マンスール (後ウマイヤ朝宰相)

後ウマイヤ朝宰相

アル=マンスールアラビア語: المنصور, ラテン文字転写: al-Manṣūr[1])の尊称で知られるアブー・アーミル・ムハンマド・イブン・アブドゥッラー・イブン・アビー・アーミル・アル=マアフィリアラビア語: أبو عامر محمد بن عبد الله بن أبي عامر المعافري, ラテン文字転写: Abu ʿĀmir Muḥammad ibn ʿAbdullāh ibn Abi ʿĀmir al-Maʿafiri938年? - 1002年)は、後ウマイヤ朝の宰相。スペイン語での通称からアルマンソールスペイン語: Almanzor)とも。

ムハンマド・イブン・アブドゥッラー・イブン・アビー・アーミル・アル=マアフィリ
محمد بن عبد الله بن أبي عامر المعافري
生年月日 938年ごろ
出生地 トロススペイン語版
没年月日 1002年8月3日ヒジュラ暦392年アラビア語版9月15日アラビア語版
死没地 メディナセリ

在任期間 981年 - 1002年
カリフ ヒシャーム2世
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来歴 編集

カリフ・ヒシャーム2世を傀儡化し、事実上の統治者として権力をふるった。イベリア半島北部キリスト教諸国に対する遠征で軍事指導者としても成果を上げ、北アフリカにも進出するなどしてこの時代にアンダルスの版図は最大となった[2][3]

脚注 編集

  1. ^ 「(神より)勝利を授けられし者」の意。
  2. ^ 『角川世界史辞典』角川書店、2001年、914頁。 
  3. ^ 『イスラム辞典』平凡社、1982年、73頁。