ムムタズマハル (競走馬)
ムムタズマハル(Mumtaz Mahal)はイギリスの競走馬。愛称は「マムティ」。2歳牝馬として驚異的なスピードを示し「Flying Filly」とも呼ばれた。繁殖牝馬としても娘の産駒に活躍馬が多数出て、母レディジョセフィン、姉レディジュラーとともに名牝系を作り上げた。馬名はムガル帝国第5代皇帝・シャー・ジャハーンの第一王妃ムムターズ・マハルが由来。
ムムタズマハル | |
---|---|
欧字表記 | Mumtaz Mahal |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牝 |
毛色 | 芦毛(ベンドア斑) |
生誕 | 1921年 |
死没 | 1943年ごろ |
父 | ザテトラーク |
母 | レディジョセフィン |
母の父 | サンドリッジ |
生国 |
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生産 | タットン・サイクス卿夫人 |
馬主 | アーガー・ハーン3世 |
調教師 | リチャード・セシル・ドウスン |
競走成績 | |
生涯成績 | 10戦7勝 |
獲得賞金 | 13,933ポンド |
戦績編集
ムムタズマハルは父ザテトラークから優れたスピードと、父と同じ毛色(芦毛にベンドア斑)を受け継ぎこの世に生を受けた。父とは違いすばらしい馬体だったため、1歳時のセリで後の大馬産家アーガー・ハーン3世に9100ギニーという当時としては2番目に高い価格で購入されている。
2歳時の調教で既に高いスピードを示し、調教の試走(5ハロン)ではフライアーズドウター(英クラシック三冠馬バーラムの母)に半ハロン(約100メートル)もの差を開いて先着した。1923年5月16日のスプリングステークス(ニューマーケット競馬場)でデビューすると、楽に流して後のオークス優勝馬ストレイスレース相手に楽勝した。続いて出走したロイヤルアスコット開催のクイーンメアリーステークスでは10馬身差を記録し、ナショナルブリーダーズプロデュースステークスを4馬身、モールコームステークスを10馬身、シャンペンステークスを3馬身と無敵の5連勝を飾った。しかし、インペリアルプロデュースステークスでは調子を崩し、アーケード(Arcade)を相手に初の敗戦を喫してしまった。
それでも3歳の復帰戦1000ギニーでは圧倒的な一番人気に押された。しかし初のマイル戦でスタミナが切れゴール前失速、プラックの2着に敗れた。次走のコロネーションステークスでも距離が長く5着に敗れている。結局1マイル以上の距離では勝てなかった。その後6ハロンのキングジョージステークスとナンソープステークスを連勝し引退した。
現役時代の総評としては先細りの早熟のスプリンターだったが、Flying Fillyの名に相応しく2歳時に見せたスピードは驚異的であったと伝えられている。
繁殖成績編集
引退後はアーガー・ハーン3世のシェシューン牧場で繁殖牝馬となった。Milzaはジュライカップを勝ち、Badruddinはサセックスステークスを勝った。繁殖牝馬となったMumtaz Begum、Mah Mahal、Rustom Mahalを経由してムムタズマハルのファミリーラインは発展している。牝系子孫は、海外ではナスルーラやロイヤルチャージャー、マームード、ミゴリ、アバーナントなどで、日本ではホクトベガやタニノギムレット、スマートファルコンなどがいる(ナスルーラはMumtaz Begumの直仔)。
ムムタズマハルの子孫の牝系図の主要な部分を示すと次の通りである。
- Vintner Mare F-No.9始祖
- |(4代省略) 9号族参照
- |Crab Mare 以下F-No.9-c
- |(14代省略)
- |Lady Josephine 1912
- |Lady Julor 1919
- |Mumtaz Mahal 1921
- |Mah Mahal 1928
- ||Mahmoud 1933 牡馬
- ||Mah Iran 1939
- |||Migoli 1944 牡馬
- |||Star of Iran 1949
- ||||Star of Shiraz 1955
- |||| Esmerald 1960
- |||| *ペルシアンプリンセス Persian Princess 1967
- |||| *ペルシアンテール Persian Tale 1973
- |||| ラグビーボール 1983 牡馬
- ||||Petite Etoile 1956
- ||| Zahra 1974
- ||| Zarna 1987
- ||| Zarkana 1992
- ||| Zarkasha 1999
- ||| Zarkava 2005
- |||Mah Behar 1952
- || Nucciolina 1957
- || |*アリアーン Ariaan 1968
- || | キヨウエイシラユキ 1980
- || | ケイシュウハーブ 1988
- || | |ワールドクリーク 1995 牡馬
- || | |スマートファルコン 2005 牡馬
- || |Alannya 1972
- || Aliysa 1986
- || Alaiyda 1991
- || *アラムシャー Alamshar 2000 牡馬
- ||Mbale 1945
- | Flavia 1958
- | Flaxen 1968
- | *タニノシーバード Tanino Sea-Bird 1972
- | タニノクリスタル 1988
- | タニノギムレット 1999 牡馬
- |Badruddin 1931 牡馬
- |Mumtaz Begum 1932
- ||Sun Princess 1937
- || Royal Charger 1942 牡馬
- ||Dodoma 1939
- || Diableretta 1947
- || Ginetta 1956
- || Nasreen 1964
- || Sharmeen 1972
- || Shergar 1978 牡馬
- ||Nasrullah 1940 牡馬
- ||Rivaz 1943
- || Palariva 1953
- || |Atrevida 1958
- || | *シャークスキン Sharkskin 1969
- || | クールフェアー 1978
- || | タケノファルコン 1982
- || | ホクトベガ 1990
- || |Khairunissa 1960
- || Kalamoun 1970 牡馬
- ||Malindi 1947
- | Chandelle 1959
- | Oh So Fair 1967
- | Oh So Sharp 1982
- | Rosefinch 1989
- |Rustom Mahal 1934
- ||Abernant 1946 牡馬
- |Milza 1935 牡馬
ムムタズマハルはその後フランスに移されたが第二次世界大戦によりドイツに接収された。ドイツ占領下で1943 - 1944年ごろに死亡したようである。
血統表編集
ムムタズマハル(Mumtaz Mahal)の血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | ザテトラーク系 |
[§ 2] | ||
父 The Tetrarch 1911 芦毛 |
父の父 Roi Herode1904 芦毛 |
Le Samaritain | Le Sancy | |
Clementina | ||||
Roxelane | War Dance | |||
Rose of York | ||||
父の母 Vahren1897 栗毛 |
Bona Vista | Bend Or | ||
Vista | ||||
Castania | Hagioscope | |||
Rose Garden | ||||
母 Lady Josephine 1912 栗毛 |
Sundridge 1898 栗毛 |
Amphion | Rosebery | |
Suicide | ||||
Sierra | Springfield | |||
Sanda | ||||
母の母 Americus Girl1905 栗毛 |
Americus | Emperor of Norfolk | ||
Clara D. | ||||
Palotta | Gallinule | |||
Maid of kilcreene F-No.9-c | ||||
母系(F-No.) | 9号族(FN:9-c) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Doncaster5・5×5=9.38%、Speculum 5×5×5、Rouge Rose 5× 5 | [§ 4] | ||
出典 |
脚注編集
- ^ a b c d “Mumtaz Mahal(GB) 血統情報:5代血統表”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2019年9月11日閲覧。