念あるいは過剰な強調は、社会主義陣営におけるエリート主義的思考を生み出したし、国ごとの選挙制度の違いがあるという現実を真剣に受け止めることを困難にした[38]。1917年から1990年までマルクス・レーニン主義者は、危機は資本主義の崩壊を早めるため、「状況が悪いほど良い」と信じた[38]。実際、1930年代のドイツ共産党は「ヒトラーの後で、我々が来る」というスローガンによって社会民主党との連立を拒否したように、こうした信念の誤りは、ドイツの歴史が証明している[38]

ドムホフによれば、マルクス・レーニン主義者、トロツキスト、毛沢東主義者)による代表民主制の無視は、政治に対する破壊的で議会外のアプローチにつながり、民主的資本主義国のほとんどの市民を遠ざける[38]。このような社会主義および社会運動の歴史の経験から、より深刻な問題を回避するためには、選挙による指導者の選出は必要であるし、代議制民主主義と立法府という制度は、独裁国家の潜在力に対抗する数少ない対抗手段であり、「神秘化された階級支配」として却下されるべきではないとドムホフはいう[38]

マルクスの人間性編集

マルクスの絶対視編集

マルクスを信奉する大内兵衛は、マルクスを「絶対に正直で、絶対に無邪気で、絶対にウソをいうことができない大男」であるとし、たとえマルクスが悪口雑言のかぎりをつくしてていも、「小人の争いではなく、清き心のいかりというものである」と評価した[264][184]

鈴木重靖は、このようなマルクスの評価は主観的すぎるし、家族でもなく、 また特別親しい直接の知人や友人ではない他人に対して、絶対的に尊敬して断定するのは、願望であると批判する[184]。 歴史学者E・H・カーによれば、マルクスは、自分と意見を異にする者は馬鹿か悪者であるとみなし、仲間を多数蹴飛ぱし、かつ憎んだ[184]。マルクスは、権力を好み、人に屈服することを極度に嫌い、他人に対して疑い深い性格であった[184]。マルクスは、権力奪取後のプロレタリアート独裁、中央集権的計画経済を提唱したが、このような性格であったマルクスが実際に権力を掌握した場合、理想通りに社会主義を建設しようとするだろうし、反対者に対しては断固として力をもって排除しただろうし、マルクスをスターリン的な粛清とは全く無縁な人物だと確信することは危険であると鈴木はいう[184]

マルクスやレーニンの性格は心優しいもので、スターリンだけが冷酷で粗暴であると個人の性格をソ連の圧政の原因と考えることも不当であると鈴木は批判する[184]

大粛清に関しても、スターリン個人の性格にも原因はあるが、他の社会主義諸国においても同種の粛清が見られた[184]中国共産党では整風運動文化大革命が起こり、カンボジアのポル・ポト派はカンボジア大虐殺を起こした。また、アルパニアのエンヴェル・ホッジャとかルーマニアのチャウシェスクもスターリン型の圧政をとった[205]

労働者階級への蔑視編集

マルクスはジャーナリストでもあったが、現場に行くことはなかった[265]。1844年のシュレジエン地方の織工についての記事を書いたときも、現地に行かなかったし、織工に取材もしなかった[265]。エンゲルスから綿紡績工場見学を勧誘されたときも断っているし、1845年にドイツ人労働者教育協会を訪れたときも、時計職人、印刷工、森林官などの協会員を軽蔑し、自分のような中産階級出身の知識人との交流を好んだ[265]

インターナショナルを結成したときも、労働者階級出身の指導者を排除した[265]。こうした態度の理由としては、労働者たちが反暴力の立場をとるからで、マルクスの終末論的な革命に懐疑的であったためといわれる[265]

