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マントン・スプレーグ・エディ(Manton Sprague Eddy, 1892年5月16日 - 1962年4月10日)は、アメリカ合衆国の軍人。アメリカ陸軍の一員として第一次世界大戦および第二次世界大戦に従軍した。最終階級は中将。

マントン・S・エディ
Manton Sprague Eddy
Menton S. Eddy.jpg
生誕 (1892-05-16) 1892年5月16日
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国イリノイ州シカゴ
死没 1962年4月10日(1962-04-10)(69歳)
アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国ジョージア州フォート・ベニング
所属組織 アメリカ陸軍
軍歴 1916年 - 1953年
最終階級 中将(Lieutenant General)
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若年期編集

1892年、イリノイ州シカゴに生を受ける。1913年、ミネソタ州フェアリボー英語版にてシャタック軍学校英語版を卒業。1916年、アメリカ陸軍に入隊。エディは歩兵科に配属され、第一次世界大戦中のフランス戦線では小銃および機関銃部隊に勤務した。大戦を通じて彼は少佐に昇進し、戦後も1919年までは占領任務の為にドイツに残った。帰国後の1920年には終戦に伴う将校の階級調整により大尉となり、翌年にはマミー・ピーボディ・バトルフ(Mamie Peabody Buttolph)と結婚している。戦間期には歩兵委員会(Infantry Board)に所属し、陸軍指揮幕僚大学の戦術教官を務めた。

第二次世界大戦編集

1941年、第114歩兵連隊長に就任。1942年3月には准将となり、同年7月には少将に昇進すると共に第9歩兵師団英語版長に就任し、チュニジア、シチリア、ノルマンディなどを転戦した。1944年8月、第12軍団英語版長に就任。バルジの戦いでは、突出部南側への攻撃を指揮した。1945年4月、病気の為に米本土へ送還される。彼はシェルブール占領の功績から殊勲十字章を受章している。

第二次世界大戦後編集

戦後、エディはフォート・レブンワースに勤務し、1948年1月から1950年7月までは陸軍指揮幕僚大学司令官を務めた。また、将校の教育に関する評価委員会にて委員長を務めた。その後は在独米軍の第7軍司令官として占領軍から抑止力たる駐留軍への転換を指導し、1953年に中将の階級で退役した。

1962年4月10日に死去し、アーリントン国立墓地に埋葬された。

受章等編集

脚注編集

  1. ^ Manton Sprague Eddy”. MilitaryTimes. 2015年3月1日閲覧。
  2. ^ Manton S. Eddy”. MilitaryTimes. 2015年3月1日閲覧。

参考文献編集

外部リンク編集

軍職
先代:
トーマス・ハンディ英語版
アメリカ欧州陸軍司令官
1952年8月12日 - 1953年4月1日
次代:
チャールズ・ボルティ英語版
先代:
オスカー・グリズウォルド英語版
第7軍司令官
1950年8月 - 1952年8月
次代:
チャールズ・ボルティ
先代:
レナード・ジェロウ英語版
アメリカ陸軍指揮幕僚大学司令官英語版
1948年1月 - 1950年7月
次代:
ハーラン・N・ハートレス(Harlan N. Hartness)