マルグリット・ド・クレルモン
マルグリット・ド・クレルモン=ボーヴェーズィー(フランス語: Marguerite de Clermont-Beauvaisis; 1104/05年 – 1145年以降)は、フランドル伯妃、サン=ポル伯妃。
マルグリット・ド・クレルモン=ボーヴェーズィー Marguerite de Clermont-Beauvaisis | |
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出生 |
1104/05年 |
死去 |
1145年以降 |
配偶者 | フランドル伯シャルル1世 |
サン=ポル伯ユーグ2世 | |
ボードゥアン・ダンクル | |
父親 | クレルモン伯ルノー2世 |
母親 | アデライード・ド・ヴェルマンドワ |
生涯
編集クレルモン伯ルノー2世とアデライード・ド・ヴェルマンドワ(ヴェルマンドワ伯エルベール4世の娘)の娘として生まれる[1]。
1118年に最初の結婚をした夫シャルル1世は翌1119年にフランドル伯となるが、子が無いまま1127年に暗殺された[1]。1128年ごろ、サン=ポル伯ユーグ2世と再婚し、2人の息子を産んだ[1]。ユーグ2世が1130年に死去すると、ボードゥアン・ダンクル(Baudouin d'Encre)と再婚し[1]、娘を1人産んだ[1]。
脚注
編集参考文献
編集- Galbert de Bruges (2013). The Murder, Betrayal, and Slaughter of the Glorious Charles, Count of Flanders. Yale University Press