ヴィルヘルム・ヴァイトリングは労働者階級出身で独学であったが、マルクスは1846年に正義者同盟での裁判で、「ドイツのような文化先進国では、理論がなければ何ごとも達成できない」として、ヴァイトリングは理論抜きで人民を扇動する罪を犯したと糾弾した[265]。ヴァイトリングが自分は書斎ででっちあげられた理論を学ぶために社会主義者になったのではなく、現実に働く人間のために語ったのであり、現実の労働からかけ離れたただの理論家の見解を甘受できない、と反論すると、マルクスは激怒し、机を叩き、「無知がだれかの役に立ったためしはない」と叫んだ[265]

同様の批判は、理論よりも実際の現実的な問題への解決策を提唱した運動家にも向けられた[265]。農業改革者ヘルマン・クリーゲがアメリカで農民1人に160エーカーの公共用地を与えると提案すると、マルクスは、共産主義社会が樹立されれば土地は集約されると批判した[265]。元植字工のプルードンが宗教を粉砕した後に、別の教条を押し付けたり、不寛容を押し付けてはならないと述べると、マルクスは、プルードンはヘーゲル哲学を誤読している「小児病」だと非難した[265]フェルディナント・ラッサールに対しては「ユダヤの黒んぼ」と罵倒した[265]

マルクスは妻イェニーが貴族出身であることを誇りにしており、「貪欲なブルジョワよりも本物の貴族とつきあう方がうまくやれる」とよく言った[266]

マルクスは人間を「賤民(Gesindel)」としつこく繰りかえし侮蔑したが、キュンツリによれば、マルクスはいまここにいる人間はどうでもよいくずであり、未来の人間を、遠くの「偉大なわれわれ」を、気にかけるばかりで、生涯、実際の労働者を侮蔑しつづけた[267]

暴力志向編集

マルクス主義にはつねに暴力が内在し、体制内では絶えず暴力が現実的な行動としてあらわれるが、これはマルクス自身を映している[268]。学生時代のマルクスは決闘で深い傷を負い、家庭での口論は、両親との断絶をうんだ[268]。マルクスは運動家として国外追放処分されたが、社会主義運動の外に知人を求めることもなかったし、地域に溶け込もうともしなかった[268]。マルクスの付き合った知人も革命にしか興味のない運動家であり、マルクスは非常に視野の狭い生活を送っていた[268]。編集会議では怒鳴り声がはてしなく続いた[268]。マルクスが喧嘩をしたのは、相手を支配下におくことができないときだった。ヴァイトリング裁判のときのマルクスについてパーヴェル・アンネンコフは、礼儀にかけ、人を小馬鹿にしたような面持ちで、人の気に触るような口調で悪態づいたと証言し、革命家のカール・ハインツェンも、マルクスの目は意地が悪く、「おまえなんか破滅させてやる」がマルクスの口癖だったと証言している[268]。E.H. カーによると、 マルクスは他人を罵倒することに病的な情熱をもっており、毒舌悪口が大好きであった[267]。マルクスは、 ヨーロッパの社会民主主義者の中央委員会は、「やじうまどもの委員会」で、「あわれむべき人民欺隔者」だとし、ルイ ・プランは「感傷的な空文句社会主義」、ル ドルュー=ロランは、「人民を裏切ったもう1人の裏切者」だと罵倒した[269][267]アルノルト ・ルーゲは、「マルクスはいつも何らかの憎悪にとりつかれていた。そして私のことが彼の頭に残っているかぎり、 彼は私を誹膀せずには何もかけなかった」と回想している[267]

マルクスは1849年にプロイセン政府に対して、「われわれは容赦しない。テロ行為も辞さない」と宣言し、1850年には、「憎むべき個人やいましい思い出を持つ公共建物に対する民衆のこうした復讐を、われわれは容認する。のみならず、援助もする」という行動計画を配布した[270]。1878年、皇帝ヴィルヘルム1世暗殺未遂事件が起こると、マルクスは失敗したテロリストに悪態の限りを尽くした[270]

