マルコシアス・バンプ(MARCHOSIAS VAMP)は、日本のグラムロックバンド

MARCHOSIAS VAMP
出身地 日本の旗 日本
ジャンル ロック
グラムロック
活動期間 1985年 - 1996年
レーベル ビクター音楽産業→ビクターエンタテインメント
SPEEDSTAR RECORDS
メンバー 秋間経夫(ボーカル・ギター)
鈴木ユタカ(ギター)
佐藤研二(ベース)
石田光宏(ドラムス)

経歴 編集

1985年結成。

1989年平成元年)12月9日、『三宅裕司のいかすバンド天国』に出場。この日はすでに4週を勝ち抜いていたたまの3代目グランドイカ天キングがかかった回であった。登場時の紹介は「来るべきものはやっぱり来た。快楽と不条理が螺旋状に極まる。ここにグラムロックの封印が解かれる」、キャッチフレーズは「メガトン・グラム・ロック」であった[1]

楽曲「バラが好き」は、吉田建伊藤銀次など審査員全員から絶賛された[2]。結果、マルコシアス・バンプはこの回のチャレンジャー賞を獲得。たまに挑むが、票決は4-3と1票差で敗れた。しかし審査委員長の萩原健太は、勝敗が決した後に「マルコシアスが惜しくて仕方がない。たまはグランドイカ天キングってことで来週はキングがいなくなるんだから、仮キングとして残していただけないでしょうかね」 と提案。審査員は拍手でこれを迎え、ディレクターも同意して特例措置で仮イカ天キングとして残る。この措置にメンバーは「うれしい」と率直な感想を述べた。この回は「番組史上屈指の名勝負」と評価されている[3]

その後、5週勝ち抜きを達成し、4代目グランドイカ天キングの座に輝く。仮キングからグランドキングへ勝ち上がった番組史上唯一のバンドとなった。キング在位中は、5週目にチャレンジャーのタッケナー・アンサンブルに坂上二郎の1票が入った以外は、審査員全員がキングのマルコシアス・バンプに票を入れた。

1990年元日日本武道館で催行された『輝く!日本イカ天大賞』では、人間椅子マサ子さん、そしてたまと並んでベスト・コンセプト賞部門にノミネートされたが、接戦(番組内における審査員の伊藤銀次の発言)の末にたまが受賞した。司会の三宅裕司からこの時「また、たまに負けたね」と質問された秋間は「あの、仮コンセプト賞は?」と返答している。さらに大賞部門では、宮尾すすむと日本の社長FLYING KIDSの両者と共に審査員特別賞を受賞したが、日本イカ天大賞はたまが受賞した。この直後にリリースされたアルバム『乙姫鏡』は、オリコン初登場59位を獲得。

1990年ビクター音楽産業からメジャー・デビュー1996年1月、無期限活動停止。

メンバー 編集

  • 秋間経夫ボーカルギター
    活動停止後は、グラムロックバンド「AKIMA&NEOS」を経て「Rama Amoeba」に在籍。また石田とのアコースティック・ユニット「アキマ&イシダ」として、不定期に活動。
  • 鈴木ユタカ(穣):ギター、コーラス
    イカ天放送時には学術史跡の遺跡発掘の仕事をしていると言って笑いをさそった。活動停止後はギタリスト、ギター講師として活動。
  • 佐藤研二ベースチェロ、コーラス
    1963年3月1日生まれ。活動停止後はソロ活動とともに、ROLLYと組んだバンド「THE 卍」や、湊雅史(奥田民生MTR&Y、元DEAD END)、橋本じゅん(A あー)と組んだバンド「アンクルミート」、チェロ三重奏団「Cotucotu」(坂本弘道、佐藤研二、三木黄太)、吉田達也と組んだバンド「石窟寺院」などで活動している。イカ天出場当時に沢田研二がシングル『サムライ』のステージ衣装で使った軍服を彷彿させる衣装を着用、警察官風の帽子を被っていたためか、司会の三宅裕司に『こまわり君』と呼ばれる。また、審査員の中島啓江には「(勝ち抜くたびに)どんどん化粧が濃くなっていく」と指摘された。後にその沢田のアルバムレコーディングに参加している(秋間も曲を提供したことがある)。
  • 石田光宏ドラムス、コーラス
    活動停止後は秋間とのアコースティック・ユニット「アキマ&イシダ」として、不定期に活動(同ユニットではパーカッションも担当)。グラムロックバンド「CHEAP STAR」のドラマーとしても活動。イカ天初出場時、審査員の内藤陳から「ドラム(のアゴのあたり)が俺に似ている」と指摘され大笑いになった。

