ミロシュ・ヤケシュ
ミロシュ・ヤケシュ(Miloš/Milouš Jakeš[1]、1922年8月12日 - 2020年7月10日[2][3])は、チェコスロバキアの政治家、チェコスロバキア共産党書記長(1987年 - 1989年)。
来歴・人物 編集
チェスケー・ブジェヨヴィツェ近郊のチェスケー・ハルピに生まれる。1937年から1950年までズリーンの靴工場で働き、その間、チェコスロバキア共産党に入党。1955年 - 1958年のモスクワ留学。1968年のワルシャワ条約機構軍の侵攻(プラハの春)後に始まった正常化体制で改革派のパージに積極的に関与した。
1987年12月、グスターフ・フサークの後任として党書記長に就任。自らを改革者と規定しつつも、反体制グループとの対話を一切拒否するなど強硬な姿勢を崩さなかった。1989年11月のビロード革命によって書記長を辞任。2003年に1968年の軍事侵攻でソ連軍と共謀し、革命労農政府樹立を企図した嫌疑で裁判にかけられた。
2020年7月、死去[3]。
脚注 編集
- ^ 一般にはミロシュ(Miloš)で知られているが、正しい表記はミロウシュ(Milouš)であることが2003年の裁判中に明らかになった。
- ^ Miloš Jakeš zemřel, bývalému nejmocnějšímu muži ve státě bylo 97 let E15 2020年7月14日配信 2020年7月16日閲覧
- ^ a b “元共産党書記長のヤケシュ氏死去/チェコ、ビロード革命で辞任”. 四国新聞社. 2020年7月15日閲覧。