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ムサシ中野(ムサシ なかの、1945年2月26日 - 1996年7月?日)は、日本の元プロボクサー。本名は中野 勝也。元東洋太平洋ウェルター級チャンピオン。右フックを得意としたサウスポーで、日本重量級史上を代表する強打者。

略歴編集

朝鮮総督府の警官を父として、韓国ソウル市に生まれる。終戦後日本へ引き揚げてきたが、父母と死別、孤児となる。祖父も剣道の達人だったという武道家の血筋からか、剣道、柔道、空手などを学んだ後、四日市工業高校時代にボクシングと出会う。アマの試合で3戦3勝の成績を残し、高校を中退してプロの道へ。

笹崎ボクシングジムに入門し、1963年デビュー。剣道で馴染んだ右手・右足前の構えを取るため、本来右利きでありながらサウスポーとなる(コンバーテッドサウスポー)。デビュー以来3引分けを挟んで11連勝、そして1965年の釘沢政勝戦から始まる12連続KO勝ちの日本記録を樹立するなど、その右フックの強打は破壊的な威力を誇った。

1967年1月8日、東洋太平洋ウェルター級タイトルに挑戦、時のチャンピオンで元ムエタイの英雄アピデス・シチランを3回でKO、見事王座を奪取。初防衛を果たした後の同年8月8日、世界挑戦権を賭けてアメリカの強豪アーニー・ロペスと対決したが、ロペスの強烈な右ストレートの前に3回KOに敗れた。その後東洋王座は更に3度の防衛を果たしたものの、目を患いチャンピオンのまま引退した。

※ボクシングファンのMAOMIEのHP『MAOMIEの拳闘天国』 忘れ得ぬ戦士たち(19)に詳しい記述あり。これによれば96年7月他界。

通算戦績編集

43戦35勝(24KO)5敗3引分け

関連項目編集

外部リンク編集