ミハエラ・クライチェクMichaëlla Krajicek, 1989年1月9日 - )は、オランダデルフト出身の女子プロテニス選手。1996年ウィンブルドン男子シングルス優勝者、リカルト・クライチェクの妹である。これまでにWTAツアーでシングルス3勝、ダブルス4勝を挙げている。身長177cm、体重68kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。

ミハエラ・クライチェク
Michaëlla Krajicek
ミハエラ・クライチェク
基本情報
国籍 オランダの旗 オランダ
出身地 南ホラント州デルフト
居住地 フロリダ州ブレイデントン
生年月日 (1989-01-09) 1989年1月9日(35歳)
身長 177cm
体重 68kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 2003年
ツアー通算 8勝
シングルス 3勝
ダブルス 5勝
生涯獲得賞金 2,080,313 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 3回戦(2006)
全仏 3回戦(2007)
全英 ベスト8(2007)
全米 2回戦(2007・11)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト4(2015)
全仏 ベスト4(2014)
全英 3回戦(2007・15・16)
全米 3回戦(2014・15)
国別対抗戦最高成績
ホップマン杯 準優勝(2006)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 30位(2008年2月11日)
ダブルス 23位(2015年3月23日)
2017年6月27日現在

来歴 編集

ミハエラは3歳の時から、父親の手ほどきでテニスを始めた。彼女が7歳の時、兄のリカルトが1996年ウィンブルドン男子シングルスで優勝し、オランダのテニス選手として最初の4大大会男子シングルス優勝者になった。兄とは年が離れた末っ子のミハエラも、ジュニア時代に全米オープン2003年2004年の2年連続でジュニア女子シングルスの決勝に進出し、優れたテニスの技量を発揮し始めた。2003年の全米女子ジュニアでは準優勝だったが、2004年全仏オープンのジュニア女子ダブルスで優勝し、全米オープンではジュニアで単複優勝を果たす。2005年全豪オープンで4大大会にデビューしたミハエラは、予選3試合を勝ち上がり、初出場の本戦でもパティ・シュナイダーとの2回戦まで進んだ。しかし、6月中旬のオランダスヘルトーヘンボス大会(芝生コート、ウィンブルドン前哨戦の1つ)で、ミハエラはメガン・ショーネシーとの対戦中に右膝を痛め、右膝の外側半月板損傷の修復手術を受けた。4ヶ月の休養の後、10月のウズベキスタンタシュケント大会で女子ツアー初優勝を果たしている。

 
2007年全豪オープンにて

2006年の成績は、女子ツアーでシングルス2勝・ダブルス2勝があり、ダブルスは両方ともヤネッテ・フサロバと組んで優勝した。4大大会では、全豪オープンアメリ・モレスモとの3回戦に進んだが、全米オープンでは1回戦でマリア・シャラポワと当たってしまう。2007年全豪オープンでは1回戦敗退に終わったが、全仏オープンで初の3回戦に進出する。ウィンブルドンで「第31シード」に選ばれたクライチェクは、この大会で初の4大大会ベスト8に進出し、準々決勝でマリオン・バルトリに 6-3, 3-6, 2-6 で敗退した。2007年度の4大大会では、ダブルスでもアグニエシュカ・ラドワンスカと組み、全仏オープンとウィンブルドンの2大会連続で3回戦に勝ち進んだ。

近年のクライチェクは左手首と膝に故障を抱え、女子ツアーでの成績が低迷している。4大大会のシングルスでは予選敗退が続いていたが、2011年全米オープンで予選を勝ち上がり、3年ぶりに4大大会の本戦に出場した。1回戦でエレニ・ダニリドゥに 3-6, 7-6(4), 6-1 で勝利したが、2回戦でセリーナ・ウィリアムズに 0-6, 1-6 で完敗した。

2014年全仏オープンではルーシー・ハラデツカ2015年全豪オープンではバルボラ・ストリコバと組みベスト4に進出するなどシングルスよりもダブルスの活躍が多くなった。