マルクスは、民主主義の根幹である選挙はたんなる乱痴気騒ぎだと忌み嫌っており、新ライン新聞での編集部はマルクスの独裁下にあったとエンゲルスも語っている[271][270]パーヴェル・アンネンコフは、マルクスを「民主的独裁者の化身」と呼び、バクーニンも「マルクスは神を信じないかわり、自分のことは大いに信じていて、どんな人間も自分のために奉仕させる。その心を満たしているのは愛情でなく、敵意であり、人類に対する共感など少しも持ち合わせていない。」と評している[270]

ジョンソンは、マルクスは権力を掌握すれば暴力も残酷な行為も辞さなかったことはまちがいないとし、マルクスの著作にある暴力衝動は、レーニン、スターリン、毛沢東が桁外れの規模で実施していったという[270]

浪費癖と周囲の人への搾取編集

マルクスには生涯を通じて浪費癖があり、金銭管理能力が欠如しており、親族や友人や支援者など周囲への人間の搾取を繰り返した[272]。マルクスは若いときは、怠惰で放埒なボヘミアンの生活をしており、中年になっても計画的な仕事をすることができず、熟年になっても自己管理ができず、批判や助言をされると憤慨した[272][注 19]

若い頃には高利貸しに頼り、手形と利子の支払い期限が来るたびに怒った[272]。マルクスは、後年、利子を搾取の根底をなすものとみなしたが、金銭問題の解決は周囲の人間からの搾取によった[272]1838年ベルリン大学の学生だったマルクスは4か月で280ターレルを浪費し、父から冬じゅうかかってもそんなに稼いでいないと苦言をいわれた[272]。また、マルクスは一年に700ターレル近くも使っており、父からも大金持だって500ターレルも支出しないといわれており、当時ベルリンの市参事官(Stadtrat)の年収が800ターレルであったが、マルクスは学生にして同等の浪費をした[267]

父はその後死去するが、マルクスは葬式にも出席せず、母や友人から金を借りた。母は息子の借金の支払いを拒否し、支払ってしまえばもっと借金をつくると考え、援助を打ち切ったが、やがて母も死ぬと、マルクスは両親の遺産を相続した[272]。妻の家からも援助を受けていたが、1851年には打ち切られた。それでも、マルクスの年収は年200ポンド程度になり、これは熟練工の三倍にあたる額だった[272]。 

1848年にベルギーから追放されると、翌年にはマルクスが仕事をしないために極貧生活に陥り、1849年には4人目の子供が生まれたが、家賃が払えず、下宿にうつり、赤ん坊も死亡し、さらに1851年には娘が、1855年には息子が死亡した[266]。マルクスは「パンのための労働」を軽蔑しており、働こうとはしなかった[267]。マルクスの友人知人は家庭教師をしたり、銀行や取次代理人、教授をしたりして、生活基盤を確保しながら活動をしていたが、マルクスは「私を金作り機械に変えるようなことを、ブルジョワ社会に許してはならない」と語っている[273][267]

1845年にマルクスの妻の父がつけさせたメイドのヘレーネ・デームートは、生活の面倒を見てもらっていたが、無給でマルクス家に1890年まで仕えた[274]。ヘレーネは、1851年にマルクスとの子供を出産したが、マルクスは自分の責任を認めず認知せずに、家族や革命家仲間に隠し続けたあとに、エンゲルスに依頼してエンゲルスの私生児として認知させた[274][267]。エンゲルスは死ぬ直前に四女エレノアに真相を伝えた[274][267]。1900年頃には社会主義者の間でマルクスに私生児がいることは知られていたが、政治的影響を考慮して隠蔽された[267]

1856年にはエンゲルスの援助でソーホーを出てハーヴァーストックヒルの借家に移り、9年後にはメートランド・パークロードの家に移り、使用人を2人雇う生活をした。1860年にイェニーは天然痘にかかり、美貌を失った[266]。エンゲルスからは多額の援助を受けており、1869年に事業を売ったエンゲルスは、マルクスに350ポンドを送った。しかし、マルクスは「まったくの労働者風のやり方はここではふさわしくないだろう」と年間500ポンド以上を要求した[272]