ディスコグラフィー 編集

シングル 編集

  発売日 タイトル 規格品番 収録曲 備考
1st 1990年10月21日 オレンジ色の月 VIDL-10070 メジャー・デビュー・シングル
2nd 1991年6月21日 20世紀のミスキャスト VIDL-66
3rd 1992年6月21日 シセリアのまつげの下で VIDL-104
4th 1993年8月21日 びしょぬれの君の愛 VIDL-136
5th 1994年6月22日 赤道直下のブギウギ VIDL-10528
6th 1995年4月21日 マスターベイション VIDL-10628 「マスターベイション」はミュージック・ビデオが制作されているが、公式に商品化されていない

オリジナル・アルバム 編集

メジャー・デビュー以降はビクター音楽産業→ビクターエンタテインメントより発売。レコードレーベルは『Dynamic Was Ruby』までがビクター・インビテーション、『MIRAVAL』以降がSPEEDSTAR RECORDS

メジャー・デビュー以降の6作は、2008年8月20日紙ジャケットで再発売された。

  発売日 タイトル 規格品番 収録曲 備考
1st 1987年4月22日 Pleasure Sensations! BOYS-15C インディーズ作品(ELEPHANT MOON)
前半4曲は新宿LOFTでのライブを収録、後半4曲はスタジオレコーディング
1990年にCDで再発
2nd 1988年4月25日 Destiny Calling BOYS-16C インディーズ作品(BALCONY RECORDS)
限定60枚で白地にスタンプのアナログ盤も存在
1990年にCDで再発
3rd 1990年1月25日 乙姫鏡 GONG-6014 インディーズ作品(キャプテンレコード
オリコン初登場59位
アルバム・ジャケットのイラストはアニメーターとして知られる浜崎博嗣が担当[4]
1998年11月21日テイチクエンタテインメントより再版(TECN-15438)
4th 1990年10月31日 IN KAZMIDITY VICL-66 メジャーデビュー作品
ロンドンレコーディング
オリコン初登場9位
5th 1991年8月21日 Dynamic Was Ruby VICL-185
6th 1992年7月22日 MIRAVAL VICL-313
7th 1993年1月21日 reVAMPed VICL-5157
8th 1993年9月22日 ルネサンス(RINASCIMENTO) VICL-442 イタリアレコーディング
9th 1995年4月21日 マスターベイション VICL-651 土屋昌巳プロデュース

ベスト・アルバム 編集

『BEST & RARE』は、2008年8月20日に紙ジャケットで再発売された。

  発売日 タイトル 規格品番 収録曲 備考
1st 1994年7月21日 BEST & RARE VICL-547
2nd 2011年12月21日 SUPER BEST NCS-810 カルチュア・コンビニエンス・クラブ発売
3rd 2014年2月19日 THE BEST NCS-10063 ビクターエンタテインメント発売
LoppiHMV限定
SHM-CD

VHS 編集

  発売日 タイトル 規格品番 収録曲 備考
1st 1991年 天使の分け前 -NOT JUST A LIVE VIDEO- VIVL-25 「IN KAZMIDITY TOUR」中野サンプラザ公演(1990年12月18日)の模様と、イメージ映像を収録
レーザーディスク版も販売[5](VILL-27)
2nd 1994年7月21日 BEST & RARE CLIPS VIVL-130 ミュージック・ビデオ集
「バラが好き」はバイノーラル録音
メンバーの撮り下ろしインタビュー収録

参加作品 編集

発売日 タイトル 規格品番 収録曲 備考
1988年5月25日 AMORAL EMISSION REGULATORS BOYS-17C イベント「TOKYO CRAZY ROCKERS」の5バンドによるオムニバス
1990年にCDで再発

タイアップ一覧 編集

[注 1] 曲名 タイアップ
1990年 オレンジ色の月 日本ビクター「CDioss」CMソング
1992年 SPIDER WOMAN サントリー「スポーツドリンク デカビタC」CMソング

脚注 編集

注釈 編集

  1. ^ 楽曲が起用された年ではなく、音源化された年で記載

出典 編集

  1. ^ 1989.12.9のイカ天の放送より
  2. ^ 2007年に放映された「イカ天復活祭」では当時の様子を映しているものの、ゲスト審査員の大島渚の発言「いいと思うんだなー」は「もっと猥褻でもいいと思うんだなー」の前半をカットしたもの。
  3. ^ 2007年に放送された「イカ天復活祭」での紹介より。
  4. ^ 浜崎博嗣@hamasakinaさんのツイート"”. Twitter (2014年5月21日). 2019年3月13日閲覧。
  5. ^ タイトルは『天使の分け前 -NOT JUST A LIVE LD-』

関連項目 編集

外部リンク 編集