2014年6月ドイツのテニス選手マルティン・エメリッヒ英語版と婚約した[1]。2015年7月に結婚した。

WTAツアー決勝進出結果 編集

シングルス: 3回 (3勝0敗) 編集

大会グレード
2008年以前 2009年以後
グランドスラム (0–0)
WTAファイナルズ (0–0)
ティア I (0–0) プレミア・マンダトリー (0-0)
プレミア5 (0-0)
ティア II (0–0) プレミア (0–0)
ティア III (1–0) インターナショナル (0–0)
ティア IV & V (2–0)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 2005年10月9日   タシケント ハード   アクグル・アマンムラドワ 6–0, 4–6, 6–3
優勝 2. 2006年1月13日   ホバート ハード   イベタ・ベネソバ 6–2, 6–1
優勝 3. 2006年6月24日   スヘルトーヘンボス   ディナラ・サフィナ 6–3, 6–4

ダブルス: 16回 (5勝11敗) 編集

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2005年4月30日   エストリル クレー   ヘンリエッタ・ナギョワ   李婷
  孫甜甜
3–6, 1–6
準優勝 2. 2005年10月30日   ハッセルト ハード
(室内)
  アグネシュ・サバイ   エミリー・ロワ
  カタリナ・スレボトニク
3–6, 4–6
準優勝 3. 2006年2月19日   アントワープ ハード
(室内)
  ステファニー・フォレッツ   ディナラ・サフィナ
  カタリナ・スレボトニク
1–6, 1–6
優勝 1. 2006年7月22日   パレルモ クレー   ヤネッテ・フサロバ   アリス・カネパ
  ジュリア・ガバ
6–0, 6–0
優勝 2. 2006年7月30日   ブダペスト クレー   ヤネッテ・フサロバ   ルーシー・ハラデツカ
  レナタ・ボラコバ
4–6, 6–4, 6–4
準優勝 4. 2008年5月3日   プラハ クレー   ジル・クレイバス   アンドレア・フラバーチコバ
  ルーシー・ハラデツカ
6–1, 3–6, [6–10]
優勝 3. 2008年6月20日   スヘルトーヘンボス   マリナ・エラコビッチ   リガ・デクメイエレ
  アンゲリク・ケルバー
6–3, 6–2
準優勝 5. 2009年2月22日   メンフィス ハード
(室内)
  ユリアナ・フェダク   ビクトリア・アザレンカ
  キャロライン・ウォズニアッキ
1–6, 6–7(2)
準優勝 6. 2009年6月19日   スヘルトーヘンボス   ヤニナ・ウィックマイヤー   サラ・エラニ
  フラビア・ペンネッタ
4–6, 7–5, [11–13]
優勝 4. 2010年2月21日   メンフィス ハード
(室内)
  バニア・キング   ベサニー・マテック=サンズ
  メガン・ショーネシー
7–5, 6–2
準優勝 7. 2010年4月18日   チャールストン クレー   バニア・キング   リーゼル・フーバー
  ナディア・ペトロワ
3–6, 4–6
準優勝 8. 2011年4月30日   エストリル クレー   エレニ・ダニリドゥ   アリサ・クレイバノワ
  ガリナ・ボスコボワ
4–6, 2–6
準優勝 9. 2012年5月5日   ブダペスト クレー   エバ・ビルネロバ   マグダレナ・リバリコバ
  ヤネッテ・フサロバ
4–6, 2–6
準優勝 10. 2014年1月4日   オークランド ハード   ルーシー・ハラデツカ   シャロン・フィッチマン
  マリア・サンチェス
6–2, 0–6, [4–10]
優勝 5. 2014年5月24日   ニュルンベルク クレー   カロリナ・プリスコバ   ラルカ・オラル
  シャハー・ピアー
6–0, 4–6, [10–6]
準優勝 11. 2014年6月20日   スヘルトーヘンボス   クリスティナ・ムラデノビッチ   マリナ・エラコビッチ
  アランチャ・パラ・サントンハ
6–0, 6–7(5), [8–10]

4大大会シングルス成績 編集

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 2017 通算成績
全豪オープン 2R 3R 1R 1R A LQ LQ 2R A A A A LQ 4–5
全仏オープン 1R 1R 3R 1R LQ LQ LQ 1R A A A LQ A 2–5
ウィンブルドン A 1R QF 1R A LQ LQ A 1R A A LQ A 4–4
全米オープン A 1R 2R A A LQ 2R 1R A LQ A LQ A 2–4

脚注 編集

外部リンク 編集