娘たちには、教育を受けさせず、就職もさせなかった[274]。四女エレノアは、父マルクスと同様に就職しなかったエドワード・エーヴリングの内妻として苦しみ、1898年に自殺し、ポール・ラファルグと結婚した次女ラウラも1911年に夫婦で自殺した[274]

史料批判編集

マルクス、エンゲルスらの著作についての史料批判からの批判もなされている。

エンゲルス編集

マルクスはエンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』にたびたび依拠したが、しかし、このエンゲルスの著書についても史料批判がなされている。綿織物工場主の息子であったエンゲルスは家業に携わり、イギリスで織物取引を直接経験はしたが、それ以外のイギリスの労働環境については知らなかったし、鉱山や田舎の労働条件にいたっては何も経験がないのに同書で章を割いている[275]

エンゲルス同書についてW.O.ヘンダーソンとW.H.チャラナーはその情報源や原本を精査したところ、客観的な調査というよりも、政治的論争の作品であることが判明した[276][275]。エンゲルスは「イギリス中産階級に大量殺人、大規模虐殺、および罪状一覧表にあるあらゆる罪の責任を負わせる」と執筆動機をマルクスに語っている[277][275]

エンゲルスが使用した資料の一つはピーター・ギャスケル「イギリス製造業人口」(1833)であるが、1842年の児童雇用に関する王室委員会の調査で明らかになったように、資本主義以前の職場や農家の労働条件はランカシャーの新興綿紡績工場よりも劣悪だった[275]。エンゲルスが用いたのは時代遅れの資料が多く、夜勤のせいだとされた私生児の出産数も1801年のデータであり、また、エディンバラの公衆衛生についての出典が1818年のデータであったことを読者には知らせていない[275]。エンゲルスは1833年の工場調査委員会のデータを証拠とするが、同年オルソープ卿工場法が可決されていることには触れない[275]。また、エンゲルスは、J.P.ケイの「マンチェスター綿紡績工場の労働者階級の身体的道徳的状態」(1832)を使用する際も、公衆衛生的な状況が改善されたことには触れない。この他にも、引用符をつけて正確であるかのようにして、実際は、元の出典のデータを加工したり、故意に隠蔽することもしているとジョンソンは指摘する[275]

マルクス編集

マルクスは思想体系の完成を実現できなかったともみられており、『資本論』も出版されたのは第1巻(1867年)のみで、第2巻と第3巻はエンゲルスが編集して1885年と1894年に出版した[22]。続巻の草稿は第1巻の出版以前に書かれたもので、マルクスは晩年の15年間放置しており、マルクスが『資本論』の続編を執筆できなかったことは、体系的な知的計画の失敗であると歴史学者ガレス・ステッドマン・ジョーンズは指摘している[278][22]。マルクスは、学位論文も、 『経済学哲学手稿』 も 『政治経済学批判』 も『賃労働と資本』 も 『フランスにおける階級闘争』 も 『資本論』 も未完成で、完成したものは『聖家族』、『ドイツ ・イデオロギー』、『亡命偉人伝』、『フォークト氏』、『哲学の貧困』、『ルイ・ナポレオンのブリュメール18日』、『ゴータ綱領批判』 のようにような論争的なものと、『共産党宣言』 のような煽動的な著作とパンフレットであった[267]

歴史家ポール・ジョンソンは、マルクスの他の学説との論争における極端な自己主張と、自分と異なる学説を提唱する学者または思想家への独断的で感情的な非難、学者でない人間への軽蔑などは、タルムード研究者のような特徴を持っており、マルクスの作品は他人の業績の注釈と批評に尽きる[279]。なお、ユダヤ教のラビの家系に生まれ、マルクスは父とともにプロテスタントに改宗しており、ユダヤ教育は受けていない[218]。また、「資本論」には、データ事実の意図的かつ体系的に改ざんされており、これはマルクスがファクトチェックや事実の客観的調査ができないことを示していると指摘している[279]

