マンネ・シーグバーン
スウェーデンの物理学者
カール・マンネ・イェオリ・シーグバーン(Karl Manne Georg Siegbahn、1886年12月3日 - 1978年9月26日)は、スウェーデンの物理学者である。X線分光学の分野の研究で1924年のノーベル物理学賞を受賞した[1]。ジーグバーン、ジークバーンの表記も見られる。息子のカイ・シーグバーンも、1981年にノーベル物理学賞を受賞している。
マンネ・シーグバーン | |
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マンネ・シーグバーン(1924年) | |
生誕 |
Karl Manne Georg Siegbahn 1886年12月3日 スウェーデン、エレブルー |
死没 |
1978年9月26日 (91歳没) スウェーデン、ストックホルム |
国籍 | スウェーデン |
研究分野 | 物理学 |
研究機関 |
ルンド大学 ウプサラ大学 ストックホルム大学 |
出身校 | ルンド大学 |
主な業績 | X線分光学 |
主な受賞歴 |
ノーベル物理学賞(1924年) ヒューズ・メダル(1934年) ランフォード・メダル(1940年) |
補足 | |
プロジェクト:人物伝 |
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生涯
編集スウェーデンのエーレブルーに生まれ、ルンド大学にて学んだ。1907年から1911年までヨハネス・リュードベリの助手を務め、リュードベリが亡くなった後は1920年にルンド大学の物理学教授になった。1923年からはウプサラ大学の教授になり、翌年の1924年にはノーベル物理学賞を受賞した。
X線分光学の分野でX線装置の改良などに業績をあげ、その後研究の分野を原子物理の分野に移して1939年にサイクロトロンの建設をおこなった。国際的にも活躍し、1938年から1947年まで国際物理学会の会長を務めた。その後、ストックホルムにてこの世を去った。
脚注
編集- ^ “Manne Siegbahn - Biographical”. Nobel Foundation. 2023年12月7日閲覧。