マンガルール

インドの都市

マンガルールトゥル語:ಕುಡ್ಲ, Kudla; カンナダ語:ಮಂಗಳೂರು, Mangalūru)、旧称マンガロール英語:Mangalore)とは、インドカルナータカ州にある港湾都市である。東は西ガーツ山脈が迫り、西はアラビア海に面している。16世紀にポルトガルが占領し、積出し港として発展した。インドにおけるキリスト教の中心地。

マンガルール
トゥル語:ಕುಡ್ಲ,Kudla
カンナダ語:ಮಂಗಳೂರು, Mangalūru
英語:Mangaluru
マンガルールの公会堂
マンガルールの公会堂
位置
マンガルールの位置(インド内)
マンガルール
マンガルール
マンガルール (インド)
マンガルールの位置(カルナータカ州内)
マンガルール
マンガルール
マンガルール (カルナータカ州)
地図
座標 : 北緯12度52分 東経74度52分 / 北緯12.867度 東経74.867度 / 12.867; 74.867
行政
インドの旗 インド
  カルナータカ州
 県 ダクシナ・カンナダ県
 市 マンガルール
市長 Kavita Sanil [1]
地理
面積  
  市域 184 km2
標高 22 m
人口
人口 (2011年現在)
  市域 484,785人
その他
等時帯 インド標準時 (UTC+5:30)
夏時間 なし
Pincode 5750〇〇
市外局番 +0824
ナンバープレート KA19
公式ウェブサイト : https://webcitation.org/66HaSY8Zs?url=http://www.mangalorecity.gov.in/
マスジド・ジーナス・バクシュ・モスクの礼拝室
中央駅

由来 編集

マンガルールの名前は、地元で信仰を集めているヒンドゥー教女神マンガラデーヴィーからきており、同名の寺院マンガラデーヴィー寺院英語版もある。

歴史 編集

 
マンガロール城1783年

イブン・バットゥータも訪れるなど重要な港湾であったため古来、多くの王朝が覇を競ったが、1763年マイソール王国ハイダル・アリーケラディ・ナーヤカ朝を滅ぼした際、マンガロールの支配も同国に移った。

マンガルールはその後、マイソール王国の外港として使用されたが、1767年にはイギリスの支配下となった。

しかし、1783年にはハイダル・アリーの息子ティプー・スルターン第二次マイソール戦争でこの地を奪い、再び外港として使用されることとなった。

1792年にイギリスが第三次マイソール戦争でティプー・スルターンを破り、シュリーランガパトナ条約でこの地を割譲させると、1947年のインド独立までイギリス領マドラス管区に属することとなった。

独立後は国道17号線や鉄道も整備され、海上のみならず陸上交通の要所ともなっている。

住民 編集

カンナダ語州であるカルナータカ州に属するが、住民はトゥル語を話し、トゥル語話者の中心的な都市となっている。

名物 編集

魚料理が有名である。[2][要出典]

脚注 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集