マルクスも1864年の国際労働者協会の宣言において、ウィリアム・グラッドストンが「この富と権力のまれに見る増大が、もし裕福な階級に限られるというのであれば、憂慮せざるをえない。しかし、イギリス労働者の平均的状態は、喜ばしくも過去20年間に、これまでのどの時代においても、またどの国の歴史においても例を見ないほど著しく改善された」と演説で述べた文を、「この富と権力のまれに見る増大はすべて、富裕階級に限られる」と真意を反対にして改ざんして引用した[280]。当時こうしたマルクスによる引用の間違いないし意図的な改ざんについては指摘を受け非難されていたが、マルクスは問題をうやむやにした[281][280]

ジョンソンによれば、資本論は、科学的著作というよりも、カーライルやラスキンのような道徳哲学として読まれるべきだが、そうであるとしても、その内容は、首尾一貫性のない、ばらばらの論説を並べたものである[225]。マルクス主義哲学者のアルチュセールも、資本論第一部を無視して、第二部第4章から読むべきだと提唱したものの、他のマルクス主義者から非難された[225]。エンゲルスがまとめた資本論二巻も1860年代のノートをだらだらとまとめたものにすぎず、三巻も高利貸しについての記録や覚書にすぎない[225]。たとえば、第8章「労働日」ではイギリスの労働者への資本主義の影響について書かれ、資本主義は労働者の搾取を累進的に増大させる、資本が増えれば増えるほどますます労働者は搾取されると述べられる[225]。しかし、マルクスは、前資本主義形態で劣悪だった労働条件が産業資本主義でさらに悪化したことを論証していないし、データは主にエンゲルス『イギリスにおける労働者階級の状態』に基づいている[225]

ケンブリッジ経済クラブの1885年の論文「資本論第十五章におけるカール・マルクスの青書の使用について」では、マルクスの青書(政府報告書)の引用は不正確であるだけでなく、歪曲であることが明白であると主張された。したがって、マルクスの全著作においても同様の改ざんがなされているという疑いの目を持たざるをえない[280]

マルクスは自説と矛盾する最新の資料は使用せずに、古い資料を用いた[280]。「資本主義は果てしなく悪条件を生み出す」というマルクスの主張(信念)の証拠として使用されるのは、前資本主義形態に属する陶器製造業、仕立て屋、鍛冶屋、パン屋、マッチ、壁紙、レース製造業などの零細で資本不足の工場の資料であった。しかし、こうした零細工場は、機械化するだけの資本がないために条件が悪いのであり、マルクスは、資本を投下すれば悪条件は緩和されていくという現実を見ようとはせず、鉄道の事故率についても、古いデータを「最新の鉄道災害」として紹介し、実際には事故率が劇的に低下し、資本論が出版された頃には、安全な輸送手段になっていた[280]。工場での労働者虐待について論じるときも、工場視察団報告書を用いて、それが標準的な状態であるかのようにマルクスは扱ったが、その調査は、虐待の実態を摘発するためのもので、そうした工場主は罰せられた[280]。マルクスはブルジョワ国家は資本主義の共犯者であると主張するが、もしそうなら議会は工場法など可決しなかっただろう[280]。結局、マルクスは証拠資料を歪曲するか、自分のテーゼを放棄(変更)するかの二つに一つを選ばざるをえなかったのであり、テーゼの保存を選び、資料を歪曲した。マルクスは自分で事実を調べようとはしなかったし、他人が調べた事実を客観的に使うこともしなかったとジョンソンはいう[280]

また、マルクスは他人の言葉を多数借用しており、たとえば、「労働者は祖国を持たない」はマラーから、「宗教は人民にとってアヘンである」はハイネから、「万国の労働者よ、団結せよ!」はカール・シャッパーから、「プロレタリア独裁」はブランキから借りている[218]

