ムクンドワラ峠の戦い
ムクンドワラ峠の戦い(ムクンドワラとうげのたたかい、英語:Battle of Mukundwara Pass)は、1804年7月8日から9日にかけてインドのムクンドワラ峠において、ホールカル家とイギリス東インド会社との間で行われた第二次マラーター戦争の戦いの一つ。
ムクンドワラ峠の戦い Battle of Mukundwara Pass | |||||||
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第二次マラーター戦争中 | |||||||
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衝突した勢力 | |||||||
イギリス東インド会社 | ホールカル家 | ||||||
指揮官 | |||||||
ウィリアム・マンソン | ヤシュワント・ラーオ・ホールカル | ||||||
戦力 | |||||||
不明 | 不明 |
戦闘
編集1804年7月8日、ヤシュワント・ラーオ・ホールカルはコーターから南へ約50キロのムクンドワラ峠において、イギリスの司令官ジェラルド・レイクの部下ウィリアム・マンソン率いる軍を破った[1]。
マンソンは退却したが、翌日まで軍は襲撃を受け、ついには大砲や行季も捨てて逃げざるを得なかった。これは第二次マラーター戦争で連戦連勝だったイギリスにとっては、はじめての手痛い敗北であった。
その後
編集マンソンは退却したものの、その後もホールカル家の軍の厳しい追撃を受け、彼の退却は「マンソンの退却」(Monson's Retreat)と呼ばれるほどであった。