マルクスは悪筆であり、 マルクスの父親は「お前の字は苦心しないと読めない」 とこぼしており、妻イェニーは夫の原稿の清書をした。キュンツリによると、悪筆は自己中心主義的性格のあらわれである[267]

その他の批判編集

以上の他にも以下のような批判がマルクス主義に対してなされた。

政治学者ハロルド・ラスキは「カール・マルクス」(1922)で、政治学者レイモン・アロンは「歴史哲学入門」(1938)「知識人とマルキシズム」(1955)「自由の論理」(1965)で、それぞれマルクス主義を批判した[46]

仏教学者江部鴨村の「仏教概論 釈尊とマルクス」(昭和23)、大野信三「仏教社会・経済学説の研究」(昭和31)、武並義和「イデオロギー支配と逆ユートピア」 (1975年)などもマルクス主義を批判した[46]

前衛主義批判編集

マルクスは「哲学者は世界をさまざまに解釈してきた。しかし重要なのは世界を変革することだ」と主張し、理論革命家が革命を先導すべきだと主張した。これをレーニンは前衛主義として受け継ぎ、前衛党組織をつくった。しかし、もしマルクスの言うように革命が「歴史の必然」ならば、知識人インテリ(ロシア語インテリゲンツィア)が信念を持って革命を遂行する必要などないはずである。

笠井潔は、インテリゲンツィアを知的無用者だと述べ、彼らが革命の理想にとりつかれたのは、本来は無用者であるのもかかわらず、自分をひとかどの人間だと思い込んだエリート意識であり、過剰な自己観念であり、にもかかわらず自分を評価しない社会に対するルサンチマン劣等感であると指摘している。無目的で鬱屈としたインテリにとって、マルクスの革命理論は絶好の受け皿となった。これらのコンプレックスと自意識の強い田舎インテリの姿は、ドストエフスキーの文学などに多種多様に描写されている。前衛主義とは大衆を愚衆と考えた傲慢なエリート主義であり、排他的で硬直化した独善性である。それはレーニンの「マルクス主義は真理であるがゆえに全能である」という言葉に象徴されている。人民を解放しようという献身的な利他性どころか、世界を意のままに動かそうとする肥大化したエゴであり、ソ連が収容所群島と化したり、連合赤軍が観念的なテロリズムに走るのは、その独善性と傲慢さゆえに必然であると指摘している。[282]

吉本隆明は、知識人階級は非現実的で抽象的な理想に走るのではなく、<大衆の原像>を自分の理論の中に組み込むことが、世界を正しく認識する上で重要だと主張している。

マルクス主義は、断片的な改良にとどまる「改革主義」は悪であり、その弊害は、旧体制を完全に打倒し、革命家が定めた新体制に置き換える革命によって、回避できると結論する[44]。しかし、特定の限定された改革を実行する人びとが間違いを犯すことは十分にありうることであり、改革を続けるうちに、新たな意図しない困難が現れることは、人間の行動が完璧であることを期待しない正当な理由ともなるとアクトンはいう[44]

戦争の消滅に関する予言編集

マルクスは歴史上の全ての闘争は階級闘争であると主張する。レーニンは共産主義が普及したら階級闘争はなくなり、世界から戦争もなくなると主張したが、戦争原因は経済的合理性には還元できない。もしそうなら、世界大戦のように戦勝国も敗戦国も大被害を受けるほど戦争が拡大することはなかったはずである。首都が瓦礫になるまで徹底抗戦するなどということは、どう考えても不合理である。また、もし国民が餓死寸前であり、貧困にあえいでいたら、近代的な軍備を整えて戦争を起こすことすら不可能なはずである。逆説的な言い方だが、戦争は経済的な余裕があるからこそ実行することができるのである。

フランシス・フクヤマ戦争は精神的な気概、優越願望の衝突によって起こると主張する。例えば、動物の世界では同種同士では住み分けを行い、争いは回避されるようなシステムになっている。ナワバリ争いで闘うこともあるが、負けた方は致命傷を受ける前にすごすごと退散し、勝った方はナワバリを維持できたことに満足し、わざわざ追い討ちをかけたりはしない。同種同士で殺し合いまでエスカレートすることはめったになく、戦争は気概を持った人間に特有の行為である。侵略的な国王が自国で自給自足できるだけの生産力があるのにもかかわらず、巨費を投じて他国を武力侵略するのは、彼が自分の力を誇示したいという名誉欲、野心に駆られたからだと考えたほうが合理的である。また、動物に自己防衛という概念はあるが、報復や復讐という概念はない。生存効率や経済的合理性を無視して、仇討ちや復讐を実行するのは人間だけである[20]

ジョルジュ・バタイユは、人間には経済的合理性では説明できない破壊衝動が存在することを指摘し、それを蕩尽、あるいは過剰なる太陽エネルギーと呼んでいる。

レーニン反映論への批判編集

レーニンは、認識は人間による自然(物質)の反映である[283]という反映論を説き、意識は大脳の機能に過ぎないと述べた。レーニン的な弁証法的唯物論は、つきつめれば人文・社会科学領域も自然科学によって説明できるとする自然科学至上主義であり、自然科学万能論である。しかし、医学的な大脳生理学や神経学がどれだけ発達しても、知覚の問題は説明できても、解釈や感想、評価という人間の行う意味付けや価値付け、審美眼の部分は説明できない。吉本隆明はいくら人体を医学的に解剖しても、その人の性格や哲学、思想は分からないように、精神は肉体から派生するが還元はできないとして、自然科学ではアプローチ(観察)できない人間の解釈、感想、審美眼を「幻想」と呼んでいる。

生物も高度で複雑な機械に過ぎない(機械論)という指摘もあるが、生物と機械は違う。機械は任意に分解し、組み立てなおすことができるが、生物は一度分解したら死んでしまい、もう二度と活動を再開することはない。生命活動は身体的な全体性があって初めて成立するものであり、各要素や各部分、各器官に分解することはできないのである。外的な損傷がなくても、生物とその死体は魂が抜けたとしか表現しようのない、不可逆で質的な断絶がある。無機的な物質には存在しないが、生物には存在する根源的なエネルギーを、人々は昔から霊魂(ゴースト)、精神分析学ジークムント・フロイトEs(エス[284]無意識本能衝動)、吉本隆明は原生的疎外と呼んでいる。

関連する作品編集

小説

脚注編集

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注釈編集

  1. ^ 修正主義はマルクス主義的労働運動の内部での用語であり、自らの立場を正統として相手を異端として名指すもので、カウツキーはベルンシュタインを、レーニンはカウツキーを修正主義と呼ぶなど、相対的なものである[12]。ここでは、シェリ・バーマンが正統派マルクス主義、社会民主主義と対比させて、レーニンらを修正主義と分類している。
  2. ^ C-M-Cでは、商品は貨幣へと転化し、その貨幣は再び商品を買うことで再転化する。つまり、新たに商品を買うために、商品を売るのである。
  3. ^ こうなると、歴史的に条件づけられた個人の活動は冗長なものとなるし、システム再生産の条件は、その条件が依拠する構造関係によって保証されることもない[35]
  4. ^ 社会学者ノルベルト・エリアスも近代化によって社会の複雑性が増大するにつれて、行為は組織化されていく。そしてまた、社会の複雑性が低下すれば、気まぐれな子供のように、個人の自己制御が低下し、感情の自発的な表出されるとした[37]
  5. ^ 口承文化にも強い倫理的禁則もあれば厳しい抑圧もあり、口承文化が感情の自発的表出と普遍的に結びつくという証拠も不足している[37]
  6. ^ この点はG.A.コーヘンも同様に論じている。Karl Marx's Theory of History: A Defence, (Princeton University Press, 1978).
  7. ^ マルクスは、「資本論」第1巻第1章第3節で価値形態論における本質の同等性 (Wesengleichheit)について論じた[55]
  8. ^ ミーゼスによれば、商品の自発的交換では、商品への価値づけが明確になり、通貨は、自発的に流通している交換媒体への承認として機能する[74]
  9. ^ 社会進化の過程では、平和的自発的な交易に資する規範的なフレームワーク(私有財産法や規範)を発達させた集団は、原始的部族的な社会構造を持つ集団を吸収していった[76]
  10. ^ マルクスは「一人の資本家は、他の多くの資本家を殺す」と書いたように、資本は少数の手に集中し、多くの無産階級が悲惨な飢えに苦しむことになるとされる[111]
  11. ^ ただし、民営化が社会主義より優れているとはいえないともいっている[125]
  12. ^ レーニンは、土地、企業、銀行、鉄道等の国有化を断行し、関税による保護貿易というブハーリンらの主張をしりぞけ、貿易の国家独占を指令し、内戦や戦争に対処した軍事経済政策の「戦時共産主義」を実行した。しかし、混乱による生産低下、飢餓、インフレ等による経済破綻、クロンシュタットの反乱などで表面化した大衆の不満によって、ネップという市場経済を導入せざるをえなくなった。これはレーニン自身がいうようにマルクス主義からの「退却」であった[184]
  13. ^ マルクスの主な功績は、執筆活動、つまり思想であって、革命家としての社会的活動ではない[184]。マルクスは正義者同盟(のち共産主義者同盟)に参加したほか、フランス二月革命ドイツ三月革命に参加し、ベルギ一やプロイセン政府から退去命令を受けたろ、1864年に参加した国際労働者協会では、対立したバクーニンらを除名したが、同時に協会の統ー性も破壊され、1876年に解散するなどの社会運動の参加はあったものの、一部の社会運動家や労働者間で認知されたにとどまり、大衆には殆ど知られていなかったし、ましてや大衆を動員し、革命を実行することはできなかった[184]
  14. ^ シティの商人や銀行家も貴族の称号を入手していった[234]
  15. ^ 権力をもった個人や集団が社会経済の動態的な傾向に対して持つ知識は、その動態的な傾向の一部となり、それを形成する要因ともなる。産業に対するシティの優位をもたらした初期条件は、シティの地位を維持する条件と同一ではない[234]
  16. ^ また、ハイエクは、オーギュスト・コントサン・シモン功利主義に対しても、行為のコスト、便益の情報が事前にわかっており、それにより効用最大化の意思決定が可能となる状況を前提とした科学主義だと批判したほか、ケインズや、ミルトン・フリードマンマネタリズムシカゴ学派も批判した[238]
  17. ^ "moralism "道徳主義とは、従来の道徳的規則に対する誇張された、あるいは見当違いの熱意を指して使われる[245]
  18. ^ なお、デイヴィッド・ヒュームも、誰もが豊かで欲しいものを手に入れることができれば、またすべての人間間に完全な親密さがあれば、争いはなく、正義は必要ないと主張した[22]
  19. ^ ルードヴィヒ・クーゲルマンがほんの少し生活をきちんとすれば、資本論も完成できるだろうと助言すると、罵詈讒謗を浴びせた[272]

出典編集

  1. ^ M. C. Howard and J.E. King, 1992, A History of Marxian Economics: Volume II, 1929–1990. Princeton, NJ: Princeton Univ. Press.
  2. ^ Popper, Karl (2002). Conjectures and Refutations: The Growth of Scientific Knowledge. Routledge. p. 49. ISBN 978-0415285940 
  3. ^ a b John Maynard Keynes. Essays in Persuasion. W.W. Norton & Company. 1991. p. 300 978-0393001907.
  4. ^ Domhoff, G. William (2005年4月). “Who Rules America: A Critique of Marxism”. WhoRulesAmerica.net. 2018年11月30日閲覧。
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参考文献編集

和書編集

関連項目編集